第20章 勾玉博士の秘密
「オー君!」
コウタと亮平が、同時に名前を叫ぶと、オー君は、大きく体を震わせ、恐怖にひきつった顔を上げた。そんなオー君の反応に、二人の方が逆に驚いて立ち止まってしまった。それからオー君の顔を見て、再度驚いた。オー君が、まるで別人に見えたからだ。
そこにいるオー君は、かなり年齢のいった大人の顔だった。とても、同年代の子どもとは思えない。しかし、よくよく見ると、それは確かに、いつものオー君だ。いったいどうなっているんだろう。
目がおかしくなったのか、それとも、二人同時に、幻でも見たのだろうか。コウタと亮平は、一時混乱したが、オー君の方が先に落ち着いた。自分に近づいてきたのが、コウタたちだとわかったからだ。オー君の顔には、少しだけ笑みがこぼれ、見慣れた、柔和なオー君が表れてきた。
「コウタ、亮平…来てくれたんだ」
オー君は、ひどい顔色の上、今にも泣き出しそうに、目を潤ませている。コウタたちはオー君のすぐそばまで行くと、しゃがみこんだ。
「ああ、よかった。この世界のことだから、大丈夫だとは思っていたけれど、君の顔を見るまでは安心できなかったよ」
コウタは、脱力しながらそう言った。
「僕、銀ギツネを見つけて手を伸ばしたとたん、稲妻みたいなものにやられたんだ」
「雷の矢に撃たれたんだよ。理由は、わからないけど」
続いて亮平が、興奮気味に言った。
「無事で本当によかった。二人が、大穴へ落ちるのを見た時は、心臓が止まるかと思ったよ」
亮平はそう言うと、緊張の糸が切れて気が緩んだのか、横の柱に寄りかかって、座り込んだ。ところが、オー君は、再びぎょっとしてイスから立ち上がった。
「二人だって?落ちたのは、僕だけじゃないの?」
厨房内の空気が少しだけ変わった。
「ああ、翔も一緒に落ちたんだ。でも、翔は、君の後に続いて落ちたから、君からは見えなかったんだろう」と、コウタ。
オー君の顔はみるみる、異様な青黒さに染まった。そして、力なく腰をすとんとイスに落とした。
「翔も落ちたなんて、全然知らなかったよ。僕、自分のことだけで精一杯で」
そう言ったきり、オー君はものすごい顔つきのまま、口をぎゅっと硬く結び、黙り込んでしまった。まるで自分が助かったのを、喜んでいないかのようだ。翔のことが、余程心配なのだろう。
そこへ、支配人が三人のもとへ近づいてきた。
「大丈夫だ。翔君も無事だよ」
支配人の一言に、コウタたち三人は救われた。なんと力強い一言だろう。コウタは、肩の荷が下りて、今更ながら、どっと疲労を感じた。
支配人は、いつもより目にぐっと力が入り、どこか頼もしい態度だ。
「君たちの動きは、この厨房から四六時中、見張っていたんだよ。ここを出発した時点からね。だから、二人が雷の矢に撃たれて天上から落ちたのがわかると、いち早く、ガス石を飛ばしたんだ。銀ギツネの粉がくっついていたおかげで、ガス石がそこを目がけて飛んで行き、オー君をいち早く救出できたんだよ。もう一人は、ガス石とうまくかみ合ったが、そのままどこかへ飛んで行ってしまった。どのみち、暖かいガス石に守られているから、当分の間は、問題ないだろう。ここから、そう遠くはないところにいるはずだ」
これで、翔の無事も確かめられた。亮平は感激して、支配人や水曜亭の人々に、やたら礼を言って廻った。しかし、コウタは、あからさまに不信な態度で、つっけんどんに言い放った。
「僕たちを最初から見張っていた?」
すると、支配人は、どこか気まずそうに、青い帽子に手をやった。ひとしきり帽子をいじった後、ぼそぼそと話し出した。
「君たちは知っているかね?ヒスイ餅を食べ、ここを出て行く時、起こった出来事を」
そうだ。コウタは、とたんに思い出した。コウタたち四人が、幸せな気分でここを飛び出そうとした時、支配人たちが急に慌てて、コウタたちを呼び止めようとしたのだ。必死な顔をして、真剣に叫んでいた。それに気がついたのは、四人の最後尾にいたコウタだけだった。
「あのドタバタは、いったい何だったんですか?」と、コウタ。
支配人は、ずれた帽子を丁寧に元の位置に戻すと、おもむろに語り出した。厨房の中は、いつの間にか、しいんと静まり返っていた。
「いつもは、子どもを四人一組にして、砂金川に送り出し、天上界から元の世界に戻していたんだ。砂金川は、安全確実だからね。ところが、最後の一組を、つまりは君たち四人を送り出そうとした時、大変な問題に気づいたんだよ。君たちの中に、一人だけ、特別な者が混じっていたんだ」
コウタは胸の奥がちくりと痛んだ。支配人は、そんなコウタの微妙な変化に気がついたが、話を進めた。
「特別な者はね、いくらヒスイ餅を食べてエメラルドの炎で体を包んでも、砂金川に溶け込めないのだ。砂金川は、純粋なもの以外、受け付けないんだよ。エメラルドの炎は、地水火風の性質をそれぞれ持つ四人を、一組として作られる。だから、一人でも欠けたり、不完全だったりすれば、バランスが保てなくなり、四人全員がおかしくなってしまう。そして、砂金川で銀河原に直行できないと、大変危険な状態になってしまうのだ。残された手段としては、いろんな世界を通りながら、上にたどりつくしかない。君たち四人組みは、そうせざるを得なかったのだ。上まで行かない限り、元の世界には戻れないからね。それで我々は、君たち四人が危険な目に遭わないように、ここからずっと見張っていたのだ」
