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第3章 けやき通りの水曜亭

 その一角は、眩しい光の輪がいくつも折り重なり、光が邪魔をして、遠くからはよく見えなかった。近づくにつれ、その輪の中に浮かび上がってきたのは、一軒の古い木造の店だった。こげ茶色の外壁はところどころ剥げ落ち、まだら模様になっている。

 周囲の建物はすべて色あせて見えるのに、その一角だけは、やたら明るく、生き生きとしている。そこだけが何故か特別なのだ。

あまりにも眩し過ぎて、店の中はよく見えないが、それでも、人々の熱気だけは、直に伝わってくる。イスとテーブルが店の奥まで並んでおり、大勢の人々がいるようだが、動いている影絵にしか見えない。やはりレストランか、喫茶店か、居酒屋だろう。

 こんな寒い季節なのに、店の外にあるテラスにも、丸いテーブルやイスが並び、にぎわっている。ここでも、店の中同様、人々がお茶を飲んだり雑談したり、新聞を広げたりしている。

しばらくして、目が明るさに慣れてくると、少しずついろんなものが見え始めてきた。いや、眩しいと思ったのは勘違いで、店の中は、意外にも心地よい薄暗さなのに気がついた。と言うのも、店の中には、ランタンとランプの灯りしかなかったからだ。

 その揺らめく灯りに照らされた店内には、使い古されたイスやテーブルがきれいに並んでいる。擦り切れた青い背もたれや角の欠けたテーブルは、かなりひどい状態だが、板張りの床だけが、えらく丁寧に磨かれ、ピカピカと黒光りしていた。その黒光りする床が舗道の方まで張り出して、テラスになっている。店の中も、テラスも、席はほとんど埋まっており、大繁盛だ。

 まるで、夢のような光景だ。

 気がつくと、コウタたちは店のすぐ手前まで来ていた。コウタは、ぶら下がっている大きな看板に、見入った。木目模様の風格のある看板には『水曜亭』と彫り込まれ、その下の銅板には、こう刻まれている。


水曜日に生まれた方は、ただ

水曜日に死んだ方も、ただ

水曜に気がついた方も、もちろん無料!


 更に、その下にある黒板には、


水曜コーヒー        一ガイア

水曜前夜祭ジュース     一ガイア

ケヤキの葉陰パイ      二ガイア

その他、おだてと励ましに応じて、何でも作ります


 と、白いチョークで小さく書き添えてあった。ガイアというのは、きっとお金の単位に違いない。コウタは頭の片隅でそう思ったが、すぐにどうでもよくなった。

 何故なら、自分たちの目が眩しさから完全に解放され、しっかり物が見えるようになったからだ。ありのままの光景を目にした四人は、衝撃のあまり、一言も口がきけなかった。

 無理もない。お客は全員、普通ではなかったからだ。遠目では、普通の人間だと思っていた客たちは、よく見ると、皆、人間ではない生き物たちだった。

 猫の顔をした生き物が、厚手の茶色の背広を着込み、ベレー帽をかぶり、テラス席で新聞を読んで、おまけに、コーヒーまですすっている。

 二本足で当たり前のように、店内を歩き廻る作業服のシマ猫。テラスの席に座って、お茶を飲みながらしゃべっている二匹のキリン。このキリンたちは、キリン模様の服を着ている。

 テラス席の端の方では、タバコをぷかぷか、ふかしながら将棋を指す、小柄な熊とイノシシ頭の生き物。窮屈な白いエプロンをつけて立ち廻る、カンガルーのウエイトレス。

 これだけでも十分異様だったが、更に異様なのは、全員が、人間の大人と同じくらいの背格好なのだ。リスは巨大になり、白クマは縮んでいるのだ。そして人間と同じように、ごく普通に振舞っている。

 逆に、普通の人間の姿をしている者は、一人も見当たらなかった。いや、普通の動物の姿をした者もいない。どの客も店員も、人間と動物を組み合わせた、おかしな姿形をしている。それなのに、誰も気に留めもせず、日常の平和なひと時を楽しんでいる様子だった。

