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第5章 放り出された4人

 コウタは、ぞっとして鳥肌が立った。

 …冬将軍は、決して許さない…

 あの、吊り上がった目のノミネコは、確かにそう言った。コウタもしっかり、そう聞いた。だが、冬将軍とはいったい何者で、誰を許さないと言うのか。コウタには、まるで見当がつかなかった。それでも、言い知れぬ不安と不吉な予感が、まっ黒なタールのように、コウタの心にこびりついた。

 コウタは、前を行く三人に、否応なしに体を引っ張られていった。

 他の三人は、ただ前進するばかりで、自分たちの後方で起こっていたドタバタ劇に、まるで気づいていない。それどころか、すっかり浮かれて、テラスの客たちに、大きく手を振って、愛嬌まで振りまいているではないか。客たちの方は、見慣れた光景なのか、エメラルド色の炎に包まれた四人には、別段驚きもせず、適当に手を振り返して見送っていた。

 こんな調子なので、たとえノミネコの声が聞こえていたとしても、三人は気にも留めなかっただろう。この浮かれた気分の中では、何を言われても、空言としか思えないからだ。コウタ独りが、悶々としながら走り続けていた。

 そんなコウタも、けやき通りに出たとたん、気分は一転した。大きく変わった外の雰囲気に、不吉なモヤモヤは一気に消え失せてしまった。

 あれほど寒く虚しかったけやき通りは、いつの間にか、生き生きとしている。今にも動き出したいのを、必死でこらえている。そんな気配に満ちているのだ。見た目が変わったわけではないのに、何かが格段に違っている。

 何かが新しく生まれる時は、きっとこんな感じなのだろう。神妙な夜の静けさが、生き生きとした生命の息吹をはらむのだ。

 新鮮な風がさっと吹き抜け、コウタの胸は高鳴った。美しいエメラルド色の炎は、今や、背丈の二倍ほどの高さまで大きく燃え盛り、四人を丸ごと包み込んでいる。

 それに呼応するかのように、通りの中央部分が、黄金色にぼんやりと輝き始めた。ピカピカに磨かれた路面が、真下から黄金光に照りつけられている。

 上からは、街灯のオレンジ色が差し込み、下からの黄金色と絶妙に混ざり合い、通りは、夢のような色合いに染まっていった。下からの黄金光は次第に強くなり、心臓の鼓動のように、ゆっくりと脈打ち始めた。

 街灯のオレンジ光は、自分自身を喜んで手渡すように、ついに黄金光に呑み込まれていった。通りの景色もそれに合わせ、ゆったりした光で脈動し始めた。

 黄金色の光は、次第に強烈なまばゆい光となり、その鼓動がどんどん早くなっていく。しまいには、向かいの公園にそびえるヒマラヤ杉たちにも光が映し出され、あたりは黄金色の壮大な風景画と化していた。

 四人は、固唾を飲んで成り行きを見守った。

「そら、来るぞ!」

 四人は、抑えきれない興奮を胸に、舗道に踊り出て、黄金の川が地上に浮き上がってくるのを、今か今かと待っていた。いや、おとなしく待ち切れず、路面すれすれに顔を近づけては、地下を覗き込んだ。今にも通りの道路に、飛び込みそうな勢いだ。ほんの少しも待てないくらい、四人の心はどうしようもなく大騒ぎになっていたのだ。

 公園の真ん中にある時計が十二時を指し、鐘が鳴った。ちょっと前までは、時計の針は十一時半を指していたはずだ。それが、黄金色の光が時計に映りこむと、突然下から上に、時計の針がピンと跳ね上がり、十二時に変わった。

 そのとたん、地下にあった黄金の川の帯は、身をくねらせながら、地上に大きくせり上がり、道路を軽く超えて空中に躍り出た。目を覆うほど眩しい輝きだ。

 それはまるで、空中を舞う巨大な金龍のようでもあった。光の帯は、大胆に身をくねらせながら、ビル程の高さに浮かび上がると、エメラルドの炎に包まれた四人を、文字通り、あっという間に上から覆いかぶさり、呑み込んだ。