「危険な目に遭わないようにって、もう十分、危険な目に遭ったけど」
亮平はふてくされて文句を言った。一方、コウタは、別な考えに囚われ、口もとがこわばった。言い出すのをためらっていると、代わりに、オー君がしっかりと言葉にした。
「特別な者って、それは、僕のことなんでしょう?」
オー君は、二、三度瞬きをして、顔を上げた。それから、懸命に思い出そうとしているのか、少しだけ目を細めて言った。
「記憶が抜けているので、よくはわからないけど、僕だけは、みんなと違うところから来たんじゃないかって、思うことがたびたびあった。冬将軍に指名手配もされているし」
支配人は小さくうなずいた。
「ああ、そのとおりだ。君は特別なんだよ」
亮平はぽかんとして、オー君とコウタと支配人の顔を、代わる代わる見つめた。
「オー君のどこが特別なの?影が濃くて、冬将軍に狙われているから?だとしても、おれたちとずっと普通に過ごしていたから、それほど特別じゃないと思うけど」と亮平。
「それは、そうなんだが…」支配人は言いよどんだ。
すると、コウタが、何かを遮るように、語気を強めて言った。
「冬将軍につけ狙われる理由があるのかもしれないけれど、オー君は、僕らのクラスメートで、友だちなんだ。こっちの方がよっぽど特別で重要だよ。だいたい、特別だろうが、普通だろうが、オー君がオー君であることに、変わりはないし、どこへ行っても、オー君が僕らの友だちなのも変わりないよ」
オー君は微動だにせず、コウタの顔を穴のあくほど見入るだけだった。
支配人は、大きく首を縦に振りながらも、少し厳しい顔つきに変わった。
「君の言う通り、どこへ行っても、オー君はオー君だ。だけど、オー君のいた世界が問題なんだ。繋がりを持つのが極めて難しい、我々の知りえない世界だからだよ」
支配人は、言いづらい何かを懸命に伝えようとしている。つまり、表に出してはいけない真実を、言葉で隠そうとしているのだ。それに気づいたコウタたちは、さっと身構えた。支配人は、真剣な顔で言葉を続けた。
「君たちの住む世界やこちら側にある多くの世界が、こうして縦横無尽に広がって、互いに繋がっている。だから、こうして別の世界の者同士が出会えるのだ。出会って交流し、時には助け合って発展していこうとする。そして、天上界が、これら全体の蓋となる世界、つまり、この地球で一番上になる世界だ。この天上界が、地球全体を守っている」
ここで、支配人の顔が陰った。
「一方、特別な者とは、まったく別の世界からやってきた者だ。オー君がどこから、どうやってここへ来たのかはわからない。オー君のいた別世界とは、異界、すなわち我々とは異なる世界、我々の知りえない世界だ。つまり、互いにわかり合えないし、本来、交流もできない世界なのだ」
そう説明されても、コウタたちには、まるでわからなかった。
この水曜亭のある世界も、今まで訪れた世界も、コウタたちにとっては十分異界だ。それなのに支配人は、この水曜亭のある世界も、天上界も、コウタたちの住む世界も、同じ世界側で、オー君のいた世界だけが違うと言う。では、オー君のいた世界、つまり異界とは何なのか。いくら考えても、今のコウタにはわからなかった。
「支配人の言っていることは、全然わからないよ。だって、オー君は僕らのクラスメートだよ?今までだって、学校で一緒に勉強したり、遊んだり、話をしたりしていたんだから、当たり前にわかり合えるし、交流だって普通だよ。そうでなきゃ、一緒に長旅なんてできやしない」
コウタは、腹立たしさを隠すことなく訴えた。そう言ってのけたものの、オー君だけがコウタたち三人とは、明らかにどこか異なっている。悔しいが、その点だけは、理解できるのだ。
コウタは続けて言った。
「仮に、オー君が別の世界から来たとして、それが今、どう問題なの?僕らは既に、銀河原まで行き着けたんだから、何の問題もないように思えるけれど」
すると、支配人は 急にうろたえ出した。
「問題は、問題なんだけど、いや、まあ、異界のことはともかく、君たち四人に迷惑をかけてしまったのは、事実だ。謝るよ。もっと早く気がついていれば、別の安全な方法で、上に送っただろうからね。それでも、君たちはどんな困難にもくじけず、助けを得ながら、銀河原まで行き着けたのは、本当に素晴らしかったよ」
支配人は、最大級の笑みを浮かべると、やたらコウタたちをほめたたえた。コウタと亮平は、支配人を怪しんでいたが、それ以上は追及しなかった。
オー君は無言のまま、じっと、やり取りを聞いていた。その様子から、オー君がどう感じて、何を考えているのか、まるでうかがい知れなかった。
「でも、そのせいで、オー君はこんなに具合が悪くなったんだ」
亮平は、オー君をちらりと見た後、支配人を容赦なくにらみつけた。すると支配人は、少し困った顔で、はみ出した耳をいじり始めた。
「その件だがね。オー君の病気は、この旅のせいではないよ。他に理由があるはずだ」
支配人は横目でオー君を気遣いながら、必死に何かを堪えている様子だ。顔中から汗が吹き出し、滴り落ちてきた。単に暑いから汗が出ている訳ではなさそうだ。
オー君は、うなだれたままだった。
