第6章 小人族の家具の国
期待に満ちた四人は、最後の石段を滑るように駆け降りていった。すると、すぐ目の前には、大きな横穴がぽっかりと、口を開けているではないか。それは、巨大な木の洞か、いびつな形のトンネルのような横穴だ。
そこからは、木の香りを含んだ風が大きな塊となって、コウタたちの方へ、どんどん吹きつけてくる。四人は心地よい空気の圧を感じながら、先を争って、巨大な横穴に駆け込んだ。横穴は短く、あっけなく通り抜けられた。
その途端、四人は、驚きのあまり、言葉もなくその場に膝をついた。
ここは本当に地下なのだろうか。そう思わざるを得ないほど、巨大な空間が目前に現れたのだ。いや、実際コウタは、地球の裏側にたどり着いたのではないかとさえ、疑ったくらいだ。それ程、コウタたちの住む地上と、変わらない風景が広がっていた。
上からは、眩しい光が満遍なく降り注いでいる。よく見ると、恐ろしく高い天井に、巨大な電球の玉が張りついている。それが、太陽の代わりに、地下世界全体を強力に照らし出していた。
目の錯覚かもしれないが、遠く微かに映る山影は、地平線ではないだろうか。その地平線まで、見渡す限り不思議な街並みや森が延々と続いていた。
だが、コウタは首を傾げた。どこか妙な街並みだ。少なくとも、手前の建物は皆、木でできた箱型の建物だ。それらが寄り集まって、きっちり区分けされたビル群を作っている。それぞれの建物は、大きな窓や張り出しが多く、建物自体は、妙にデコボコしている。その凹凸も、どこか見覚えがあり、懐かしい。
近づいて見ると、その謎があっさり解けた。それはビルではなく、家具だった。
巨大だと思っていたビル群の高さは、コウタたちの身長よりは高いが、せいぜい、バスケットゴール程の高さだ。そんな家具がひしめき合い、寄り集まって、街を形作っている。街全体が、縮小された玩具の街だった。
ミニチュアの街ならば、遠くの地平線も、コウタが思っているより、ぐっと近くにありそうだ。それでも、この空間がとてつもなく巨大であるのに、変わりはない。
家具で造られた街は、実際、見事だった。大小様々な家具、ありとあらゆる種類の家具が、わずかな隙間もなく、びっしり組み合わされ、積み上げられている。
巨大な水屋ダンスには、階段状のタンスやケヤキ製のタンスがくっつけられ、一棟の、のっぽなアパートを形作っている。いかめしい桐のタンスは、重厚なキャビネットや本棚と繋がっており、その間が、通路になっている。
街の主な通りは、コウタたちも通れるほどの広さだが、それ以外の通路は細く、しかもかなり複雑だ。他の通路とも繋がるように、家具が配置されている。こんな風に、家具と家具の段差を上手く利用した、細い通路が、街中に張り巡らされている。
一見、雑然とした家具の塊に見えるが、実は細部までみごとに計算し尽くされた、少しの無駄もない街並みなのだ。その街並みが、見渡す限り切れ目なく延々と続き、巨大なドーム型空間の中に、不思議な景観を作り上げていた。
特に目立ったのは、街の中心に凛としてそびえる、教会風の黒い建物だ。巨大な木造ロッカーを縦に横にいくつも束ね、細長く上に伸ばしている。木目の看板には、『中心塔』と彫り込まれていた。否応なしに目立つその建物は、広場のまん中をほとんど占領していた。
中心塔から少し離れた隣には、これまた、ひと際目立つ時計台が建っている。朱色に塗り固められ、タコのように長い足が、複数、台座の上に湾曲して伸びている。その足の間からは、長い振り子や色鮮やかな組み紐が、たくさん垂れ下がっていた。
広場の横には、教壇に囲まれた正八角形の人工池があり、そのまん中には、緑豊かな、かわいい島まで、作られているではないか。
巨大な空間の奥には、岩と家具が合体してできた、奇妙な人工の山や、鬱蒼とした観葉植物の森が見渡せた。
その山の岩と観葉植物以外すべてが、家具で満たされている。地面すら、余すところなく木材で覆われている。土や砂が見当たらないのだ。こうなると、地面ではなく、床と呼んだ方が正しいだろう。まったく不思議な景観だった。
「ここは、遊園地なのかな」
オー君がうっとりして、つぶやいた。
「うん、そうだよ。そうに違いない」自信のない亮平の声が、だんだんと大きくなっていった。「いや、こりゃ絶対、遊園地かテーマパークだよ。そうだ、おれたち、大当たりなんだ!」
