警戒
木の温もりと言えば聞こえの良い室内に、静寂が訪れる。
大臣は黄色い手提げバックから1つの小型機械を取り出し、テーブルの上に置く。
次にブロンドの髪を耳にかけながら、赤く塗られたマニキュアが光る爪で側面のボタンを押した。
そこから聞こえてきたのは女性の高い声……つまり大臣の声、それとオルキの声だった。
「何だこれは」
「今の会話、録音……していたんですか」
「ええ。盗聴のような真似をしてごめんなさい。この国についての話が本当か、確かめさせてもらいました」
「疑っていたのか」
オルキの声が低くなる。
「はい」
大臣は臆することなく肯定した。
オルキは心外だと言って失望を示し、テーブルの上から降りて外へ行こうとする。
「島長? どこに行かれるのです?」
「話し合いは終わりだ、疑念を抱かれたまま何を言っても無駄であろう。人間は一度疑えば、その疑いを真実に仕上げるまで執拗に相手を突く。疲れるだけだ」
外交の場では録音する事が多々ある。見せかけでテーブルに置き、止めてからの会話で探り、隠し持った録音機で証言を取る事もある。
勿論、大臣は不信感から録音を用意したのではない。あくまでも証拠とするためだった。そして、手の内を明かし、全てを見せるという意思を示すつもりで録音機を差し出した。
隠していても良かったのに、わざわざ見せたのは大臣なりの誠意だ。
けれどオルキは誠心誠意を心掛け、アイザスのもてなしを恩だと考え、来客には精一杯の恩返しをするつもりだった。
まさか自分を疑っていたとは露ほども思っていなかったのだ。
「あー……島長には良くない出方だったと思います、つか、まずいかも。島長の機嫌、絶対悪いです」
フューサーが録音機を早くしまうように指示する。
「島長! 確かめたという事は、結論が出たという事でしょう? それを聞いてからでもいいと思います!」
「好きなだけ聞いておけ。なに、無事に帰る事は約束しよう。吾輩からの礼だ」
「もう! ほんっと頭が固いんやけ! 最後まで話を聞かんで勝手に解釈して、そげん狭量でどうすると!」
アリヤとソフィアがオルキの態度を非難するも、オルキは振り返ろうともしない。オルキの態度が急変した事で、アイザスの面々は動揺を隠せない。
「あ、あの」
「すみません、大臣のなさりたい事はよく分かっています。その、録音の事実を明かす順番が悪かったと言いますか」
「島長は魔獣です。魔獣は誠実やない行動を酷く嫌うんです。自分が人間を受け入れる前に試す事はあるけど、自分が認めた相手に試されたっち事を裏切りと思ったんじゃないかなって」
「ど、どうしましょう」
オルキが豹変した理由に気付き、大臣の顔色は真っ青だ。室内に緊張が走り、軍人は誰からともなく立ち上がって警戒態勢を取る。
その手に武器はない。集会所に入る際、[鉄砲とたまをここへ置いてください]と書いてあったからだ。
次の扉にはご丁寧に[どうか帽子と外套をおとりください」と書かれており、隠し持つなよと忠告する事も忘れていない。靴まで脱げと言わなかっただけ、まだ優しいだろうか。
「宥めに行くか。激昂せずに堪えた所を見るに、なんとかなるかもしれない」
「私に任せて下さい、私が島長を追います」
「俺達が行った方がいいんじゃないか」
「島長にとって、最初の住民であるフューサーさんとソフィアさんは特別です。今の態度を叱られる事も、ガッカリされる事も、きっと分かっているはずですから」
ガーミッドが慌てて島長を追いかける。集会所の重い空気は、開かれた扉から薄い霧の下へと漏れ出すように充満していた。
* * * * * * * * *
「島長」
「どうした」
「どうしたではありません、戻りませんか」
「何故戻る必要がある。奴らは吾輩の誠意を疑った。吾輩は奴らを信じ、招こうと決めたのだぞ」
「島長の気持ちは、よく分かりますよ。私はかつて島長に試された身です、誠実である事の重要さ、信じる事の重さは何よりも」
オルキは霧が撫でる丘の岩の上で、遠くの海を見つめていた。
纏うものが怒りであれば、ガーミッドはもう少し躊躇いを見せただろう。
しかし、今のオルキの後ろ姿はどこか小さく、横顔は酷く落ち込んで見えた。