 四人は、驚いたり感動したりする間もなく、気づいた時には、もう、砂金川のまっただ中にいた。

 光、光、黄金の光。砂金川の中は、細かい光の粒が氾濫し、すべてが美しく、軽かった。地下とは思えないほど、明るく透明な空間が果てしなく広がっている。

 コウタたちの体を包むエメラルドの炎と黄金の光が、微妙な色合いで溶け合っている。体は、とてつもなく軽く、宙に浮いている感覚だった。もし、誰かが、世に言う天国とはここのことだと言えば、そこにいる全員が信じるだろう。それくらい、一片の曇りもない輝かしい世界だった。

 翔は、いつになくはしゃぎ、亮平もバカみたいに泳ぎ廻っている。オー君は、興奮気味に、あたりを観察していた。コウタも、すっかり夢中で、手当たり次第に、そこらにあるものを触ってみた。

 砂金川の底は、鈍い色合いで輝く、ごつごつした金塊と、深紅色のサンゴで出来ている。そこに、四角い結晶が重なり合う黄鉄鉱の塊や、紫水晶の尖った小山が、ところどころに顔を覗かせている。その間を、鮮やかなバラやチューリップやユリの花が咲き乱れ、潮の流れにユラユラ揺れている。が、よく見るとそれらは、花にそっくりなイソギンチャクだった。

 その隙間を、琥珀(こはく)でできたカニが歩き廻り、マシュマロみたいな貝をハサミでつかんでいる。水晶でできた透明なウミガメが、花々の間を優雅に泳ぎ回っていた。金塊の裏側では、黒い煙のような海草が、ゆらゆらと、垂直に揺れている。

「ねえ、オー君は、ススキが原で叶えたい願いを考えた?」

 コウタは、金塊に付着した貝を触りながら、隣にいたオー君に聞いた。

 オー君は、水晶でできたウミガメの甲羅につかまりながら、困ったように答えた。

「うん、考えてはいるけれど、いろいろあり過ぎて、まだ考えがまとまらないんだ。それに、ここにこうしているだけで、もう十分、願いが叶ったような気分だよ」そう言って、オー君は笑った。

 すると、向こうから魚の群れがやって来た。大小、さまざまな魚が一つの群れになっているが、その目には、色とりどりの宝石がはめ込まれている。魚の鱗も鮮やかだが、その目が、とりわけ美しかった。亮平は、魚たちと一緒に泳ごうと、懸命に見えない水をかいて、後を追いかけていった。

 そのうち、後方からどっと強い流れがやって来た。四人は、笑いながら、魚たちと共に、先へと押し流された。

「時にはこうやって流されるのも、悪くないな」

 亮平がへらへらと笑ったまま、だらしない格好で流されている。その際、金塊に生えていた黒い海草を、偶然、右手でつかんだ。

「うわっ、ぬるっとして気持ち悪い。これだけ本物の海草なのかな」

「それ、支配人が気をつけろと言っていた、プルトニウム昆布じゃないかな。食べたら死ぬらしいよ」

 水晶のウミガメにつかまりながら泳ぐオー君が、上方から声をかけた。

 亮平は悲鳴を上げて、その奇妙な海草を振り払った。海草は、しばらくの間、水中に漂っていたが、いつしか煙のように溶けてなくなった。

 四人は大きな亀やたくさんの魚たちと共に、そのまま流れに身を任せた。流れは、緩やかではあるが、少しずつ、上の方へ向っていた。それに伴い、体も、少しずつ軽くなっている。

 ところが、オー君が次第にそわそわして、自分の喉もとを手で押さえた。

「なんだか、息苦しい…」

 見ると、オー君を包んでいたエメラルド色の炎は、勢いがなく、色もくすんでいる。どうしたんだろうと思ったとたん、コウタは、自分も息苦しさを感じて、オー君と同じように、手で喉を押さえた。亮平と翔がそれに続き、四人全員が、苦しそうにもがきだした。

 四人とも、エメラルド色の炎が消えかかっていた。きれいだったエメラルド色の炎は、今や煙に近い、くすんだ緑色になり、体の表面にぼんやり漂うだけだった。

 苦しさに耐えられなくなった四人は、もがきながら、あるだろう水面に向かって浮上した。砂金川の水面を見た記憶はなかったが、四人は本能で、上へと向かって行ったのだ。

 幸い、すぐ上方に水面らしきものが見えてきた。それは鏡のような金色の面で、揺らめきながら、向こう側の風景を歪んで映し出している。

 四人は必死の思いで手を伸ばしたが、そこにあるはずの水面は、どこにもない。頭をぐいと突き出そうとしても、砂金川の中からは、出られない。

 そんなバカな。四人は焦った。バタバタと手足を動かしながら、必死で金色の水面から顔を突き出そうとするが、そのたびに水面は見えなくなり、空しい焦りだけが後に残った。

 よく見ると水面は、飴のようにいくらでも自由に伸びて、上へ突き出した四人の頭を、たちまち包み込んでいた。これでは、どうあがいても、水面から顔を出すことができない。四人は恐怖のあまり、水中で暴れ出した。

