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第22章 大決戦

 コウタたちは、次々飛んでくる雹に打ちつけられ、完全に身動きが取れなくなった。

 もはや顔さえ上げられず、頭を手で抱え、身を小さくして、ひたすら雹の攻撃に耐えていた。打つ手はなく、この、しぼみかけたガス石の束に身を委ねるしかなかった。

 それだけでも手一杯なのに、石をも一瞬にして凍らせる白い冷気の波が、コウタたちの足もとに迫っていた。それは、小さな白い泡のしぶきをあげ、ヒタヒタと、コウタたち目がけて、打ち寄せようとしている。死の波は、まるで獲物を目指して忍び寄る毒蛇のようだ。コウタたちは前にも後ろにも進めず、広い境内の中ほどで動けずにいた。

(せめて後ろの狛犬あたりまで戻れたら…)

 背後の左右の参道脇には、二体の狛犬がそびえている。背丈ほどもある頑丈な石の台座に、大きな狛犬がどっしりと構えている。そこまで戻れば、狛犬を盾として、この攻撃から少しでも身を守ることができるだろう。だが、一歩も動けない今となっては、ほんの四、五メートルの距離でさえ、恐ろしいほど遠くに感じられた。

 集中砲火のごとく打ち込まれる雹のせいで、凍った地面からは、土と氷が巻き上げられ、あたりは白く濁ってよく見えない。白い死の冷気だけは、そんな激しい雹の雨をものともせず、一糸乱れず忍び寄り、ついに亮平のサンダルの先に触れた。すぐさま足を引っ込めたが、サンダルは瞬時に凍りつき、亮平は痛みのために絶叫した。三人は身を寄せ合ったまま、ほんの少しだけ、ずりずりと体の位置をずらした。それが、精一杯だ。

 ガス石は、今や、干からびたミカンの皮かと思うほどしぼんでしまい、ほとんど役に立たない。投げつけられた雹の衝撃が、直接、体や頭に伝わり、そのたびに目の前がまっ白になった。

(オー君を助けに来たのに、これじゃあ、自分自身さえ助けられない…)

 コウタは、もうろうとした意識の中で、自分がだんだん無力で惨めに思えてきた。

 絶え間ない攻撃に、亮平も翔も、ただうずくまるだけだった。三人とも、息をするのさえ一苦労で、まさに失神寸前だ。

(僕は、誰も助けられない。そして、父さんも母さんも、先生も、大人は誰も、僕らを助けには来られない。大人たちにとって、ここは存在しない世界だから。この世界では、死がないとガラス占い師は言っていた。だから、僕らはここで、消えてなくなるのだ。元の世界では、きっと行方不明にされるのだろう。同じクラスの少年四人が、夜の間に突然行方不明になったと)

 コウタは悔しさのあまり、涙がにじみ出てきた。こんなところで、短い人生が終わってしまうなんて、あまりに悔しい。大泣きしたい気分だった。いっそのこと、大泣きしてしまおうかと思ったが、すぐ隣で亮平がすすり泣いているのに気づき、涙をぐっとこらえた。泣こうが泣かまいが、状況は変わらない。せっかく翔とオー君を見つけたのに、これでは元の世界に帰れないどころか、ここで全員凍死してしまう。水曜亭にいた人々が言うとおり、永久に、氷漬けにされてしまうのだ。

 頭を休みなくガンガン打ちつけられているせいか、ガス石の隙間から見える景色が更にぼんやりとにじんできた。だんだんと、夢の中にいる気分になってきた。痛みも衝撃も、もはや感じない。雹が打ちつける爆音も、今はもう遠くで鳴っている花火にしか聞こえない。

 雹の雨の中を狛犬が歩いている。コウタはふと、そう思った。ありえない光景だ。自分は幻を見ていると思ったが、二匹の狛犬はさっきよりずっと、コウタたちの近くにいる。後方に見える石の台座は、二つとも空だ。本体はやはり移動している。かなり大きな狛犬だ。打ちつけてくる雹にも、びくともしない。確実に、こっちに近づいている。自分たちは動いていないので、どう考えても、狛犬の方が自分たちに近づいている。おまけに、変な声まで聞こえてくる。

「…兄さん、我々はかなり石に近づいたのではないでしょうか」

「弟よ、我々は石を超えてしまったようだ。やり過ぎたのかもしれない」

 コウタは、はっと目が覚めた。石でできた二匹の狛犬は、三人の前に大きく立ち上がり、雹の攻撃から守る盾となった。

 雹の塊は、狛犬の体に当たると、粉々に砕けた。狛犬は前足を巧みに動かして、飛んでくる大きな雹の塊を受け止め、器用に投げ返した。その動きは力強く、しなやかで素早く、なおかつ的確だ。王者を思わせる風格は、まるで獅子そのものだ。そのおかげで、三人はやっと、雹の猛攻撃から逃れられた。

 打ち返された雹が、石段横の茂みの中や森の中に突っ込んでいくと、時折、ギャッという悲鳴が聞こえた。間もなくすると、雹の攻撃は止んで、あたりは静寂を取り戻した。

「狛犬兄弟!」

 コウタは嬉しさのあまり、思わず叫んで、よろよろと立ち上がった。まだ、めまいがひどかったが、それより、狛犬兄弟に会えたのが、無性に嬉しかった。翔も亮平もしぼんだガス石の束を払い除け、這い出てきた。

「皆さん、大丈夫でしたか?一足先に、応援に駆けつけました」

 白い靄の中から、懐かしい姿と笑顔が二つ現れた。体は、頑丈な白い石でできており、以前見た時より、二回りばかり大きくなっている。しかし、柔和な青年の顔は、変わらず優しさと強さに満ちている。

「一足先?」

「おっと、違ったかな?二足先でしょうか。我々兄弟はついに、完全に石に化けることができるようになりました。なので、こうして神社の狛犬へも、身を移せるのです。狛犬から狛犬へ、どこへだって、瞬時に移れるのですよ。ただ、ちょっとやり過ぎて、体が石より固くなってしまいましたが」

