訪問者たち
* * * * * * * * *
「おい、こんなところに家があるぞ」
「た、助かった! ちょっと休ませてもらおう」
絶海の島に、神が去ってから1年と数か月ぶりの訪問者が立ち寄った。
青空の下だというのに、谷や麓には絨毯を敷いたような霧が這いまわる。その中から現れたのは2人の男だった。
[どなたもどうかお入りください]
[けっしてご遠慮はありません]
「おい、俺らは大歓迎ってことだよな」
[ことに前足や後ろ足が器用なひとは、大かんげいいたします]
「そうだな、一応俺らは両方兼ねてるし」
1人は背が高く、赤茶けた短髪を湿気で整え、もう1人はやや長めの黒髪に左右で青と緑の瞳を持ち、頭1つ分背が低い。
若い男達は濡れたバックパックを背負い、疲れ切った表情に希望を乗せて家を目指す。
[鉄砲とたまをここへ置いてください]
入口には注意書きと簡素な机がある。ここに置けという事だ。
「ま、まあ鉄砲を持ってものを頼むと強盗だもんな……」
「誰かいませんか! 中で休憩させていただきたい!」
地図によっては存在すら確認できない小さな群島の、とうに廃れた集落。2人は他にあてもない。おとなしく武器を一式置いて扉をノックする。
一方、家の中では人形達が様子を伺っていた。
「人形、良いな。吾輩が思った通りの行動を」
「うん」
人形は立ち上がり、引き戸に手を掛ける。猫の指示がうまく加減させなかったせいか、扉は吹き飛ぶのかと思うほど威勢よく開かれた。
「うおおおッ!?」
「誰もいないよ」
「おあっ、あの、島に漂着して……少し休ませていただきたいのですが……君、1人かな? 他に人はいないのかい」
「船が沈没してしまって、俺達だけが緊急用の小舟でなんとかここにたどり着いたんだ」
「人はいないよ」
若者がたった1人で住んでいるのは不自然だ。
きっと親は亡くなったのだろうと憐みの目を向けつつも、2人組は頭を下げた。
「いいよ。どなたもどうかお休みなさい」
人形が招き入れると、2人は荷物を降ろして座り込んだ。
荒波の中を小舟で彷徨い、命からがら小さな島に漂着したのだから仕方がない。
「井戸は家の東に、体を洗うなら南の小川に洗い場があるよ。食べ物は畑にある野菜を使っていいんだって」
「有難う……って、誰がそう言ったんだ? とりあえず歩き疲れて動けない、少し眠ってもいいだろか……はっ」
安堵からか壁に寄りかかって足を投げ出していた2人は、急に起き上がった。
「お、追ってきてないよな」
「そ、そのはずだ。こんな少年が1人で住む場所にアイツが現れでもしたら……」
「君たち以外、この島に人はいないよ」
2人は気まずそうに口をつぐむ。しばらくして背が低い方の男が口を開いた。
「く、熊だ。それもとびきり大きな」
「昨日の昼に漂着した後、休憩していたら背後から現れて……バックパックを担ぐのも忘れて逃げたんだが」
「しばらくして立ち去ったから、急いでバックパックを回収して先を急いだ。そうしたら夕方になって同じ熊が現れて……」
「フン、熊は執念深く独占欲も強いからの。それを持ち去ったなら追い回されるのも当然だ」
時々声と口調が変になる少年に首をかしげながらも、訪問者はようやく自分達が追い回される理由を知った。
熊が追う理由のバックパックは、ここにある。
「どどど、どうしたら」
「仕留めたらいいんじゃないかな」
「馬鹿言え! 銃は効かなかったしナイフも持っていないんだぞ!」
「もし襲い掛かってきたら、君も無事では済まない! ああ、どうしよう」
人形には恐れの感情がないし、猫も時には熊にだって立ち向かう凶暴性を併せ持つ。
1体と1匹は立ち上がり、今度は丁寧に引き戸を開けた。
「あっ」
霧で視界が悪い中、玄関の数メータ先には大きな熊がいた。既に追いついていたようだ。
「ひいいぃ!」
訪問者達は顔面蒼白。少年をなんとか助けようと動くが、逃げる以外の手段を持っていない。
「危ない!」
熊が頭を下げ、構えを取る。人形は特に感情もなく、玄関扉を開けた姿勢のまま。その肩に乗る猫が、人形に一言つぶやいた。
「今夜の食事は熊肉の鍋が良いの」
「分かった」
人形は何という事もない表情で熊へと襲い掛かった。実戦経験など勿論ない。
対する白熊は構えから二本足で立ち上がった。両手を広げ大きく口を開き、イングスを睨み付けたまま。歯は鋭く、口から腹まで赤く染まっている。