 コウタも、頭の中がまっ白になった。このままでは、全員溺れ死んでしまう。いったい、どうしたらいいんだろう。魚たちが、遠まきに四人をじっと見ている。このままここで死んだら、自分たちも宝石の目を持つ魚になるのだろうか。それとも、砂金川の底に沈んで、金塊になるのだろうか。

 なすすべもなく、コウタの意識は、しだいに遠のいていった。

(…マンジを開けるんだ…)

 その声を思い出し、コウタははっとした。水曜亭を出るとき、最後に聞こえてきた言葉だ。

 コウタは、とっさに下方を見廻し、夢中でマンジの記号を探した。すると、すぐ下の金塊に、小さなマンジの記号が刻まれているではないか。

 コウタは、すぐさま下へ潜り込み、マンジに手のひらを当ててみた。すると、しっかりとした感触があったので、ぐいとつかんだ。そのまま、マンジを曲がった鉤の方向、つまり右へと廻してみた。そうした理由は、自分でもわからない。とにかく、そうしてみたのだ。固い金属の手ごたえがあったので、コウタは右へ半周ほどマンジを廻した。すると、マンジはカチッと音をたてて、止まった。

 そのとたん、頭上に広がる金色の水面に、一筋の長い割れ目が走った。そこがパックリ縦長に裂けて、黒々とした外の世界が顔を覗かせた。

 コウタは必死で手を振り、もがいている三人に知らせた。四人は、こぞって水面の割れ目から顔を突き出すと、大きく息を吸い込んだ。

 ほっとしたのも束の間、今度は、いきなり目には見えない強い力で体をつかまれると、粗大ゴミのように、四人は、次々と外へ投げ飛ばされた。

 外は暗く、地面は固かった。投げ出されたのは、どこかの通りの片隅だ。だが、あまりに暗くてよくわからない。先ほどまでいた、けやき通りではない。これだけは、確かだ。

 突然放り出された四人が、ぼう然としていると、砂金流はいったん空中高くうねり、まるで、上から四人に別れを告げるように一旦静止した。その後、勢いよく、地下深くに潜っていった。

 四人は、自分を落ち着かせながら、恐々と地下を覗き込んだ。わずかな金色の煌めきを残し、砂金流は、地下深くに完全に姿を消してしまった。エメラルド色の炎は、四人とも、もはやすっかり消えている。

「危うく死ぬところだった」亮平がむせ込みながら、大げさに手を振った。「どこが、安全な旅なんだよ、まったく」

「まいったな。これじゃあ、もう戻れそうにないや。支配人たちは、流れに乗るだけで銀河原に行けるって言っていたのに、おれたち、どこをどう、間違えたんだろう」

 翔は、手で頭をさすりながら、ぶつぶつ言った。通りに放り出された時に、ぶつけたらしい。

「エメラルドの炎が消えているから、やっぱりヒスイ餅が足りなかったのかなあ」とコウタ。

「支配人たちが、そんなヘマをやるとは思えないけど」オー君は意外と冷静だ。顎に手を当てて考え込んでいる。

 四人は無言のまま立ち上がって、周囲を見渡したが、そこは知らない一本道の通りだった。薄暗い街灯が一つだけ、頼りなげな光を頭上で放っている。商店街ではあるが、どの店のシャッターも固く閉じられ、まっ暗で物音一つ聞こえない。通りの先も、反対側も、その奥は、同じようにまっ暗で何も見えない。

 一時、沈黙が続いた。

「コウタ」翔が一番先に沈黙を破った。「さっき君が、水面を割ってくれたけど、どうやったんだい?」

 コウタは、水曜亭の厨房から出る時に起こっていた騒動から、みんなに話して聞かせた。やはり、列の最後にいたコウタ以外、誰もあの騒ぎに気づいていなかった。三人は目を丸くして、コウタの話を真剣に聞き入った。しかし、最後にノミネコが言った、冬将軍の話だけは、あまり本気にしていない。