亮平は好奇心に逆らえなくなり、いち早く、街の中に踊り入った。疲れも恐れも、どこかに吹き飛んでしまったらしい。街の通りは、コウタたちにとっては手狭で、人ひとりがやっと入り込める幅だ。亮平は、夢中になって家具の間に分け入り、体を家具の角にぶつけながらも、街中を歩き廻った。
コウタとオー君も、亮平につられて街の中に入った。しかし翔だけは、遠くから眺めるばかりで、街の方には近づこうともしない。
「おれたちゃ、地下帝国の支配者だ」
お調子者の亮平が、階段状の食器棚に乗っかり、拳を振り上げて、勝者のポーズを取ってみせた。続いてオー君も、笑いながら、通りから拳を振り上げた。
コウタは、小さな家具でできた、一塊の区域をひょいとまたぎ、街を荒らす怪獣のまねをしてみせた。自分でも、ひどく幼稚であるとはわかっていたが、長い間の疲れと緊張から解放されたせいか、体が勝手に動いていた。
笑いがどっとあふれ、亮平も口から火を吐くまねで応戦した。いつしか翔も引き込まれ、バカバカしいと言いながらも、げらげら笑い出し、ついには、街の中に入り込んできた。
四人は、大きな家具の中に入ろうと試みたが、家具の扉は一向に開かなかった。どの家具も、皆、同じだ。
奇妙なことだが、そもそも、ドアノブや取っ手がついていない。無理やりこじ開けるしかないが、頑丈な扉はビクともしない。それでも、四人は別に構わなかった。開かなければ開かないで、興味をそそるものは、他に山ほどあったからだ。
四人は、家具の中に入るのをすぐさま忘れ、他のものに熱中し出した。
四人が無邪気に遊んでいると、広場にある時計台の古時計が、突如ポッポー、ポッポーとやかましく時を告げた。
たったそれだけなのに、四人とも、異様な気配を感じ取り、誰となく街のまん中に集まった。明らかに、空気がピリピリと緊張している。四人は、静かに耳を澄ませた。
間もなくすると、固く閉ざされていた家具という家具の扉がいっせいに開き、中から小人たちがぞろぞろ姿を現した。
背丈が三十センチにも満たない小人たちは、実に行儀よく整列し、途切れることなく、家具の中からどんどん湧いて出てくる。その数は、半端ではない。いくら背丈が低いとはいえ、よくぞこれだけの小人たちが、家具の中に入っていたと思われるほど、ものすごい人数だ。
小人たちは、みんな、判を押したように、気難しい顔をしている。どの顔の眉間にも、二、三本のシワが寄り、への字形に固まった口もとは、少しも動かない。なので、初めは仮面をつけているのかと思ったが、そうではない。よく見ると、子どもや、年寄や、男や女の小人もいるのに気がついた。
顔つきに比べ、服装は軽やかで、深緑色のこぎれいな布地を重ね着し、首には赤いスカーフを巻いている。体つきは、皆、えらくひ弱そうで、手足も細長く、ちょっと腕をつかんだだけで、簡単に骨が折れてしまいそうだ。じっとしていれば、きっと、一風変わった人形にしか見えないだろう。
小人たちは、四人の巨人には目もくれず、ぞくぞくと集合して、四人を取り囲んだ。何千人、いや、何万人もの小人が、街中を埋め尽くして、コウタたちの方に、皆、顔を向けている。
四人は、四方八方を小人に囲まれ、逃げ道すらなく、無言の圧力に何もできない状態だ。自分たちは、果たして歓迎されているのだろうか。それとも、敵とみなされているのだろうか。小人たちの表情からは、微塵も読み取れない。
集結した小人の中から、茶色の服を着た一人の小人が、四人の方へ進み出てきた。その小人は、コウタたちを見上げ、判決文を読むように語り出した。
「ようこそ、小人族の国へ。我々は、地上から来た、あなた方を歓迎します」
若干間があいてから、いっせいに拍手が響いてきた。四人は、少しだけ安心した。
「ここは通称、家具の国。この国には、我々小人族が、七万三千八百五十二人、住んでいます。長い歴史を持つ小人族は、度重なる戦いに別れを告げ、ある時より、完全に平和な国となりました。ですからここでは、争いごとは一切起こりません。毎日がとても穏やかで、もめ事とは無縁の生活を送っているのです。こんなにも平和で、安心できる国は、他にあるでしょうか。ここは、地底深くにあるとはいえ、天国と呼ぶにふさわしい国なのです」
一呼吸おいて、またもや拍手が巻き起こった。しかし、その割に歓声は上がらず、何万人もいる小人たちは、どれもこれも無表情だった。コウタと翔が、それにいち早く気づいたが、亮平とオー君は、小人の話に感激し、まだ気がついていない。
特に亮平は、感動で目を潤ませていた。
