第9章 ガラス占い師
「さっきは、あんなところに、明りなんてなかったのに…」
コウタは、不審そうに目を凝らした。
明りは、四人のいる場所から結構離れた、野原のまん中にある。距離を考えると、かなりの明るさだ。しかも、よく見ると、明かりは一つだけではない。色とりどりの小さな明りが横一列につながって、ぶら下がっている。なだらかな丘の先、暗い野原のまっただ中に、チラチラと光の列が揺れているのだ。
野原ばかりの暗い景色に、うんざりしていた四人にとって、その明かりはまさに、希望の光だった。
四人は、光に吸い寄せられる蛾のごとく、その明りを目指して、近づいて行った。なだらかな丘を三つばかり越えると、光の正体がいよいよはっきりしてきた。
それは、小さな屋台だった。裸電球が、屋台の屋根からいくつもぶら下がり、懐かしい明るさをあたりに振りまいている。どこか、ほっとする光景だ。しかし、広い野原のまん中に、屋台が一軒ポツンと建っているのは、かなり異様だ。
オー君が、屋台をよく見ようと、メガネをかけ直した。
「あれは、どう見ても屋台だよね?こんな寂しい原っぱに、客なんているのかな?」
オー君は、念願成就の森での出来事から、ようやく立ち直った様子だ。顔色は暗くてよくわからないが、声はきびきびとして元気よく、足取りもだいぶ軽い様子だ。何より、あれだけ激しく揺れ動いていた心が、今はすっかり落ち着いている。いつものオー君だ。オー君は、好奇心いっぱいに、メガネの奥から、謎の屋台を観察していた。
一方、翔は、疑いの目を向けている。
「いや、お客はここにいるじゃないか。まるで、おれたちを待ち構えていたみたいだ」
「まあ、なんでもいいや。ちょうど腹もすいたし、屋台で何か食べようよ」
亮平が言うまでもなく、空腹だった四人は、自然と早足になり、あっという間に最後の丘を越えた。考えてみれば、まともな食事をとったのは、小人の国にいた時なので、既に一日近くも経っている。
だが、屋台に近づけば、近づくほど、失望の色が濃くなっていった。
丸い形の器具が見えたので、てっきり、たこ焼きかと思っていたが、四人の期待は、みごとに裏切られた。屋台の前に並べられていたものが、キラキラ輝くガラス製品だと気づいたからだ。
色とりどりの丸いガラス玉が、パックに詰められ、台の上に並べられている。ガラス玉は、流し込んだ色たちが精妙に入り混じり、どれも美しい。それらは、ぶら下がった裸電球に照らされ、キラキラと輝いている。どれをとっても同じ模様の物はなく、それぞれ、色の混ざり具合が微妙に異なっている。
しかし、残念なことに、肝心の食べ物はいっさい、見当たらなかった。
屋台の店先では、一人の男が忙しそうに、たこ焼きを作る丸い鉄板に液体を手早く流し入れ、何かを焼いている。
やたら派手な、のぼり旗には、大きな文字で『ガラス占い』と書かれてあった。
空腹だった四人は、がっかりしながらも、物珍しそうに、屋台へ歩み寄った。
「へい、いらっしゃい!」
屋台の男は四人を見つけると、手を動かしながら、活きのいい声をかけてきた。祭りで着る青いハッピ姿で、額には黄色いハチマキを巻いている。とても快活で、人懐こい目をした、中年の男だ。
コウタたちの世界でもよく見かける、屋台のおじさんだ。と思うのに、そうではない風にも見えるのだ。何故そう思うのか、コウタは初め、理由がわからなかった。
しかし、そのうち、コウタはある事に気がついた。
屋台の男が動くたびに、様々な動物が、男の姿に重なって見えてしまうのだ。正面から見ると、ごく普通の人間なのに、ちょっと首を傾げると、たちまち犬の顔に見えてしまう。少しうつむくと、今度は、牛の顔に見えてしまう。光のせいかもしれない。他の三人は、全然気づいていないようだ。なので、コウタは、気にしない振りをした。
男は、ようやく手を止め、ひととおり四人の顔を見廻してから、真顔で言った。
「さあて、皆さん。ガラス占いはどうかね?きっと役立つヒントが焼き上がると思うがね」
四人は意味がわからず、男が焼いているものに、再び視線を落とした。たこ焼き用の鉄板に、いろんな色のガラス玉が香ばしい香りを放ちながら、ジュージュー音をたてて焼かれている。
「まさか、これ、食べられないよね?」