「ノミネコの奴は、おれたちを怖がらせたかっただけだろう?」

「そうに決まっている。自分が銀河原に行けないものだから、悔しいのさ」

 まだ妙に引っかかるものがあったが、しまいにはコウタも、そうかもしれないと考えるようになった。あの陰険な性格なら、嫌味の一つも吐くだろう。他の三人がそう感じているのだから、きっとそうに違いない。

 コウタが一通り話し終えると、まだ興奮冷めやらない翔が話をまとめた。

「つまり、支配人たちの叫び声を繋げてみると、こうなるわけだ。『異界のせいで、おまえたちは砂金流に溶け込めないから、危険だ』とね。で、『マンジを開けろ』とは、今回みたいに、困った時には、マンジの記号を探して手で開ければ、どうにかなる。こんな感じかな」

「たぶん、そんなところだろうな。冬将軍の件はわからないけど」

 コウタは首を縦に振ってみせた。自信を持った翔は、更に得々と語った。

「異界のせいが、どういう意味なのかわからない。とにかく、そのせいで、せっかく食べたヒスイ餅も、おれたちには、効かなかったんだ。コウタが、マンジの記号を見つけたおかげで、砂金川から出られたものの、下手すると、おれたち全員死んでいたかもしれないな」

「思い出してもぞっとする」亮平は自分の喉を手で押さえた。「でも、あんな苦しい目に遭ったおかげで、おれたちは一気に銀河原に到着したのかな?」

 一瞬だけ、コウタやオー君の目にも希望が輝いた。しかし、翔は両手を腰に当てて憤然と言った。

「おい、ここが銀河原だって?みんな、本気でそう思っているの?」

 翔の皮肉交じりの一言で、三人はすっかり押し黙ってしまった。こういう時の翔は、コウタたちと同学年とは思えないほど、大人びている。

 気がつくと、あたりは先ほどより暗くなっている。そして、話し声さえ、すぐさま空中に消えるほど、静まり返っている。おまけに、少し肌寒い。

「期待を裏切るようで悪いけれど、おれにはとてもそう思えない。周りをよく見ろよ。支配人が語っていた銀河原とは、えらい違いじゃないか。それに、クラスメートどころか、誰一人いやしない」

 誰も翔に反対はしなかった。翔の考えが正しいと、よくわかっていたからだ。

「だったら、ここは、いったいどこなんだよ?」

 すっかり気落ちした亮平が、投げやりに叫んだ。亮平の叫びは、通りに反響もせず、たちまち暗闇に、気味悪く吸い込まれていった。

 四人は改めて、シャッターの閉まった商店街を見渡した。やはり、心あたりのない、寂しい街並みだ。通りの両端は、相変わらずまっ暗で、どちらの先も見えない。まるで、両端をぷっつり切り取られた、吊り橋の上にいる気分だ。

「マンジを開けろ、についてなんだけど」コウタが再び話を切り出した。

「ここがどこかはともかく、マンジを一つ開けると、別の世界に抜けられるんじゃないかな。さっきだって、砂金流の中から、まったく違うこの世界に飛び出せたし、マンジが鍵になっているんだよ。だとすると、マンジを見つけて開けながら、次々世界を渡り歩いていけば、そのうち銀河原にたどり着けるんじゃないかな」

 やっと見えてきた一筋の光に、三人の顔は輝いた。

「なるほどね。それなら、マンジを見つければいいだけだ」亮平は自分でそう言って、自分で納得した。「楽勝、楽勝」

「だとしても、ここで次のマンジを見つけるのは、簡単じゃなさそうだよ」オー君がげっそりした顔でつぶやいた。「こんなところに投げ出されたんじゃ、探し出すのに苦労しそうだ。暗すぎて、よく見えないし」

「そうでもないさ」亮平が意味ありげに、にやりとした。「ほら、後ろを見てみろよ、後ろを」

 振り向いた三人のちょうどま後ろには、たった一軒だけ、薄明かりのもれている店があった。先ほどまでは、そんな薄明かりはなかったのに、どういうわけか、今はぼんやりとした明かりが、店の奥から通りにもれ出ている。足もとを照らす程度の弱々しい光だったが、それでも、四人にとっては救いの神だった。