やはり、支配人には、まだ隠し事がある風に見える。コウタはそう直感した。亮平も、そう思っていたのだろう。不満の溜まっていた亮平が、先に爆発した。
「だったら、どうして、オー君はこんなに具合が悪いのさ。どんどん動けなくなる一方だし、影はまっ黒になるし。おまけに、記憶も戻らない。あれもこれも、異界のせいだって言いたいの?そもそも、どうしてオー君が冬将軍に追いかけられているんだよ」
支配人は、言葉をぐっと詰まらせた。汗は、いく筋もの流れとなって床に滴り落ちている。それから、がっくり肩を落とすと、言葉をポツポツと吐き出した。
「本当のところ、私にはわからない。私は勝手に、推測しているだけだ。もし仮に知っていたとしても、私のような者が話すべきではないだろう」
支配人はオー君について、明らかに、重要な何かを知っている。その場にいる誰もが、そう感じた。厨房は、一気に緊迫した空気に包まれた。無言の間を切り裂くように、とうとうオー君が、まっ青な顔を上げて叫んだ。
「お願いです、支配人。知っていることがあるのなら、どうか、隠さずに教えてください。支配人の推測でも、何でもいいんです」
オー君は、必死な形相だ。今にも号泣して、崩れ落ちてしまいそうだ。
「だって、自分のことについて知る権利くらい、あるでしょう?僕は、自分が誰なのかさえ、とうとうわからなくなってしまった。コウタたちと学校で過ごした思い出も、今は、あいまいな記憶にしか思えない。たぶん、本当の記憶じゃないんだ。この世界へ来る前の、本当の記憶が、僕には少しもない。訳もわからず、このまま冬将軍に、一生追われ続けるなんて、あんまりだ!」
オー君の切実な訴えに、コウタたちは、やりきれない思いでいっぱいになった。
オー君の言う通り、学校で一緒に勉強したり遊んだりした記憶が、今は何故か、薄っすらとぼやけている。それどころか、オー君の正確な名前すら、思い出せない。オー君はこうして、コウタたちの目の前にいるのに、どうにもフワフワと、つかみどころがない幽霊にしか思えないのだ。
「僕からも、お願いします。知っていることを話してください」
コウタも支配人に懇願した。秘密を知りたい、知るべきなのだ。しかし、同時に、その秘密を耳にするのが、無性に、恐ろしくてたまらない。
支配人は、一瞬ためらい、言葉を詰まらせたが、少しの間、頭に手をやって自分の決心を固めていった。それから、おもむろに視線を上げて、オー君を見すえた。
「わかったよ。確かに、君には自分自身のことを知る権利がある。まだ大人になっていない君には、残酷過ぎて話すべきではないと思っていたが、君が覚悟しているのなら、伝えよう。むろん、私はすべてを知っている訳ではないが、知っていることを君に伝えよう。どうか落ち着いて聞いて欲しい」
オー君は、小さくうなずいた。その瞳は、真剣そのものだ。コウタたちも、更に緊張して構えた。
「何も覚えてないのは、おそらく君が、自分で自分を封印したからだよ。君はこっちの世界に入る代わりに、記憶を失った。記憶と引きかえに、君はこっちの世界に入ってきたのだ。だから、本当の記憶がすべて戻るのは、たぶん、君が死ぬ時だ。今度は、死と引き換えに、君の記憶は戻るだろう。そして、この世界からも出ていける。だが、そうまでして、この世界に来たかったのは、きっと深い訳があったに違いない。その訳を私は知らないが、冬将軍に追われているのを考え合わせると、相当深刻な理由なのだろう。今の私にわかるのは、これくらいだ」
オー君は、口を大きく開けて叫んだ。いや、声にはならず、驚愕した顔だけが空中に張りついた。次の瞬間、両手で顔を覆い隠し、突っ伏したまま動かなくなった。コウタと亮平も、あまりの衝撃に言葉を失った。
自分たち子どもにとって「死」は、とてつもなく遠い世界の話だ。この旅路では、途中で危ない目に何度も遭ったが、いつもその先には希望があった。みんなで助け合えば切り抜けられるとも思っていた。実際に、四人全員で銀河原へ行き着けたのだから。
けれど、この旅路も含め、オー君を取り巻く世界に隠されている秘密は、あまりに重く深刻だ。それは、まだ子どもであるコウタたちには、とても手に負えない代物だ。
「だったら、死なない限り、何も思い出せないし、元の世界に帰れないの?僕は、いったい誰なんだ?どこから来たの?誰でもいいから、教えて欲しい。このままじゃ、頭がおかしくなりそうだ」
オー君は、突っ伏したまま苦しそうに嘆いた。
記憶こそないものの、恐ろしい秘密が自分の中にあるのを、オー君はずっと感じていたに違いない。その肝心の秘密がわからない限り、オー君の心が晴れることは永遠にないのだ。冬将軍に狙われている事実より、思い出せない過去の方が、オー君は遥かに恐ろしいのだろう。
コウタたちは、すっかり押し黙ってしまった。今、オー君にかけてあげられる言葉は、見つからない。支配人も無言を貫いている。オー君を一人そっとしておくのが、精一杯だ。厨房の中は、ますますしいんと静まり返った。
そこへ不意に、快活で太い声が厨房全体に響き渡った。
「おやおや、こんなドタバタしている時にやって来る、困った客は誰かと思ったら、子ども族の新顔か!今頃、なんだって、まあ。最後の砂金流は、とっくに行ってしまったのに」