「素晴らしい!なんて素晴らしい国でしょう!争いが一つもない理想の世界が、本当にあるなんて」亮平が前のめりになって、叫んだ。「僕らの世界では、いまだに恐ろしい事件や、もめ事がたくさんあります。毎日、世界のどこかで戦いが行われ、人が死んでいます。いったいどうやったら、こんな平和な国にできるのですか?」
すると、茶色の服を着た小人は、一瞬、気難しい顔になり、それから自信たっぷりな表情で、こう断言した。
「法律です。我々には、完全な法律があるのです。まさに、国の宝です。法律がこの国を守っている限り、我々の間に争いは起こりません。いいえ、起こりえないのです」
またしても、あちらこちらから、味気のない拍手が響いてきた。それは、一定のリズムで、ピタリと同じ回数だけ繰り返されている。少々鈍かった亮平とオー君も、どこかおかしいと、ようやく気づいた。
どうした訳か、小人たちの瞳は、どれも皆、宙をさまよい、寂しげだ。茶色の服の小人が自慢した、平和で穏やかな暮らしをしている生き物の目とは、到底思えない。彼らから、幸福な感情は、一ミリたりとも感じられないのだ。
「申し遅れましたが、私は小人族の族長、ウミトと申します。子ども族の皆さん、どうかこの国でゆっくりくつろいでください」
ウミトは、さっきまでの、とっつきにくい雰囲気とは違い、少しだけ穏やかな表情になった。それは、笑顔に見えなくもない。多少ぎこちないものの、四人が歓迎されているのは、間違いなさそうだ。コウタはここで、自分たちの目的を思い出した。
「あの、僕たちは、マンジを探しているのですが、ここにマンジはありますか?こんな記号です」
コウタは、指で、宙にマンジの形を描いて見せた。
族長ウミトは短い首をひねり、背後にひかえている、数人の小人たちに相談した。後ろの小人たちは、とりわけ目つきが悪く、みな癖のある面がまえだ。なにやらごそごそと耳打ちし合うと、最後にウミトに伝えられた。
「古くからの言い伝えによると、マンジと名のつくものが、この国のどこかに、あるようです。ですが、どこにあるのかは、わかりません。どちらにせよ、そのマンジとやらを探すのに、時間が必要でしょうから、まずは、世話係兼案内係として、私の息子ソラトを同行させ、国を案内しましょう」
ウミトは、ソラトと呼ばれた小人を、コウタたちに紹介した。コウタたちが、ウミトに礼を言うと、ウミト以下、約七万人の小人たちは、号令と共に、またぞろぞろと来た道を引き返し、家具の中へと吸い込まれていった。
あっという間に、家具の出入り口は閉じられ、街はまた、元の静けさを取り戻した。
がらんとした広場には、コウタたち四人とソラトが残された。ソラトは、まだ子どもの小人だ。ウグイス色をした作業着風の服に、まっ青なスカーフを首に巻いている。顔の表情は少ないものの、大人の小人たちよりは、いく分、動きが感じられた。時折、あどけない大きな目をキョロキョロさせて、もの珍しそうに、コウタたちを見上げている。ソラトは、四人に軽くお辞儀をしたが、頭を上げたとたん、翔の顔に釘づけになった。
「おれの顔に何かついている?」
翔は腰をかがめ、わざとソラトの顔を真正面から覗き込んだ。ソラトはちょっと動揺し、止めてくれと言わんばかりに、両手を上げて後ずさりした。
「いいえ、違います。ただ、あなたには、どこかでお会いした気がしたので。でも、ありえませんよね。ここは、地下深い、誰も来ない世界ですから」
「そうだね。ここへは来たくても、誰一人来られないだろうな。あの飾り棚が、上で踏ん張っている限りは」
コウタたちに、どっと笑いがこぼれたが、ソラトは軽く相槌を打っただけで、笑わなかった。
「それでは、第3546条に従って、案内を始めます」
ソラトは、そう言うと歩き始めた。
妙な言葉に、四人とも首をひねったが、不思議な造りの家具を次々目にすると、気にならなくなっていた。それどころか、案内されて五分もたたないうちに、四人はすっかり、この国に夢中になっていた。
「あそこに見えるのが、中央池です。教壇池とも呼ばれていますが、この地底世界で唯一、水の湧き出す場所です」
正八角形の人工池は、大切な水源であると同時に、憩いの場にもなっていた。コウタたちには、小さなプールか、ちょっと大きな水たまり程度にしか思えないが、テニスコート程の広さの池でも、身長が三十センチ足らずの小人たちにとっては、十分大きな池なのだ。
池のまん中にある、小さな島には、ユッカやテーブルヤシの葉が、天井から照らされる人工の光に揺らめいている。ソラトの話では、夜の時間帯が訪れると、この天上の巨大な電球がほとんど消され、文字どおり、夜になるらしい。