「誰かいるんだ!」

 四人はとたんに元気になり、パジャマについた土埃を軽く払うと、舗道から店の中を覗き込んだ。

 その店は、古めかしい家具屋だった。暗い店先には、およそ売れるのだろうかと思われる、古い家具がびっしり並んでいる。ひと気のない店内には、黒々とした巨大な洋服ダンスの列をはじめ、その間に踏ん張っている、いかめしい食器棚の一群、カビが生えていそうなヒノキのタンスや桐のタンス、何段も積み上げられた、ちゃぶ台やコタツが、ひしめきあっている。その隙間に、二本の狭い通路が、細々と奥へと続いていた。明かりは、その通路のずっと奥から届いている。

「人の気配はなさそう」オー君は、パジャマの袖でメガネをさっと磨くと、かけ直して店の奥をよく見ようとした。

「とにかく奥へ行ってみるか。ここにいたって、しょうがないし」と、翔。

 翔を先頭にして、四人は、やっと人が一人通れる細い通路を、奥へと進んだ。両脇にそびえ立つ家具の壁は、高い天井まで届き、コウタたちを高慢に見下ろし、押し潰しそうな勢いで迫っている。

 二十メートルほど進むと、少し広い部屋が現れた。家具が雑然と並べられているものの、通路よりはずっと明るく、天井は吹き抜けて、広々としている。小さな窓が一つ、天井近くにあるが、塞がれているのか、外からの明りは入ってこない。古い蛍光灯が震えるように、天井に張りついている。店の表から見えた明かりは、この頼りなげな、青白い光を放っている蛍光灯だった。

 使い古された皮製のソファとガラスのテーブルが部屋の中心に置かれ、壁際には、塗装の剥がれた事務机が二つばかり並んでいる。後は、埃を被った古い家具たちが無造作に積み上げられ、奥の壁を塞いでいるだけだった。

 蛍光灯がついているのだから、誰かはいるはずだ。と四人は確信していたが、一向に人の気配はしない。

「あの、誰かいませんか?いませんよね」

 亮平はそう言うが早いか、居心地よさそうなソファにどかっと、身を投げ出した。一瞬、埃が宙を舞った。亮平はそのままふざけて、両足を小さなガラスのテーブルに乗せた。

「何か、用かね」

 突然の声に、亮平がソファから飛び上がった。コウタたちもぎょっとして、周囲を注意深く見廻した。

 いや、どこから声が聞こえてきたのかは、よくわかっている。古い事務机がしゃべったのだ。四人にはそうとしか思えなかった。

 四人は穴の開くほど事務机を見つめたが、疑問は解決されない。事務机には誰もおらず、誰かが近くに隠れるのすら難しい。

 四人の視線は、事務机から離れると、しばらくの間、宙をさまよった。

「それとも君たちは、お客なのかね?」

 今度は、飾り棚がしゃべった。四人はそう思った。

 事務机の向こう側にある青い飾り棚から、確かに、声は聞こえてきた。青い飾り棚は、あちこちが擦り切れ、塗装はかなり剥げ落ちている。だいぶくたびれた家具ではあったが、唐草模様の透かしで縁取られており、昔は、高価な家具だったに違いない。わずかに、上品な面影が残っている。その飾り棚に、マイクやカメラが仕込まれているのかと疑い、四人は無言のまま、飾り棚の方へ近づいていった。

 だが、やはりそれらしいものは見つけられず、四人は更に困惑した。

 コウタは、戸惑いながらも、飾り棚に話しかけた。

「あの、僕たちは、マンジを探しているんです。お寺を表す、鉤十字形の記号ですが、ここに、ありますか?」

 飾り棚を相手にしゃべりかけるのは、妙な気分だ。

「マンジか。あるとすれば、おそらく下だろう」

 声の主は姿を現さないまま、青い飾り棚から返答した。真面目でしっかりとした男の声だ。

「下、ですか?」

 四人はほぼ同時に、歯切れの悪い声を張り上げた。

「ああ、この地下には、大変な知恵者たちが住んでいて、いろんな宝を溜め込んでいる。あの者たちなら、確実に知っているだろう。ただし、ここを通過するには、切符が必要だ」

 ここにマンジはなさそうだし、下へ行ってみるしかないだろう。四人は互いに顔を見合わせて、無言のうちに決定した。

 切符とは、水曜亭でもらった、あの、変な切符に違いない。本物だとは思っていなかったが、ここで使えるのなら、やはり本物の切符に違いない。切符をもらっておいて良かったと、四人は改めて思った。