厨房の奥から、勾玉博士がてかてか光る顔を覗かせた。博士は、コウタたちを見つけると、えらくご機嫌な様子だったが、コウタたちについては、覚えていないらしい。
「僕たち、最後の組でお邪魔した四人組です。閉店ギリギリに来てしまい、ヒスイ粉が足りず、新たに作ってもらいました。あの時は、ありがとうございました」
コウタは丁寧に礼を言うと、亮平も一緒に頭を下げた。
「はて?君たちに会ったのは、今が、初めてだがね」
勾玉博士は首を傾げている。本当に、コウタたちのことを覚えていないようだ。
そこへ支配人が、大げさに両手を挙げて、勾玉博士を手招いた。
「ああ、博士、いいところに来てくださった。かけ時計の調子が狂ってしまったんですよ。時々、針が戻ったり、短い針の方が早く回ったり…おまけに、意味もなく、じたばた暴れる始末です。あれを直せるのは、博士だけですので、ぜひお願いしたいのですが」
こうして博士は、丁重に押しやられ、かけ時計のある扉の前に連れて行かれた。博士は、早速、時計をひっくり返して、調べ始めている。
支配人は、すぐさまコウタたちのもとへ戻ってきた。博士の思わぬ出現で、オー君についての深刻な話は、それ以上、進むことはなかった。だが、その方がオー君にとっては、良かったのかもしれない。次から次へと、受け止めきれない話をされても、頭が混乱するばかりだ。
オー君は、相変わらず顔を両手で覆い隠し、うつむいたままだ。考え込んでいるのか、泣いているのか、外からではうかがい知れない。
支配人は、オー君の様子を横目で確かめると、一息ついてから言った。
「博士に過去の話をしても無駄だよ。君たちのことを、まるで覚えていないんだ。正確に言うと、忘れてしまうのだ。君たちだけじゃなく、ここで出会って砂金川に送り出した、子どもたち全員をね」
勾玉博士は、時計を手にすると、目が生き生きと輝きだし、工具で時計を分解し始めた。すぐ作業に夢中になり、それ以外は、まるで無頓着、無関心だ。支配人は、遠目で博士を見やりながら、また一息ついた。
「ふう、まったく、毎度毎度、同じ事を繰り返し話して聞かせなきゃならない。博士を納得させるのは、本当にしんどい仕事だよ。だけど、仕方がないのだ。これは、どうにもならない、博士の宿命だからね」
「宿命だって?」
いきなりオー君が、ぱっと顔を上げると、大声で叫び、威勢よく立ち上がった。あまりの勢いに、厨房にいた人々までもぎょっとして、振り返った。オー君は、目が血走り、興奮気味に拳を強く握りしめている。あまりに衝撃的な話が続いたせいで、オー君は混乱してしまったのだろうか。あんな話を聞かされたのだから、無理もないが、それにしても、オー君の様子は明らかにおかしい。
「宿命?宿命、宿命、宿命…」
オー君は呪文を唱えるように、この言葉を繰り返しながら、あたりをウロウロと歩き廻った。時折、拳をさらに強く握りしめ、その拳で自分の頭を叩いている。必死で自分の中の記憶を探っているのだろうか。しかし、突然はっとすると、恐ろしいほどの気迫で支配人に詰め寄った。
「支配人、博士には、いったいどんな宿命があるんですか?お願いですから、聞かせて下さい。僕の失われた記憶に、関係あるような気がするんです」
支配人の大きな耳が、鋭いアンテナのごとく、ぴんと立ち上がった。それに合わせて、穏やかで優しげな顔つきが、不可解なほど変化した。
「オー君、まあ、落ち着きなさい。勾玉博士の件は、既に公になっているので、問題なく話してあげられるよ。この世界の住人なら、みんな知っている有名な話だ」
それを聞いたオー君は、ぼう然とした表情のまま、素直にイスに腰かけた。
コウタには、支配人の顔が、一瞬、別な人間に見えて、ギクリとした。
支配人は、生気がなく、憔悴し切った風に見えたのだ。確かに支配人だが、しかし、精も根も尽き果てた中年男のようだった。単に、光の当たり具合でそう見えただけかもしれない。コウタは動揺することなく、支配人から視線を外した。
支配人は、博士に話し声が届いていないのを確かめると、博士の恐るべき秘密を小声で、語り出した。
「何年も前のある日、二人の科学者が、君たちの世界からここにやって来たんだよ」
支配人は、遠い昔を思い出しているのか、遥か彼方を見つめた。
「突然、この世界にやって来た二人の科学者は、子どもみたいに純粋で良き人々だった」支配人は、懐かしそうに語り出した。「あの頃の二人は、とても輝いていたなあ。だから、この世界の住人も、二人を心から歓迎したんだ。これは実に稀な出来事なんだよ。子どもは簡単にこの世界へやって来られるが、成長するにつれて、こちらの世界の記憶が薄れていき、ついにはここへ来た記憶すら忘れてしまう。だから、ほとんどの大人は、二度とここを訪れることはない。二人の科学者は、それなりに、いい年齢だったけれど、子どもの純粋な心を保ち続けていた。だから、大人になっても、記憶を失わず、しかも、この世界を訪れることができたのだろう」
コウタは、ふと、念願成就の森で出会った、葉っぱ青年を思い出した。善良で純粋で、他を思いやる優しい青年。だけど、あの青年を思い出すたび、コウタの胸中は複雑な思いにかられ、とても落ち着かなくなってしまう。
支配人は、話を続けた。
