値がつかなくて、とても価値があるもの
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「あーもう! 何で私がこんな事しないといけないの!」
長閑な島に、ヒステリックな大声が響く。声の主は勿論トリスだ。
自慢の艶やかな髪も、元々の顔を更に引き立てる上手な化粧も、霧に覆われた冬の屋外では何の意味もない。
念入りな手入れが出来る環境はないし、週に2度のエステもお預け。
数台の手回しの紡織機が並ぶ「機織り工場」と呼ばれる小屋の中で、トリスは4人の女達と一緒に編み物をしていた。
「手が止まってるよ、ほら返しの糸はこっちの輪に通すの。どうせ紡績機だって扱えないんでしょ」
「私がこの島に何しに来たか知ってんの!? ホテルの買収に来たんだってば! こんなダサい仕事しに来たんじゃない! お金なら払うからもういいでしょ!?」
「駄目。あのねえトリスさん。金持ちなあんたを支えてる庶民の事、何も知らないままじゃ馬鹿にされるだけだよ。金しか取り柄がない、本人はなーんにも出来ないなんてそれこそダサイわ」
「金持ちの生活は金持ちだけじゃ成り立たない。高級料理は誰が作るの? その材料は誰が買ってくるの? 誰が仕入れるの? 誰が配達するの? 誰が作るの? 作るために必要な物はどうやって手に入れるの?」
「庶民がいなくちゃ生きていけないのはあんた達の方なんだよお嬢さん」
決して楽な生活ではない。それを覚悟して移り住んだ者達は、トリスが何を言おうが動じる事なく仕事をさせる。トリスも今逃げ出した所で残りの4日を生きられないと分かっている。だから従うしかない。
それでも、トリスは決して望んで自らやる事はなかった。
「こんな事して何になるのよ! こんなしょーもない布切れを誰が欲しがるのさ!」
「そんな長い爪で。逆に器用だなと思っちゃうわ。ほら見て、こんだけブツクサ文句を言ってる割にはまあまあの出来よ」
「ほんとだ、私が最初に編んだガッタガタのコースターに比べたらいい線行ってる」
「今は何がお土産として喜ばれるかを試しているんだよ。この島の羊の毛で作った服、フューサー君が育てた麻のバッグ、とにかく種類を多く置くために何でも作るの」
「それを私が作る必要なくない? お金が欲しくて作ってるなら私が幾らでも払うからいいでしょ」
「魚を与えるより、釣り方を教えろって言うでしょ。お嬢ちゃんから1度お金を貰ったって、継続して稼ぐ方法を知らなきゃお金が尽きて終わりさね」
トリスは逃れられずに、嫌々ながら小さなニシツノメドリの飾りを作り続ける。
ただ、その出来栄えは案外良いものだ。図らずとも良い物を知っているおかげでセンスが良い。
トリスの我儘に対し、最初は島民も本気で怒りを覚えていた。だが彼女がそんな振舞いしか身につける事が出来ない環境にいたせいだと気付き、我が子に教えるように根気強く向き合っている。
「よーし! 午前中の作業は終わりだね。お昼ご飯にしましょう」
「あー……やっと終わった」
トリスは編み棒を机の上に放り投げて立ち上がり、集会所に向かおうとする。
「ちょっと待ちな、その靴じゃ歩きにくいだろ。私のぶんの靴をあげるからそれを履きな」
1人がまだ使っていない長靴を1足取り出し、トリスに差し出した。
トリスはそのお洒落の欠片もない長靴を嫌そうに見つめる。
「誰がそんなダサイもの好き好んで履くっていう……」
トリスがまた文句を言いかけた時、女たちはそれぞれ室内履きを脱ぎ、長靴に履き替えようとしている所だった。革靴や輸入した靴を履く事もあるが、霧で土や草が湿った時は、長靴が一番。
「あー、もう、分かった、履くってば」
トリスは革の赤いロングブーツを脱ぎ、長靴に足を通した。
牛柄のコートに黒いワンピース、その足元に長靴。お洒落は台無しだが、歩きやすく土が跳ねても気にならない。
「あ、戻って来た。どうだった?」
炊事場から顔を覗かせたのはソフィアとアリヤ、それにジャン。今朝の食事係は、今日の昼、夜の食事も任されている。
今日は土曜日で役所の仕事は休み。土曜日は大臣のソフィアとアリヤ、医者のジャンが日頃担当できないからと自発的に担当している。
「どう? はっ、楽しかったとでも言うと思った? 最悪よ、最悪」
「そう。それは良かった。でもみんなの顔を見る限り、やるべき事はちゃんとやったんでしょ」