 コウタたちは、こんな奇妙な話にも、今更驚かなかった。この世界では、奇妙も不思議も、常識なのだ。何より、この窮地を救ってくれた狛犬兄弟に、心から感謝をした。

 三人は、それぞれが感謝の言葉を口にしたが、まだ、若干頭がぼんやりしていたせいで、他人が聞いたら、ほとんど呪文にしか聞こえなかっただろう。それでもすぐに、意識がはっきりしてきた。三人は、しぼんで用済みになったガス石の束を、脇によけた。

「ついでに、この目障りな波も打ち砕いておきましょう」

 右側の狛犬青年はそう言うが早いか、太い前足を地面にドンと一突きした。低い振動が響き渡り、冷気の波は、大きくひと揺らぎすると、一瞬で固まり、その場で粉々に砕け散った。ガラスの破片状のものが残ったが、それも、たちまち蒸発して消えた。

「我々は、冬将軍が地上に現れる地点を見つけるため、『間の世界』を探し廻っていたのです。すると、『西の果ての森』に、黒雲がかかっているのを見つけました。あの黒雲こそが、冬将軍が地上に出した触手なのです。この異常に長い手を思う存分延ばし、つかんだものを凍らせているのです」

 コウタたちは改めてぞっとした。すぐ目の前に見えている黒雲こそ、冬将軍の分身だったのだ。

「あの黒雲に、標的の目印をつける準備をしていました。すると、あなた方の姿が目に入り、驚きましたよ。これから大合戦が始まるまっただ中に、あなた方がいるなんて」

 狛犬兄弟は、とても冷静に言った。

「大合戦?」コウタたち三人が、思わず大声を上げた。とたんに、狛犬兄弟が、静かにするよう、前足を顔の前に持ってきて合図した。指がないので、そんな、おかしなポーズになってしまうのだ。

「そうですよ。大げさに聞こえるかもしれませんが、世界の存亡がかかっているのです。我々が生き残るには、みんなや、舞台となるこれらの世界を守るしかないのです。あなたがたの世界では、違うのでしょう?自分が生き残るために、みんなを裏切ったり、いろんな世界を見捨てたりしますが、ここではまったく逆なのです」

 そう言われたコウタたち三人は、気恥ずかしくなった。自分たちは、決してそうではないと断言したいが、コウタたちの世界全体としては、否定できないからだ。

「ああ、わかっていますとも。どちらの考えも正しいのです。どちらの考え方も、世界が発展していくのには、必要ですからね。どちらを選ぶかも、その世界の自由。自由でなければ、いけないのです。だから、コウタ。雪虫から聞いたとおり、あなたが、持っている力を使うかどうかも、あなた次第なのです。誰もあなたに強制できないし、責めたりもできない。あなたが自分で決めなければならないのです。だって、ここは、自由の世界なのですから」

 コウタは、腹の底にまで響く重い衝撃を受けた。とてつもない責任に、心が震えた。事情すらよく理解していないのに、大きな決断を自分は求められているのだ。

「さて兄さん、ここはひとまず落ち着いたので、私は麓の狛犬に移って、下の様子を見てきます」

 そう言うが早いか、左側の狛犬の表情が固くなった。形は変わらないのに、もうただの石像にしか見えない。しかし数十秒後、ふっと表情が和らぎ、血肉のかよった元の姿に戻った。

「仲間たちが森の入り口に、今、到着しましたよ」狛犬はパッチリ目を開いて言った。「ですが、見たところ、この長い石段の両脇には魔物たちが大勢潜んでいます。皆、小物でしたが、数が多いので、ちょっと厄介かもしれません」

 すると、山の麓の方から、騒がしい音が鳴り響いてきた。大勢の声や太鼓を叩く音が、長い石段を通して聞こえてくる。三人が上から覗いてみると、下の方でうごめいている大群が見えた。目を凝らすと、それは、コウタたちの知っている、大勢の生き物たちだった。

 天上界を守る持国天やその一族、火の矢を手にした小人族の集団、燃える首飾りをくわえた、たくさんの渡り鳥、そして空には、炎を吐く龍が数体、天の四隅から飛んで来た。

 おまけに、水曜亭の人々まで、火炎放射器を抱えて、大集団の最後尾についているではないか。そこには、さっきまでオー君を非難していた水曜亭の客たちや、どっぷりしたクマネコ、上品な白キツネ、カンガルーのウエイトレスたち、それから、見慣れたコックたちが、顔をそろえている。その背後には、支配人や勾玉博士とおぼしき姿も、薄っすらと見てとれる。

 突然、狛犬青年の両耳がピンと立ち上がった。

「おおい、上にいる子ども族の皆さん、聞こえますか?ソラトです。戦いが始まりますよ、気をつけて下さい」

 ソラトの大声が、狛犬青年を通して響いてきた。狛犬青年の体が、通信機になっているらしい。ソラトの声は、以前よりずっと野太く、しっかりとしている。

 すると、別の声も狛犬青年の体から響いてきた。

「我々も、皆の者たちと共に戦おう。これ以上、冬将軍の好き勝手にさせてはおけない。このままでは天上界が、凍りついてしまう」

 そう叫んでいるのは、背中に炎の盾をもった、四天王の一族だ。叫び声の後には、大歓声が続いた。コウタたちが出会ったのは、一人の持国天だけだったが、今は、持国天と同じ姿の者たちが、何十人もいるようだ。とても心強い光景だった。

 空の四隅から飛んで来た、巨大な龍たちは、白龍、黒龍、青龍に黄龍だ。黒龍は、よく見ると、コウタたちが月桃森で出会った、あの巨大龍だ。黒い鱗の間には、虹色に輝く金属様の鱗が見え隠れしている。でも、以前会った時には、黒ではなく、銀色の鱗がほとんどだったはずだ。やはり、違う龍なのだろうか。すると、翔が、すかさず声を上げた。