 四人は店の前で横一列に並び、どうにも邪魔な立て看板のように、突っ立っていた。それは前でったく滑稽な姿だった。

「そこの子ども」

 どこからか、やたらと低い声がコウタたちに投げかけられた。まだ動けないでいる四人は、ぎこちない動作で、声のする方に顔だけを向けた。四人を呼び止めたのは、テラス席にいた、大きな黒猫だった。

 でっぷりと太った黒猫は、丸いテーブルに肘をついて、大きな潤んだ目でコウタたちを見すえている。あまりに巨大な体は、小さなイスをすっかり覆い隠し、でっぷりした尻がイスから大幅に、はみ出している。イスが見えないので、まるで体が宙に浮いているようだ。太い尻尾だけが、持て余し気味に、床の上を行ったり来たり、せわしなく動いている。

 猫というより小型の熊に近いと、コウタは思った。それでも、高級そうな茶色のスーツを身にまとい、ネクタイを太い首に無理やり絞めており、どこか商売人を思わせるいでたちだ。一見怖そうだが、大きな潤んだ瞳は、優しげだ。

「君たち、ずい分と遅いお出ましだね。閉店ぎりぎりじゃないか。支配人が店の奥で待ちかねているよ」

 黒猫はそう言って、店の奥の方を、肉球のついた手で、指し示した。すると、黒猫の向かいのテーブルに座っている、細長く鋭い目をした猫が、ダミ声で言った。

「いやいやクマネコの旦那、どうせもう、こいつらは間に合いませんよ。砂金流はさっき、行ってしまいましたからね」

 その嫌味な感じの猫は、細く尖った顎でしゃくった。

 クマネコと呼ばれた黒猫が、答えようとしたところ、隣のテーブルで新聞を広げていた白いキツネが、ポケットから懐中時計をさっと取り出すと、広げた新聞の間から口を挟んだ。

「いや、ノミネコさん、まだ最終便が残っていますよ。大丈夫、この子たちはきっと、最後の潮に乗れるでしょうよ」

 白キツネはそう言うと、懐中時計をすぐにポケットにしまいこみ、何事もなかったかのように、再び新聞を読み始めた。

 ノミネコと呼ばれた細長い猫は、微かに口もとを歪め、コウタたちを憎々し気に、にらみつけた。コウタはその細長い、陰険な目にぞっとした。

クマネコがコウタたちの方に振り向き、やれやれという顔で微笑んでみせた。

「…だそうだ。よかったな、君たち」

四人はクマネコの人懐っこそうな笑顔に、少しだけ安心した。

「あの…」

 コウタが言いかけたその時、テラスのテーブルの下から突然、下品で、突拍子もない笑い声が響いてきた。

 テラスにいた客たちの話し声がピタッと止まり、変な声のするテーブルの方へ、一気に視線が集中した。声は、ちょうど、ノミネコのいるテーブルの下から聞こえていた。大きな笑い声は発作のように、唐突に始まり、いつまでたっても止まらない。やがて引きつり声に変わり、苦しげになり、耳を塞ぎたくなる奇声になった。

 ノミネコの血の気のなかった顔が、みるみるまっ赤に染まり、薄黄色い毛が逆立った。不気味なハリネズミの様相だ。ノミネコは、やおら立ち上がると、甲高い声でテーブルの下に向かって怒鳴った。

「この汚いヤニガエルめ!とっとと、消えうせろ!この出来損ないめ」

 ノミネコは、イスにどかっと腰を下ろすと、細い箒のような尻尾を、ぐいと、大きくひと振りした。

 するとテーブルの下から、醜く太ったガマガエルが一匹、嬉しそうに転がり出てきた。声もひどいが、姿もまたひどい。黒いぶつぶつに全身を覆われた薄茶色のカエルは、耳障りな笑い声を上げるたびに、その黒いぶつぶつから、油っぽい汁を吹き出していた。その汁は、遠くにいるコウタたちにもわかるほど、強烈な臭いだ。