最初、二人は、こちら側のいろいろな世界を巡り歩き、科学者として熱心に研究を重ねていた。もちろん天上界も訪れた。
そうしているうちに、二人は、ある発明を思いついた。それは一瞬にして別の場所、つまり別世界に移動できる、たいへん便利な装置だった。これがあれば、例えば、地上の幻惑が丘から、銀河原へと瞬間移動ができる。危険な回り道をしなくても、地上から直接天上界へ行けるのだ。砂金流は安全ではあるものの、それを使えるのは、ごく限られた人だけだった。だから、誰もが瞬間移動できる装置は、まさに革命的な発明だった。
ところが、その発明は、便利であると同時に、大きな危険をはらんでいた。
別世界に、楽に移動できる。それは、地獄にいる悪い連中でも、簡単に、天上界へ入り込めることを意味している。
清浄な天上界を守るため、雷神族が門番として見張り、他にも様々な仕掛けがしてある。そうして、ふさわしくない者どもが天上界へ入り込むのを防ぐため、厳しく監視されているのだ。天上界は、常に、地球の世界全体を守っているからだ。
コウタたちの住む街や小人族の国、幻惑が丘など、地上には、たくさんの世界が広がっている。それら世界の地下深くには、恐ろしい者どもが棲んでいる。
特に恐ろしいのは、最底辺の国々に棲む魔物どもだ。そして、その親玉が、冬将軍だと言われている。その邪悪さ、凶悪さは、とても言葉にできない。そんな魔物たちが、地上の世界に出てきたら、たちまち大混乱になるだろう。そればかりではない。万が一、純粋な天上界に魔物が入り込むと、地球全体が壊れてしまう可能性もある。そんな危険を、二人の科学者は当然認識していたはずだ。
しかし、研究の成果をいち早く知りたかった二人は、下心のある役人に金を渡し、発明した装置を許可も得ず、早々に試したのだ。実験は大成功し、二人はその装置を使って、様々な世界を、あっという間に移動した。二人は意気揚々と、装置の改良を重ね、いくつもの装置を製造した。これらの装置は、「マンジ」と名づけられた。
二人は、装置の開発に溺れ、邪悪な者どもについては、すっかり油断していた。
最底辺に棲む魔物どもについては、ある程度は知っていた。奴らは重すぎて、天上界上部へは上がれない。天上界は、すべてが軽い世界なので、邪悪な者は、すぐに息苦しくなり、長くはいられないからだ。そのため、この装置は、魔物どもには無用の長物であり、興味はないと考えたのだろう。
けれど、そうではなかった。地下の最底辺に棲む連中、特に冬将軍は、喉から手が出るほど、この装置が欲しかった。装置さえあれば、天上界へも瞬時に移動できて、全世界を支配することも可能だからだ。
冬将軍は、悪知恵が得意だ。多少なりとも身の軽い手下やスパイを上に送り込み、自分たちが棲める、重苦しい環境を先に作ればいいと考えたのだ。
そこで冬将軍は、魔物たちに命令して、地上や天上界に手下やスパイをせっせと送り込んだ。二人の科学者の居場所をあっけなく突き止めると、装置を奪い、二人を脅して新たな装置も手に入れた。
天邪鬼と呼ばれた小鬼たちは、奪い取った装置を天上界の森に隠した。月桃森と呼ばれる、かつては美しさで有名だった森だ。天邪鬼たちは、隠した装置から、まず、魔界の黒い霧を大量に呼び込んだ。重く冷えた空気があたりを覆い、天邪鬼たちにとって、住みやすい地域を作った。それから月桃森にこぞって入り込み、勝手に集団で住み着いたのだ。そのため、月桃森の空気はますます重くなり、鬼や小さな魔物たちも、入り込める環境になってしまった。その者たちは、地下に棲む魔女や魔物たちを手引きして、次々と月桃森へ誘った。
その結果、どうなったのか。今や月桃森は、天邪鬼やその仲間の魔女一族、魔物たちにすっかり占領され、天上界なのに、暗い鬱蒼とした地域に変わり果てている。
しかも、天邪鬼たちは、改良した装置をあたりかまわず、ばらまいた。それは、「偽マンジ」とも呼ばれ、地獄に通じており、開けると地獄に引きずりこまれる恐ろしい装置だ。
しばらくの間、天邪鬼たちは得意の目くらまし術を使って、月桃森やその周辺に住む善良な人々から真実を隠してきた。
そうは言っても、悪事は長く続かないものだ。ようやく気づいた天上界の人々は、慌てて動き出した。人々は天上界を守護している四天王に訴えると、天上軍が動き出し、強力な力で、偽マンジを次々取り除き、天邪鬼たちを片っ端から捕え、地獄へ送り返した。
偽マンジのほとんどは撤去されたが、残念なことに、まだ隠された偽マンジがいくつも残っていると言われている。偽マンジは、こちらの世界の至るところに、地雷のように埋められ、その上、目くらましの術をかけられているので、発見しにくいのだ。
いまだに、天邪鬼や魔女の残党が月桃森の奥に隠れ住んでいるため、こうして月桃森は、天上界で最も危険な地域になってしまった。
科学者たちは、火の精霊と協力して、秘密裏に、特殊な装置も開発していたが、それも冬将軍一味に根こそぎ奪われてしまった。それは、とてつもなく恐ろしい力を持つと言われた装置だ。しかし、火の精霊たちは、奪われる直前に、冬将軍に呪いをかけられながらも、最後の力を振り絞って、頑丈な魔術の鍵をその特殊な装置にかけたのだ。だから、宝の持ち腐れと言われるとおり、冬将軍は、未だに鍵を開けられず、その特殊な装置を扱えないでいる。
