魔獣と傀儡の国づくり
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有人島となったヒーゴ島。島内には強めの風に乗って今日も木を打ち付ける音が響く。
しばらくしてまばらな歓声が上がった。
「よっし、3棟目の家が出来上がった! これでもう廃集落とは言わせない」
「イングスが廃屋を全部解体して、資材別にまとめてくれたからな。道工具が比較的良い状態で残っているのも有難い」
イングス達は家に戻り、囲炉裏を囲んで休憩に入る。
修復済みの納屋を含めると、集落には合計5棟の建物。辺境ながら細々と暮らしている雰囲気が生まれ始めていた。
「何もない状態で漂着していたらと思うと恐ろしいものがある。しかし、あれっきり熊が現れないって事は、先人の日記の通りって事なんだろう」
「何年かに1度、流氷に乗ってやってくる。って言ってもこの島にいつも棲みついている訳じゃないし、群れでは来ないから繁殖も無理なんだな」
「牛や羊なんかが呑気に歩き回っているんだから、あまり気にしなくてもよさそうだ」
「熊など恐れるに足らぬ。吾輩とイングスが熊鍋にしてやろう」
かつて人が住んでいた頃の家畜が、今は野生化し島内の至る所で草を食んでいる。その草は島を覆い尽くし、食べ尽くされる心配はない。実際、もう数十年もこの状況だ。
畑や野生化した野菜を見るに、耕作もある程度は可能。
高緯度にあるせいか森はないにしろ、アカマツ、カラマツ、モミなどの木々も、生活に困らない程度には群生している。
とはいえむやみに木を切り倒してしまえば、たちまち木材は尽きてしまう。今後暮らしていくにあたって、当面の心配はなくとも長期的には制約がある。皆はそれを危惧していた。
「夜の明かりのために廃材を燃やすのも勿体ない。そこにあるものを消費するだけじゃ、文明的とは言えないな」
「やっぱり泥炭を掘るしかない、か。ピート小屋の跡があったって事は、どこかで掘っていたはず」
フューサーとケヴィンがやって来てから2週間が経っている。
イングスという規格外の人形を除き、2人の男と猫だけで出来る事は限られる。住環境は整ったものの、このままのメンバーで生活するかどうか、2人は早くも悩み始めていた。
「うーん、まさに絶海の孤島ならぬ諸島だ。西にあるユラン大陸の西端の岬から2250km、南西のノバム島まで2600kmってとこだもんな」
「地図で確認した時、周囲に一切何も無いとは思っていたけど……北緯60度、西経65度、俺達よくここに漂着できたよな」
「生活の跡はあるし、地図もある。一部でも森林があって、ヒーゴ島と対岸のクニガ島の間は浅くて波も穏やか。小舟を修復したら釣りも出来そうだし、贅沢しなけりゃ死ぬまで生きられるさ」
「死ぬまで、ね」
高緯度に位置する島が無人島となりやすい原因は幾つかあるものの、オルキ諸島は当てはまらない。そんな島を、なぜ島民は見限って去ってしまったのか。
色々な疑問が浮かぶも、悩んでいる時間はない。
「さーて、当面は残された衣類で凌げるけれど、冬が来るとまずい」
フューサーがそう言って立ち上がり、イングスに手招きをした。
人形も使われ方次第でクセが出るのか、オルキが傍にいれば、イングスは他人の言う事にも反応するくらいの動きが取れるようになった。
「ちょっとその長袖シャツを脱いでくれるかい」
「うん」
「え? 何するんだフューサー」
「何って……うーん、改めて目の当たりにすると少年らしからぬ逞しさだな」
「イングスの造形は神が決めた。まあ女型の方が良かったと言って捨て置いた個体だが、奴の美的感覚では傑作だそうだ」
「何が気に入らなかったんだか。さて、背の高さは……165cm(センチメータ、100cm=1m)ってところだから……はい両手を上に上げて」
フューサーはそう言いながら少し膝を曲げ、イングスをおもむろに抱きしめた。
「お、おい!」
ケヴィンが跳び上がり、目をまんまるにして驚く。漂流で随分痩せたとはいえ、元軍人である大男の突飛な行動に驚かないはずがない。