 白キツネは、慌ててポケットから白いハンカチを取り出すと、尖った鼻を覆った。それからわざとらしい仕草で、静かに席を移動した。

 声の正体がわかると、テラスの客たちからいっせいに悲鳴が上がった。中には、店内の奥へ避難する者もいた。外の騒ぎに気づいた店内の客たちからも、次々と悲鳴が上がった。

「おおい、店員!早くこいつをどうにかするんだ!」

 ノミネコは、ついには立ち上がって怒鳴り散らした。

「私の自慢の足と尻尾を、こいつの臭い油で汚すつもりか?まったくもって、汚らわしい。こんな奴は、能無しで役立たずの人間どもと一緒に、さっさと処分するんだな!」

 ノミネコは、持っていた新聞紙を丸めて、テーブルの端を力任せに、何度も叩いた。その振動で、テーブルの上のコーヒーカップが勢いよく床に転がり、まっ二つに割れた。激しく振ったノミネコの腕が、隣のイスにぶつかると、イスは豪快にひっくり返った。

 気味悪いヤニガエルよりも、ノミネコの激しい怒りの方が、四人はよっぽど恐ろしかった。どうやらノミネコは、ヤニガエルと同じくらい人間を嫌っているらしい。

「ノミネコさん、子どもたちを怖がらせちゃあ、いけませんな」

 クマネコが横から落ち着いた様子で声をかけた。その顔は、笑いをどこかに隠している。

「そうそう、恐ろしいのは、あいつだけで十分ですぞ」

 白キツネも新聞の陰から、相槌を打った。相変わらず片手で白いハンカチを鼻にあてがい、もう一方の手で、器用に新聞をめくりながら読んでいる。

少々気まずくなったノミネコは、コウタたちを一瞥すると、すぐに顔を背けた。

 そこへ、まっ白なエプロンをつけたカンガルーのウエイトレスが、掃除道具を抱えてやって来た。

「ああ、お客さん、すいませんね。こいつ、捨てても、捨てても、ここへ戻って来ちゃうんですよ。本当に困った奴です。今度、彦助に頼んで、月にでも連れていってもらおうかしら」

 ウエイトレスは下を向いたまま、そう言うが早いか、持っているゴミ挟みで、まだ嬉しそうに騒いでいるカエルを素早く摘み上げ、バケツへと放り込んだ。相当慣れた手つきだ。ウエイトレスは、ヤニガエルの入ったバケツを持ち上げると、無表情のまま、さっさと店の外に出て、裏の方へと消えて行った。

 一難去って安心した客たちの間から、どっと笑いが巻き起こった。月に捨てたら、月の方が迷惑するという声や、いや、あいつなら、月からでも戻ってくるだろうという意見が飛びかった。

 怪訝な顔をしたノミネコは、小さく舌打ちすると、懐からハンカチを取り出し、細長い尾を丹念に磨き始めた。

 いつの間にか、店は、元通りの楽しげなざわめきに包まれていたが、コウタたち四人だけは緊張が解けないまま、相変わらず店の前で突っ立っていた。

 それに気づいたクマネコが、ため息交じりに、また声をかけた。

「そこの子どもたち。君たちが行くのはあっちだ」

 クマネコはそう言うと、両肘をテーブルにつけたまま、厚みのある手で店の奥を指し示した。コウタたちは、ぎこちなく頭を下げると、混雑している店の中へと入っていった。

 外のテラスは喫茶店だったが、店の中は一段薄暗く、居酒屋のようだった。どちらも、通りの寒さが噓のように、不思議なくらい暖かかった。

店内は、テラスよりも、テーブルとテーブルの間隔が少し狭く、ランタンに照らし出された影もまた、飾りの一部になっていた。様々な料理や酒瓶で、テーブルの上も華やかだ。客たちはみんな、楽しそうに話をしている。

 テーブルはほぼ満席で、コウタたちはテーブルとテーブルの狭い隙間を足早に通り過ぎた。誰一人、コウタたちに目を止める者はいない。

 突き当りの大きなカウンターでは、大勢の客が立ったまま、酒を飲んでいる。もちろん、客と言っても、いろいろな動物と人間のあいの子のような生き物だ。それもまた信じられない光景ではあるが、その客たちもコウタたちを一向に気にしないので、コウタたちは妙にほっとした。こうして放って置かれることで、コウタたちは、自然に、その状況に慣れていった。

