第7章 さなぎ祭り、羽化祭り
「こんなのバカげてる。おかし過ぎるよ。おかしいと思わない、あんたたちも、相当いかれてる!」
翔は声を荒げ、立ったまま、目の前の小さな机を拳で叩いた。その激しい衝撃に、机は分解しそうなほど大きく振動し、奇異な姿の小人たちは、ひるんだ。
それでも、翔の怒りは止まらない。
「歩く幅や、ドアを開ける角度、歯磨きの仕方に、家の外に出る許可証だって?そこまで、いちいち法律で決める必要はないじゃないか。こんなバカげた法律と、それを守ろうとするバカげた住民、両方ともいかれているよ!」
翔の怒鳴り声で、部屋の天井や壁がブルブル震えている。大声は振動となって、狭い部屋から、隣の部屋や廊下へと鳴り響いた。この調子では、おそらく議事堂の外まで、ガンガン響き渡っているだろう。
恐ろしく不穏な状況ではあるものの、自分のモヤモヤした思いを、翔が代わりに、すべて吐き出してくれたので、コウタの気分はすっきりした。
ところが、向かいの小人たちを見たとたん、その気分も一変した。
元老院の小人たちは、初めは、翔が言っていることを理解できず、口を大きく開けたまま、ポカンとしていた。数秒たった後で、やっと自分たちが侮辱されたと気がつき、今度はシワだらけの暗い顔を、青紫色に染め上げた。次に、まっ赤に変色すると、折りたたまれたシワが延びて、頬がぷっくりと膨らみ始めた。破裂するのではないかと思うくらい、顔はパンパンに膨らみ、しまいには、赤い風船のように変ぼうした。
あまりの恐ろしい変化に、亮平もオー君も、思わず顔を背け、身を引いた。しかし、二人は部屋の最奥にいたので、身を隠す場所がない。コウタもとっさに、机の下に身を隠そうとしたが、机があまりに小さいため、体の半分も入らない。
翔だけは、この異様な光景をものともせず、独り大声で怒鳴り続けている。コウタは、翔の腕を下から引っぱり、まずいよと小声でささやいた。けれども、翔はまったく聞く耳を持たず、異常な姿の小人たちをまっ向から、にらみ、怒鳴り続けるばかりだ。
元老院の小人たちは、顔をまっ赤に膨らませたまま、全員が立ち上がった。立ち上がったのか、膨らんだ顔が先に浮かんで、体がそれにくっついただけなのかは、わからない。今にも破裂しそうな顔風船がずらりと目前に並び、いよいよ、世にも恐ろしい光景となった。
「なんたる無知、なんたる侮辱、なんたる屈辱。この国は、長年平和を維持し続けた、類まれな理想郷であるぞ。よそ者である未熟なおまえたちに、いったい何がわかると言うのだ」
怒りで歪み、その上まっ赤に膨らんだ小人たちの顔は、これ以上はないというくらい、醜く恐ろしかった。その異様な面々の小人たちが、いっせいに身を乗り出してきたのだ。膨らみ過ぎた顔は、隣の小人の顔と隙間なくくっつき、異様な顔の壁となって、コウタたちの側へ迫ってきた。こうなるともう、化け物だ。亮平とオー君は、思わず悲鳴を上げた。
別の小人が翔の方に、一歩前に身を乗り出しながら叫んだ。
「そうだ、そうだ。我々のどこがおかしいというのだ。いかれているのは、おまえたちの方だろう?そんないい加減な話し方や、座り方。本のめくり方だって、てんでバラバラだし、服装だって、だらしがない。やっている事は、いつもメチャクチャで、ケンカや事件が一向になくならない。だいたい、未だに戦争なんかしている世界の者が、えらそうに意見するとは、厚かましいにも程がある」
別な赤い風船も、低い声で叫んだ。
「話にならんね。おまえたちの頭は、幼児以下だな。こんな程度の低い来客者など、見たことがない。野蛮で口汚く、その上、無教養ときている。しかも、自分たちに都合のいいへ理屈ばかりこねて、平和なこの国を壊そうとする。これこそ、誠に、許し難い冒とくだ。これは牢屋に放り込んで、徹底的なしつけが必要とみたが、皆さん、どうかね?」
元老院の小人たちは賛成と大合唱し、四人を口々に非難し続けた。背丈こそ小さいが、醜悪さと底意地の悪さにかけては、どれもこれも天下一品だ。四人への罵詈雑言は、一向に止まらず、壊れたテープのように、延々と繰り返された。
いつまでも鳴りやまない非難に、コウタは、恐怖を通り越し、いい加減うんざりしていた。コウタたちを咎めるばかりで、話は、一向に、その先へ進まない。
こうなったら、四人で大暴れして、小人の足首を持ち上げ、逆さ吊りにしてやろうかとすら考えた。強行突破は難しいにしても、この底意地の悪い連中に、一泡吹かせてみたくなったのだ。自分たちは子どもとは言え、こんな背丈の低い小人相手なら、勝ち目はあるだろう。想像すると、今度は無性に楽しくなってきた。