「銀色だった龍が、黒くなっているよ。どうしたんだろう」

 すかさず、狛犬青年が、空を見上げながら満足そうに言った。

「龍神たちはね、鱗の色を変えるんだ。黒龍は、平和で優しい時は銀色に、正しい戦いの際は、天の守護を受けて、虹色に変化するんだよ」

 コウタたちは、あまりに大胆過ぎる変化に声をそろえて感心した。

 四体の巨大龍たちは、神社の上空に到達すると、ゆっくり巨大な円を描き始めた。すると、黒龍の黒い鱗は一気に剥がれ落ち、七色に輝く虹龍へと変身を遂げた。あまりの美しさと神々しさに、コウタたちは、目を細めた。

 この世界の生き物たちが、全員集結したのだろうか。すごい騒ぎと熱気に、コウタたちは圧倒された。生きること、存在すること、そのために一致団結できるこの世界の生き物たちに、コウタたちは、心底感動し、尊敬の念を抱いた。

 麓に集まった生き物たちの大群は、冷えた石段を、列をなして登り、コウタたちのいる上の境内へ徐々に近づいてきた。石段の両脇から、ツララや雹による攻撃を受けていたが、生き物たちは次々と反撃し、確実に上へと登って来た。

 そうこうしているうちに、ソラトが小人族を引き連れて、すぐ下の石段までやって来た。

 ソラトは背中に青い羽をつけ、すっかり青年の姿になっていた。みごとに羽化し、精霊の姿になって、地上に出てきたのだ。三人は、その変わり様に目を見はった。ソラトの背後には、同じように羽化して立派になった小人族の大群が連なっている。今やソラトは、権威ある青年指揮官でもあった。

 ソラトは、コウタたち三人を見つけると、にっこりして手を振ってきた。ぐっとたくましくなったソラトの姿に、コウタたちは若干気恥ずかしさを感じたが、リーダーとしての風格に憧れもした。ソラトは、にこやかに告げた。

「僕らこの世界の仲間たちは、全力で冬将軍を食い止め、捕らわれたオー君を救出するよ」

 ソラトの力強さに、そして、みんなの団結力に、三人は勝利を確信した。三人は、ぎこちなく礼を言った。

 しかし、コウタは、大きな焦りを独り感じていた。

 自分は戦わないと、雪虫に宣言したものの、その決断が正しいのかどうか、実のところ、わからなかった。この世界の全員が一丸となって、冬将軍に立ち向かおうとしている。

 そんな、みんなの力を盾にして、コウタたちはオー君だけを救い出し、元の世界へ戻ろうとしている。やはり引け目を感じるが、自分たちは空を飛べず、弓を扱えず、魔法も使えず、おまけに体力もない。コウタたちは、戦いの足手まといになるだけだ。せめて、みんなの手助けをできればいいのだが、どうしようもない。

「だけど」とコウタは、声に出した。本当にこのままでいいのだろうか。もやもやとした気持ちのまま、目の前では、壮絶な戦いの火ぶたが切られようとしている。

 長い石段を登り切った生き物たちは、広い境内にぞくぞくと集まってきた。あまりの大軍のため、境内に入れきれず、石段にまで行列がはみ出していた。大方の生き物たちが、それぞれ個性的な武器を手にしている。ものすごい数と熱気だ。

 それでも、この境内は敵の陣地なので、誰もが皆、油断をせず、慎重に様子をうかがっている。このあまりに張り詰めた空気に、コウタたちも心臓が高鳴り、汗が吹き出てきた。

 持国天に指示され、コウタたちは、後方の石段を数歩降りて身を伏せた。その直前に、オー君の様子を確かめると、オー君は、この熱気に気づいたのか、顔を少しだけ持ち上げていた。

 社殿の背後にあった黒雲が急激に、もくもくと巻き上がった。全員に緊張が走った。社殿は、たちまち黒雲に覆われ、見えなくなった。そのあたりの地面が赤黒く光り、脈動し始めた。

 地面から上に向かって放射された赤い光は、黒雲の内部を照らし出す。黒い塊と不気味な光が交互に現れ、地面の下に潜んでいる、得体のしれない巨大なものが見え隠れした。太い血管のような光が黒雲の内部で稲妻のように走り、脈動し、動きがどんどん活発になっていった。

 すると、上空で待機していた四体の龍が、その地面に向かって、一気に炎を吹きつけた。すぐさま、四つの炎の塊がまっ赤な大玉を作り上げ、地面は赤と黒、交互に、目まぐるしく発光した。ものすごい熱量だ。黒い雲は、チリチリと端から焼け焦げ、縮んでいった。しかし、内側から黒雲がどんどん湧き出し、焼けた部分を呑み込んでいった。やがて、多量のツララが、黒雲の中から飛び出してきた。

 ソラトの号令が合図となった。境内の広場で待ち構えていた生き物たちが、いっせいに、黒雲の方へ津波のごとくなだれ込んだ。石段側で待機していた大軍がそれに続き、押し寄せていった。コウタたちを追い越して、次から次へと、広場へ、黒雲へと突入していく。とんでもない数の生き物たちだ。

 コウタたちが驚く間もなく、一瞬で戦いが始まった。

 左右の黒雲からは、多量の雹が飛来した。後方にいた小人族の大群は、雹を巧みによけながら、歓声を上げて黒雲に突入すると、中に隠れていた魔物たちが弾き飛ばされ、空中に消えていった。天邪鬼を大きくしたような、醜悪な姿をした魔物たちだ。

 何千人もの小人族は、炎のついた矢を構えると、ソラトの合図で、いっせいに奥の黒雲目がけて打ち込んだ。

「炎の力で、冬将軍を地底深くまで、押し戻すんだ!」ソラトは叫んだ。

 様々な鳥たちは、空から燃える首飾りをいくつも、黒い雲へ投げつける。龍たちから、火を分けてもらったのだろう。みんな、炎の輪を小さな口ばしで懸命に運んでいる。小さな、か弱い生き物までが、けなげに、戦いに参加しているのだ。