ガーミッドはオルキの邪魔にならないように腰掛け、オルキに撫でましょうかと申し出る。虚しさと寂しさに打ちひしがれていたオルキは、柄にもなく素直に従った。
「困りましたね」
「別に」
「人間の面倒臭さを更に知る事になったでしょう」
「10の面倒臭さが11になった所で大差はない」
やはりオルキはガッカリしている。そう確信したガーミッドは、特に諫めもせず、反論もしないまま会話を続ける。
「島長が人間を信じる事は、きっと回り回って人間が島長を信じる事に繋がる事でしょう」
「奴らは吾輩を信じておらなんだ」
「そうですね、きっと信じる事が怖かったのだと思いますよ。島長も、相手を信じるには勇気と覚悟が必要でしょう」
「……勇気は分からぬが、覚悟は必要であろうな」
覇気のない、まるでただの喋る猫のようなオルキの様子を見て、ガーミッドは魔獣にも感情があり、悲しむものなのだと内心驚く。
人間など気に入らなければ喰い殺せば済む。魔獣にはそうできるだけの力がある。けれど、その自分の力を無秩序に使ったりはしない。
魔獣には魔獣なりの信念と忠誠がある。そして、人間よりも上の立場にいると固く信じている。それを感じ取り、ガーミッドはオルキが受け入れ易い言葉を探す。
「人間は、とても弱い生き物です。群れなければ自分の意見も言えず、自分の責任になるのを恐れ、怖いから従う哀れな生き物でしょう」
「自覚があるのか」
「そんな人間は、魔獣であるオルキさんと違うんです。覚悟するのに勇気がいります。信じるのに勇気がいります。弱いから、逃げ道がないと生きられません」
オルキはガーミッドの言葉を静かに聞いていた。ソフィアのように敢えて突き刺さる言葉を使うでもなく、ケヴィンのように悲しそうな顔で怒るのでもない。
フューサーのように正論で懇々と諭すでもなく、アリヤのように仲裁を名乗り出るでもない。
ガーミッドはオルキが受け入れる事を期待するのではなく、寄り添いながら話を聞く。話さなければオルキの思いをどう受け止めたかを語る。
今のこの状況ではとても心地が良いものだった。
「逃げ道を塞ぎ、追い詰めたなら、必ず降参します。けれどそれは考えに賛同するのでもなく、ただの服従なんです。正しいから従うのではない、強いから従うという単純な選択です」
「……吾輩は逃げ道を用意してやった」
「自分の知らない道より、自分で確保した逃走経路の方が、安心できるでしょう。弱い立場にいると、何もかも怖いんですよ」
「面倒だな、人間は」
「はい。強い者には怖いから従います。自分を救ってくれると思えば縋ります。なのにあんな風に覚悟もできず、違う道へと続く扉から手を離せません」
「吾輩には、イングスが丁度良かったのだろうな」
オルキが視線を移した先には、オルキとイングスの家がある。煙突から白い煙が立ち上っているという事は、何らかの料理を準備しているのだろう。
「……貴様だけ戻ると良い。吾輩はもう少しここに留まる」
「一緒に戻りませんか」
「必要があれば吾輩に報告するが良い。奴らの言い訳を今は聞く気になれぬ」
「分かりました。きっと、今頃小屋の中で大騒ぎでしょうね」
「貴様は、失望したか」
オルキの何でもないような声が風に乗って流れていく。
「いいえ」
ガーミッドは敢えて風下にいるオルキへではなく、正面に向かって言葉を返す。
「安心しました。何があなたを失望させるのか、また1つ分かったから」
「……そうか」
オルキの何でもないような声が再び風に乗って流れていく。
「たまには、心の内を皆に話しても良いと思いますよ。人間は察するのが苦手で、言葉でも分かり合えないくらいです。でも、もうオルキ国の国民は、互いに一喜一憂し探り合う仲ではないでしょう」
ガーミッドは今度はオルキに向かい、言葉を返す。
オルキはまだ遠い海を眺めたままだ。けれど、その表情からは落胆の色は見えない。
「その時は貴様も同席するのだぞ」
オルキは国民を認め、信じている、つまりはそう言いたいのだ。ガーミッドは微笑み、腰を上げる。
「もちろんですよ」
「……吾輩はまだ、試されなければならぬ程度、という事だな」
「オルキさんがどうであるかは関係がいないのです。戦乱の世の中、信じても応えられた経験のない人間は、とりわけそうでしょう」
「そうか。まあ、そうなのだろうな」




