大富豪の社会学習
「……フン、ずいぶんと気にかけておるの」
「島長。まあ、あの子って今までは人を見下して生きる事が当然だったみたいだし、相変わらず我儘だし。でも、悪人ではない気がしたんよ」
オルキが現れ、イングスに愚痴を吐くソフィアへと声を掛けた。
トリスは我儘ばかりで、何でもまず否定から入る。こんな事をしてどうなるんだと難癖をつける所から始まり、やりたくないと不満をぶちまけ、何でこんな事にとすぐ嘆く。
けれど、トリスにとってはそれが当たり前だ。何一つ不自由のない世界に生きていた者が、何をするにもいちいち不便で不自由な世界に来たなら、親しみ慣れた方、特に楽出来る方を選ぶのは当然だろう。
そして、トリスの行動はその点が極端に表れているだけで、誰かに意地悪をするわけでもなければ嘘もついていない。嫌な奴だが、悪人と呼ぶにはそれらしい事をしていない。
「なんかね、可哀想やなーっち思ってしまったんよ。知っとる世界が狭すぎる」
「この島も狭い世界だが、確かに自分と同じ立場にいる者しか知らないような言動が目立つ」
「うん。そんな人が経営するホテルでも、一定の基準を満たせたらこの国への進出は拒めんよね。そして今のままだとほんとに有名リゾート地にあるシルトンホテルがそのまま建てられちゃう」
「どんなホテルなのかな」
「例えば外壁は白、30階建て、プールが備え付けられていて、夜になっても建物を照らす光が煌々と付いているの。あたし、そういうホテルはこの島のためにならんっち思っとる」
「そうなんだね」
「どうせ建てるなら、ちゃんとこの島の事を理解して、この島に相応しいホテルを建てて欲しい。こんな何もない島ならやっぱり建てないっち言い出すかもしれんけどね」
ソフィアはトリスの滞在を認める代償として、島の暮らしを体験させているのではなかった。
対価として金を貰って、食事や身の回りの世話をしてやることも出来たのだ。
それをしなかったのは、ソフィアなりに本格的な資本の参入への危機感と、オルキ国の姿が無秩序に買えられている事への不安から。
何よりトリスが変わらなければ、シルトンホテルはどうせ廃墟まっしぐらだしトリス自身の未来もない。
「なかなか、考えての事なのだな」
「まあね。人はある程度の段階までなら変われるんよ。もちろん、やった事に対しての罰は必要やし、償いも必要。でも、そこを超えたエバンさんは、ホグス先生の代わりに頑張っとるやろ」
「ああ。吾輩もエバンを見決めた事で軽犯罪とやらは刑罰を与え、償いも済ませたなら許す可能性を残す事とした」
「けどね、自然や目に見えない雰囲気っち、1度変わるともう取り戻せんのよ。あたしはオルキ国が今の雰囲気と今の自然と景観を残したまま、それを邪魔せんような発展をしていけたらっち思っとる」
「オルキはそれを望むのかい。君の国だよ」
ソフィアがどのような国にしていきたいかを語るが、決定権はオルキにある。ソフィアもそれは分かっている。そして、ソフィアはオルキの目指すものを共有できない程、愚かな国民ではない。
オルキは人間の事をまだまだしっかり把握できていない。ソフィアはそんなオルキのためと、人の審査、商売の審査を先行して始めようとした。
景観度外視のホテルが1度建ってしまったら、草原が失われたら、もうどうしようもないのだ。
星の見えない田舎、オーロラを邪魔するホテル。そんなものがオルキ国にもたらされようとしていた事に気付き、オルキはソフィアに「感謝する」と言って去っていく。
「島長がね、気付いた時には手遅れっちなるのは嫌なんよ。神様のように、島長もあたしらに失望してどこかに行ってしまうかもしれんけ」
「そうなると、オルキはとても短い時間しか元の大きさに戻れないままになってしまうね」
「そうね。オルキ国のやり方が島長にとっても利益にならんといけんね。さーて、そろそろ昼休みは終わり! 行きましょ」
「はーい」
* * * * * * * * *
「あーもう! 土いじりなんてどういうつもり!?」
「お前、一日に何度叫んだら気が済むんだよ」