亮平は、もしかしたらという期待を込めて聞いてみた。それほど、香ばしい、いいにおいがするのだ。
「運勢を食っちまうなんて、おれは考えたこともないね」
男は、焼いている丸いガラス玉を器用にひっくり返した。ガラス玉は、ますます丸く、きれいな色に仕上がっていった。
亮平はがっかりして、半歩後ろに下がった。
男は、再び手を止めると、四人をちらりと見て言った。
「これを、ガラスとか、ガラス玉と呼んではいるが、君たちの世界で言う、水晶のことさ」
誰かが、興味なさそうに、ふうんと言った。
「おじさん、占いって、本当に当たるの?」
オー君が好奇の目を向けた。
「ああ、私は正真正銘のガラス占い師だよ。天上界から太鼓判をもらっている。占い方にはいろいろあってね、その人に合った占い方をするんだ。一人につき、一ガイア又は切符一枚だ。安いだろう?どうかね?損はないと思うよ」
どうしようかと互いに小突き合いながらも、亮平は占ってもらうつもりで、既にポケットから切符を取り出していた。
結局四人は、占ってもらうことになった。全員が切符を一枚ずつ、ガラス占い師に渡した。四人は、占いにはほとんど興味がなかったが、他に何もすることがないし、あわよくば、マンジの情報を得られるかもしれないと思ったのだ。
「へい、まいどあり」
まずは、亮平からだ。
ガラス占い師は大きな缶に入った透明な液体を取り出すと、柄杓ですくい、たこ焼き用の鉄板に振り注いだ。ジュジュッという音が響くと、きれいなガラスがぷっくりと膨れ上がり、丸くなり出した。
内側から、きれいなピンク色とオレンジ色がそれぞれ広がった。やがて、その二つの色は、玉の中でぶつかり合うと、互いに場所を譲り合い、絡まり、玉の中を一杯に満たした。そこに、表面側から黄金色の粒が煌めくと、次第に黄色に変わりながら、適当に散らばり、玉の中に納まった。
こうして、ピンク地にオレンジの混ざった、丸い玉が出来上がった。黄色の粒々が混じったオレンジ色の模様は、花の形にも見える。
「君は結構、早とちりな性格だね。おっちょこちょいで、気が短い。だが、優しい。とても優しいね。君と同じ優しい友だちに、そのうち出会えるよ。そして、強い絆が結ばれるだろう。この縁は特別だ。それがわかるのは、もっと、ずっと後になってからだろうけど」
亮平の占いは、これで終わりだった。
「これだけ?」
「そう、君の占いは以上だ。さっき言った通り、その人によって占い方も異なれば、告げる内容も異なる。あまり詳しく告げるのは、君には良くない」
「どうして?」
「そりゃあ、告げた内容に、君自身が縛られてしまうからだよ。私の話に影響され過ぎて、君はすぐに、自分を見失ってしまう性格だからね」
亮平はすっかり拍子抜けし、返す言葉もなかった。間違ってはいないが、ひどくあっけないし、仮に言われたとおり、友だちが一人増えたとしても、別に珍しくはない。
あ然としている亮平をその場に残し、翔が挑むように、前へ進み出た。
同様に、透明な液体が鉄板に注ぎ込まれる。ジュッという音をたて、今度は、深い青色の玉が出来上がった。下半分が、紺色に染まり、美しい青と紺の二色の玉だ。
「おお、君は将来進むべき道がはっきりしているね。それはそれで素晴らしいが、そのためには、他人を理解できる思いやりが、もう少し必要だろう。だが、それも近々手に入るだろうよ。おや?」一瞬、ガラス占い師の声が止まった。「この世界との縁がちょっと変わっている。しかし、蓋が閉まっているので、それ以上は開けてみないとな。いや、待て。今は、開けてはいけないようだ。つまり、少なくとも今は、知る必要がないと言う意味だよ」
翔の占いも、あっという間に終わってしまった。
翔は、一瞬ぽかんとしてから、頭を大げさに横に振った。そして、無言のまま、コウタをガラス占い師の前に突き出した。その際小声で、インチキ占いだと、つぶやいていた。
ガラス占い師は、すぐにコウタを占い始めた。きれいな青色に、緑色の模様が、マーブル状に広がった。中心に、深紅の結晶が輝いている。
「君は自分の内側に、既に、いろいろなものを持っているね。持ってはいるが、それを表に出すには、まだ欠けているものがある。自分でも、よくわかっているはずだ。この旅は、君に、きっといい結果をもたらすだろう。もしも、表に出せたなら…」