しかし、問題は、このパンパンに膨れた顔だ。万が一でも、頭が破裂したらと、よけいな想像をしてしまい、恐ろし過ぎて手を出せないでいる。
一方、翔は、微塵もひるまず、立ち上がったまま、独り強硬に訴え続けた。
「おかしい、おかしい。こんなの、絶対におかしい!おかしいのは、おまえたちだ!」
そう叫ぶと、目の前の机を、拳で何度も狂ったように叩き続けた。翔の右手からは、血がしみ出している。なのに、翔は叩くのを止めようとしない。
ウミトは、さすがに危険を感じたのか、兵隊と思われる小人たちを、建物の中にこっそりと呼び入れた。鎧を身につけ、弓矢を手にした兵士たちが、一つ手前の部屋で、ウミトの号令を待っている。
弓矢は、コウタたちにしてみれば、玩具にしか見えないが、矢尻の先には、毒が塗られているかもしれない。コウタはまたしても、ガリバー旅行記を思い出して、ぞっとした。
亮平もオー君も、翔のとんでもない行動に、なすすべもなく、壁際に身を縮めたままだ。翔の勢いは、止まらない。
「どうして、気がつかないんだ?みんな、同じ格好、同じ行動、同じしゃべり方。それじゃあ、まるでロボットだよ。そりゃあ、国民全員がロボットだったら、うまくいくだろうよ。感情も持たないし、よけいなこともしない。だけど、おれたちも、君たちも、ロボットなんかじゃない。背丈は小さくても、自由な魂があるんだ。おれたちは、生き物なんだよ。それなのに」
翔は、とうとう机の上に乗り上がった。低すぎる天井に、頭を思い切りぶつけたが、それすら気づかないほど、翔は興奮していた。
「だいたい、自分の顔を鏡で見たことあるのか?そんな仮面みたいな面をして、みんな同じ顔にして、何が楽しいんだ?あんたたちだって、目が二つもついているんだろう?だったら、自分の姿を鏡に映したらどうなんだ!」
大声で上からそう叫んだ翔は、ふっと目の焦点が合わなくなり、しばらく黙ったまま動かなくなった。だが、次の瞬間、突然、乗っていた机の上に、翔は大きく倒れこんだ。ものすごい音と振動が響き渡った。
コウタたちは、急いで翔の身体を支えた。翔は気を失っている。天井に頭をぶつけたせいだろうか。狭い机は横たわった翔の体で、いっぱいになった。
万事休す。こうなっては、どうしようもない。コウタは、牢屋入りを覚悟した。
ところが、そうはならなかった。机の向かい側では、実に奇妙な変化が起こり始めていた。
元老院の小人たちは、電気でも走ったのか、一瞬、ギクリとして大きくのけ反ると、しばらくの間、ぼう然と立ち尽くした。まるで電池の切れた玩具のようだ。膨らみ切っていた顔は急速にしぼみ、シワでたるんだ顔に戻っている。
そして、突然我に返ると、今度は互いに顔を見合わせた。どうやら強いショックを受けたらしい。翔が倒れたのが、そんなにショックだったのだろうか。
しかし、倒れた翔を気にもかけず、互いに顔を見合わせたまま、またそのままぼう然としている。あれほど怒り狂っていたのに、元老院の小人たちはすっかり元通りの姿になり、そればかりか、今度は異様にしおらしくなった。
もはやコウタたちの姿は眼中になく、小人たちは、ウミトも交え、輪になって、真剣に話し合いを始めた。ひそひそ、ざわざわと、大真面目な顔で話し合っている。
倒れた翔は、すぐに目を覚ましたが、まだ頭がぼんやりしている様子だ。やはり、勢い余って頭をぶつけた衝撃で、気を失ったのだろう。危険な行為ではあったが、そこまでして、間違いを正そうとした翔に、他の三人は正直、感心していた。
四人は小人たちから完全に無視され、放って置かれた。今が逃げ出すチャンスとも思ったが、外にはまだ兵士が待ち構えている。そこで、もうしばらく、小人たちの話し合いを見守ろうと、ささやき合った。
緊張の十分間が過ぎた後、突然始まった話し合いは、突然終わった。元老院の代表者らしき小人が、右手をまっすぐ上にあげると、コウタたちの方に向かって、宣言するかのごとく声を張り上げた。
「おまえたちの話を、確かめてみる必要がある。我々、元老院は全員、そのような意見で一致した。理由はわからないが、『鏡』という言葉を、我々はずっと忘れていた気がするのだ。おまえの乱暴な発言のおかげで、我々はそれを思い出した。おそらく、その言葉は封印されていたに違いない。忘れていたのが、良いのか悪いのか、それはまだわからないが、こうなったからには、封印を解いて、確かめるしかないだろう」
そう宣言されても、コウタたちには、事情がさっぱり呑み込めなかった。それでも、自分たちの身は、ひとまず安全であろうと、確信した。