 四人は誰からともなく、パジャマのポケットから、切符をごそごそと取り出した。

「よろしい。切符を持っているのなら、君たちは一応、客人だ。切符は、一人につき一枚。そこの、しゃれた水色の引き出しに、入れておくれ」

 飾り棚の引き出しが、ギシギシとぎこちない音をたてて勝手に開いた。引き出しが開く時の振動で、戸棚のガラスはブルブル震え、上の方から埃が落ちてきた。

 四人は、いぶかし気に飾り棚を見つめながら、黄色い切符を一枚だけ切り離すと、言われたとおり、水色の引き出しに入れた。切符が四枚入ると、引き出しは、またギシギシと音をたてて戻っていった。引き出しが完全に閉まると同時に、変な咳払いが一つ、聞こえてきた。

「よろしい。非常に、よろしい。切符は確かに、四枚ある。だが、おや?」

 引き出しがまた勝手に飛び出してきた。中には、さっきコウタたちが入れた切符があるが、黄色かった切符は、色あせた薄茶色になっている。しかし、その中の一枚だけは、まばゆい金色に輝いていた。声の主は、大げさと思えるくらい、深刻そうにうなった。

「どうやら君たちの中には、特別な客人がいるようだ。特別客がここに来るのは、何十年ぶりだろう。いやはや、これは大変珍しい。大いに歓迎されるだろうよ、ここ以外では」突然、声の調子が大きく変わった。「残念だが、ここで黄金切符は使えない。あまりに眩しすぎて、古い家具では扱い切れないのでね。下手をすると、この家具屋全体が燃えちまう。よって、ここで使える切符は三人分で、残りの一人は、ここを通れないことになる」

 話が終わる頃には、ただの意地悪で嫌味な声になっていた。飾り棚は、簡単に、ここを通さないぞと言わんばかりだ。

 腹を立てた翔が、すぐさま飾り棚に詰め寄り、大声で怒鳴った。

「おい、ふざけんじゃないぞ。特別客がなんだって?そいつの切符が使えないんなら、他の誰かが、もう一枚出せばいいだけじゃないか」

 こんな時、大人顔負けの翔は、大いに役に立つ。翔の迫力に、飾り棚は、早くもうろたえ出した。

「まあ、待て、はやまるな。ここを通さないとは、言っていないだろう?三人分の切符で、四人が通ればいいだけだ」飾り棚の口調は、気味悪いほど優しく滑らかになった。

「上から、子どもは全員通すように、きつく言われている。だから、君たち四人は、いずれにしても全員、通すつもりでいる。だが」またしても、声音が変わった。「それではきちんと切符を払った、他のお客様に不公平だろう?私は、ここの管理を任されている役人の一人として、すべての者に公平でなければならない。つまり、君たちだけを、特別扱いするわけにはいかないのだ。そこでだ。非常に残念ながら、サービスの質を少々落とさせてもらう。四人で三人分のサービスだ。そうすれば、みんな公平になるわけだ。もちろん、最低限のサービスは行うがね」

 最後の方の声は、嫌味たっぷりの調子になり、言い終わると同時に、明るかった室内が、急に暗くなった。誰かの短い悲鳴が上がった。おそらく亮平だろう。

 四人は、すぐさま、飾り棚に警戒した。これは、よからぬことを目論んでいるに違いない。

 声は鼻歌でも歌うように言った。

「つまり、だ。足もとには十分気をつけたまえ。前後左右、上下にもね。ぼやぼや歩いている者に、通路は容赦しないぞ」と、またここで声音が変わった。「それにしても、特別客が紛れ込んでいるとは、驚いたね。いやはや、私には関係ないが。まあ、せいぜい気をつけるがいい。さあ、豆電球に沿って進みたまえ。いざゆかん、地獄の底へ、魔物渦巻く暗黒の世界へ!」

 最後にはこぶしを効かせ、小バカにするように歌い出した。

 それに合わせて、暗い部屋の奥の方にあった豆電球の列が、順序良く点滅し始めた。まるで、こっちだと言わんばかりに誘導している。

 四人は、唯一の明かりである豆電球に沿って、手探りで階段を下り、階下の小部屋にたどりついた。暗闇に目が慣れてくると、がらんとした部屋のまん中に、奇怪な大穴が見えてきた。