一方、地面には土が一切なく、池の周囲は余すところなく、木製の教壇にびっしり囲まれている。池の周囲ばかりではなく、街の隅々までが家具で覆われているため、むき出しの地面は、少しも見当たらなかった。
この国の地面は、すべて、家具や木材で出来ているのだ。土と呼べるものは、植物が生えている狭い部分だけで、それも植木鉢のように、小さく囲われている。森でさえ、小さな箱に植えた低木をいくつも並べて造られていた。
中央池には、玩具にしか見えないボートが、桟橋に繋がれている。池の水はとても透明で、浅そうだ。これなら、ひと泳ぎで島に渡れると、亮平が豪語した。
ところが、水深三千メートルほどまでは測れたものの、それ以上は測る技術がないため、未だに、中央池の深さは不明だと、ソラトは言う。しかも、池の中には、未知の生物が棲んでいるらしい。かつて、水遊びしていた二人の小人が池の中に引きずり込まれ、行方不明になった事件があった。それ以来、池で泳いだり、水遊びするのは禁止されている。
それを聞いた亮平は、それ以上、何も言わなくなった。
「みごとに正確な八角形でしょう?これを作るのに、五年かかりましたよ」
ソラトは得意そうに説明したが、コウタたちは、それほど池に興味を示さなかった。オー君だけが、もの珍しそうに、池の作り方をソラトに尋ねていた。
「そして、あそこに見えるのが、地火山です。あれは、小人族にとって、神聖な山なんです」
ソラトが指さす方向には、非常に鋭い岩山がそびえていた。コウタたちの今いる場所からは、遠く離れているせいか、少し霞んで見える。三合目あたりまでは、岩に家具が組み込まれ、両者が合体している。いや、家具が岩に呑み込まれ、不思議な光景になっている。白い鳥居が目立つ五合目あたりから、勾配が急になり、ほとんど垂直に天井を目ざしてそびえている。
しかし、肝心の頂上付近は、厚い雲に覆われ、コウタたちからはよく見えない。かろうじて、雲間から、赤い火花がちらちらと垣間見えるだけだ。何とも不可思議な景観だ。
すっかり火山に魅せられた四人は、地火山に登ってみたいと、ソラトに申し出た。だが、神聖な山であることを理由に、立ち入りは、きっぱり断られた。
四人はしぶしぶ、火山を諦め、静まり返る街の方へ戻って行った。
「ところで、どうして街には誰もいないんだい?あれだけ大勢いた住人たちは、どこへ消えちゃったの?」と翔。
約七万人の小人たちから四人が歓迎を受けて以来、小人たちの姿はぷっつりと消えていた。
「法律により、外出が禁じられている時間帯なのです。先ほどは、特別でした。あなた方を出迎えるにあたって、第1521条により、特別な外出命令が出されました」
「そうだったのか。よくわからないけど、わざわざ僕たちを、出迎えてくれたんだね」オー君は素直に喜んだ。
「僕たち小人族は、家具の地下を深く掘り広げて、家にしています。ですので、全住人が地下の家で暮らしているのです」
四人全員が驚き、感心した。と同時に、謎が解けて納得した。
街の地下空間は、蟻の巣状になっているらしい。おそらく、表にある街より、とてつもなく深く広いのだ。だから、街に小人が一人もいないのは、不思議でも何でもない。
先ほどから非常に気になっていた疑問を、とうとうコウタは、ソラトに直接ぶつけてみた。
「さっきから君は、第何千何条に従って国を案内するとか、特別に外出命令が出たとか言っているけど、それって、全部法律で決まっているの?」
他の三人も、鋭く反応し、全員の目が、小さなソラトに注がれた。ソラトは、一瞬、引きつり、奇妙な表情をしたが、今までと同様に、すらすらと語り始めた。
「ええ、そうです。ここでは、すべてが、法律で決められています。だから、決められた以外の場所は、案内もできませんし、決められた以外のこともお話できないのです」
「えっ、まさか話す内容も、決められているの?」
亮平が、えらく素っ頓狂な声をあげた。
「そうです。話す内容だけでなく、話し方も、歩き方や休憩の仕方も、法律で決まっているのです」
さすがに、四人は呆れ果てて、言葉が出なくなってしまった。いくらなんでも、これはひどい。話し方や歩き方まで法律で決めるなんて、どうかしている。これでは、いくら街が安全とはいえ、息が詰まってしまうではないか。
そんな四人の無言の反応にも、ソラトは眉一つ動かさず、口を閉じていた。たぶん、この件についても、これ以上は、話せないのだろう。
ややあって、翔が遠慮がちに尋ねた。