安堵したコウタたちとは反対に、元老院の宣言を聞いた小人たちの方は、一気に混乱し、その混乱が次々と伝染していった。不安のあまり頭を抱えて座り込む者や、うろうろ歩き廻る者、やたら騒いでケンカになる者まで現れ出した。
「元老院の諸君」
元老院の代表者は、踵を返し、今度は同じ元老院の小人たちに向かって、呼びかけた。
「我々は、今こそ勇気を持って、確かめねばなりません。一同、これから広場に赴き、長い間、しまい込んでいた大鏡を開けようではないですか。よろしいですね?では、しばし会議は中断します」
元老院たちは、恐ろしいほど深刻な顔でうなずいた。
それから、そそくさと、順番に部屋から出て行った。ウミトを始めとする小人たちも、コウタたちには目もくれず、慌てふためきながら元老院たちの後を追って、ぞろぞろと出て行った。
気がつくと、小人たちは誰もいなくなり、コウタたち四人だけが、狭い部屋に取り残されていた。
長い拘束からようやく解かれた亮平が、伸びをした。
「よくわからないけれど、おれたちは助かったのかな。これは、翔のおかげだね」
すると翔は、手で頭を押さえながら、気だるそうに起き上がった。
「おれ、何か変なことでも言ったのかな。頭の中に、稲妻が走って、その後は、覚えていないんだ」
翔は、いつもの翔に戻っていた。コウタは、やれやれと、深いため息をついた。
「何も覚えてないの?正義のヒーローみたいに、格好良かったのに。小人たちに向かって、ものすごい剣幕で怒鳴っていたよ」
「おれが?」
翔は、きょとんとした表情で聞き返した。
「そうさ。みんなが止めるのも聞かずにね。小人たちの頭が破裂しやしないか、冷や冷やしたよ」
翔は、記憶のない自分の行動に、今更ながらぞっとした様子だ。
「それで最後は、小人たちに向かって、鏡を見たことあるのか、と叫んで気を失ったんだよ」
翔は、ぎょっとして、また頭を天井にぶつけそうになった。
「えっ、なに、鏡だって?おれ、なんで、鏡なんて言ったんだ?わけがわかんないや。ああ、でもさっき、夜鳴鳥の声が聞こえた気がする。そのせいかな」
今度はコウタの方が驚いた。
「えっ、こんな地下で夜鳴鳥だって?僕には、全然聞こえなかったよ」
亮平とオー君も、大きくうなずいた。
翔は不思議そうに頭を傾げ、ひとしきりうなると、また黙り込んでしまった。
すると、オー君が、何かに気づき、みんなに語りかけた。
「ねえ、みんなで確かめに行ってみない?僕には、あの小人たちが、根っからの悪人とは思えない。あんな風になったのは、きっと深い訳があると思うんだ。うまく言えないけど、僕らはたぶん、小人たちに関わりがあるんだよ。翔が、突然『鏡』と言い出したのも、そのせいかもしれない。だから、この結果を見届けようよ。この状態なら、いつだって逃げ出せるだろうし」
三人は非常に驚いた。オー君が、そんな大胆な提案をするなんて、思ってもみなかったのだ。オー君はいつも、おとなしく、控えめで、みんなの陰に引っ込んでいる。オー君の行動は意外だったが、それでも、オー君の言うとおりだ。
この混乱ならいつでも逃げ出せる。それより、小人たちの変化を見届ける方が、遥かに重要だとコウタは感じた。
変わるのか、変わらないのか。変わるとしたら、変わることが果たして、良いのか、悪いのか。小人族の行く末に、自分たちがどう関わっているのか、わからないが、不可思議な予感がコウタを急き立てていた。
亮平だけが、今のうちにここから逃げ出そうと、最後まで主張していたが、みんなに説得され、結局四人は、小人族の成り行きを見届けることになった。
そうと決まった四人は、天井や梁に頭をぶつけないよう注意しながら、巨大な議事堂を這い出た。
出たとたん、四人はとんでもない光景を目にした。広場は、ものすごい数の小人たちでひしめき合っている。小人たちは、押し合いへし合い、広場の中心へ、こぞって向かおうとしている。集団でパニックに陥っている様子だった。
初めて小人たちに歓迎を受けた時、この国にいる、すべての小人たちが広場に集結した。あの時と同様に、通りも広場も、小人で埋め尽くされている。あの時は、法律の定めにより、誰もが皆、きちんと整列していた。しかし今は、それぞれが勝手に、ひたすら前へ進もうとしているではないか。
おかげで、道路は小人たちで大渋滞し、家具と家具の隙間は小人たちで埋め尽くされ、ほとんど動けなくなっていた。何人もの小人が倒れ、気を失い、みんなに踏みつけられている。
正気を失った小人たちの目は血走り、自分のすぐ前しか見ないので、コウタたちには目もくれない。
四方八方から押し寄せた小人たちは皆、広場の中央にある、街で一番大きな家具、中心塔を目ざしていた。