 古めかしいカウンターの上には『月光酒(げっこうしゅ)』というラベルの貼られた、青白く発光する酒瓶が、横一列に並んでいる。青い照明のようで、きれいだ。

 その隣には、更に、店の奥へと続く古いドアがあった。黒猫が教えてくれた、支配人のいる店の奥とは、このドアの向こうに違いない。誰に教えられたわけでもないが、四人とも、そうだと確信していた。

 ドアには、縁が黄ばんでボロボロになった、水曜亭のポスターが貼ってあった。そのポスターの一番下には、赤い文字で、こう書かれてある。


   姉妹店として

   月影亭、銀河亭もよろしく!


 先頭のコウタはドアを少しだけ開けた。ドアの向こう側には、延々と続く薄暗い廊下が顔を覗かせていた。

 その時、亮平が妙にそわそわしながら、後ろから小声でコウタにささやいた。

「ちょっと待ってよ。おれたち、このまま店の奥に行っても、本当に大丈夫なのかな。普通の人間が一人も見当たらないのは、おかしいよ。みんな、ここの化け物に食われちまったんじゃないよな…あの料理とかは、まさか…」

 当初は平気そうに見えた亮平だが、顔は青ざめ、額に薄っすらと汗さえかいている。亮平は、もともと動物が苦手だった。その苦手な動物が、人間のように振舞い、自分たちを取り囲んでいるので、すっかり怖気づいたのだ。

「おい、亮平、だらしないぞ」背後から見て取った翔が、声を荒げた。「確かにここは変わっているけど、店としては普通じゃないか。クラスの連中だって、みんな、ここに来たんだろう?だったら、ここで怖気づいてどうするんだよ」

 いきなり弱点を突かれた亮平は、またしても顔がまっ赤に染まった。

「誰も怖いなんて言ってないだろう?ここはおれたちの世界とあまりに違うから、気をつけた方がいいって、そう言いたかっただけさ!自分では気づいてないだろうけど、翔だって、相当、ひどい顔色しているよ」

 亮平はそう叫ぶと、乱暴にドアを押し開け、薄暗い廊下へ、独りで踏み込んで行った。ドカドカと、すごい音が鳴り響いている。言い返されてむっとした翔も、亮平に負けじと、後を追うように、強引に踏み込んで行った。

 こんな騒ぎにも、コウタは意外に冷静だった。正直、自分も怖かったが、ここはきっと夢の中に違いないと、まだそう信じていたからだ。いや、そう信じたかったのかもしれない。これが夢でなかったら、自分はおそらく気が狂っているのだろう。そう考えたからだ。

 先ほど翔が語っていた話は、とても信じる気にはなれなかった。夢でもない、本物の世界でもない、どっちでもない世界なんて、それこそ頭がおかしくなりそうだ。

「うーん、翔はちょっと冷たいね。亮平が怖がるのは、当たり前なのに。僕だって、今でもまだ、腰が抜けそうだよ」

 ため息混じりのオー君の声に、コウタは我に返った。すぐ傍にいるオー君をすっかり忘れていたのだ。オー君は重そうなメガネをかけ直し、薄暗い廊下をよく観察しようとしていた。その仕草に、コウタは妙に安心した。

「僕だって同じさ。みんな、怖いに決まっている。怖くない方がおかしいや。それに翔だって、本当は怖がっていると思うよ」

 コウタの話に、オー君はにっこり大きくうなずいた。

 その時、コウタは、列車の走る音を聞いたような気がした。耳を澄ませると、ゴトンゴトンと、確かに列車が走る音が、地下から聞こえてくる。微かに、床も振動している。地下に列車が走っているとしか思えないが、この場所に地下鉄は走っていないはずだ。オー君に確かめてもらおうとしたとたん、オー君が先に叫んだ。