ガラス占い師は、ここで言葉をつぐんでしまった。
「おっと、これもストップがかけられている。よけいな話をする訳にはいかんな。危ない、危ない…、上から、罰を食らっちまう」
信じられないことに、ガラス占い師は、コウタの占いを中途半端なまま、打ち切ってしまった。
コウタもすっかり気が抜けた。こんなバカげたお遊びに、切符を一枚使ってしまい、激しく後悔した。
コウタに代わって、すぐさま、オー君の占いが始まった。
ところが、ガラス占い師は、オー君をしばらくじっと見つめ、ひとしきりうなった。その後、店の奥から、おかしな長い棒を取り出してきた。
「うむ、これは難しい。君の占いは、ちょいとばかり、気合を入れないといかんな。しばしお待ちを」
ガラス占い師は、額に巻いていた黄色いハチマキをぎゅっと締め直した。次に、店先にぶら下がる明かりに、長い棒の先端をくっつけると、もう一方の先端からは、思いっきり息を吹き込んだ。
すると、棒の先端は透明な風船みたいに大きく膨らみ、美しいガラスの玉になった。大玉の夏みかんほどもある、透明なガラス玉だ。ガラス占い師は、その丸い玉を棒の先端から取り外すと、オー君の目の前にポンと置いた。
「さあ、このガラス玉に両手を置いて」
オー君は言われたとおり、ピカピカのガラス玉に両手を軽く置いた。しばらくは、特に変化もなく、オー君はぼうっとしていた。
「なんだか手が熱い」
そうしているうちに、オー君は、もぞもぞし始めた。両手を置いたガラス玉の中は、いつの間にか黒い靄でいっぱいになっている。しかも黒い靄は、大きく形を変えながら、狭いガラス玉の中を激しく動き回っていた。まるで、ここから出してくれと言わんばかりの、暴れっぷりだ。黒い靄がガラスに当たるたび、奇妙な声が周囲に響いた。
驚いたオー君は、慌ててガラス玉から手を離し、自分の手のひらを凝視した。すると、手のひらのシワが、異様に黒く太くなっている。黒い線は、ついに手のひらから、むっくりと起き上がった。不気味な、黒い蔦のようなツルだ。それは、手のひらから伸び上がり、瞬時に成長すると、空中で素早く枝を伸ばし始めた。たちまち複雑に枝分かれし、互いに絡み合い、そのまま膨張した。
「うわあ、大変だ!オー君の手相の線が、勝手に動き出している」
亮平が、叫びながらオー君から離れた。
太く黒く、棘のたくさんついたツルは、三メートルほども伸びると、たちまち上からオー君に襲いかかり、オー君の体を何重にも巻きつけた。
すっかり身動きの取れなくなったオー君は、小さな悲鳴を上げた。
コウタと翔は、ツルを解こうと懸命に引っぱったが、ツルは頑丈に絡みつき、どうしても外れない。おまけに、ギシギシとオー君の体を、きつく締め上げている。がんじがらめになったオー君は、腕すら動かせず、ついには悲鳴も出せない状態になってしまった。顔からメガネが外れ、地面にポトンと落ちた。
「おじさん、早くなんとかしてよ!」亮平が叫んだ。
ぼう然としていたガラス占い師は、はっとした。本人も、予想していなかった事態らしい。ガラス占い師は、自分の額をピシャっと叩くと、うなった。
「ああ、なんてこった。これは…」
気を取り直したガラス占い師は、オー君がさっき手を置いたガラス玉を目がけて、柄杓を振り下ろした。ガラス玉は粉々に割れた。たちまち、オー君を縛りつけていた黒いツルは、シュルシュルと縮み、オー君の手のひらに戻っていった。
オー君は、まだ動揺しながらも、自分の手のひらを穴の開くほど見つめ続けた。だが、手のひらは、何の変哲もない、いつもの手のひらに戻っている。
ふと、恐ろしいほどピリピリした気配を感じて、四人同時に、ガラス占い師の方に振り返った。瞬時に、全員、驚愕した。
目の前にいるガラス占い師は、ぞっとするほど人相が変わっていた。様々な動物の顔が、ガラス占い師の顔に、次から次へと映し出されている。まるで走馬灯のようだ。
立派なたてがみを持つ馬だと思った次の瞬間には、まっ黒なカラスへ、そして鋭い大鷲の顔つきになり、よく見る間もなく、獰猛な熊の風ぼうから、精かんな獅子の顔に移り変わった。
それから、いつものガラス占い師の顔に戻ったが、一瞬、両目をかっと見開いた後、その顔は、まったく別のものになっていた。