小人たちより、何倍も背が高いコウタたちは、立ち上がって、上から街を見下ろした。視界はぐっと広がり、元老院の小人たちが中心塔に、今まさに入ろうとしているところを目撃した。四人は、互いに顔を見合わせると、小人の群集を推しのけ、大またぎで中心塔のすぐ近くに、強引に分け入った。
四人は、中心塔の入口に陣取ると、三階部分の窓から中を覗いてみた。細長い建物は、天井が高く、見た目よりは広かったが、それでも、途切れることなく押し寄せる小人たちで、入口から中ほどまでは満杯だった。
一番奥にいる、元老院の小人たちとウミトは、緊張した顔つきで、しきりに話し合っている。そして、その傍らには、ソラトが、じっとたたずんでいるではないか。
その時、すぐ隣にある時計台の時計が三十二時を示し、ポッポーと物悲しく鳴いた。元老院の小人たちは、そのささやかな音にも飛び上がって驚いていた。
一番奥の部屋には、ぶ厚い、まっ赤なカーテンで覆われたものが、そびえ立っている。その特別な何かを前に、元老院の小人たちは、すっかり落ち着きを失い、わけもなく右往左往している。
だが、誰一人、カーテンに触ろうともしない。カーテンを取り囲みながらも、まるで、腫れものでも触るように、少し近づいては、離れるのを繰り返しているだけだ。
「おそらく、あのぶ厚いカーテンの下にあるのが、例の大鏡なんだろうな。だったら、さっさと開ければいいものを」翔は、不満そうに言い捨てた。
小人たちは、赤いカーテンの前で異常に興奮し、ますます混乱してきた。話し合いは、いつしか、激しい言い争いとなり、ついに、なじりあい、つかみ合いのケンカに発展していた。とても、平和な国の住民たちとは思えない行動だ。高窓から覗いていた四人は、一向に進まない事態に、苛立ちさえ覚え始めた。
ふと、奥にいたソラトが、コウタたちの視線に気がつき、小人の群れをかき分けて、コウタたちが覗き込んでいる窓辺へやって来た。他の小人たちほどではないが、ソラトも青ざめた顔をして、いつになく興奮気味だ。
「ソラト、どうして、カーテンを開けて確かめないの?あのカーテンに隠されているのが、大鏡なんだろう?」
コウタの問いかけに、ソラトの顔は一段と曇った。
「実は、ここの法律が、固く禁じているんです。絶対に、カーテンを開けてはならないと。それで、元老院の小人でさえ、恐ろしくて手をかけられないでいるんです」
「つまり、カーテンを開けた者に呪いがかかるとか?」
「いえ、そうは書いてありませんでした。ただ、絶対に開けてはならないと」
それを聞いた四人は、またしても開いた口が塞がらなかった。いったい誰がこの法律を作ったのだろうか。法律を作ったのは、小人たち自身のはずだ。それなのに、すべての可能性を自分たちで潰しているのだ。
ちょうどその時、大声でぶつぶつ言う声が、奥の方から聞こえてきた。苦渋に満ちた、元老院の一人だ。
「ああ、誰一人として、この部屋に入ってはいけない。誰一人として、このカーテンに触れてはいけない。まして、カーテンを開けるなんて、とんでもない。きちんと、法律書に記されているではないか。それなのに、我々は、掟に背こうとしている。こんな暴挙は、許されまい。おお、我々小人族に、そしてこの国に、前代未聞の天罰が下るだろう」
その声が、耳に入った小人たちは、皆一様に、暗い顔のまま、うつむいてしまった。中には、頭を抱えて、苦しげに身悶えする者もいる。
小人たちは、ソラトが以前に話していた、身を引き裂かれる状況にあるのだ。カーテンを開けなければという強い思いと、それを禁じている法律の強い呪縛。それぞれが、小人たちの小さな魂を両側から引っぱり合い、引き裂こうとしている。
その状態は次々と伝染し、小人たちは次々と苦しげに身悶えし、床に転がり出した。実に多くの小人たちが床に転がり、のたうちまわっている。まるで地獄絵図だ。そんな光景が目に入っただけで、コウタの胸も苦しくなってきた。
「カーテンを開ければいいだけなのに、バカみたい」
亮平が、ぼそっとつぶやいた。その一言で、コウタの胸から重苦しさがすっと消えた。
すると、翔が突然、身をかがめ、狭い入り口から中へと侵入していった。群がる小人たちをかき分け、翔は、奥の方へ無理やり割り込んでいった。脇に押しやられた小人たちは、騒ぎ立て、文句を言ったが、自分たちより数倍も大きな子ども族にはかなわない。翔は、大鏡まであっけなくたどり着くと、赤いカーテンに手をかけた。
翔の乱入に、元老院の小人たちは、みじめなほど慌てふためき、分別のつかない幼児のごとく、見境なく大騒ぎをし始めた。床に卒倒し、手足をバタバタさせている元老院もいる。巨人の子ども族が、恐れ多くも、我が国の秘宝に手を出そうとしている。そう叫んでいた。