「ねえ、大変だ!僕ら、いつの間にか、置いてきぼりだよ」

 意気込んで突進していった亮平と翔の姿は、既に見えなくなっていた。足音も聞こえない。暗い廊下がしいんと続いているばかりだ。

 コウタたち二人は、慌てて亮平たちの後を追いかけ始めた。

 水曜亭は想像していたよりも、ずっと広く、奥行きがある建物らしい。店内を半円状にぐるりと囲むように、暗く長い板ばりの廊下が、延々と続いている。明かりは、薄青い蛍光灯が、天井から足もとを頼りなく照らしているだけだった。

 古い、板ばりの廊下は、二人が大股で歩くと、きしきしと大きな悲鳴をあげ、埃が宙に舞い上がった。天井に張りついた古い蛍光灯が、不規則に点滅している。

 廊下に沿って、暗い部屋が、いくつも連なっていた。どれもこれも、教室ほどの広さはあるが、たくさんの段ボールが無造作に放り込まれている。倉庫として、使われているのだろうか。部屋の中は廊下よりも一段と暗いので、中はよく見えない。カビの臭いだけが、周囲に漂い、少し薄気味悪かった。表の店とは、かなり雰囲気が違っている。

 コウタとオー君は、廊下の突き当りを曲がり、そこでようやく、亮平たちに追いついた。亮平と翔は大きな鋼鉄製の扉の前で、互いに背を向け立っている。鋼鉄の扉は、なんとも重厚で、分厚く、特別な感じだ。それは、銀行の最奥に隠された巨大な金庫を思わせる作りだった。

 おまけに、扉の両脇には、神社でよく見かける狛犬が一対、向かい合っている。どうして、この場所に狛犬があるのだろうと思ったが、その狛犬のおかげで、扉がよけいに、神々しく見えるのかもしれない。

 背を向けあっている亮平と翔は、ちょうど、狛犬に挟まれた格好だ。つまり、二人とも、それぞれが狛犬と向かい合っているのだ。はたから見ると、実に奇妙でおかしな構図になっていた。

 二人の様子を目にしたコウタは、思わず笑い出しそうになったが、オー君は、切ない吐息をもらしていた。

 その時、右奥の暗がりから、甲高く、けたたましい声が、突然響き渡った。四人はぎょっとして、その場で飛び上がった。コウタは初め、非常ベルが鳴ったのかと思ったが、そうではなかった。

「キーッ!逃げ出した、ああ、逃げ出しちまった、みいんな、逃げ出し、もぬけの殻だ。そうそう、寒くて、ブルブル仕方がない。みいんな、一緒に冷凍食品。ああ、おしまいだ、おしまいだ、キーッ!一緒に、なろうよ、冷凍食品」

 甲高い声は、同じ歌を繰り返し歌い、古い建物に響き渡っている。

コウタたちは、突然の奇声に驚いたが、眼を凝らすと、廊下の奥まった暗がりに、甲高い声の主を見つけた。止まり木の上でうるさく騒いでいたのは、変な風貌のカラスだった。

 カラスの頭は、ほとんどはげ上がり、いく筋かの薄く長い羽毛が、はげた頭を横切っている。実に奇妙で滑稽な姿だ。しかし目つきは油断ならないほど鋭く、隙を見せたとたん、尖った口ばしでつつかれそうだ。

「うわっ、なんでこんなところにカラスが」

 驚いたオー君が思わず声を上げると、カラスはキーっと、更に一段甲高い声を上げた。

「ひねもす、ひねもす、不渡り手形。冬将軍には気をつけろ!キーッ!」

 カラスはそう叫ぶと、コウタたちをひとにらみし、右足だけをひょいと浮かせ、四人に向かって蹴り上げる仕草をした。

冬将軍という言葉を聞いたとたん、コウタは心臓がドキッと跳ね上がり、嫌な気分になった。

「暗闇に、まっ黒なカラスとはね」翔は苦々しく笑った。

「うるさい上に憎たらしいし、訳のわからないことを、わめき散らすカラスなんて、勘弁願いたいね」

 亮平がそうつぶやくと、カラスは、これでもかと言うほど甲高い、金切り声で叫んだ。これには、全員が顔をしかめ、両手で耳を塞ぐしかなかった。

「うるさいぞ、頭取(とうどり)カラス。いい加減にしろ。集中できやしない」

 突如、よく通る青年の声が、カラスの声を打ち破るようにとどろいた。カラスは、その一声でぴたっと静かになった。動きまで止まってしまい、まるで、剥製と化したようだった。