人懐かった瞳には、今や暗い炎が燃え盛り、非常に威厳のある、動物とも人間ともつかない、顔になっている。目の前にいるのは、先ほどまで、軽快に話をしていた屋台のおじさんではない。
それは、大鷲と牛と獅子と人間を合体させた、神々しい何者かだ。コウタたちや、この世界の生き物たちとも異なる、特異な存在なのだ。
コウタたちは、一瞬にして全身に鳥肌が立ち、ガラス占い師を、もはや真正面から正視できなかった。
ガラス占い師は、かっと見開いた目で四人を見すえると、低くどっしりとした声で言った。雷鳴を声に変換した、ものすごい迫力の声だ。
「これは不吉だ。このうえない凶兆が、おまえたちに現れている。おまえは特に、気をつけるがいい。おまえには、命の危険さえ感じられる」ガラス占い師は、オー君を暗い目で見つめている。「だが、同時に、助けを示す光も見えている。大勢の仲間たち、純粋な生命たち、炎の力、天の光。もし動けなくなったら、四人全員で十字を作るといいだろう。助けがどこからかやって来る」
ガラス占い師はそれだけ告げると、再びまぶたを閉じた。気味の悪い話の内容とガラス占い師の様子に、コウタたちはすっかり恐れおののいた。
いや、ひとり、オー君だけが、まるで平気な様子だ。
「助けが来るなら、最後はなんとかなるって話ですね。それなら、つまり、全然問題なしだ」
あまりに無邪気なオー君の反応に、他の三人は目を見張った。念願成就の森では、他人に対して、あれほど取り乱していたオー君が、自分のことになると、まるで無頓着なのだ。
ガラス占い師の暗かった瞳には光が宿り、きれいな青味が増してきた。雰囲気も顔つきも、ずっと明るく、きびきびした声に戻ってきた。
「おや、君たちの運勢が見えたぞ。君たちは、四人一組で占った方が、ずっと良さそうだ。探しているものがあるね? おお、そうか、私には、天上の銀河原が見える。探し物は、そこにあるに違いない。その銀河原に、君たちは間違いなく行き着けるだろう」
コウタたちは、先ほどの恐怖も忘れ、小躍りしそうな気分になった。ところが、ガラス占い師の表情が、そこでまたふっと変わり、奇妙な動物人間の顔になった。コウタたちも、再びぞっとして、一瞬息が止まってしまった。
今度は両目をかっと見開くことはなかったが、顔つきが、いっそう厳しくなった。
「だが、気をつけるがいい。おまえたちを追っている者がいる。そいつは本当に恐ろしい奴だ。遅かれ早かれ、おまえたちの前に姿を現すだろう」
四人の顔が凍りついた。話の内容よりも、男の奇妙な顔つきや、低く気迫のこもった声の方が、何倍も恐ろしかった。
それでも、顔つきはすぐに、柔和な屋台のおじさんに戻った。
「しかしだよ」ガラス占い師が、軽快に言った。「どうして夢見人でもない君たちが、こんな危険なところをウロウロしているんだね?」
四人は、衝撃を受け、言葉がでなかった。ややあって、亮平が、素っ頓狂な声を張り上げた。
「ここが危険なところだって?」
「ああ、この野原だけじゃなく、この世界全体が危険って意味だよ」
「だって、おれたちは、突然、砂金川から放り出されたんだよ。水曜亭の支配人たちは、安全な砂金流に乗って銀河原へ直行できるって、言っていたのに」
ガラス占い師は、きゅっと眉をひそめ、皮肉な笑みを浮かべた。
「砂金流から放り出された?あり得ないね。ふざけた話だな。君たちは、誰かにまんまと騙されたんだよ、残念だがね」
四人は、とたんに言葉を失った。占いなんて信じられないと思っていたが、占い以上の重いものが、いまや、四人に大きくのしかかっていた。
「いいかい?夢見人だったらともかく、体を持った生身の人間が、こちらの世界に足を踏み入れるなんて、危険極まりないことなんだよ。こちら側の世界は、気楽そうに見えて、実に厳しい世界なのだ。生き残るか、消滅するか、二つに一つしかない。死なんてものは、こっちの世界では、生ぬるい幻想だ。そんな厳しい世界だからこそ、唯一安全で確実な砂金流が作られたんだ。君たちを追いかけている奴の正体は知らないが、本気で君たちを抹殺しようとするだろう」
四人のばく然とした不安は、はっきりした恐怖へと変わった。
「僕たち、そんな危険な旅をしていたなんて…」
コウタの声が上ずった。