小人たちは、恐怖のあまり震え、顔をまっ赤に染めて怒ったり、気を失って倒れたり、それはもう、ひどい有様だった。特に、元老院の顔は、青くなったり赤くなったり、縮んでは膨らみを繰り返し、大変目まぐるしく変化している。
しかし翔は、そんな周囲の状況を一向に気にせず、カーテンに手をかけたまま、堂々と叫んだ。
「カーテンを開けてはならないと、法律で決まっているのなら、今すぐ、その法律を変えれば、いいだけじゃないか。中にあるのは、大鏡なんだろう?だったら、とっととカーテンを開けて、確かめるべきじゃないか」
翔がまた、正気を失っているのではないかと、コウタたちはヒヤヒヤしたが、そうではなさそうだ。翔は、興奮のあまり我を忘れているわけではなく、とても冷静に、小人たちに訴えかけている。翔は、まともだ。
だが、怒り心頭の元老院たちにとっては、翔が冷静かどうかなんて、関係がなかった。持てる力のあらん限りを尽くし、翔を大声で罵った。
「無知で無能な愚か者め。よそ者のおまえに何の権利がある?カーテンを開けて、もしも、我々小人族が滅びたら、おまえはどう責任を取ると言うのだ。法律は、七万三千八百五十二人の小さな命を守るため、カーテンを開けるのを、禁じているのかもしれないのだぞ」
そうだ、そうだと言う、賛成の大合唱が巻き起こった。大勢の声に圧倒された翔は、たじろいでしまった。よそ者の一少年が、歴史ある小人族全体の運命を背負うには、あまりに重過ぎる。翔の立場は、見る見るうちに悪くなり、一方、勢いをつけた小人たちは、ここぞとばかり、狂気に満ちた怒りの声を張り上げた。
翔は、それ以上なすすべもなく、カーテンの横に立ちすくんでしまった。床に転がっていた多くの小人たちも、恨みがましい目で翔をにらみ、一緒になって、下から翔に罵声を浴びせかけた。
耳をつんざくほどの耐えがたい悪態に、とうとうコウタは、気分が悪くなってきた。
ふと、覗いている三階の大窓の前に、ソラトがまだいるのに、コウタは気づいた。ソラトは、もの悲しい瞳でコウタに訴えた。
「…あなた方に、助けて欲しいのです。僕らだけでは、もうどうにもならない。このままだと、僕らは、まっ二つに引き裂かれてしまう」
苦し気な言葉が、小さなソラトの腹の底から、絞り出された。
ソラトの必死な思いに、コウタは心を打たれた。小人族には、小人族だけでは解決できない、大きな問題があるのだ。人間にとっては、さ細な事柄でも、小人族にとっては、きっと重要な問題なのだろう。
だから、今回偶然この国を訪れた、外の世界の自分たちは、手助けできることがあるはずだ。何故なら、自分たちは、小人族の規則に縛られない、より自由な世界からやって来たからだ。
コウタはまだ、頭の片隅で、自分は夢の中にいるのかもしれないと疑っていた。だけど、ここで起こっている出来事は、どうしても、現実としか思えなかった。氷砂糖の街や水曜亭、砂金川やこの家具でできた街は、幻だとしても、ここにいるソラトや、小人たちの苦悩、自分の感情や翔の考えは、とても幻とは、思えない。
何より、目の前にいるソラトが、こうして苦しんでいるではないか。この瞬間、もしも自分が目を覚まさないのなら、夢なら夢で、それなりの決着をつけてやろうと、強い思いが湧き起った。
コウタは固い決心を胸に、三階の大窓から思いっきり叫んだ。
「翔、いいから、カーテンを開けるんだ。責任は、みんなでとろう。小人族にとっても、僕らにとっても、今、一番大切なのは、そのカーテンを開けることなんだ」
コウタの決意を受け取った翔は、大きくうなずくと、全身にぐっと力を込め、重いカーテンを力任せに引っぱった。
闇をつんざく小人たちの悲鳴が、地下の空間全体に響き渡った。非常ベルがいっせいに鳴ったのかと思うほどの迫力だ。
赤いカーテンは、どさっと重苦しい音をたてて床に落ち、積もった埃が宙に舞った。カビの臭いと埃の充満する中で、静寂な時間が流れた。
舞い上がった埃が、次々と床に降り注いだ。濁った空気が落ち着いてくると、威風堂々とした大鏡が姿を現した。
特大の鏡だ。コウタたちでさえ、全身が余裕で映せるほど、巨大な鏡だ。何百年もの威厳を内に秘め、誰をも寄せつけなかった気高い大鏡。銀色の装飾に縁取りされ、沈黙を守り抜き、吹き抜けの空間に、こうして屹立している。
大鏡は、まばゆい光を放った。太陽が反射したかのような、強烈な光だ。光は、三階の大窓から覗いていたコウタたちまで届き、三人は一瞬目がくらんだ。これほど眩しい光なのに、小人たちは、まるで平気な様子で、大鏡を正面から直視している。
