新年の誓い
「しめまして、おめでとうございません」
それは新年を迎える前、1年最後の日没の頃だった。
冬の一番日長が短くなる時期。15時には太陽がクニガ島の山の端に隠れる。
羊たちは寒い中でも地面の草を食み、用意された小屋で足りない分をゆっくり食べる。いつもと変わらないはずなのに、今日の島内はどこか浮ついた空気が漂っていた。
新年を祝う余裕などなかった昨年までとは一転、オルキ国では数十人の国民が大掃除を行い、明日から始まる1年の準備をしていた。
日付で管理されていなければ、特に何が変わるわけでもない。実際にオルキ国の最初の年はカレンダーがなく日付も分からなかったため、年が変わった感覚もなかった。人形のイングスや魔獣のオルキは尚更。
ただ、あけましておめでとうございますという言葉と、その意味は学習している。
そのせいか、イングスは日没とともに自分なりに考えた挨拶を口にした。
「何だって?」
「しめまして、おめでとうございませんって言った」
「え、何の話? しめまして?」
「今年が終わるんだよね。始まった時にあけた事をめでたいって喜んだのだから、終わる時はちゃんと閉じて悲しむんだよね」
「いやいや、別に悲しまないし、しめましてなんて挨拶はしないんだ」
「何て言えばいいのかな」
開けたら閉める。行儀が良いイングスならではの考察かもしれない。閉めなくてもいいのかと納得がいかないイングスの横では、既に答えを知っているニーマンが余裕の表情を浮かべていた。
「夜明け、夕暮れの明けるなんですよ。だから閉める事にはなりません」
「はっ……じゃあ、暮れましておめでとうございませんだね」
「なんでそうなるんだよ。イングス、年末の挨拶は良いお年をお迎え下さいって言うんだ」
「良いお年をお迎え下さい」
「そう」
イングスは今度こそちゃんと納得したようだ。だが、別の疑問が湧き上がってしまった。
「今年はどうしたらいいの?」
「え、今年?」
「新年じゃなくて、今年」
「今年はゆっくり過ごせばいいよ」
「うーん、お迎えしたのにお見送りしないと帰れないよ。今までは迎えなくても勝手に来たから問題はなかったけれど」
* * * * * * * * *
長い夜が明け、新年を迎えたオルキ国。東の浜から望む水平線の先が明るくなるにはまだまだ時間がある。
イングスはいつも通り5時にすくっと立ち上がり、言いつけ通りに着ているパジャマを脱ぎ、下着を洗濯籠に入れて新しい下着を身に着けた。
人間ではないため汗をかかず、基本的に衣服も下着も汚れない。ついでに言うと外が極寒であれ灼熱であれ、何も気にしていない。
けれど人に合わせて毎日着替えるようにと教えられた事を忠実に守っている。
この後、夏なら着慣れた半袖シャツを、冬なら着慣れた青い長袖シャツに羊毛のセーター、天気が悪い日はジャケットを羽織る。
今日はオルキ国の正装として、軍服に似せた黒い服を着て外に出た。
「イングス」
「そうだね。僕がおはよう。君もおはよう」
「おはよう。もう新年の朝となったのか。吾輩は別に人間が決めた暦などどうでもよいが、人間が有難がっておるならそれも良かろう」
「うん。あけましておめでとう」
「今年もよろしく頼むぞ、イングス」
「はーい」
イングスは家の扉をゆっくりと開け、外を確認し、その後で首を傾げた。
「新年、ちゃんと来たのかな」
「勝手に来て勝手に去るものだ」
「去年は、ちゃんと帰ったかな」
「その辺におらぬなら帰ったのだろう……ふあァァ……さて、吾輩も起きるか。昨晩は国民が騒いでおったせいでよく眠れておらぬが」
人間の祭りや儀式に疎いオルキは、皆と一緒に騒ぐ事はなかった。といっても、煩いからと止めさせる事もしなかった。
何がそんなに嬉しいのかさっぱり分からずとも、悪事でない限り人間の行動を制限するつもりもない。
「さすがに皆まだ眠っておるだろう。見張り番のニーマンくらいか」
「僕は羊の水やりに行ってくる」
「作物の水やりのような言い方だな。吾輩は島の巡回に行ってくるか」
イングスとオルキが家を出て集落を歩いている間、島は文字通り静まり返っていた。