四人は初めて、この世界にいることにぞっとした。それと共に、頭がひどく混乱した。この男の言うことが信じられるのか、それとも、この男の言うように、誰かに騙されているのか。
コウタは、水曜亭から出る際、慌てていた支配人たちを思い出した。自分たちは、ちょっとした手違いのため、砂金川から放り出され、自力で銀河原へ向かうはめになってしまった。そう思っていたが、これが手違いではなかったとしたら、どうだろう。
占い師は、冷たく言った。
「わかったら、すぐに、こっちの世界から出ていくんだね」
「でも、どうやって?」
翔が、絶望的な目をして尋ねた。
「元の世界に戻るには、さっさと初めの目的を達成することだ」
コウタは、はっとした。初めの目的とは、つまり、銀河原へ行き着くことだ。冷静さを取り戻したコウタは、尋ねた。
「僕らはそのために、マンジを探しているんです。マンジがどこにあるか、知りませんか?マンジを見つけないと、この場所から、出られないんです」
ガラス占い師は、少しうなって首をひねった。
「マンジ?ああ、あの記号だね。私は、この国から一歩も出たことはないが、見聞きした覚えはないね。あるいは、探せば、どこかにあるのかもしれないが。いつも、客たちが私を呼び寄せるので、私は、ただそこへ出向くだけだ。今回だって、君たちが私をこの場所へ引き寄せたんだよ」
「おれたちが、ここへ呼び寄せたのか。でも、この場所って…」翔は、思わずあたりを見渡した。「そもそも、ここは、どこなんですか?」
初めてガラス占い師が笑った。
「ここは『永遠に宅地造成中の国』さ。その名のとおり、いつまでたっても、工事が終わらない、中途半端な世界なんだ。だから、永遠に夜の国とも言えるがね。ああ、そうだ、一つだけ注意しておくよ。向こうにある、『念願成就の森』には、絶対に近づいちゃいけない。あそこで、そのマンジが見つかるよう願うと、マンジは見つかるだろうが、それはまがい物だし、それこそ、永久に、あそこから出られなくなっちまう」
その言葉に、四人はそろって目を伏せた。
「さあてと、そろそろ時間だ。次の客が待っている。こう見えても、私は結構忙しいんだよ」
そう言って、ガラス占い師は、額のハチマキをキリリと締め直すと、店を片づけ出した。
コウタたちは、ガラス占い師に聞きたいことが山ほどあったが、あまりにあり過ぎて、何を聞いていいのか、わからなくなった。
ガラス占い師は、せわしく動きながらも、まだ、突っ立っている四人に声をかけた。
「最後に一言だけ、言っておこう。この世界の『占い』は、君たちの世界で言う『占い』とは、大きく意味が違っている。この世界で言う『占い』は、『真実のかけら』のことだ」
ガラス占い師は、一番右端にぶらさがっていた紫色の電球を引っ張った。たちまち、四隅の地面から、大きな板がニョキっと現われ、屋台を四方から、次々と包み込んだ。屋台は、たちまち大きな四角い箱になり、音もなく空中に浮かび上がった。屋根からぶら下がったいくつもの電球が、ゆらゆらと楽しそうになびいている。
四人が驚いている間もなく、屋台は夜空に舞上り、電球をぶらさげたまま、森の果てへと飛んでいった。
「結局、あれはなんだったんだ?」翔が、夜空を見上げたまま、ぼやいた。
「さんざん脅かされたけど、占いなんて、いつだっていい加減なもんさ」とコウタ。
「でも、おれたちが銀河原を目指しているって言い当てたよ。他も、それほど違ってはいなかったし。あ、オー君の件は、どうかと思うけど」
亮平は、むずむずする鼻をこすった。
オー君は、メガネの底から細い目を輝かせて言った。
「あのおじさんは、最後に大切な話をしていたね。この世界では、占いが真実のかけらだって。僕は、信じるよ。あの占い師を」
すると、翔が口をへの字に曲げて言い捨てた。
「けれど、あいつは、君を怖がらせたんだぜ。それに、おれたちが誰かに追われているとか、騙されているとか、訳の分からない話ばっかり、していたよな。支配人たちが、おれたちを騙すとは思えないよ。だって、それなら、水曜亭から出ていく時、コウタにわざわざ危険を知らせたりしないだろうから」
「翔の言うとおり、支配人たちが僕らを騙すとは、やっぱり思えない。むしろ、どうにかして助けようと、必死で叫んでいた風に見えたよ。僕は、占いなんて信じてないけど、一つだけ気になっているんだ」コウタは、深く息を吸った。「冬将軍についてだけど…」