今までの大騒ぎはピタリと収まり、張り詰めた静けさの中で、小人たちは、大鏡をただじっと見つめている。
「大鏡が開いた…」
ソラトの小さな一言が、無言の空気を切り裂いた。
「開いた、大鏡が」
「鏡、鏡、大鏡-」
「我々の大鏡」
次々に、大声の独り言が響き渡る。
大鏡は、小人たちの姿を正直に映し出していた。鏡の前では、誰も嘘をつけない。とりわけ、前列にいた元老院の小人たちは、鏡に映った自分の姿を、穴の開くほど見つめている。
気難しいこわばった顔、醜く深いシワ、ひん曲がった鼻、顎にも届きそうなへの字形の唇、驚くほど、疑い深く、底意地の悪そうな瞳。そこに映っているのは、紛れもなく、自分の姿だ。
それに気づいた小人たちの頬に、さっと一筋の赤みが差した。生まれて初めて、恥ずかしいと思った瞬間だった。
今までは、自分だけは妖精みたいに美しい姿をしていると、勝手に思い込んでいた。幻を見ていたのだ。それが間違いだと知った小人たちは、次々に驚き、呆れ果てた。すると徐々に、こわばった表情が緩みだし、目もとには優しさがよみがえった。本来の穏やかな性質が、奥底から現れてきたのだ。
「私は、なんと醜く、なんと美しいのだろう」
小人たちは、大鏡の前で、そうつぶやいた。
それを目にしたコウタは、小人たちの言葉に続けて、自然に、独り言をつぶやいていた。
「そして、なんて、素晴らしい変化なのだろう」
小人たちは、こぞって大鏡を覗き込むと、皆一様に驚き、顔を赤らめ、それから何百年以来の垢が払われたごとく、ふっと微笑んだ。
大鏡の前には、小人たちが行儀よく立ち並び、自分の確かな変化を感じ取ると、笑顔になって次の者たちに快く場所を譲った。
翔は、大鏡のすぐ横で、その様をただぼうっと眺めていた。自分のやった結果が、まだ信じられない様子だ。
そこへ、ソラトがやって来て、一段高い台の上に昇った。
コウタたちは、ソラトの姿にぎょっとした。ソラトはいつの間にか、少年を通り越して、青年に近い姿になっている。コウタたちは、ソラトの信じ難い急成長に、度肝を抜かれた。
ソラトは集まった大勢の小人たちに向かって、大声を張り上げた。
「さあ、小人族の皆さん。待ちに待った変化を始めましょう。ずい分と時間がかかりましたが、変化すべき時がやって来たのです」
ソラトの大声は、窓から、廊下から、部屋から部屋へと響き渡った。
たったそれだけの呼びかけなのに、中心塔の中からも、外からも、ものすごい歓声が上がった。そこら中の空気が震えるほどの、大歓声だ。しかも先ほどみたいな、狂気じみた騒ぎではなく、今度は、清々しい喜びに満ちた歓声だった。
ソラトは続けて、コウタたちの知らない言葉を使い、群集に大声で語りかけた。小人の群集は、今までにないくらいに顔を輝かせ、小さなソラトの話を、熱心に聞き入っている。
小人たちは、広場を中心に、そうだ、そうだ、変化をしようと、口々に叫び、その声は次第に数を増していった。声は、街中に次々と伝染し、やがて国をあげての、壮大な合唱となっていった。
本来、この小人たちは、こんな風に明るく素直な性格だったに違いない。そう思えるくらい、今までの、暗く窮屈な性質は、よっぽど異常で不自然だ。
ソラトが、中心塔から広場へ出て来ると、すぐさまコウタたちの方へとやって来た。近づいてきたソラトは、少なくても、コウタたちよりいくつも年上の少年に見える。
「子ども族の皆さん、封印を解いてくれて、ありがとう。すべてを思い出しました。僕ら小人族は、ずい分前に、呪いをかけられたのです。自らを封印するという呪いです。呪いをかけられた事実さえ、封印されたので、まったく覚えておらず、長い間、ああして苦しんでいました。法律で自分たちを縛り、自分たちの姿は美しいと、呪いによる幻を見せられていました。そこへ、外から来たあなた方が、『鏡』という封印を解く言葉を、感情を込めて叫んだので、僕たちはやっと思い出したのです。そして、あなた方の手助けもあって、無事、大鏡が開かれ、呪いが解かれました」ソラトは嬉しそうに言った。「これで、ようやく、さなぎの準備に取りかかれます」
「さなぎだって?」
四人は、ソラトの最後の言葉に、声をそろえて叫んだ。ソラトはそんな四人の反応を見て、大笑いした。
「もしかして」オー君がメガネの底から、飽くなき好奇心を込めて聞いた。「あなたたちは、蝶のように、幼虫からさなぎになって、羽化する生き物なの?」