午後のトリスは、午前中よりもいっそう叫んでいた。やっているのは家畜小屋の隣の倉庫で堆肥作り。牛、馬、羊の糞を藁と混ぜ、発酵させなければならない。
島の人間なら男でも女でも関係なくやってきた仕事だが、これはさすがにトリスには酷だという事で、今はとりあえず見学だけだ。
「いいか。野菜を食べるって、こういう事なんだよ。勝手に生えて来るわけじゃない。肉も同じだ、生きている羊や牛を殺して、解体して、肉を切り分けてようやく調理できる状態になる」
「誰かがこの作業をしなきゃいけないんだよ。それを自分でしないとしても、誰かがこんな作業をしているんだと知ってなきゃ何にも敬意を払えないしょーもない人間のままだぞ」
「私をしょーもない人間だって言いたいわけ? 今まで知らなかったのは仕方ないでしょ、あんた何でも知ってるの? あんただって知らない事はあるでしょ」
「勿論知らない事だらけさ。俺達は所詮しょうもない人間だよ。でも、そんな俺達よりしょうもない人間が、世界の経済を握るような立場にいちゃまずいだろ。俺達が知ってる事くらいは知っていて欲しい」
「……あーもう分かったから。この酷い臭いと汚らしい空間が世界に必要な事は分かった!」
「嬢ちゃん。俺達は嫌がらせしている訳じゃねえんだ。一体どんな所にホテルを建てに来たのか、ホテルの従業員に応募する国民はどんな生活をしてんのか、ちゃんと分析して欲しいからこんな体験してもらってんのさ」
「シルトンホテルはオルキ国の良さを、ありのままの国を最大限に引き出したものであって欲しい。俺達は期待しているんだよ、お嬢さん」
「……はいはい。この空間はホテルには取り入れないから安心して」
「はっはっは! そりゃそうだ」
トリスの嫌味も段々とトゲがなくなり、周囲の者も気にしなくなった。会話も出来るようになり、汚い、きついと嘆くトリスを見て楽しんでいるようでもある。
トリスは徐々に認められつつあった。元から全て地位と名誉と金で判断していた彼女は、それ以外のところは案外素直でもあった。
「あんたイイ女になれるぜ、俺が保証する」
「既にいい女なの、おっさんに保証されて何になるってのさ」
「この島の男には認められたって事さ、素直に喜んどけって」
「金持ってて見てくれのいい女なら、他にもいるだろ? そんでもって中身がブスな」
「嬢ちゃんはそんな奴らとは違う、中身もいい女になってきたんじゃねえかなーって話さ」
トリスの頭の中に、何人もの金持ちの娘が浮かんでは消えていく。
一緒に富豪向けのパーティーに出席してはしゃいだこともあるはずなのに、覚えている会話はどれも決まっていた。
買って貰った高級車、買って貰ったブランド品、別荘の豪華さ、親の会社の利益、恋人の見た目とスペック、有名人とのコネクション。それに気に入らない人間や金持ちから脱落した家の悪口。
浮浪者など見かけもしないような一等地に住み、庶民が住む戦争で疲弊したボロボロの町並を哀れで惨めなものとして鑑賞し、自分達がいかに恵まれているかに乾杯してまたパーティーで騒ぐ。
中身がブス。それは島民が何気なく発した言葉だったが、今のトリスにはよく刺さった。
今までの自分が途端に恥ずかしく思えてきたのだ。
「トリスさん、いますかー?」
そこにアリヤがやってきた。倉庫の環境を特に嫌がる素振りもなく、キラキラとした表情のまま。
「嬢ちゃんならさっきからそこでショック受けてるよ。まあ、しゃーねえよな。生まれて初めてこんな環境に放り込まれてんだから」
「ふふっ、みんな最初はそうですよね」
堆肥の出来を聞いては頷き、春の種まきが待ち遠しいと言ってまた眩しい笑顔を向ける。
金持ちどころか王女なのに、庶民と同じ事を当然のように出来る。しかもそれをしてやってる感も、嫌な素振りも一切ない。人の上に立つ者としての気品を備えたまま、庶民として暮らしている。
そんなアリヤの姿を見て、トリスの中で何かが繋がった。
「トリスさん?」
「私、確かに、中身は全然いい女じゃなかったかもしれない」