 持国天たちは、空中から背中の炎を黒雲に向って吹きつけ、地面の赤黒い光を潰そうと懸命だ。

 後方に控えていた水曜亭の人々も、コウタたちを通り越し、勇敢に前進していった。大きなテレビほどもある火炎放射器を、みんなで抱えながら、炎を吹きつけている。支配人、勾玉博士、コックたち、そして客たちも加わり、全員汗だくになりながら、必死で冬将軍一味に立ち向かっている。

 その勢いに、黒雲は焼け焦げながら、やっと後退し縮小していった。黒雲で見えなかった社殿が、少しずつその姿を現した。人々は、ひるまず、後から後から、黒雲へ攻め入った。広かった境内も今は生き物たちで騒然とし、手狭に感じるほどだった。

 想像以上に、こちら側が優勢だ。冬将軍がこれほど簡単にやられるとは、思ってもみなかった。だが、あまりにうまく行き過ぎる状況に、コウタは小さな懸念を感じた。

 三人は、あまりに壮絶な光景に、あっ気にとられていたが、ふと我に返った。今なら、オー君を救い出せるではないか。三人は、ほぼ同時に気がつき、声を上げると、オー君の方へ走り出そうとした。

 しかし突然、コウタは背中に悪寒が走るのを感じた。石段の下方から、変な風が吹いてきたのだ。

 ずっと下方にある石段両脇の木々たちが、ざわめき出した。太い枝は激しく揺れ動き、近づこうとする者たちを容赦なく威嚇している。コウタは、嫌な予感がした。

 すると、木々たちの背後から、黒いどろりとした塊が石段に流れ出した。偽マンジを開けた時に飛び出てきたものと、そっくりだ。それは、左右から石段にどんどん流れ込み、石段を埋め尽くすと、そのまま、下へ滑り落ちていった。まるで、濃厚なソースだ。流れ出た黒い塊は、最下段に到達する前に黒い雲となって立ち上がった。

 石段途中にいる生き物たちは、この新たに湧き起った黒雲と戦い始めた。

 一番下方の麓には、味方の大軍が待機している。彼らは、周囲に目を光らせ、いつでも上に登れる準備をしていた。石段途中で発生した黒雲の攻撃に気づくと、仲間たちに加勢するため石段を登っていった。しかし、黒雲の中から大量の雹が下方へ投げつけられ、味方の軍は、石段を登っていくことができない。

 この石段途中から発生した黒雲のせいで、味方の軍勢は三つに分断されてしまった。

 麓にいる大勢の仲間たちは、上に登って来られない。コウタたちのいる上部の大軍は、下へ降りられない。石段途中にいる者たちは、上下とも道を塞がれ、どちらへも進めない。つまり、最前線にいるコウタたちは、前後左右を黒雲に囲まれ、境内に取り残された状態になる。

 更に恐ろしい予感がコウタの頭をよぎった。

 社殿を覆っていた黒雲は、縮小し後退していった。赤黒い光も、弱々しくなっていった。生き物たちは勝利を確信し、大歓声を上げた。だが、そうではなかった。

 小人族が炎の矢をすべて射り、持国天たちが炎を投げ尽くすと、それを見計らったように、いきなり黒雲が湧き上がった。まるで、黒い入道雲で出来た巨人が、立ち上がったかのような姿だ。と同時に、強烈な吹雪を吹きつけてきた。それはただの吹雪ではなく、あらゆる熱を奪い取る、死の吹雪だ。先ほどコウタたちに迫って来た、白い死の波が、吹雪に変わったのだ。

 あっという間だった。広い境内にいた大勢の仲間たちは、その場で立ったまま凍りついた。

 小人族は弓をつがえたまま、小さな氷の立像になり、渡り鳥たちは、空中で凍りつき地面に落下した。クマネコや白キツネたちも、火炎放射器を抱えたまま、氷の柱になった。狛犬兄弟は、さっき話していたとおり、本当に、氷の狛犬になってしまった。あの堂々とした龍でさえ、凍ったまま、空の一角に張りついているではないか。しかも、龍の吐く炎さえ、長い氷のアーチと化している。

 コウタは、瞬時に悟った。敵はわざと弱ったふりをして、生き物たちをこの境内へおびき寄せたのだ。そして、黒雲で下方の逃げ道を塞ぎ、一網打尽にする計画だったに違いない。

 コウタの心臓が、いきなり跳ね上がった。両脇にいる、亮平も、翔も凍っている。

 二人は、目を見開き、どこか遠くを見つめたまま、氷の柱の中にいる。コウタは、今までにないくらい、全身が震えた。

 自分も凍っているのか。コウタはひどく混乱した。震える両手を胸の前にあげて、観察した。が、手は動くし、頭も動かせる。両足は強張ったまま震えているが、凍りついてはいない。

 何より、自分の心臓の鼓動が、ひときわ熱く、生きているのを主張している。心臓の四つある部屋が、強く輝き、冬将軍の強力な冷気を払い除けている。コウタはそう感じた。何故、自分の心臓だけが特別なのか、それはわからない。自分の心臓の四つの部屋は、力強く拍動して、熱と光を産み出し続けていた。

 無事なのは、コウタだけだった。あたりはみごとに静まり返り、おびただしい数の氷像が立ち並ぶ境内を、異様な吹雪が吹き荒れていた。

 あれほど大勢味方がいたのに、結局、冬将軍にはかなわなかったのだ。完全な敗北だ。

 コウタは、ふとオー君の姿に目が留まった。これだけ大勢の生き物たちが氷漬けにされているのに、オー君は、無事だった。今にも消え入りそうなかがり火が、オー君の足もとで、まだ揺れていた。オー君は、巨大なツララに磔にされたまま、ぐったりしているが、青紫の唇は震え、何かを小さくつぶやいている。いや、よく見ると、口の中にはたくさんのツララが詰め込まれ、一生懸命に吐き出そうとしているのだ。ツララが喉に刺さっているのか、唇の横からは、赤い血が一筋流れていた、