「ええ。僕たち小人族は、もともと地の精霊なのです。その昔、冬将軍に侵略されそうになったのですが、火の精霊の助けを借りて、抵抗しました。しかし、それに怒った冬将軍に呪いをかけられ、見てのとおり、法律でがんじがらめの状態にされてしまいました。僕たちはその呪いゆえ、さなぎに変化できず、羽化もできず、ひたすら、地下で過ごしていました。おまけに、僕らに手を貸した火の精までもが、呪われてしまったのです」
「えっ、すると君たちは、もともと地上の生き物なの?」とコウタ。
「子どもの頃は、地下で生活して、成長すると、あの地火山に入ってさなぎを作り、時を待って羽化して地上に出て行く。僕らは、そういう生き物なんですよ。だから、羽化した姿こそ、僕たちの本当の姿なのです」
コウタたちは、話の内容にも驚いたが、話をするソラトの変化に目を奪われた。ひ弱で、頼りなかったソラトが、いつの間にか、身も心もたくましいリーダーになっている。
ソラトは、まだ大人になり切ってはいないが、誰よりも純粋で、誰よりも、賢い。そして誰よりも、小人族全体を考えている。だから、小人たちが大鏡を見た瞬間に、誰が新しいリーダーにふさわしいのかを、自然にわかったのだろう。大鏡は、真実を映し出すのだから。
そこへ、ウミトが、バツが悪そうな顔をして、やって来た。コウタたちに対して、素直に謝罪し、礼を述べた。
「皆さん、数々の無礼をお許しください。何より、私たち小人族を救ってくれて、本当に感謝します」ウミトは、涙を流さんばかりの勢いで、コウタたち四人の手を次々にとった。「おかげで、長年忘れられていた『さなぎ祭り』を始められます。ああ、なんて久しぶりなのでしょう。こんな素晴らしい日を迎えられるとは、夢にも思いませんでした。これなら、この後に続く『羽化祭り』も、滞りなく行えるに違いありません」
ウミトによると、さなぎ祭りが行われるのは、数百年ぶりだと言う。呪いがかけられる前は、毎年行われ、地下から地上へと、仲間を次々送り出していたらしい。呪いは、小人たちを地下に閉じ込め、成長を止めてしまった。時間だけが無駄に過ぎてしまった結果、身も心も、コチコチに固くなってしまったのだ。
コウタたちは、自分たちとはまったく異なる生き方を、今初めて知った。そして、生き方は違うけれど、心の奥底には、同じものがあることもわかった。同じだから、こうしてわかり合えるのだ。同じだから、たとえ種族が違っても、助け合えるのだ。
「さあ、時は満ちました。さなぎ祭りを始めましょう。今、すぐにです!」
ソラトの一声で、国中の小人たちが歓声を上げ、広場に詰めかけた。もちろん、広場には全員入り切れるわけもなく、群衆から群衆へとソラトの言葉が伝えられた。通りや郊外にまで歓声の波紋は広がり、誰も彼もが、熱気にあふれ顔を輝かせていた。
間もなくすると、ソラトが再び、コウタたちの方に近づいてきた。群集からは、より大きな歓声が上がった。それに負けない大声で、ソラトは再び群衆に向かって叫んだ。
「さなぎ祭りの前に、まず、呪いを完全に解く儀式を行います。この方たちこそ、呪いを解き、小人族を救ってくれた、子ども族の皆さんです」
割れんばかりの拍手と歓声が、四人に向けられた。四人は、急に恥ずかしくなり、やたらパジャマの裾を引っぱったり、ズボンのポケットに手を突っ込んだりしていた。
「お願いがあるんだけど」
ソラトはそう言うと、コウタのパジャマのズボンを下から軽く引っぱった。低くかがんだコウタに、ソラトがそっと耳打ちした。コウタはちょっと微笑んでから、小さくうなずいた。
すると、ソラトは、コウタの手で高々と持ち上げられ、コウタの肩の上に乗せられた。そのとたん、またもや割れんばかりの拍手が巻き起こった。ソラトは、大きな深呼吸を一つすると、約七万人の群衆に向かって上から叫んだ。
「さあ、小人族の皆さん、よろしいですか?願いましては…」
一瞬、沈黙が流れた。空気が一気に圧縮された。人々は、強烈な何かを待っていた。
「…ご破算に願います、ご破算に願います!」
ソラトの透き通った声が、この地下の国中にとどろく。すると、七万人の小人たちは、ソラトに向かって元気よく叫び返した。
「ご破算になりました、ご破算になりました!めでたく、ご破算になりました!」
「願いましては……」
「ご破算になりました。ご破算になりました!」
ソラトと群集は、こんなやり取りを繰り返した後、異常なほど大笑いをして、締めくくった。
それから、小人たちは大急ぎで、自分たちの住まいに戻ると、ぶ厚い法律書を次々運び出し、広場に集めて火をつけた。勢いよく燃え上がる炎を取り囲んで、小人たちは踊り歌い出した。
「これで自由だ。これが自由だ。これこそ自由だ」
「僕らは自由だ。自由な魂、自由な生き方、自由な生き物だ」