「フン、あんたに馬鹿にされるのだけは御免だから」
「フフッ、動機が何であれ、立派にこなしたのなら讃えられるべきよ。さ、今日の昼食は好きなだけ食べて」
羊肉のソテー、ゆでたまご、ポトフとライス。米と調味料を除けば島の食材ばかりだ。
盛り付けはそれなり、もちろんトリスが食べ慣れた高級ランチとは程遠い。ガーミッドの祈りの後、しかめっ面で食べ始めたトリスは、思わず目を見開き、口元を隠した。
「え、ちょっと待って、これ美味しいんだけど」
「驚く事? 島の食事はいつも美味しいよ」
「ジャン先生が初めて料理した頃のあれを思い出すよな。ほら食えーって塩コショウで味付けしただけのソース無しのステーキ。しかも皿無しでプレートから直食い」
「それはその、島の料理って聞いてワイルドに食べるもんだと思ったからさあ」
この島には5つ星シェフなどいない。最新鋭の厨房器具はなく半分屋外のような粗末な環境。それなのにとても美味しく感じる。トリスは戸惑いを隠せない。
「大金を出したら美味しいものを食べられる。それは当たり前。でもこんな家庭料理の延長みたいなもんでも、美味しいものは食べられる。あなたにはそういう知らん世界を知って欲しいの」
「霧の草原を歩いたり、ぬかるみにはまったり、なかなか新鮮で楽しい所だろ? 買収できるホテルがないなら建てりゃいいんだしさ」
ソフィアやフューサーの言葉に、トリスは澄ました顔を張りつけ、黙々と食事を進めた。だが、内心はまるで夢の中にでもいるかのような気分だった。
何もかも経験した事のないものばかりで、まるで現実味がない。清潔で煌びやかで我が物顔で寛げる空間はどこにもない。なのにちゃんと生きていられる。トリスにとってはあり得ない事だった。
いつの間にか護衛が一緒にいない状態で動いているし、その護衛達は普段見せない疲れた顔で魚の入ったトロ箱を抱え戻って来た所だ。
「リゾートや大都会にあるシルトンホテルをそのまま持ってきても無理だろうな。この島にどんな人達が来たいと思ってるのか、何を目的に来ているか。シルトンホテルに泊まりたいだけなら、他所にもあるわけだから」
「それ、うちのホテルを馬鹿にしてるっての?」
「違うって、このオルキ諸島にまでわざわざ来る人間は、大都会や豪華さを求めてねーだろ。オルキ諸島に相応しいホテルじゃないと」
「まあ、言いたい事は分かるわ。ちょっと粗末くらいでちょうどいいんでしょうね」
「お前、島長の前でそれ言うなよ。魔獣相手に通じるものと通じないものがあるからな」
トリスはムスッとしてみせたが、金をかけた豪華でどんな富豪でも満足するホテルを思い返し、確かにこの島にはシルトンの華やかさが相応しくないと思っていた。
それは場違いというだけでなく、この島には豪華さだけでは足りないような気もしたからだ。
「この島に相応しい、ね」
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「ソフィア」
「あらイングス、どうしたの」
「食後のコーヒーを飲んでいないよ。コーヒーを飲まなきゃいけない」
「ああ、わざわざ持ってきてくれたのね。飲みたいけどバタバタしとったけん、飲めなかったんだ。ありがと」
昼休みの2時間、ソフィアは霧の去ったベンチで本を読んでいた。
イングスは人間は昼食後にコーヒーを飲むものだと思っていて、飲んでいない事を大変だと思い、わざわざ持ってきたのだ。
「ハァー、それにしてもあの子、プライドだけはやたら高いけど、自分が経営してるホテルの竣工日も築年数も、従業員数も知らなかった」
「そうなんだね」
「あのままで経営してたっていずれ潰れるわ。豪華なだけじゃ飽きられる。その頃には何もかも老朽化、売却も出来ずに残るのは高いプライドだけ。この島に来た事が転機になったらいいんだけど」
「高いのなら、売ったらいいんじゃないかな」
「プライドって高い低いなの。安いと高いじゃないから。売り渡せるものじゃないんよ」
「そうなんだね。売れないのなら、高くても意味がないね」
「何か意味違う気がするけど、まあそうね。高い事だけが取り柄じゃ価値はない。理由と中身が大事なの」
「人形には中身なんてないよ」
「最初はそうだったかもね。でも今のあなたにはちゃーんと中身がある。あたしには見えとるけんね、イングス」