もし、その特殊な装置が使われたら、地球は一瞬で氷に閉ざされた惑星になってしまうだろう。地上から天上界に至るまで、すべてが、永遠に凍結されるのだ。その特殊な装置は、それほどの力を秘めている。それゆえ、特殊な装置の件は、公にされず、ごく限られた者しか知らないのだ。
天上界の重鎮たちは、二人の科学者に激怒した。そこで、発明した装置に関する記憶を二人の科学者から一つ残らず消し、その上、重い刑罰を科したのだ。そのため、二人はいまだに、元の世界、つまりはコウタたちの住む世界に帰れないでいる。
一人は、影の刑を、もう一人は、忘却の刑を言い渡された。
忘却の刑を言い渡されたのが、勾玉博士だ。博士は、自分の生い立ちや、ここにいる理由をすっかり忘れている。そればかりか、出会った人々、特に親しければ親しいほど、相手を忘れてしまう。
そういうわけで、勾玉博士は、コウタたちを覚えていないのだ。だから、勾玉博士に会うたびに、初めて出会ったふりをしなければならない。
「特殊な装置は、その後どうなったの?」
支配人の話に聞き入っていたオー君が、神妙な顔で問いかけた。
「実はよくわからないのだ。おそらく、冬将軍側は頑丈な鍵を開けられず、使えないまま放置しているのだろう。だが、その特殊な装置が外に持ち出されたという噂もある。もし、そうだとすれば、大変危険な状況ではあるが、今のところ、使われた形跡はない。たぶん、根も葉もない、ただの噂なのだろう」
そこへ、かけ時計を持った勾玉博士がいきなり現れた。支配人は、しまったと言わんばかりに、自分の額をピシャリと叩いたが、既に遅かった。
「おや、その慌てぶりは。ああ、支配人、また私についてのトンチンカンな話をしていたね。私は、出会った人々を、忘れやしないさ。だから、こうして初めて会った君たちも、次に出会えば、ちゃんと覚えているよ、当たり前にね。ほら、かけ時計は直ったよ」
勾玉博士は、そう言いながら、かけ時計を支配人に手渡した。博士は、自分に関する話題が出ても、それほど気に留めていない様子だった。出会った相手どころか、自分についての事も忘れてしまうのかもしれない。
博士は、空になった右手で、千歳飴みたいな杖をくるくると回しながら、厨房内をうろうろし、機械類を見て廻った。
支配人は、再びコウタたちの方へ向き直って言った。
「でも、私だけは例外なのさ。博士は、私だけは絶対に忘れない。博士と周囲の世界を、繋いでいるんだよ。私はいわば、博士の監視役であり、世話人だからね。特別な夢見人なんだよ」支配人は小声でささやくと、厨房内を注意深く見やった。「だからこそ、いろいろ、わかるのさ。つまり、君たちの仲間の、ノッポの少年も」
「翔のこと?」
コウタも亮平も、オー君さえも目を見開いた。支配人は、首を縦に振った。
「勾玉博士とあの少年は、とても近しい関係にある。おそらく、親戚だよ。しかも、あの少年は昔、夢見人として博士に連れられて、この世界に来たことがあるね」
それを聞いたコウタと亮平は、とたんに思い出した。翔は、自分には科学者の叔父さんがいて、いろいろ教わったと言っていた。そしてその叔父さんが、何年か前に行方不明になったとも話していたではないか。
翔は自分でも不思議がっていたが、初めてこの世界に入った時から、既に、この世界の多くを知っていた。地下の国では、ソラトが翔を、ここに来たことのある夢見人だと断言していた。
「まあ、忘却の刑のため、二人とも互いの関係は、わからないままだ。こちらの世界にいる限り、二人の間には、目には見えない壁があるんだよ」
支配人は、博士が再び近づいて来たのに気づき、小声でそう言った後で、今度は博士にも聞こえるように、わざと大声で言った。
「それに、オー君を受け止めたガス石だって、博士の発明なんですよ」
ガス石の話が出たとたん、勾玉博士はくるりと向きを変え、血色の良い顔をてからせながら、コウタたちの方へすたすたと戻ってきた。
「おお、ガス石については、私から説明させてもらうよ。支配人、よかろう?」そう言って支配人から許可をもらうと、博士はすぐに語り出した。「ガス石は、空気の塊を特別な膜で覆っている。いわば暖かい風船みたいなものだが、ただの岩にしか見えないんだ。まあ、それでガス石と名づけたのさ。膜は柔らかいが、中身は鋼のごとく強靭なのだ。それをいくつも飛ばして、上から落ちてきた君を受け止めたんだよ。君は、ああ、君の名前は?そう、オー君だ。だからオー君は、傷一つないだろう?ガス石はここで、私が作ったんだよ」
博士は杖を振り上げて、得意げに説明し始めた。亮平は好奇心に目を輝かせながら、オー君は魂が抜けたように、ただ、ぼうっと博士の話を聞いていた。
しかし、コウタは、博士の説明がほとんど耳に入らなかった。
確かにオー君には、かすり傷一つないが、顔色の悪さは、傷どころの話ではない。それなのに、オー君のことをどう考え、どうしたらいいのか、もはや何もわからなくなってしまった。支配人の恐ろしい話を丸々信じるつもりはないが、本当に、オー君を無事に、元の世界へ連れて帰れるのだろうか。コウタは得体のしれない不安に、押し潰されそうだった。