三人の目が、微妙に揺れ動いた。
「バカバカしいと思うかもしれないけど、とにかく聞いてくれ」
コウタは、水曜亭を出る時にノミネコがささやいた言葉、そもそも、水曜亭の支配人が冬将軍には気をつけろと言っていた件、そして、ソラトやガラス占い師が、強力な者がコウタたちを追っていると話した点を、三人に説明した。
「つまり、僕らを追っている強力な者って、冬将軍じゃないかって思うんだ。冬将軍って言葉が、やけに引っかかってしょうがない。冬将軍の正体は、わからないけど、少なくても、ただの寒さでないのは、確かだ」
三人とも、きょとんとしている。それから、亮平が、突然噴き出した。
「冬将軍が、おれたちを呪って、追いかけているって?もし、そんな奴がいたとしても、どうして、おれたちなんだい?冬将軍って奴を、怒らせた覚えはないよ。コウタがさっき自分で言っていたとおり、ちょっとバカバカしいかも。考え過ぎだって」
亮平が笑いながら、そう言ってのけた。
コウタは、やはり言うべきではなかったと、後悔し始めた。が、そこへオー君が、真剣な眼ざしで言葉を挟んだ。
「僕は、コウタが考え過ぎだとは思わないよ。この世界で言う冬将軍の正体を、僕らは知らないのだからね。もしかしたら、単にバカでかい、ぬいぐるみかもしれないけれど、用心するに越したことはないよね。勝手の違う世界だし」
意外な言葉に、コウタは勇気づけられた。逆に、亮平は、ぐっと息を呑み込み、言おうとしていた言葉が詰まった。
締めくくるように、翔がさらりとまとめた。
「おれは、まだよくわからないけど、まあ、油断は禁物だな。オー君の言うとおり、おれたちの世界とこの世界では、勝手が違う。同じ名前でも、全然違うものを意味しているかもしれないし」翔は、降参したかのように、両手を掲げてみせた。「で、これからどうする?マンジが見つからない限り、ここから抜け出せない。もう、夜鳴鳥もいないよ」
四人は、突然、夜の野原のまん中に突っ立っている現実に気がついた。あたりは、恐ろしく、しいんとしている。少し肌寒いが、震えるほどではない。
「仕方がない。もう少し、歩いてみるか…」
四人は、他にやることがないので、誰からともなく、とぼとぼと歩き出した。しかし、いくら歩いても、野原か森か、工事中の造成地だけだ。こんなことなら、ガラス占い師から、もっと詳しく聞いておくべきだったと、誰もが後悔した。
いつまでたっても変わらない風景に、四人はいい加減、嫌気が差してきた。そこに、空腹と疲れが重なって、ますます無口になってきた。
砂利道には、車のタイヤの跡が、くっきり残っているのに、車も人も人家も、まったく見当たらない。砂利道を行く四人の足音だけが、空しく響いていた。
「なんて世界だ。みごとに何もないや。なさ過ぎるよ。こんなところじゃ、マンジはおろか、まともな休憩さえ、できやしない」
亮平が、不満をぼやきながら、道にあった小石を蹴り上げた。小石は、夜空に高く飛び上がり、一つ先の空き地にある、鬱蒼とした草むらの奥に落ちた。その草むらは、異様にギラギラ光っている。
亮平が、まっ先に気づいて声を上げた。
「あそこに、何かある」
亮平は、さっそく、独り草むらの奥に分け入った。
「マンジだ!」
草むらの中から、嬉々とした亮平の声が聞こえてきた。コウタたちも、急いで向かった。
背の高い雑草群の奥には、小さな遊具ほどの、黒光りする低木が立っていた。それは、奇妙な形の低木だ。地面から太い幹が生え、根本から大きく四本の枝に分かれている。それぞれの枝は、途中で直角に折れ曲がり、その先はほぼ水平に伸びている。高さは、コウタたちの肩くらいもあるだろうか。その低木が独特なのは、上から下まで、みごとに黒光りしている点だ。
「おれが見つけたんだ」
亮平は、低木の黒い枝を一本つかんで、得意げにポーズを取ってみせた。
一見するとわかりにくいが、真上から見ると、この低木は、確かにマンジの形をしているに違いない。
しかし、コウタは、この低木を一目見たとたん、ぞっとした。黒光りするこのマンジの木は、どこか不気味で、触れてはいけない気がしたのだ。