「オー君!」

 コウタは、ありったけの力で叫んだ。

 オー君は、その大声に体をピクリと震わせた。それから、両目をかっと見開きコウタを一瞥すると、怯えた様子で、視線をそのまま社殿背後の黒雲へと移した。オー君は懸命に、何かをコウタに伝えようとしている。その見開かれた瞳には、恐怖とともに、黒雲の赤黒い光が映り込んでいる。

 すると、黒雲の中から、背の高い、ひょろりとした生き物が姿を現した。水曜亭で見かけた、あの嫌みなノミネコだ。

 あの時よりも、目つきがぐっと鋭くなっている。おまけに手足もやたら細長くなり、妖怪じみた、気味の悪い姿になっていた。ノミネコは、冷たい笑いを浮かべながら、コウタの方に近づいてきた。

「やっと会えたな、マンジの少年よ。この裏切者の死に損ないと一緒に始末できるとは、手間が省ける」

 ノミネコはそう言いながら、ちらりとオー君の方を見た。裏切者の死に損ないとは、オー君のことらしい。

 コウタは、明らかに形勢が不利だとわかっていても、強気で叫んだ。

「オー君は僕らの友だちだ。裏切者でも、死に損ないでもないよ。それに僕は、コウタだ。マンジの少年なんかじゃない。だいたい、どうしてオー君をしつこく追い廻すんだ?」

 ノミネコは、大げさにのけ反りながら、高笑いした。

「我々が、そいつを追いかけている?まだ、本気でそう信じているのか?これほど愚かな奴は、今まで会った覚えがない。こんな奴が、マンジの少年とは呆れた話だ」ノミネコの両目に、力がこもった。「我々が追いかけていたのは、あんな死に損ないじゃない。マンジの少年よ、おまえだ」

 コウタは、後ろから頭を殴られたような思いだった。冬将軍に追いかけられていたのは、オー君ではなく、自分だった?衝撃と疑問が、頭の中を駆け巡り、たちまち混乱した。

「あの裏切り者は、いつだって始末できる。おまえを捕えるための、おとりとして、生かしておいたに過ぎない。そもそも、お前は、あいつに騙されているのだ。本当のあいつを、お前は知らない。あいつは、おれたちの仲間だ。おれと共に、冬将軍の下、特別なマンジの見張り番なのだから」

 この言葉でコウタは、完全に打ちのめされた。ノミネコの言うことに騙されてはいけないと思いつつ、それが真実だとコウタはよくわかっていた。

「ところが、あいつは我々をも裏切ったのだ。冬将軍の懐から、特別なマンジを盗み出し、自分に移して、地底国から持ち去った。そして、本来なら入れるはずのない、こちらの世界へ、あいつは逃げ込んだ。どんな汚い手を使ったのかは知らないが、誰かの協力なしには、難しいはずだ。が、結局、我々から逃げ切れないと悟ったのだろう。あろうことか、マンジの力をおまえに移したのだ。いや、たまたまその場にいたおまえに、押しつけただけだが」

 ノミネコは、目をギラギラさせながら、意気揚々と語った。

 コウタは、ノミネコの言うことを信じたくはなかったが、水曜亭で聞いた話や、先ほど雪虫から聞いた話が、次々よみがえってくる。

(…力がある。隠された力が、コウタの中に…)

 コウタの中に隠された力とは、マンジの力、すなわち、二人の科学者と火の精霊が共同で開発した特別な装置のことに違いない。

 だが、自分の中に、そんな大それた力は微塵も感じられない。コウタはまだ、半信半疑だった。

「そういうわけで、マンジの力が、冬将軍のものだとわかっただろう?もちろん、元の持ち主へ返してもらう。しかし、厄介な手順が一つある。いったん誰かに預けると、預かった奴が死なない限り、マンジの力は取り出せない。あいつの場合は、例外だ。あのとおり、死に損ないだから、おまえに力を移した後も、生き延びられていただけだ。まあ、それも後わずかだろうが」

 コウタは、オー君にチラリと視線を移した。オー君は、口の中に詰め込まれたツララのせいで、うめき声しか出すことができない。コウタを凝視したまま、何かを目で必死に訴えている。

 だが、果たして、オー君を信じてもいいのだろうか。揺らぐ心に、コウタは苦しんだ。それでも、今は、今だけは、一筋の光を信じよう。オー君が何者でも、ここまでこうして一緒に長旅をしてきたのだ。この世界が嘘でも、思い出は本物だ。コウタは、少しだけ心が落ち着いた。

「まったく、おまえたちは、みんなどうかしているよ。僕は、特別なマンジなんて、受け取ってないよ。だいたい、僕のどこに、そんな力があるって言うんだい?」

 コウタは、半ば破れかぶれになり、自分の胸をこぶしで叩いてみせた。

 ノミネコは、コウタの滑稽な行動に、薄笑いを浮かべて言った。

「情けないほど、無知で無能な少年よ。いや、おまえが愚かなのは、我々にとって、誠に好都合。あの日あの時、偶然公園にいなければ、おまえは分不相応な力を押しつけられることもなく、こうして殺される運命ではなかったはずだ。その点は、おまえに同情しよう。運がなかったのだ。だから、運が悪かったおまえに、一つ、いいことを教えてやろう。おまえたちは、マンジを見つけて開けながら、この世界を旅してきた。そう思っているだろう。だが、小僧よ、この世界に、本物のマンジなんて、一つもないのだ」

 コウタは、またしても激しく動揺した。この世界にマンジは一つもない?では、自分が触れ、廻した数々のマンジは、何だったのだ? 決して幻なんかじゃない。どれも、しっかりと、手ごたえのある感触だった。亮平や翔だって、マンジを目撃している。

 それでも、奇妙に思っていたことは確かだ。いつも都合よく、コウタの目の前に、マンジが現れていたからた。砂金川の水面に、家具屋の店先に、それから、飛行船病院の玄関のドアノブに。そうだ、偽マンジ以外は、最初にマンジを見つけ、手を触れ、開けていたのは、いつもコウタだったではないか。

 すると、もしかしたら、自分がマンジを創っていたのだろうか?