それに、もう一つ、翔の問題も残っている。ツノメドリの話が本当なら、翔もまた、極悪人だと言うことになってしまう。けれど、オー君も翔も極悪人だなんて、やはりどう考えてもおかしい。とても納得できない話だ。
コウタは、独り悶々としていた。
その一方で、亮平は、ガス石にすっかり夢中になっていた。厨房の奥で、コックが小さなオレンジ色の石を青い炎で熱すると、石がどんどん膨らんで、宙に浮かび出した。
「この炎が、秘伝の合わせ炎なのだよ。レグルスの光や我らが太陽フレアの先端を使っている。これこそ、我が発明の最高傑作の一つなのだ!」
博士は、ますます興奮気味に声を張り上げたが、亮平は、急にガス石から目を離し、不思議そうにあたりを見廻した。
「でも、ここって水曜亭の厨房なんでしょう?厨房って、料理を作る場所じゃないの?」
それを聞いた博士は、いっそう嬉しそうな顔になった。
「ああ、君たちの世界の厨房は、確かに料理を作るだけの部屋だ。しかし、ここはどこかね?いろんな世界がブドウの房状に、たくさん連なった集合空間だ。水曜亭の厨房とは、君たちの世界で言うところの、実験室であり、製造工場でもあるが、移動できる作戦司令室も兼ねている。つまりは、いろんな世界に赴く宇宙船なのだ」
博士は声高々に、宣言した。
コウタと亮平は、面食らった。さすがに、この厨房が宇宙船とは、大げさすぎる話だ。亮平ですら、笑い出したいのを必死で堪え、震えているではないか。
そんな二人の反応に気づいた博士は、そのまま床へ崩れ落ちるかと思うほど、がっくり肩を落とした。
「まったく」博士は、すねた子どものように口もとを尖がらせ、両腕を組んだ。「先ほど誰かから聞いたが、君たちは散々、いろんな世界を見て来たのだろう?だったら、もうちょっと賢くなってもいいはずなんだがね。あの巨大な中華鍋を見るがいい。あれは立派なパラボナ・アンテナさ。いろんな世界の音が入り込んでくる。向こうにある巨大な釜では、風玉が炊き上げられ、水曜亭のささやかな武器となるのだ。火の精の力を借りたガスレンジがエンジンとなり、この厨房を自由自在に動かし、コンロに燃え立つ二色の炎は、羅針盤にだってなるのだ。流し場に張った水を見てごらん。水の精の協力で様々なものを映し出す水鏡となり、こうして、君たち四人を見守ってきたのだよ」
コウタたちは、目を見張った。改めて覗いてみると、確かに、流しの水場には、吹雪に覆われた幻惑が丘が映し出されている。その中にポツンと、人無月荘が今にも潰れそうに建っているではないか。
隣の流しには、ススキが原の風景が映し出されている。と思ったら、あっという間に、映像が切り替わり、次々と別の世界が映し出されていった。
巨大な中華鍋は、各所からの雑音を拾い集め、それぞれ繋がったチューブに分けられている。その先は、拡声器風のスピーカーに繋がれ、ガーガー、ぺちゃくちゃ、あらゆる音が台所の流しの水場に、垂れ流されていた。
手前にあるチューブからは、懐かしい声がはっきりと聞こえてきた。ソラトの透き通った声だ。皆、集まってくれと、大声で号令をかけている。
と、ここで急に、勾玉博士は気難しい顔に変わった。
「だがしかし、だ。水曜亭に、これだけの設備や力があっても、冬将軍には、到底かなわない。あいつは、近頃ますます、膨れ上がり、太刀打ちできなくなっている。地上に出ているのは、力の、ほんの一部だけなのに、既にこの有様だ。ああ、つまり、体が巨大過ぎて、地下から出て来られず、今は長い腕だけを地上に伸ばしている状態なのだよ。この分では、近いうちに、本体も地下から出てくるだろう。今までは天上界も、見て見ぬふりをしてきたが、冬将軍がこれ以上、力をつけて巨大になり、地上はおろか、天上界までを我がものにしようとするなら、戦いは避けられないだろう」
博士の話に、支配人もぐっと顔をしかめた。遠くから博士の話を聞いていたコックたちも、皆一様に、深刻な表情をしていた。博士は、自分を抱きしめるかのごとく、ますますぎゅっと固く、腕を組んだ。
「だが、どうしてもわからない事が一つだけある。冬将軍は、いまだに、必死になって誰かを探し続けているのだ。誰を、どんな理由で探しているのか、見当もつかない。わざわざ、氷砂糖でできた街まで作って、真夜中に子どもたちをおびき出しているのだよ。まあ、おびき出される方も、おびき出される方だ。なんだってあんな幼稚な誘いに乗ってしまうのか、私には信じられないがね」
その話を聞いたとたん、コウタも亮平も、顔を赤く染めた。二人ともまんまと、冬将軍の誘いに乗ってしまったというわけだ。
ところが、そんなことより、支配人の様子に目がいった。何故か、支配人はいきなり慌てふためき、両手を盛んに振って、博士の話を必死に止めようとしていたのだ。博士の方は、そんな支配人に一向にお構いなく、得々としゃべり続けていた。何だろうと、コウタは怪しんだが、ある重要な点に気づいて、ぞっとした。
「氷砂糖の街は、罠だったんですね?」
コウタは、支配人に訴えた。
もし、博士の話が本当なら、子どもたちは全員、最初から危険な状況だったわけだ。つまり、氷砂糖の街は、子どもたちをおびき出す罠だ。
支配人は、観念して、やれやれと大きく手を横に振った。どうやら博士は、余計な話をし過ぎて、言ってはいけない秘密まで、もらしてしまったらしい。当の本人は、陽気に鼻歌を歌いながら、自分の机の方へ歩いていった。