「ちょっと待てよ、亮平。このマンジ、どこか変だよ。今までのマンジと、雰囲気が全然違っている。それに、亮平の蹴った石が、偶然、ここへ飛んでくるのも、おかしいよ。まるで僕らを、わざとここへ誘い込んだみたいだ」
ケチをつけられたと思った亮平は、黒いマンジの腕をつかんだまま、むっとした表情になった。
「さっきも言ったけど、コウタは考え過ぎなんだよ。マンジは今までだって、とんでもない場所に、あったじゃないか。こんな広い野原で、マンジを見つけられたんだから、それだけでも、十分儲けものだよ」
「うーん、それはそうなんだけど…」
コウタはどうにも煮え切らず、マンジに近寄るのをためらった。すると、歩くのにうんざりしていた翔が、不機嫌な顔で、コウタに突っかかった。
「おい、コウタ。おれたちは、かなり遅れているんだぞ。確かに、このマンジは多少不気味だけど、そうも言っていられない状況だ。さっさとそのマンジを開けて、次の世界に行くしかないんだよ。この野原に、いつまでもいるわけにはいかないだろう?」
結局、強気な翔に押し切られ、コウタも渋々、みんなの意見に従った。
それにしても、今度のマンジはえらく大きい。これまで見たマンジは、皆、手のひらに収まる大きさだった。これでは、とても一人では開けられない。マンジの腕は、コウタたちの身長ほどもあるのだ。
実際、亮平が一本の黒い腕を押してみたが、少しも動かなかった。
すると、翔が閃いた。
「そうだ。腕はちょうど四本あるんだから、一人一本ずつ持って、同じ方向に回せばいいんじゃないか?」
亮平とオー君が、なるほどと感心した。
そこで四人は、気味悪い雑草をかき分けて、一人ずつ、黒光りする、マンジの腕の前に並び、マンジを手にした。
マンジの黒い腕に触れたとたん、コウタの全身に鳥肌が立った。黒いマンジの腕は、氷かと疑うほど冷たかったが、生きていると感じた。冷たさの影に隠れているが、もっと冷たい鼓動が、奥底から鳴り響いている気がするのだ。
オー君の体調は、まだ万全ではなかったが、マンジを動かせないほどではない。むしろ、オー君は、喜んでこの作業に参加した。
配置についた四人は、さっそく黒い腕をつかむと、かけ声で調子を合わせて、右回りに回してみた。しかし、いくら押しても、マンジは動かない。何度か試してみたが、マンジは、梃子でも動かなかった。
「変だな、びくともしないや。そうだ、反対方向に回してみたらどうだろう」
翔の提案で、四人は回れ右をし、また声を掛け合いながら、左方向へ、いっせいに力を入れてみた。
すると、今度は、カチッと金属の音が鳴った。そのとたん、手に入れた力がふっと抜け、マンジはするりと左回りに動き出した。
「やったね、こっちが正解だったんだ」
亮平が大喜びするのもつかの間、マンジの中心部から、まっ黒で粘り気のあるものが、どくどくと空中にあふれ出てきた。驚きのあまり、四人は、一瞬手を放し、身を引いた。しかし、より大きな危険を感じとったコウタが、叫んだ。
「離しちゃダメだ!反対側に回して、マンジを戻すんだ!」
空中に浮かぶ黒い物体は、更に粘り気のある塊にまとまり、くねくねと形を変えながら、オー君の方へと向かった。まるで、オー君に引き寄せられているかのような動きだ。黒い物体は、ついにオー君の左肩目がけて、襲いかかってきた。
オー君は、恐怖のためか、その場からまったく動けないでいる。いや、握ったマンジの黒い棒に手がくっついて、離れたくても離れられないのだ。黒い物体は、たちまちオー君の左肩を覆った。
コウタと翔が、大急ぎでマンジの腕をつかみ、思いっきり、右方向へ押し戻した。かなり抵抗があったが、マンジは嫌な音をたてて、ぎこちなく動き出した。
その動きに合わせ、黒い物体は、オー君の肩から引き剝がされると、マンジの中心へ強引に引き戻された。黒い塊は、そのまま中心部に吸い込まれ、マンジの幹の中にすっかり押し込まれると、やがて見えなくなった。
マンジの木は、たちまち薄くなり、黒い陽炎に変わると、ついには消えてなくなった。後には、雑草の生い茂る、陰気な草むらだけが、残っていた。
四人は、生い茂る雑草の中へ、どっと倒れこんだ。コウタは、まだ膝ががくがくしているし、亮平は、体全体が震えている。翔も、驚きと恐怖で、体が硬直している。