「そんな……いくら人肌恋しいからって、血迷うんじゃねえ!」
「僕は人じゃないから、人形肌だね」
「なんだ、イングスは吾輩の所有物だぞ」
「あ~、これならなんだか寸足らずな服ばかり着ているのも納得だ」
勘違いを誘発する行動だったと笑いながら、フューサーはゆっくりと腕をイングスの腰に回す。
「ちょ、お前それ以上は……」
「なんだ、発情期か。イングスをあてがうつもりはないぞ」
「発情期って言うな」
「僕って発情期あるのかい」
「さあな、吾輩は人と人形の発情期に疎い」
「だから発情期って言うなって」
2度目は誤解させる事を見込んでいたのか、当のフューサーはクスクスと笑っている。
いつもの少しだけ笑みを浮かべた表情のまま微動だにしないイングスと、周囲の対比がシュールな光景だ。
「巻き尺が無いんだから、これしか手段がないんだよ。服を作るのに、自分の腕を利用しておおよそのサイズを測っているのさ。仕立て屋の息子を舐めんな」
「ば、馬鹿! それならそう言えよ……俺はてっきりお前がその、実は美少年好きなやべー奴かと」
「だったら漂流の間、とっくにお前を襲ってたはずだな」
「ふ、ふぇぇ……って、俺は美少年なのか? もう少年って歳でもねえし」
「吾輩に聞いて答えが来ると思うか」
「僕に聞いても無理だね」
フューサーは鉛筆で古い紙きれにおおよその寸法を書き留め、次にケヴィンへと手招きをする。
「もしかして……」
「お前の番」
「い、いや、落ち着いてフューサーさん?」
「いいから脱げ」
「そんな、アタシあなたの逞しいお胸に飛び込む気は……ぎゃあああ!」
「うるさい」
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厚い雲の切れ間から零れる陽の光と共に、島を爽やかな風が吹き抜けていく。
それをロットが来たと嬉しそうに呟いたケヴィンの足元には、島の使えそうな道具がかき集められていた。
「当面はあるもので間に合わせるとして、生活に必要なものを定期的に仕入れないと。この島の服や家財道具を見るに、細々とでも交易があったと思うんだ」
「吾輩がこの島に来て以降、誰も来ておらぬ。住民が島から出て行ったのは、交易が途絶え、必需品が入手できなくなったからか」
「僕達もいつか出て行かなくちゃいけないかな」
「出て行ったところで、どこも戦火からは逃れられない。ここも知られたならどうなるか」
「まず、この島がどこの国に帰属しているかだ。どこが敵か味方か分からない状態は気が休まらない」
工場も人手もない環境では、ある程度のものを他所に頼るしかない。とはいえ、頼る先を間違えたなら命も危うい。このままではジリ貧、いつか外に出て行くことになる。
オルキとイングスでは、この状況に対し、何が問題なのかを掴めない。神から与えられた現況の知識は大雑把でそれでいて抽象的で、必要最低減もなかったからだ。
「何を言っておる、この島々は吾輩のものと決めたであろう。ほったらかしで何が領土だ」
「いやいや、そこで他国が略奪呼ばわりしてきたら全面戦争になるんだって」
「近頃の戦闘機は、2000km飛んで、2000km引き返すくらいの性能がある。存在が知られたら爆撃される可能性も……」
「関係ない。吾輩の島だ」
人間がどう考えようが、魔獣は従う必要がない。魔獣が魔獣の地と決め、そこを人間が自分の土地だと主張するなら排除するだけ。
オルキは人間の事を自分より弱い存在と考えていた。
「俺達が他国の島を勝手に占拠している状況かもしれないだろう。せめて元はどこの国のものだったかを調べないと」
「何年も何十年も放置しておきながら、守れぬ領土など主張できるものか」
「精神論ではそうだろうよ、でも人間には決まりがある。俺達も人間だ、島長が魔獣でも、俺達は人間の決まりに従わなくてはならない」
オルキは何ともなさそうに香箱座りで目を閉じる。人間が人間の決まりで動くのであれば、国民も人間の決まりで動く。
それを知っておかなければいけないと思い直した。
「どうすれば吾輩の島になるのだ。人間はどうやって国を名乗っておる」