熊は平原や山地、あるいは氷上で頂点に立つ生き物。自身の強さを自覚している反面、襲い掛かってくる敵を知らない。そこに油断があった。
「グワッ」
人形の回し蹴りが熊の右頬へと命中した。
熊は何が起こったか分からない表情で少年を見つめる。
対峙して数秒から全力で蹴る闘いなど、熊の流儀にはないのだろう。
「熊肉を茹でたやつ、美味しいんだって」
人形は爪を恐れる事もなく、左拳で顎下へアッパーを喰らわせ、熊の腕を内側から外へとへし曲げた。
熊の咆哮が耳をつんざく。
明らかに人形の方が強い。とはいえ、熊の鋭い爪なら、いくら神の準最高傑作だとしても傷くらいはつく。
暴れる熊の爪が、人形の何とも言えない見た目の上着をパックリと切り裂いた。
「あー壊れちゃった」
「貴様は勝手に修復するよう出来ておる。心配はいらぬ」
「僕に心はないんだよ。ないものは配れないさ」
「それは都合が良い。吾輩が足止めする、貴様は家に戻って包丁を持ってこい。それで切り刻めばこと切れる」
「うん」
猫も飛び掛かっては、執拗に熊の鼻や目を狙う。その隙に人形は台所へと戻り、包丁の柄を握った。
「ちょ、ちょいちょい! た、倒すつもりか!?」
「うん」
「あ、危ないぞ、死んじまう!」
「生きたまま食べられないでしょ」
「熊じゃない、君だ!」
「死ぬのは無理だよ、1度だって生きたことがないのに」
「へっ?」
人形は訪問者の制止を気にも留めず、熊へと包丁を振りかざす。熊の爪が頬を掠めるも、人形はそのまま鼻先を突き刺した。
熊が痛みで暴れ、人形には熊のひっかき傷が幾つも刻まれていく。それでも人形は特に焦りもせず、淡々と熊の手首を切り落とした。
「目は潰してやったぞ、両手を落とせばネズミ狩りより楽なものだ」
「はーい」
人が熊を追い払ったという話は幾つか聞いた事があった。だが、たった1人で、それも銃を使わず包丁1つで熊を倒した話は聞いた事がない。
「す、すげえ……そりゃ、こんな所でたった1人、生きていけるわけだ」
* * * * * * * * *
「熊を倒して、その日のうちに肉を切り出して、血抜きもやって鍋にするなんて」
「こんな辺境に1人じゃ、それくらい出来ないと生きていけないのかもしれないが……俺達大人でも無理だってのに」
夜になり、人形は熊肉を使った鍋料理を振舞っていた。付近の廃屋からかき集めた調味料を使い、猫用には薄味で、疲労が溜まった2人には少し濃い味で。
「死にたての熊の肉をどうぞ」
「あ、えっと、はい……有難う」
「ちょっと言い方が気になるが、間違ってはいないんだよな」
2人は「少年」の人並外れた身体能力と家事の腕に驚きながらも、食事を有難く頂戴した。
「こんなところで暮らして、心細くないのかい? 未成年の君がたった1人と猫1匹だなんて」
「ないものは細くも太くもなりようがないね」
「平気そうに見えるっちゃあそうなんだが。ところで、君の名は? 何と呼べばいいかな」
「俺はフューサー・カルソイ、こっちがケヴィン・グリュックス。フューサーとケヴィンと呼んでくれ」
背が高く褐色肌で短髪の男がフューサー、背が低く左右で瞳の色が違い、笑うと眉尻がキュッと上がる男がケヴィン。
そう認識する事には問題なかったのだが。
「名前……」
人形は珍しく困った表情を作った。
神は人形を「傀儡」もしくは「おい」、「貴様」などで呼ぶばかりだったからだ。
要するに、名前を与えられていない。
猫も今更ながら人形の名前がない事に気づいた。ついでに言うと、神は猫にも名を与えていなかった。
「ふむ、そう言えば人間には名が与えられるものであったな。名前など気にした事もなかった」
「うーん、名前はないね」
「吾輩もただの魔獣だ、名前はまだない」
「ちょっと待った、えっと、もしかしてその猫、喋ったか?」
猫は人がいるにも関わらず、つい呟いてしまった。
「喋ったよな? どういうことだ?」
この世界において、猫が喋る事は当たり前ではない。人形がこの場を誤魔化せるわけもなく、猫は深くため息をついた。
「2人が良からぬ事を考えていたとしても、なんとかなるな。海に囲まれ逃げ場もなかろう」
「その時は、どうぞ惨たらしい最期のお迎えを一同お待ち申し上げております」
「言葉の意味を分かっているかいないか、判断できぬところで丁寧語を使うな」
「うーん」
「そこは、はいで良い。別に丁寧な言葉を使うなとは言っておらぬ」
「はーい」