(…力がある。隠された力が、コウタの中に…)

 雪虫はそう言っていた。

 だとしても、コウタには確信がなかった。どうやってマンジを創っていたのか、肝心な部分が、さっぱりわからないからだ。わからないが、答えはすべて、自分の中にあるに違いない。きっと、取り出せない答えが、自分の中にあるのだ。

 コウタは、独り愕然とした。その力があるとわかっても、その力を取り出せない自分が、ひどく歯がゆいし、自分に対して腹が立った。

 ノミネコは、既に自分が勝利したと確信したのだろう。その感覚に、ひとり酔いしれている様子だ。

「この世界で力は偉大だ。だから、力を持つ者も、それに見合って偉大でなければならない。冬将軍は、その力を持つにふさわしいお方だ。不遇にも、地下深くに閉じ込められたが、絶大な力ゆえ、こうして、地上に小さな穴を開け、上の世界にも力を送り込めるのだ」

 ノミネコは、うっとりと遠くを見る目で語った。

「なのに、おまえみたいな小僧に、マンジの力をかすめ取られるとは」

 突然、ノミネコの語気が荒くなった。目はまっ赤に染まり、憎しみに燃えていた。その目は、水曜亭を飛び出す時に見た、ノミネコのあの目だ。

「のうのうと生きているおまえが、誠に許し難い。願いが叶うなら、あそこの裏切り者と共に、今すぐにでも始末してやりたいくらいだ」

 ノミネコの異常な目を見ていると、コウタにはふと恐ろしい光景が頭の中に見えてきた。これは、冬将軍の考える理想の世界ではないだろうか。はっきりとした映像が、ノミネコの目を通して、コウタには見えたのだ。

 この世界の生き物たちやコウタたちの住む世界の人々、動物たち、樹々や山々や海や草原。全世界のすべてが凍りつき、生きている者がいない世界。空気や炎も凍りつき、空も凍っているのだ。そんな恐ろしい氷の塊と化した世界が、いくつも積み重なって巨大化していく…それは惑星をも凍らせ、太陽すら氷結させ、冷気の稲妻が宇宙空間を駆け抜け、死の宇宙空間を永遠に積み重ねていくのだ。

 あまりに壮大な光景に、コウタ自身も凍りつきそうになった。頭の中に入って来た映像が、たちまちあたりを冷たくし、背骨を通って下へ下へと、氷が降りて行く。コウタの体は、頭から順に、シャーベットになっていくような感覚がした。

 ついには、その冷たさの先端がコウタの心臓にまで触れ、きゅっと収縮したのを感じた。コウタは、ぞっとして、入って来る映像を強く拒否した。拒否しなければ、冬将軍がコウタの体を全て支配してしまうだろう。それくらい、冬将軍の未知なる力は強力だった。冬将軍の思い描く理想の世界を垣間見ただけでも、映像を通して、その力が及ぶのだ。

 恐ろしい力だ。冬将軍の正体は、計り知れない。コウタは、思わずよろめいた。

 その様子を見たノミネコは、にやりとした。

「おまえ、今、見たんだろう?冬将軍様の世界を。そして、十分思い知ったのだろう?」

 ノミネコは、そう言うと、ケタケタと笑い声を上げた。

「理想を実現するのは難しいが、今ならたやすいこと。おまえをここで殺せばいいだけだ。マンジの力は、元の持ち主に戻るべきなのだ」ノミネコの背後の黒雲から、たちまち、強い吹雪が吹きつけてきた。「盗られたものは、きっちり返してもらう。恨むなら、あの死に損ないを恨むんだな。だが、最後の最後に、一つだけチャンスをやろう。冬将軍さまが、特別なお慈悲をおまえに与えたのだ。おまえが、こっち側へ来て、冬将軍のために働くと言うのなら、当分は生き延びられるだろう。これが最後のチャンスだ。さあ、これで話はおしまいだ。少しだけ時間をくれてやろう。僅かな脳みそでよく考えるんだな。おまえの返事を待とうじゃないか」

 ノミネコの姿は黒い雲の中にかき消え、いやらしい笑い声だけが、おびただしい数の氷像に反響した。

 コウタは、あまりの話ととんでもない体験に愕然とした。本当は、その場にヘタヘタと座り込んでしまいたかった。それほど、身も心も限界だった。なのに、そうはできなかった。

 今は、座り込んでいる暇はない。自分の命すら、危うい状況だ。このままでは、オー君やみんなを、助けるどころか、自分の身一つすら守れない。

 だからと言って、たった一人で、何ができるのだろうか。自分の中に、マンジを創る力があったとしても、自分はそれを使えないし、武器にもできない。それでは、何の意味もない。自分は本当に無力で役立たずだ。情けない。

 いっそのこと、冬将軍に降伏した方が、みんなを助けられるのだろうか。

 いや、それはありえない。たとえマンジを創る力を自分が発揮できたとしても、さっき見た映像どおり、全宇宙を凍結させる悪事に加担させられるだけだ。みんなを助けるどころか、みんなを死滅に追い込んでしまう。

 その時、コウタは、すぐ目の前にいる雪虫たちに気がついた。ノミネコの姿が消えたとたん、やって来たようだ。石段にいたはずの雪虫たちが、いつの間にか、コウタの周囲を飛び廻っている。しかし、雪虫は弱々しく、飛び方も力ない様子だ。雪虫は、コウタに気づいて欲しかったのか、気の毒なほど、一生懸命にささやいている。

 ― 大丈夫。コウタにはマンジの力がある、マンジの少年だから

 それを聞いたコウタは、ある事を思い出した。

 エメラルドの炎に包まれ、水曜亭を飛び出した時、マンジを開けろという声がした。コウタはてっきり、支配人の声かと思っていたが、それは、この雪虫の声だったのだ。鈴の音がいくつも重なった、深い音色だ。雪虫は、マンジの力について、コウタにどうにかして伝えたかったのだろう。今になって、雪虫の必死な思いが、やっと理解できた。

