いわゆる戦略的撤退として
「アリヤ・ウルティナ・セイスフランナ」
「なんで、それを」
ソフィアがアリヤの本名を口にする。衝撃を受けたのはアリヤだ。アリヤは今まで1度もフルネームを明かしていない。
「最初は分からんかった。セイスフランナのお嬢様なんやろなくらい。でも、セイスフランナのお嬢様だとしても、アイザス出身者が知人ってのはおかしいよね」
「何かおかしい事があるのか? 別にお互いが行き来出来ないわけじゃないだろう」
「アイザス出身者がセイスフランナに居住しているなら、それはもう大使館クラスの人なんよ。アイザスの国民は移住の権利がないから」
ソフィアの言葉に、フューサーは思い当たるところがあった。
「あー、アイザスは20年前まではセイスフランナの北にあるゴレイ共和国の自治領だったって習った」
「そう。アイザスの全島民一致で独立したんよ。アイザスの人間は、生涯アイザス人であり、アイザスで生きる事を貫くと憲法に記された」
「100年後まで有効、なんだっけ」
「そ。だからアイザスは国民に対し、超短期滞在以外のパスポートを発行しない。観光で数日滞在するのがせいぜいなはずよ。長期滞在できる人は相応の身分の人だけ。その重要人物を知人と言える立場を考えた」
ソフィアの言葉は後付けだ。実際にはアリヤの事を自身の能力で見抜いてしまったのだ。
しかし、自身の能力を隠すと決めた以上、それらしい理由が必要だった。
「それで? 何で本名が分かるんだ?」
「アリヤさん、もしかして有名人なのですか? すみません、捕えた側の私がこんな事を言うのも失礼ですが」
「え、アリヤ有名人なのか!」
ケヴィンとガーミッドは何も分かっていない。実は有名な俳優や歌手なのかと言い出す始末。
青空の下のテラスに、雲が影を作る。早い雲の流れが、もうじき天気が崩れる事をほのめかす。
また暫く沈黙が続く。
それらしい理由を考えあぐねているソフィアを見かねて、オルキが助け舟を出した。
「ソフィアよ、回りくどい事は良い。結果だけ話せば事足りるであろう」
「……うん、そうやね。アリヤ、あなた王女だよね」
「え、王女!?」
王女という言葉に、今度こそ全員が驚いた。アリヤまでもが驚き、言葉を失っている。
「セイスフランナ連邦だろ? 王国じゃねえよな? どういう事?」
「セイスフランナは連邦制を取ってるけど、セイスとフランナの2つの勢力が双方から男女1人ずつ代表を決めたんよ。その2人の直系の子孫が王様として扱われるようになった。ちょっと珍しいパターンね」
「あー……そう言えばセイスフランナって大統領いないんだっけ。首相何て名前だったかな」
「……カミゴ首相は、私の遠い親戚にあたります」
アリヤは重い口を開いた。首相の遠縁と言えど、一般人でも不思議はない。皆がアリヤの続きを待っている。
「確かに、私は王女です。次期国王は兄で決まりですし、次兄も2人の姉もいますから、私はあまり注目されていません」
「ソフィア、よく知ってたな」
「まあね。4年前にギタンギュにも来たことあったよね。あたし、首都のコレストに住んどったけん、見たことある」
「……そういう事、ですか。すみません、黙っていないと馴染めないと思って」
実際にはアリヤが来た時、ソフィアがその姿を見た訳ではなかった。もっと言うと、容姿も知らなかったくらいだ。
「え? ちょっと待って下さい。どうして王族のあなたがあんな古びた難民船に乗っていたんですか? しかも船籍はレノン共和国だったはず」
おろおろとしだしたのはガーミッドだ。図らずも王女を攫い、捕虜として連れ回してしまったのだから無理もない。
ジョエルとセイスフランナは正式に開戦していないが、この件を機にセイスフランナが防衛ではなく攻撃に回る可能性もある。
そうなればガーミッドは極悪人。戦争の引き金を引いた張本人となってしまう。
「一般人に混ざり、国外へ逃がされたのです」
「え、じゃあどこに向かうつもり……あ、もしかしてアイザス!」
「はい、アイザスに。ゴレイ共和国経由でアイザスに向かう船を探して乗り込みました」
「なんてこった、王女様だったのか……どおりでちょっと所作も生活力も一般人らしくないと思ったんだよ」