 四人は、声がした扉の方を探したが、誰もいない。あっ気にとられていると、再び、声が聞こえた。

「そうだ、そのまま、口を閉じているがいい」

 力強い声は、扉の前に置かれている、二体の狛犬から聞こえてくる。狛犬の間にいた亮平と翔は、悲鳴を上げ、その場を飛びのいた。

 すぐさま、二体の狛犬に変化が現れた。灰色の石の塊に、さっと赤みが刺すと、温められた飴のように、ぐにゃりと伸び出した。今度はくねくねと自由に動き出し、あっと言う間に上へと伸び、ついには、白装束をまとった、人間の姿になった。

 二人の青年は、最後に大きな伸びをすると、たいして気にする風でもなく、コウタたちを見下ろした。背の高い、整った、瓜二つの顔が並んだ。

「驚かせてごめんよ。この頭取(とうどり)カラスは勘が鋭いので、我々同様、見張り役に選ばれたものの、うるさ過ぎて我慢ならなくなったのさ。ところで、我々、狛犬兄弟の変身ぶりは、どうだったかな?君たちの世界の狛犬は、石のように、じっとしていて動かないんだろう?我々は似ていたかな?」

 突然、右側の狛犬にそう尋ねられたコウタは、言葉に詰まってしまった。コウタたちの知っている狛犬は、普通は石でできていて、神社の境内に置かれている。こうして生きて動く狛犬の方がおかしいし、そもそも、人間の姿に変身したりはしない。

「いや、その、まったく、素晴らしい狛犬の、人間です」

 コウタは答えに戸惑い、つい、支離滅裂な言葉を口走ってしまった。亮平たちは、こんな状況にも関わらず、吹き出しそうになっていた。

 狛犬兄弟はにこりともせず、かといって軽蔑したような表情でもなく、互いに目を見合った。

「どうやら成功したようだね、兄さん。言葉にならないほど、我々はあっちの世界の狛犬に、似ていたのだな」

 左側の弟狛犬の青年がそう言った。

「うん、そうに違いない。理解できないことを口走るのは、きっとあっちの世界では、最高のほめ言葉なのだろう」

「でも兄さん、じっとしていられるのは、五分が限度だ」

「そうだな、弟よ。もっと長い時間、動かない方法を研究しなくては」

 双子の兄弟は、結論が一致したのに満足し、同時にふっと微笑んだ。それから、知性あふれ、好意に満ちた笑顔を、二人同時に、コウタたちの方へと向けた。

「さて、君たち、おほめの言葉をありがとう。そして、ようこそ水曜亭へ」

「ようこそ、素晴らしき世界へ」

 狛犬兄弟は二人同時に、二、三歩下がると、鋼鉄の扉の取手に手をかけ、ゆっくりと開いた。そのとたん、いろいろな料理の匂いと、大勢のにぎわいと熱気が、扉の間から一気に押し寄せ、四人を圧倒した。


<水曜亭登場人物>

クマネコ:商人風のいでたちだで、潤んだ大きな瞳が特徴。温かく優しい性格

白キツネ:イギリス風紳士。少々キザだが、心根は優しい

ノミネコ:意地悪で嫌味な性格。異常にきれい好き。ノミのように、手足が細い

カンガルーのウエイトレス: 仕事熱心、あっさりした性格

ヤニガエル: 水曜亭が大好き、自分を嫌う奴が大好き。ひきつった笑いと臭いにおいが特徴

狛犬兄弟: 水曜亭厨房の門番。双子で、変身できる能力もある。変わっているが、誠実

頭取カラス: 同じく門番。勘が鋭いので採用されているが、性格は悪い

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