「そうか。水曜亭を出る時、マンジを開けろと教えてくれたのは、雪虫だったんだね」

 雪虫は、返事をする代わりに、全ての雪虫がお尻を小さく震わせた。温かく優しい思いが、コウタを勇気づけた。

 絶対に、冬将軍にマンジの力を渡してはいけない。マンジの力とは、支配人が話していた、特殊な装置のことだ。そもそも、火の精霊である雪虫と科学者たちが創り上げたものなのだ。それが、巡り巡って、どういうわけか、今は自分の中にあるらしい。

 これは、夢ではない。現実よりもっと、現実なのだ。こちらの世界は、自分たちの住んでいる世界とはまるで違っているけれど、確かに繋がっているのだ。それは、地図では表せないが、夜見る夢を通して、心を通して、まだ知らない何かを通して、繋がっている。

 だから、ここで冬将軍に打ち勝たないと、亮平たちやみんなや、この世界が滅びてしまう。それだけではなく、自分たちの住む世界だって滅びてしまうのだ。そんなことは、絶対に許せない。そんなことをさせてたまるか。

 そう決心したとたん、コウタの心の底から、熱湯のような勇気が湧いてきた。

「わかったよ。僕に、本当にその力があるのなら、戦うよ。凍ったみんなを助けて、世界を元通りにできるのなら、立ち向かうよ。どのみち、僕しか残っていないのだから、戦うしかないよね。それで、どうやって戦えばいいの?」

 雪虫たちは、尻の綿毛をさらに震わせて、飛び廻った。まるで、全身で喜んでいる様子だ。

 ― 嬉しい、マンジの少年、嬉しい

   でも、言えない、話せない。強い呪いの封印で

   コウタが見つけて、できるはず

   マンジの少年、やれるはず

   力の限り守るから

 残念ながら、どうやって戦えばいいのかの回答は得られなかった。コウタは、てっきり答えを教えてくれるものだと思っていたので、がっかりした。

 ― マンジの力は、宇宙の力、太陽の車輪、

   心臓を動かす根源の力…

 雪虫は、こう歌いながら、またしても、ふっと消え去ってしまった。とたんに、コウタは焦り出した。

「ちょっと待って!どうやって戦うのか、せめてヒントだけでもいいから、教えてくれよ!僕を守ってくれるんじゃなかったの?」

 コウタの叫び声は、氷像が立ち並ぶ境内に、空しく響き渡るだけだった。返答など、あるはずもなく、あるとも期待していなかった。

 戦う術を持たないコウタは、再び寒空に一人放り出された。

 だが、今は違う。さっきまでの、混乱し弱気で怯えている自分ではない。

 こうして悩んでいても、答えは出ないし、助っ人もいない。おまけに、時間もない。コウタの返答を聞きに、ノミネコが、じきにやって来る。それならば、一か八か当たってみるしかないだろう。

 大きく深呼吸をすると、社殿の背後に湧き上がる黒雲を見すえた。それは、もくもくと急速に湧き上がり、形を変えながら、ますます巨大に成長していった。大きな目玉状のものが、黒雲の中にいきなり現れ、コウタをギョロリとにらんだかと思えば、すっと煙の中に消える。コウタは一瞬ひるんだが、気味悪いと思う間もなく、今度は巨大な口がいくつも現れたかと思うと、にやりと大きく笑い、すぐに見えなくなった。

 変幻自在な化け物でも潜んでいるのだろうか。それとも、単なる幻だろうか。注意深く、黒雲を観察してみるが、何も見つからない。ただ、黒い霧状のものが、内側から次々に湧きあがるだけだった。

 コウタは、近くに転がっていた雪かきを手にすると、黒雲へと突き進んで行った。雪かきなんて、役に立たないとわかっているが、何も手にしていないと、ひどく不安なのだ。滑稽な姿だと思いながらも、コウタはひるまなかった。

 コウタに反応したのか、ものすごい吹雪が、突如吹きつけてきた。おまけに、ツララと雹が、ひと塊になって飛んでくる。コウタは、思わず持っていた雪かきの柄を強く握りしめ、打ち返そうとした。早くも、手は汗でびっしょりだ。

 しかし、コウタが動く前に、雪虫たちが突然現れ、コウタの周囲を高速で回転し、それらを跳ね除けた。雪虫たちは、不思議な力でコウタを前進させてくれる。

 こんな小さな虫たちなのに、なんて強い力なんだろう。この世界では、小さきものたちこそ、力強さを秘めている。コウタたちの世界とは、まるで正反対だ。だったら、小さく、ひ弱な自分にも、冬将軍に打ち勝つチャンスがあるのかもしれない。

 根拠はまったくないが、雪虫のおかげで、コウタは少しだけ希望と自信が湧いてきた。

 コウタは、手と雪かきでかき分けながら、黒雲の中に分け入った。黒雲は、ねっとりした分厚いカーテンのように、何重にも折り重なり、コウタの行く手をはばむ。ベタベタと、体にまとわりつく不快さに我慢しながらも、前進し続けた。絡み合った、分厚い黒雲を押し広げ、ついに一番奥へと入り込んだ。

 そこは吹雪もない、しいんとした部屋のような空間だった。まっ黒な壁に覆われているのに、妙に薄明るい。よく見ると、壁ではない。まっ黒なタールを固め、そこに生命を宿したような、吐き気がしそうなほど気味の悪い何かだ。そんな、異様なものに、四方を取り囲まれている。そして、その中でたたずんでいたのは、ノミネコだ。