「では、これは、聞いてもいいのかな?さっき、ウミト族長は、おれたち四人を、『子ども族』って呼んでいたよね。おれたちは、ここでは、子どもではないの?」
ソラトの口もとが、少しだけ緩んだ。
「それについては、大丈夫、お話できますよ。この地下世界だけでなく、こちら側の世界に入りますと、あなた方は、半人前で未熟な人間と言われている、子どもではなくなります。皆さん方は、つまり、一人前の『子ども族』なのです」
四人は、大いに喜んだ。この世界では、一人前の大人として、認められるのだ。しかも、大人の人間とは違う種族、『子ども族』として。こんな誇らしく、嬉しい体験は、生まれて初めてだ。
四人は、すっかり機嫌が良くなり、引き続き、区分けされた街のあちらこちらや、奥にある森や川を案内され、見て廻った。
ソラトは、案内している時でも、決して無駄話はせず、原稿を読むアナウンサーのごとく、淡々としゃべり続けている。見た目は、コウタたちと、そう変わらないのに、コウタたちよりずっと年上の立ち振る舞いだ。四人が物珍しさにはしゃぎ、騒いでいるのに比べると、えらい違いだ。
ソラトは、四人がふざけて奇声をあげたり、遠慮なく笑ったりする様子を、無表情に眺めていた。結局、コウタたちは、案内中に、ソラトの笑顔を一度も見ることがなかった。
ほぼ半日を費やし、地下国の案内が完了した。途中で、キノコと野菜のスープがふるまわれ、少々窮屈なトイレにも立ち寄った。この国の隅々まで案内され、四人はすっかり満足した。
少々疲れ気味の四人は、最後に『議事堂』へ案内された。議事堂は、街外れに位置する、巨大な箱型の家具で、この街で、中心塔と一、二を争う大きさだ。見かけより、中は更に広く、小人たちに合わせた小さな家具が、きれいに立ち並んでいる。どれも皆、丁寧に磨かれ、テカテカと輝いていた。
だが、いくら広くて大きいとはいえ、コウタたちにとっては、やはり相当手狭で、身をかがめて通る箇所がいくつもあった。
ふと目にした奥の部屋には、長い机の前にいる族長ウミトを始め、いかめしい顔つきの小人たちが、七人、席についている。先ほどウミトの背後にいて耳打ちしていた、目つきの悪い小人たちだ。
これからいったい、何が始まるのだろうかと思っていると、後ろからソラトがそっとささやいた。
「僕たち小人族は、外の世界を知りません。誰一人、一度も、この世界から出た経験がないのです」
ソラトの口調は、相変わらず淡々としていた。それなのに、声が少し震えている。ソラトの切羽詰まった気迫が、否応なしに伝わってくるのだ。コウタは、独りさっと緊張し身構えた。
そんな状況に気づかないオー君が、不思議そうな顔をして尋ねた。
「外に出たいと思わないの?あの長い石段は、嫌になるけれど、あれを登れば、外に出られるじゃないか」
ソラトは、困っているとも、苦しいとも取れる、もどかしい顔になった。それから、頬や口もとの筋肉をピクピクさせながら、答えた。
「外へ出たいという気持ちと、出たら危険だと思う気持ちが、私たちを病気にさせてしまうのです。正反対の気持ちが心の中に起こる時、私たち小人族は、病気になって倒れてしまいます。例えば、誰かが、あなたの右腕を横から引っぱり、別の誰かが、横から左腕を引っぱると、痛いでしょう?それと同じなのです」
コウタたちは、意外な話に驚いた。小人族は、人間とは違う悩みを抱えているのだ。小人族は、人間を縮小しただけの生き物ではなく、中身は、まるで人間と異なっているのかもしれない。しかも、今、ソラトが真剣にこんな話をするのは、隠された理由があるのではないか。コウタは、一抹の不安を抱いた。
「じゃあ、君たちは、一生この地下で暮していくつもりなのかい?」
翔が、信じられないといった素振りをした。
「わかりません。わからないのです」ソラトの顔がひどく辛そうになった。「法律どおりにすると、たぶんそうなるでしょう。法律は、外の世界へ出て行くのを、固く禁じているからです。だけど、皆さんみたいな外の者が、ここへやって来るのは、禁じられていません。いいえ、勝手にやって来るので禁じようがないのです。客人は滅多に来ませんが。外界とを繋ぐ石段を封鎖してしまうと、この世界が窒息してしまうので、塞ぐことはできないのです。そして今日、あなた方がここへやって来ました。外の世界が、一歩、ここへ入り込んできたのです。これが何を意味しているのか―」
ふと、ソラトはびくっと肩を震わせ、話を止めると顔を上げた。
「そろそろ時間です。私は、街の案内だけしか、許されていないので、ここまでです。さあ、奥の部屋へどうぞ。族長たちが待っています。くれぐれも、十分お気をつけ下さい」