 異様に盛り上がった床に、大穴がパックリと口を開けている。まるで、大蛇の開いた、口のようだ。穴の入口は、ごつごつとした岩に囲まれ、縄目の模様が刻み込まれている。おどろおどろしい雰囲気の地下室だ。

 それこそが、地下深くへと続く、石段の入口だった。

 四人は代わる代わる、穴の中を覗き込んでみたが、底は見えない。穴の中から、湿った生暖かい風が吹き上がると、四人の腕には、たちまち、鳥肌が立った。

 みんなの予想どおり、まっ先に亮平が弱腰になった。

「うへえ、本気でここを降りるつもり?これ、入口じゃなくて、化け物の口じゃないのかな。ほら、この妙な風だって生臭いし、中に入ったら、おれたち、化け物の胃袋で溶かされるんだよ、きっと」

 ただでさえ薄気味悪いのに、想像たくましい亮平がよけいな話をしたおかげで、全員がすっかり怖気づいてしまった。

 とたんに、部屋全体の明かりが、また一段と暗くなった。亮平は思わず悲鳴を上げ、翔は反対に、怒鳴り散らした。

「あの飾り棚め、わざと暗くしやがったな。あいつは、おれたちの話を全部聞いてやがるんだ。でも、これくらいで、おれたちが怖がるなんて思うなよ!」

 翔は、強気な態度を崩さない。するとすぐに、上の階から、楽しげな、しかし、どことなく悪意を含んだ歌声が響いてきた。

「…行きはよいよい、帰りは怖い。怖いながらも、通りゃんせ、通りゃんせ…」

 亮平は、ますます落ち着かなくなり、むやみに自分の髪の毛を引張ったおかげで、頭髪がぐしゃぐしゃになった。

「おい、亮平。おまえがそうやって、おびえているから、あいつが、ますますつけ上がるんだ。だいたい、水曜亭で全員同じ切符を配られたんだから、一枚だけ使えないなんて、あり得ない話だろう?ごちゃごちゃと屁理屈を並べて、おれたちを困らせようとしているんだよ」

「なんで、そう思うのさ?」亮平が、げっそりしながら聞いた。

「決まっているさ。誰も来ない、この寂れた家具屋から、あいつは一歩も動けないからさ。だから、やっと現れた客に、全力で嫌がらせするのが、唯一の楽しみなんだよ。あいつは、下にマンジがあるのを知っているに違いない。だから、こうやって、もったいぶっているんだ」

 翔は、上の階にも聞こえるように、わざと大声でしゃべった。すると、飾り棚の、奇妙な歌声はピッタリ止まり、静かになった。どうやら翔の言ったことは、まんざら外れていない様子だ。

 翔は、それ見ろとばかり、大きく舌打ちすると、腹いせに、入口の奇怪な岩を一蹴りした。コウタたちがあ然としていると、翔は、独り猛然と、穴の中に入ってしまった。

 何はともあれ、翔の勇気に感心した三人も、続いて穴の中に入っていった。中は、青白く細い石段がひたすら下へと続くばかりだった。

 石段は、段の大きさがえらく不揃いで、幅も狭く、ところどころ歪に折れ曲がっている。その反面、天井は恐ろしく高く、通路に比べ、頭上の空間は広々としている。そのせいか、窮屈さや圧迫感をそれほど感じない。

 石段の所々には、小部屋ほどの踊り場も設けられているので、四人はそこで休憩を取りながら、果敢に下を目指して進んでいった。

 また、壁全体がぼうっと青白く発光しているため、まっ暗ではなかった。十分気をつけていれば、転倒はしないだろう。たとえ転びそうになっても、すぐさま、両手が左右の壁につくほど幅が狭いので、気持ち悪い壁の感触を我慢さえすれば、ひっくり返るのは避けられそうだ。

 それにしても、下に降りれば降りるほど、湿気がひどい。一続きで境目のない壁や天井は、下に降りるほどじっとりと濡れ、水滴が上から流れ落ちていた。

 おまけに、両脇に迫っている壁が、ぐにゃりと波打つのを、コウタは目撃してしまった。それに気づいたのは、またしても、最後尾のコウタだけだったが、できるだけ言わないでおこうと、腹の底にしまいこんだ。