オー君は、皆から少し離れた草の中に、倒れ込んだまま動かない。体が草に埋もれてしまい、姿は見えなかった。コウタは、震える膝のまま、草をかき分け、オー君のところへ這いつくばって行った。
「オー君、大丈夫かい?」
オー君は、閉じていた目を、やっと薄っすら開け、大きく息をつくと、小刻みにうなずいた。とても大丈夫とは思えない。オー君の顔は、すっかり土気色になり、油汗さえにじんでいる。手足にも血の気がなく、ひどく怠そうだ。体を起こすのはおろか、目を開けているのも、辛そうな状態だ。
「オー君…」
コウタが、思わずうめいた。
「あれは、あれは、マンジじゃないのか…」
亮平は、まだ声が震えている。しばらくたってから、翔が、寝転んだまま、答えた。
「おそらく、偽物のマンジだよ。おれたち、まんまと騙されたんだ。あれを全部開けていたら、大事になっていただろうな」
コウタの悪い予感は、残念ながら当たってしまった。今となっては手遅れだが、やはり、もっと強く反対すべきだったのだ。コウタは、今更ながら、後悔した。
「マンジは、左方向に回しては、いけないんだ。一つ、覚えたよ。あの、黒くて粘っこい奴は、恐ろしく危険なものに違いない」
コウタは、マンジの木があった付近を見ながら、つぶやいた。
亮平は、バツが悪そうに、コウタの方をチラリと見た。コウタが、わかっているよと言わんばかりに、目で合図すると、亮平は、ほっとして一息ついた。そして、オー君の方を振り返って言った。
「それにしても、どうして、あれはオー君を狙っていたんだろう」
オー君は、それに答える気力もなく、草むらに埋もれたまま、じっと横たわっている。
「おれたちの中で、一番、弱そうな奴を狙ったんじゃないか」
しばし沈黙の後、翔がそっけなくそう言って、体の向きを変えると、みんなの方に背中を向けた。
それから少しの間、会話が途切れた。
コウタは、じめじめした草の中に座り込んだまま、考えた。これ以上オー君を歩かせるのは、無理だ。本来なら、今すぐにでも、医者に診てもらいたいが、こんな状況では、どうにもできない。せめて、しっかり休める場所でもあればいいのだが。
ふと、道路を挟んだ、一つ向こうの野原がコウタの目に入った。
「ねえ。広々して、休むのに最適な場所があっちにあるよ。ここは、気味悪い雑草や変な虫も多いから、あっちに移動しないか?」
コウタは、そう提案した。道の反対側は、開けており、きれいな草原が広がっていた。ゆっくり休憩を取るには、手ごろな場所だ。
コウタと亮平がオー君を支えながら、反対側の野原へ移動すると、四人は草の上にごろりと寝転がった。ようやく四人は、ほっと一息つけるようになった。満点の星空が、すぐ目の前に広がっている。静かで、清々しい夜風が草原を吹き抜けた。
あまりに居心地が良いため、四人は早くも、うとうとし始めた。
キキョケ、キキョケ、キキョキキョケ…
夜鳴鳥の声が、聞こえた気がした。全員同時に目を開けたが、夜鳴鳥の声は、もう聞こえなかった。
「そうだ」亮平が、ばっと身を起こした。「ソラトが言っていたな。おれたちが困った時には、助けが来るってさ」
翔も、続けて身を起こした。
「そう言えば、あの変な占い師も、もし動けなくなったら、四人で十字を作れば、助けが来るって言っていたよな」
「だけど、どうやったら、四人で十字なんて作れるんだろう」
一陣の爽やかな風が、コウタの頬をかすめた。
「十字…」
コウタも起き上がった。すると、まだ起き上がれないオー君が、草むらから少しだけ顔を上げた。
「こうやって、地面に寝転がったまま、十字を作ったらどうだろう。四人の頭を中心に向けて、足を四つの方向に伸ばしたら、十字の形になるよ」
三人はなるほどと感心し、早速、それを試してみることになった。四人は足を四方に投げ出し、十字形を作ってみた。
「本当にこんなんで、いいのかな」
「うん、たぶん。このまま、もう少し様子を見ようよ」
「誰かがおれたちの姿を見たら、きっと笑いころげるだろうな」
「亮平、誰も見ていないから、安心しろ」
「でも、それじゃあ困るよ。誰も見てなかったら、助けが来ないじゃないか…」
「ああ、夜空がきれいだ」
「おれ、本当に寝てしまいそうだ」
十字形に頭を突合せた四人は、野原で静かにその時を待った。