気をつけろだって?コウタはわけがわからず、戸惑い、顔をしかめた。聞き返そうと思ったが、ソラトは、これ以上は一言もしゃべれないといった風に、口をぎゅっと一文字に結んでいた。
奥の部屋から、ウミトがソラトに合図を送った様子だ。四人はソラトに促され、いく度となく身をかがめながら、彼らのいる奥の部屋に通された。
コウタたちは、長い机の前に用意された、木のイスに座るよう勧められた。それは、コウタたちが普通に座れるほど大きなイスで、四人が国を案内されている間に、急ごしらえされた様子だ。ちょうど四つ並んでいる。粗削りのイスなので、座り心地は良くないが、四人は言われるまま、そこに座った。
机を挟んだ、ま向かいには、例の七人の小人が座っていた。どの小人も、シワの数が半端ではないため、相当の年寄りであると、四人は推測した。年寄り過ぎて、ある種、骨董品に似た風格すら感じられる。
その七人の小人は、コウタたちをじろじろと見廻していた。あからさまに、値踏みをしている。疑い深い、好奇の眼差しをしつこく向けられたコウタたちは、だんだん不愉快な気分になってきた。そこへ、頃よく、議長席についた族長ウミトが、小さな咳払いをした。
「見学はいかがでしたか?この国は、だだっ広いとは言えないまでも、池や森、山など、必要なものは皆そろっています。ここを、お気に召されましたか?」
「ええ、本当にきれいな国ですね。ゴミ一つ、落ちていないのには、驚きました。隅々まで、磨かれ、手が行き届いて、僕の家とは大違いです」
コウタのほめ言葉に、人相の悪い七人の小人は満足そうにうなずいた。それから、チラリとウミトの方を見た。ウミトはそれを受け、変な咳払いをすると、急に真面目な顔つきに変わった。
「さて、この国には、人々が平和に暮していくためのルールがあります。皆さん方も見学され、納得されたことでしょう。美しく秩序ある国を保つには、ルール、つまり法律が必要なのです。法律なしには、この国の平和は維持できませんからね。外から来た皆さんにも、この法律を守って頂く必要があります。この国に、一歩足を踏み入れた時から、あなた方は、この国の住民になったのですから」
一瞬の、気まずい沈黙の後、コウタが、さも落ち着いてるふりをして言った。
「あの、僕たちはマンジを探しに来た外の者なので、この国の住民ではありません。マンジがないのでしたら、すぐに上へ戻らなくてはなりません」
しかしウミトは、表情も変えず、強引に言葉を続けた。
「ええ、それは、もちろんわかっていますとも。ですが、この国に入ったからには、当然、この国のルールに従うのが常識でしょう。いくら短い滞在とはいえ、長年続いたこの国の平和を乱していいわけがありませんからね。この国に入ったら、それなりのルールが、そして、出て行く場合も、それなりのルールが必要です」
「出て行くルールだって?つまり、一度ここに入ったら、二度と出られない場合もあるって言いたいの?」
翔が、ウミトをにらみつけながら、少々乱暴に言った。コウタは、飾り棚が歌っていた、とおりゃんせの歌の文句を思い出し、ぞっとした。
ウミトは余裕の笑みを浮かべた。
「いいえ、そんな、滅相もない。外から来たお客さまに対して、失礼極まるようなまねは致しませんよ。ただ法律に従って、街を出ればいいだけです」
親切そうに笑いかけるウミトに、四人は、すっかり押し黙ってしまった。完全に雲行きが怪しい。四人は、いまや、不吉な予感で一杯だった。
「という事で、これからその法律を、皆さんに学んでもらいます。しっかり、法律を覚えてくださいね。そうでないと、『法律を覚えない罪』になります。紹介するのが遅れてしまいましたが、目の前にいらっしゃるのは、この国の最高顧問を務め、法律の専門家でもある、元老院の方々です」
七人の小人たちが不気味な笑みを浮かべた。ウミトは一呼吸おいて、話を続けた。
「誉れ高い元老院は、法律がきちんと守られているかどうかの監視役であり、法律をしっかり覚えたかどうかの試験も取り行います。試験に合格できない未熟な者を、この平和な国の街中を、うろうろさせるわけにはいきませんからね。では、早速ですが、始めましょう」
まだ、呆然としている四人の前には、辞典ほどもある、ぶ厚い本が一冊ずつ配られた。ごてごてした表紙には、『小人族憲法及び未来永劫まで平和に暮すための最高法律大成』と、まっ赤な文字が誇らしげに輝いている。本をパラパラとめくってみると、これまた、とんでもなく細かい文字がびっしりと、ページを埋め尽くしていた。