広場は赤々と燃える炎と共に、新たな歓喜に包まれた。いく重もの小人たちの輪が、大きな炎を取り囲み、踊りながら互いに泣き笑いをしている。コウタたち四人も、嬉しい気持ちで一杯になった。
小人たちは、間もなくすると、さなぎになり、羽化して、やがて立派な精霊になるだろう。コウタは、その姿を一目見たいと思ったが、突然、自分たちがここへ来た、大事な理由を思い出し、独りで苦笑いをした。
すぐさま、ソラトにマンジについて聞いてみた。ソラトは、ウミトや元老院の小人たちにも確かめてみたが、マンジについては、一つも手がかりがなかった。
「残念だけど、結局、ここにマンジはないみたい」コウタのがっかりした声に、亮平も翔もオー君も、意気消沈した。
四人は、呪いからの解放を一緒に喜びながらも、小人たちとまったく同じ様に、歓喜に酔いしれることはできなかった。
コウタたちは、子ども族であり、人間なのだ。ここでの役目は終わりを告げ、去らなければならない。本来の目的である、銀河原を目ざす旅に、戻らなければならない。マンジが地下の国になければ、また地上に戻って、あの暗く寂しい通りの先へと、探しに出かけなければならないのだ。
小人たちは、四人を引き留めはしたが、同時に、四人が別の世界の住民で、別の生き方をしており、別の目的のため出ていかねばならないことを、よくわかっていた。
ソラトは、寂しげな顔で、小さなため息をもらした。
「僕らが羽化したら、地上でまたお会いしましょう」
ソラトは、そう言うと、コウタの手を力強く握った。
四人は、ソラトと次々握手をした。ソラトの成長は他の小人より早いのか、さっきよりもいっそう、大人びている。ほとんど、青年の風ぼうだった。最後に翔が握手をした時、ソラトは急に顔を上げた。
「そうだ、今、思い出した。上の家具屋の店先で、マンジの記号を見たという話を、ずっと昔に聞いた覚えがあります。店先の、一番前の列の、どこかです」
四人はそれぞれ顔を見合わせると、嬉しさのあまり、声を上げた。
「それから」ソラトは最後に握手した翔に、目を向けた。「やっぱり、僕はあなたにお会いしていますよ。昔、誰かに連れられ、横穴の入り口まで来たのを見た記憶があります。たぶん、夢見人として」
翔は、顔をしかめた。
「僕がここへ?夢見人?」
「ええ、だいぶ昔ですが。夢見人、つまり、あなたは夢の中で、ここへ来ていたのです。残念ながら、連れてきた人については覚えていません」
「そんな覚えは何一つ…」
何一つ覚えていないと言いかけた翔は、そこで言葉が止まった。
翔は黙ったままだが、コウタには翔の感じていることがすぐにわかった。
翔は、初めからこの世界をよく知っていた。そればかりか、愛着さえ感じていたように見えた。翔自身は何も覚えていなくても、ソラトの言う通り、きっと以前、来たことがあるのだろう。だが、いったい誰に連れられて来たのか、肝心な部分が思い出せず、歯がゆいのだろう。
ソラトは、複雑な心境の翔を思いやった。
「マンジやあなたのことを少しでも思い出せて良かった。今度は、あなた方が幸せになる番ですね。あなた方はきっと、無事に目的の地へ到着できますよ。最後にもう一つ」ここでソラトは、少しだけ言い淀んだ。「こんな話はしたくないのですが、この先、よくない予感がします。とてつもなく強力な者が、あなた方を追いかけているようです。注意して下さい。でも、あなた方には、必ず助けが来るでしょう。その点は安心です」
最後に奇妙な事を言われた四人は、困惑したが、マンジのありかがわかっただけで、気分は上々だった。
こうして、四人は、小人たちに見送られながら、地底の国を無事に出発した。再び、あの気味の悪い石段を通るのは、ひどく苦痛だったが、あそこを通らない限り、地上には出られない。
四人は、なるべく、壁を刺激せず、静かにゆっくりと石段を登った。意外にも、降りて来た時に比べ、壁は気味が悪いほど、おとなしかった。小人たちに、食料としてもらった木の実や水がなくなりかけた頃、四人はやっと、地上への出口を見出した。全員、恐ろしく疲れ切っていたが、それでも、心は深い安堵に浸っていた。
唯一、オー君だけは、ほとんど動けない状態になっていた。コウタと亮平が前後からオー君の体を支えて、最後の石段を登り切った。
ようやく四人は、家具屋の地下室へと這い出した。薄暗い地下室も、四人には明るく感じた。
帰りがけ、例の飾り棚の前を通った時、亮平はガツンと一発、飾り棚を蹴り上げたが、反応はなかった。ごく普通の飾り棚になっている。あの時、話しかけてきたのは、本当に、この飾り棚だったのだろうか。結局、真相は誰にもわからなかった。