秋までは朝5時前に畑に出ていた農家の者達も、12月から2月までは日照時間が短く雪や霜が作業を阻害してしまうため早起きしない。
イングスは家畜小屋の干し草と水の確認に行き、オルキは島の巡回と称して散歩だ。東の灯台に到着したオルキは、自身の前足では扉を開けられない事を思い出し、暫く灯台を見上げていた。
「ニーマン、聞こえるか」
「……はい、聞こえますよ。おはようございますオルキ王」
「おはよう。新年となった、今年も一層の活躍を期待している」
「勿論です。明けましておめでとうございます。海も空も静かなものですよ」
定期船から情報を仕入れていると言っても、新年を挟み2週間は定期船も休みとなり、暫く誰も訪れない。今頃大陸はどうなっているのか。連合軍はそろそろ諦めたのか。
「国際会議が承認すれば、ようやく吾輩と民の悲願達成だ。その前に戦争が終わればいいのだが」
「どうでしょうね。オルキ王の影響下にある国々ついては、もう手出しされていないようですが」
「残るはレノンとガーデ・オースタンに対する侵略だけか。セイスフランナはどうだろうな」
「あまりにも遠く、情報は入って来ていませんね。オルキ国の出現により活気づいたのか、和平軍や中立国が弱腰な姿勢を改めましたから、連合軍の侵攻や海洋封鎖は上手く行っていないと聞きます。セイスフランナまで辿り着けていないかと」
「そうであれば良いが。隣国のゴレイ共和国は連合軍寄りだと聞いている。ゴレイがセイスフランナを敵に回す利点など一切ないとしても、ゴレイが連合国の各国に港を使わせ補給基地とする可能性はまだあるな」
「オルキ王、元日くらいは人間のように悩みを忘れて過ごしてはどうでしょう」
「そうだな。島内の道路も飛行場も整備を始めたばかりだ、こちらから動こうにも動けぬのは変わらぬか」
日の出まではしばらく時間があり、灯台の明かりは暗い闇に溶けていく。そんな中でもニーマンには水平線までしっかりと見えていて、崖の高さに灯台の高さが足された目線から見えるのは40km以上先。
仮に戦艦が迫っているとして、1時間はかかる距離だ。
「ニーマン、集落に戻らぬか。すぐに戦艦が迫ってくるわけでもなかろう」
「人形というものは、何か役割を与えられていた方が楽なのです」
「そういうものか。では、夜が明けたら集落へ戻って来い。新年は皆で祝うそうだ」
「分かりました」
今日はいつも国防を気にしているガーミッドもゆっくり寝ている。オルキ国の者達が警戒を解いて過ごすにはオルキ、イングス、ニーマンといった人間ではない存在が不可欠。
残念ながら、まだ人間だけで維持し、守り抜ける国にはなっていないのが現状だ。
見返りを求めず働き続け、睡眠でさえも必要としない人形達と、人間を圧倒する魔獣。これらが防衛に動き、牽制しなければとっくの昔に占領されていてもおかしくない。
「まだまだ我が国は脆い。理想の世界の礎とするには心許ない。人口を増やし、島1つでも人間だけで維持できるようにしなければ」
今年はようやく国として主権を持ち、人間にあるべき世界の姿を見せつけるためのスタートラインに立てる。人間が間違った方向へ進むのを阻止する程度で、ゆくゆくは人間の世界の統治は人間に任せられる事が理想だ。
その為には戦争を終結させ、オルキの理想に賛同する者を増やさなければならない。
魔獣が治めていると知りながら軍艦を送り込まれるようではまだまだ。
「人形だけでは発展しない。だが人間同士で好き勝手にさせているとすぐに争い、優劣を形にしたがる。血で書かれた歴史を血で上書きしようとする。神がそうさせたのだから仕方ないが……」
オルキが元の姿を維持したまま生きていくには、神の影響力を打ち破る必要がある。神よりも慕うべき存在として認められなければならない。
「新年の始まりは自らに誓いを立てるものだと言っておったな。吾輩は……今年でこの世界の神の戯れを収束させよう」
オルキが神の悪戯の後始末を完了できない限り、人間の世界は神の思惑を纏った収拾のつかない滅茶苦茶なまま。
オルキはこの世界の状況が続く事は自分の責任と考え、島民の誰よりも早く今年の誓いを立てた。