 ところが、先ほどのノミネコとは、えらく様子が異なっている。目はうつろで焦点が合っていない。口はだらしなく半開きで、よだれを垂らしている。奇妙にも、体全体がぼんやりと、黒い半透明になって、揺らめいている。薄墨で描かれた絵を思わせる姿だ。それなのに床に落ちているノミネコの影は、信じられないほどまっ黒く、しっかりとしている。ずっと見ていると、寒気を感じるほどだ。あまりの不気味さに、コウタは鳥肌が立った。

 すると、目も口もない影の中から、低くうなる声が響いてきた。ノミネコは、相変わらずうつろな目であらぬ方向を見つめている。

「来たか、小僧。呑み込む前に、呑み込まれに来たのか。いい度胸だ」

 ノミネコの影がしゃべった。明らかに、別な者がノミネコをあやつり、その影を使って、話しかけているのだ。

「僕は、小僧じゃない。子ども族のコウタだ」

 コウタは、ありったけの虚勢を張って叫んだ。

「たわごとは、どうでもよい。では、答えを聞こうじゃないか。盗んだものと共に、私の下で働くか、死体になって盗んだものを返してもらうか」

 目の前にいるノミネコは、もはやノミネコではなかった。ノミネコの影も、ノミネコのものではない。自分が向かい合っているものの正体がわかったとたん、コウタは心臓が大きく脈打った。

 コウタは、湧き上がる恐怖をどうにか抑え込みながら、再び強気に叫び返した。

「おまえが、冬将軍か。僕はお前の手下にはならないし、マンジの力も渡さないよ。そう決めたんだ。そもそも、これはお前のものでは、ないだろう?火の精霊と科学者たちが創ったものじゃないか。マンジの力を持つ資格が、僕にあるかどうかはわからない。けれど、おまえよりは、ずっとマシだろうよ。だって、僕は温かい世界を凍らせたりはしない。だから、マンジの力を預かっておく資格くらいは、あるはずだ。さっさと、オー君を解放し、みんなを元の姿に戻すんだ」

 これが精一杯だ。コウタは、内心びくびくしながらも、持っていた雪かきを、思いきって振り上げた。強気に叫んだものの、本当は恐怖でいっぱいだった。

 ノミネコの黒い影は、禍々しい静けさの中で、あざ笑っていた。

「おまえ、私を誰だと思っているのだ?先ほど、おまえに映像を送り、おまえは私の偉大な力を思い知ったはずだ。ここにきても、格の違いがわからぬほど、おまえは間抜けなのか?おとなしく殺されるのなら、死体だけはおまえの世界に返してやろう」

 黒い影は、突如甲高い声で、狂ったように笑い出した。影自体が、笑い声に合わせて、ゆらゆらと、陽炎みたいに揺れている。

 コウタは、無我夢中で雪かきを何度も黒い影に向かって振り下ろした。雪かきは、黒い影に当たっているにも関わらず、ただ凍った地面を空しくガリガリと削るばかりだ。

 影は、ますます笑い声を上げ、ノミネコの体から離れると、コウタの周囲をすごい勢いで走り出した。地面だけではなく、黒い壁や床や天井まで、縦横無尽に駆け巡った。あまりの速さに、コウタの目は追いついていけない。完全にコウタをバカにしている。なのに、コウタは、ただただ恐怖で震えるばかりだ。

「マンジの力を真に理解できるのは、この私だけだ。おまえに何がわかる?」

 黒い影は高速で走り廻りながら、笑い叫ぶ。あまりに高速なので、声が四方八方から響いて聞こえる。気が狂いそうだ。そして、あまりに素早過ぎる動きに、何十体もの黒い影に、取り囲まれていると錯覚しそうだ。

「マンジの力を扱えるのは、能力者の私だけだ。おまえに何ができる?」

 黒い影はそう叫ぶと、手の先から延びた鋭いものを地面に突き刺した。黒いそれは、影の形から、刃物にも見えるし、ツララにも見える。その地面には、コウタの影が映っているが、突き刺された影の部分は、ちょうどコウタの膝のあたりだ。

 そのとたん、コウタは、自分の膝に猛烈な痛みを感じて、悲鳴を上げた。立っていられず、膝を押さえて、その場に倒れこんだ。息が止まるほどの激痛だ。急いで膝を確認したが、血も出ていないし、ズボンも破れていない。傷一つないのだ。なのに、とんでもない痛みで、コウタは立ち上がれなかった。

 黒い影は、いったんピタリと立ち止まり、コウタを見下ろすと、大笑いした。

「マンジの力も世界も宇宙も、すべては私のものだ。何故なら、私こそが、王者となるのに、ふさわしいからだ。聞け、小僧。おまえのようなクズは、役に立たないどころか、存在する価値すらない。あそこの裏切り者と仲良く凍って、粉々に砕けるがよい。冷たさと硬さこそが、宇宙で最も崇高なものだ。熱を冷たさに逆転させ、凝縮し固めて、結晶を創り上げていく。これこそが、最高の芸術品となるだろう。温かさや柔らかさなど、生ぬるく、仮の姿に過ぎないのだ。だから、生き物は皆、死を求め、死へと向かうのだ。死は永遠なのに、生きることは、はかない。それ以上に、愛は、地上でしか通用しない、単なるまやかしだ」

 黒い影は、なおも叫びながら、今度は、地面に映るコウタの腕の影を狙って突き刺した。コウタは、再び激痛に悲鳴を上げ、腕を押さえて転げ廻った。立ち上がれないまま、あまりの腕の痛みで、涙がにじみ出てきた。

 痛みと恐怖で、コウタは少しもまともに考えられない。自分はこのまま、冬将軍にやられ、ズタズタにされてしまうのか。謎のマンジの力は奪われ、その力で、地上も天上界も、そして自分たちの世界も、みんな、破滅してしまうのか。ああ、いろんな世界の生き物たちや自分たちも氷漬けにされ、死に絶えてしまう。

 いや、その前に、自分はここで先に死ぬのだ。

 その時、コウタはあの声を耳にした。最初に、公園の地面から響いた、あの不気味で苦しげな声だ。雪虫とはまったく異なる、男の声だ。

 …マンジを開けるんだ…




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