「すみません、国で暮らしていた時は、自分で家事をする環境になかったものですから」
「そりゃ、王女が洗濯やトイレ掃除なんかしないよな」
アリヤの身分が明かされ、一般人代表たちは自然と座り直す。その様子を見て、アリヤは苦笑いをしつつ「だから、気を使わせたくなかった」と言った。
遠くで牛の鳴き声がし、草原を風が撫でながらサワサワと音を立て去っていく。
アリヤにとって、こんなド田舎と言えばド田舎に失礼な程何もない環境は、本来ならあり得ないのだ。
それでも必死で家事を覚え、島民として同じ目線で生きる事に努めてきた。その努力を知る皆が王女の身分を非難するはずもない。
「あー、分かった。国民を見捨てて自分だけ逃げたとか、そんな事思ってんだろ」
「……見捨てたのは事実です。私は逃げたのですから。セイスフランナがそんな非情な国だと思われたくなくて」
「子供を戦禍から遠ざけたいのはどこの親も一緒よ。それに、国を捨てて逃げたのはあたしも一緒」
「俺達もそうさ」
ガーミッドはともかく、残りの4人は全員が戦禍を免れようと自ら逃げ出した。アリヤを非難できる立場にない。
「そっか、アイザスにアリヤが現れると、セイスフランナから国外に逃亡した事が知られてしまうんだな」
「……はい、だから私は行かない方がいいと思うのです」
アリヤの意見はもっともだ。わざわざ国を捨てた王女として世間に知らせる必要もない。オルキは真剣に聞きながらも、人間の複雑さにため息が出る。
「神が見捨てたくなった気持ちも、少しは分かるというものだ」
「そうなんだね」
「人間は非常に面倒で、特に可愛げがない。このままでは、人間のせいで吾輩が世界を統べる前に世界の方が崩壊しそうだ。崩壊すれば逃げる逃げない以前の問題だろうに」
「逃げる事は、いけない事なのかな」
「え?」
「みんなは逃げたと言われるのが嫌なんでしょ」
イングスは人間の葛藤などお構いなし。単純なイングスは、逃げた現実と、逃げたくない気持ちの不一致が不思議で仕方がない。
「逃げるって、負けたって意味にもなるの」
「じゃあ逃げなければいいんだよ」
「逃げたくて逃げた訳でも、見捨てたくて見捨てた訳でもないんだ」
「よく分からない。逃げて見捨てなかったらいいんじゃないかな」
「いや、逃げた時点で見捨てる事になるから……」
「確かに……。そうですね、見捨てなけれないいのです。それなら行った方が良いでしょう」
「はい?」
ガーミッドがイングスの言葉に同意する。
「どういう事ですか?」
「そもそも、わざわざ逃げたと言う必要がありますか。戦争を回避する手段を探し、極秘でアイザスを訪れたとすれば」
「そ、そんなウソをついてまで自分の立場を守るのは」
「何を言うのです、本当に戦争を回避する手段を探せばいいだけの話ですよ。島長は実際に全ての人間を統べる神になろうとしています。実現すれば嘘にはなりません。イングス君、そういう事ですよね」
「うん。嘘じゃなくて、本当をつけばいいんだよ」
「本当はつくって言わねんだよなあ」
ガーミッドはイングスの単純明快な意見をよく理解し、逃げてこの島に来た事は過程でしかないと主張した。
戦略的撤退は、軍人にも馴染みのある作戦だ。
「あー、確かにそうだよな。逃げたと思わせといてオルキ国から突然現れ、世界大戦の終結のために世界との外交を試みる王女……いいじゃん」
「あ、あの、私はそんな大それたことは……」
「いや、アイザスの国民も、セイスフランナの王女が来たとなれば無下には出来ないはず。使えるものは立場でも魔法でも何でも使えばいいの!」
「は、はいっ」
「よーし、決まりだな」
「アリヤよ、吾輩に外交とやらを伝授してくれぬか。吾輩は人間同士のしきたりに疎いのだ」
「……分かりました。お役に立てるなら何でも」
話はまとまったようだ。島に残るのはフューサーとガーミッド。
アイザスに向かうのはオルキ、イングス、ソフィア、アリヤ、操舵士としてケヴィン。
晴れ晴れとした気分が荒れそうな天候を吹き飛ばし、いつの間にか薄雲の1つもない空が広がっていた。