 かれこれ5、6時間は石段を降り続けているのに、地底にたどり着く気配は、まったくなかった。四人とも、さすがに疲れ果て、膝が震え、痛み出してきた。

「あの腐った飾り棚め。知恵者たちが下にいるなんて、でたらめを言いやがって。ただの底なし石段じゃないか。帰りには必ず、叩き潰してやる!」

 苛ついた亮平が、突然思い出したように拳を振り上げ、上へ向かって叫んだ。もちろん、こんな地下深くからでは、飾り棚に聞こえるはずはないと、踏んだからだ。

 しかし、大声で叫んだとたん、両脇の青白く湿った壁が、きゅっと迫りきて、亮平の体をみごとに挟み込んだ。亮平は、悲鳴を上げたが、みんなが助けようと駆けつけた時には、もう、壁は元の位置におとなしく戻っていた。

 その後も四人は、黙々と石段を下っていったが、あれからしばらくの間、亮平は頑として、一言もしゃべろうとしなかった。

「やっぱり僕たち、飾り棚に騙されたのかもしれない。体もきつくなってきたし、そろそろ引き返した方が、いいんじゃないのかな」

 休憩の時、今度はオー君が、情けない声を上げ、降参したかのように、力なく壁に寄りかかった。

 コウタも、いつしか不安になってきた。

「本当に底なしかもしれない。これ、まさか地球の裏側まで続いているんじゃないよな?」

 亮平も翔も、黙ったまま、壁にもたれかかった。

 それでも四人は、更に、下へ向かった。ここまで深く降りてしまうと、今更引き返すのも、大きな決断が必要になる。結局、四人には、引き返す決心ができなかった。上には、マンジがなかったからだ。

 それも束の間、ついに、コウタたちは崩れるように、その場に座り込んでしまった。小さな膝たちはがくがくと震え、これ以上は一歩も動けないと、訴えている。体力の限界だった。このままだと、今度は上に戻りたくても、本当に戻れなくなってしまう。

 独り翔だけは立ったまま、二十段ほど下から三人を見上げて言った。

「あと、もう少しだけ降りてみないか。ほら、下から吹いてくる風が、さっきと違っている気がするんだ。ここから地底までは、そう遠くない気がする」

 言われてみれば、湿気をたっぷり含んでいた風が、少しだけ清浄な空気に変わっている。それに、ぬるぬるしていた壁や天井も、いつのまにか乾いて、前より固くなっている。

 三人は、下方からくる風に勇気づけられ、やっとの思いで立ち上がると、嫌がる膝を手で押さえながら、のろのろと石段を降り出した。

 歩き出してすぐ、石段の幅が目に見えて広がり出し、空気もぐんと爽やかになってきた。石段の傾斜も次第に緩やかになり、段差のある通路になっていった。その通路も、下るにつれ、ますます幅が広がり、縦長の部屋に近い景観に変わっていった。壁際には、古い家具がポツポツと、無造作に配置されている。置き捨てられたような古い家具は、進むにつれ、だんだんと数が増えてきた。

 明らかな変化に、四人は、終点が近づいているのを実感し、元気を取り戻した。下へ降りれば降りるほど、壁際の家具の数は増え続け、湿っていた白い壁は、家具の列にとって代わるようになった。

 しまいには、家具屋の入口で見た光景のように、家具の列がびっしりと、石段の両壁を覆うようになっていた。石段すら、いつの間にか、木で出来た階段に置き換わっている。

 おまけに、下からは、新鮮な風がどんどん吹き上げ、四人の髪の毛をなびかせている。どうやら、ゴールはすぐそこのようだ。

 膝が震えるのも、足が痛いのも忘れ、四人は、はやる気持ちを抑えきれず、石段を駆け降りていった。そして四人は、地底に広がるもう一つの世界を、ついに目にすることとなった。


キーワード

砂金川(流): 通りの地下を流れる、金色の粒子でできた黄金の川。

        宝石の目を持つ魚たちや結晶や金塊でできた川底等、

        非常に軽く美しい空間。

        この流れに乗ると、安全に天上界の銀河原まで行ける

冬将軍: 謎の存在。この後、コウタたち4人に、深くかかわっていく

青い飾り棚: 家具屋の奥にいる、声だけの陰険で嫌味な管理者。

地下室の大穴: 地下へ続く石段の恐ろしい入口。    

        この下に、探しているマンジがあるらしい

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