「まさか、おれたちに、これを全部読めなんて、言わないよな」
亮平がそっと、コウタに耳打ちした。すると、向かいに座っている、元老院の小人がそれを聞きつけ、ぎょろりとした目を亮平に向けた。
「いや、違う。読むのではなく、全部覚えるのだ」
右肩だけが変に下がり、いびつな顔の小人が、冷たく言い放った。
「こんなぶ厚い本を、丸々覚えろって言うの?そんなの、無理に決まっているじゃないか」
早くも亮平がイスから立ち上がり、大声を張り上げた。
元老院の小人たちは、そろって、元からのしかめ面を、更に醜く歪ませた。気分が悪くなるほど不快な顔だ。目を反らそうにも、真正面なので、嫌でも目に入ってしまう。
そのやり取りを見ていたウミトは、慌てて、付け加えた。
「全部覚えないと、牢屋に入ってもらいます。そういう決まりですからね。それに、元老院に暴言を吐いたら、侮辱罪でやはり牢屋入りです。この国の住人は、皆、全部暗記していますよ。この国の小さな住人たちでさえ、暗記できたのですから、あなた方、立派な子ども族にとっては、そう難しくはないはずです」
牢屋に入れると脅かされた四人は、さすがに動揺した。マンジを探しに来ただけなのに、まさかこんな目に遭うとは、考えてもみなかった。まるで、罠にはめられた気分だ。
亮平は、力なくイスに腰を落とし、か細い声でぼそぼそと呟いた。
「だって、一ページに、法律が何十も書かれているよ。こんな細かい法律をいちいち暗記していたら、せっかく覚えた理科や社会や、算数の公式を忘れちゃうよ。友だちの名前だって、忘れるかもしれない」
すると、元老院の小人が目をむいた。
「理科や社会?そんなものが役立つと、本気で思っているのか?理科つまり科学は、他国と戦争するための武器や道具を作ったり、自然を汚す物を作ったりするばかりではないか。平和に役立つものを作ろうともしない。社会だって、差別も貧富の差もない公平な世界を目標に掲げておきながら、その裏では、どうやったら自分たちが金儲けできるかしか考えていない。くだらない、実にくだらない。もっと意味あることに、時間も労力も使うべきだろう。そこへいくと、我らの法律は完璧そのものだ」
コウタは、言い返しても仕方ない会話に参加するのを諦め、手元の法律集をパラパラとめくってみた。中は、こんな風に書かれている。
第1条 ここに記載した法律は、絶対に守らなければならない。この法律を犯す者は、誰であろうと厳しく処罰される。
2項 この国に住む全住民は、種族を問わず、この法律をすべて暗記しなくてはならない。この国に住む住民とは、地上から続く石段の一番下から先に、足を踏み入れた者とする。暗記が完全かどうかは、7名の元老院によって、審査が行われる。審査については、第921条を参照。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第21条 外から来た者がこの国を退出するには、元老議会の承諾が必要となる。そのためには、まず、5年間もめ事を起こさず、法律に従ってこの国で平和に暮すこと。法律違反が1件でもあれば、1件につき2年間、滞在を延長する。それをやり遂げたら、元老議員3名以上の推薦により、元老議会に申請できる。審査は、元老議会により、行われる。
次の条項に、コウタは思わず目を疑った。
第8543条 歩き方について。街の通りを歩く時の歩幅は、1歩あたり3センチ以上7センチメートル以内とする。号令がある時以外、走ってはいけない。ただし、ゆっくり過ぎるのもよくない。1秒間に、1歩の割合で、歩くこと。また、つま先立ち、スキップ、横歩き、後ろ向き歩行、話しながらの歩行はもってのほか。固く禁じる。
2項 角を曲がる際は、衝突に十分気をつけること。曲がる前に、必ず5秒以上停止し、前後左右を振り返って、他に人がいないかどうかを確かめる。問題なければ、さらに3秒間待ってから、角を曲がる。もしも、角の向こうから誰かがやって来るのがわかったら、右手を右前に突き出し、そちら側に体を移動させ、衝突を防止する。
3項 2人以上で、一緒に歩く場合は、……
あとはもう、読むのも、バカバカしい内容だ。
しばらくすると、またしても耐え切れなくなった亮平が、鼻息荒く、乱暴にページをめくり、ついに立ち上がった。しかし、牢屋入りはさすがに怖いのか、亮平は、わざとコウタたちの方に向かって言った。
「ねえ、これ見てよ。『家から出る時は、まずドアを3センチメートルだけ開けて、5秒間様子を見て、大丈夫なら45度の角度まで、ドアを開ける。5秒間、更に様子をうかがい、安全を確認したら、ゆっくり7秒かけて、ドアを開き切る』んだってさ」
すぐにウミトが呆れ顔で、たしなめた。
「さあさあ、くだらないおしゃべりは止めて、暗記に集中して下さい。ちなみに、暗記中にむだ話をすると、これも法律に引っかかります。罰として、広場を十日間、掃除してもらいます。それに、しゃべっている暇なんて、ないはずですよ。三時間後に、一回目の試験があります。第300条までをきちんと覚えたかどうか、元老議員の方々が、あなた方のために、わざわざ試験を行って下さいます」
それを聞いた亮平は、目に絶望の色を浮かべ、崩れるように、イスに座り込んだ。
机の向こう側では、目つきの悪い小人たちが、ふんぞり返り、鼻で笑っている。
「君たち、外の世界の者が、どれほど優秀なのか、ぜひ拝見したいものだね」
ウミトやソラトや、先ほど広場に集合した小人たちは、気難しい顔はしているものの、根は素朴で正直で、真面目だ。だけど、この目の前にいる小人たちは、そうではない。異常なほど頑固な上、底意地の悪さは、ずば抜けている。上の家具屋にいる飾り棚も相当ひどいが、それに輪をかけてひどい連中だ。
コウタたちは、どうにかして自分を抑え込んでいたものの、内心、はらわたが煮えくり返り、苛立ちは最高点に達していた。
「三時間後が楽しみだ。試験に合格できなければ、大ダンスの牢屋に入って、何としてでも法律を覚えてもらう。もちろん、全部覚えるまで、街には出すつもりはないよ。法律を知らない者は、いつ何時、街の平和を乱すか、わからないからね。長年平和だった、この街は、こうして守られてきたのだ。まあ、せいぜい頑張りたまえ。期待はしていないがね」
別の小人が憎々しげに、ほくそ笑む。
コウタは、怒りがどんどん込み上げてきた。こんなものは、本当の平和なんかじゃない。法律で人々を縛り、自由を奪った結果、何もできなくなっただけだ。
これでは、感情が押し潰され、ロボットになってしまう。だから小人たちは、みんな、表情の乏しい、死人みたいな顔をしているのだ。そんな単純明快なことに、どうして、この国の人々は気づかないのだろう。コウタはやりきれなさと同情と腹立たしさで、胸の中があふれんばかりになった。
こうなったら、強行突破するしかないとも考えた。四人全員で大暴れして、力づくでここを抜け出し、そのまま勢いで街を脱出するのはどうだろうか。
しかし、先ほどちらりと見えたが、部屋の外には、大きな手錠が用意されている。このイス同様、コウタたちの大きさに合わせて、特別に作ったものだろう。
第一、突破しようにも、狭い通路を抜け出すのは、一苦労だ。おまけに、この巨大な洋服ダンスの外には、大勢の小人たちが待機している気配も感じられる。コウタたちが、逃げ出せば、七万人もの小人たちが、命令により、いっせいに襲いかかってくるだろう。
いくらコウタたちが、小人より、四、五倍大きくても、七万人の小人たちには、到底かなわない。あのガリバーだって、小人たちには、かなわなかったではないか。
四人全員が、小人たちに立ち向かえるかどうかも、大いに怪しい。牢屋に入れると脅された亮平は、すっかりうろたえているし、翔は無言のまま、じっと考え込み、ピクリとも動かない。
オー君は、なんとオー君だけは、まるで平気な顔をして、法律集を真剣に読み進めている。さすがのコウタも、これには、度肝を抜かれた。
意地の悪い小人たちは、皮肉っぽい眼差しで、向かい側から四人をじろじろ眺め、時折、隣の小人とひそひそと、ささやき合っている。
ウミトは、もう何も言わなかった。おそらく、発言する権限がないのだろう。この国は、あの意地の悪い元老院たちに、すっかり牛耳られているのだから。
コウタは、途方に暮れた。このままでは、マンジを見つけるどころか、いつになったら銀河原に旅立てるのか、想像もつかなかった。いや、この分では、銀河原どころか、永久に元の世界へは帰れないかもしれない。やはり強行突破するしか、道はないのだろうか。
すると次の瞬間、ずっと沈黙を守っていた翔が、突然イスから立ち上がった。まったく表情のない、仮面みたいな顔で、正面の小人たちに向かって叫んだ。
「止めた。おれは、こんなバカげたことは、やらない」
翔は、わざと大きな音をたてて、ぶ厚い本を閉じた。風圧で、向かいの小人たちがつけていた、紫色のスカーフが大きく揺らいだ。