「まったく、しょうがない」支配人は、眉間にシワを寄せながら、渋々説明した。「子どもたちを騙すつもりはなかったんだ。だが、最初から、真実を話したとしても、まず信じてもらえない。話したら話したで、あまりの恐ろしさに、みんな大混乱してしまうだろう?だから、子どもたちに悪い影響が出ないように、楽しい冒険旅行を装って、そっと銀河原へ送り出していたのだ。幸い、子どもたちは皆、喜んでくれてね。恐ろしい真相を知ることもなく、全員が無事、元の世界へ戻っている。君たち以外はね」
支配人は、眉間のシワをますます深く刻みながら言った。
「しかし、君たちは、不幸なことに、冬将軍と関わり合いができてしまい、この深刻な事情を、こうして中途半端に知ってしまった。いいや、これ以上は、隠し切れないし、ごまかすのも、もう限界だ。こうなったら、まだ子どもとは言え、すべてを知るべきだろう。これも、また宿命なんだろうな。一つ、覚悟して聞いてくれたまえ」
コウタたちは思わぬ展開に、またしても、胸がギュッと締めつけられる思いになった。次々現れてくる重大な秘密を、自分たちがしっかり受け止められるのか、正直、自信がなかった。それでも、大きな歯車は回り出し、もはや誰にも止められないのだ。
支配人は、言葉を一つ一つ選び出し、ゆっくりと語りだした。
今まで見てきた、自信がなく頼りない支配人は、もうそこにはいない。オー君の秘密を語った時もそうだったが、真実を語る時の支配人は、冷徹な賢者のようだった。コウタは、早くも心臓が高鳴るのを感じた。
「氷砂糖の街は、『間の世界』と呼ばれ、君たちの世界にとても似ているが、決して君たちの世界ではない。もちろん、こっちの世界でもない。いわば空白の世界なんだ。子どもたちを安心させるため、わざと、子どもたちの住む街そっくりに、冬将軍が作ったんだ。子どもたちは、それはもう大喜びで、氷砂糖の街に飛び出してしまう。それが、冬将軍の狙いだよ。たぶん、冬将軍が探している誰かを誘い出すためにね。その誰かは、見つかっていないようだ。まだ、必死に探しているからね。おそらくは、見つかるまで、氷砂糖の街を作り続けて、子どもたちをおびき出すだろう」
「探している誰かとは、指名手配されている僕ではないの?」と、オー君。オー君は、怪訝そうな顔をしているが、先ほどよりは、だいぶ落ち着いた様子だ。
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。実は、よくわからないのだ。君以外の誰かを、探しているようにも見える。氷砂糖の街におびきだすくらいだから、探している誰かは、おそらく子どもに違いないが…」
オー君は、今度は何も言わず、ただ支配人を見つめるばかりだ。
支配人は話を続けた。
「その氷砂糖の街だが、あれは、偽物の輝きだよ。だから、そう長くはもたないんだ。最初はキラキラしてきれいな氷砂糖の街も、時間が経つにつれ、魔法は解け、凍える寒さに変わっていく。本性を現した冬将軍が、長い触手を地下から伸ばして、街ごと凍らせようとするのだ。そのままだと、子どもたちは、皆、凍え死んでしまう」
支配人の深い慈愛に満ちた瞳が、不安げに揺れている。
「幸い、冬将軍の触手が地表を越えて『間の世界』に昇ってくるには、時間がかかる。だから私たちは、氷砂糖の幻が消えないうちに、子どもたち全員を水曜亭に集めて、元の世界に帰れるよう、銀河原へせっせと送り込んでいるんだ。安全な砂金流でね」
初めて、深い真実を知ったコウタたち三人は、またしても大きな衝撃を受けた。
真実を知ってしまうと、今までの旅が、急に恐ろしいものに思えてきた。知らないということは、本当に気楽なものだ。この話を、前もって聞かされていたなら、自分たちの旅は、全然別なものになっていただろう。
明らかに顔色の変わった三人に、支配人は不安を隠さず、うなずいた。
「そうだよ。そうなんだ。事態は、非常に深刻なんだよ。だから、これをありのまま、子どもたちには話せないのだ。だが、君たちは別だよ。残念ながら、これだけ深く、関わってしまったのだからね」
コウタは、今までの出来事が次々と頭をよぎり、一瞬、言葉が出なかった。しかしすぐに、記憶の中から、ある一場面がふっと浮かんできた。
「…それで、僕らが水曜亭を出る時、支配人はマンジを開けろというヒントをくれたんですね。僕たちが困らないように」
「なんだって?」
支配人が、ひどく驚いて身を乗り出してきた。
「マンジを開けろって、最後に叫んでいたでしょう?あそこの出入口で、ひっくり返った時に」
支配人は凍りついたまま、コウタの顔を見つめるばかりだった。
信じがたい反応に、今度はコウタの方が不安になった。支配人ばかりか、博士や厨房の人々までが、いっせいにコウタの方を振り返ったからだ。
「いや、そんな、まさか…ああ、違うよ。私は、砂金川には戻るな、砂金川に沿って進めと叫んだのだ。ああ、でも、そうか、君には別の声が聞こえていたんだね」支配人の口から、しどろもどろな言葉が絞り出された。「マンジを開けろ、か。うーむ、どういうことかはわからないが、実に意味深い言葉だな。だが、これだけは言える。それを言ったのは、私ではない」
コウタにみんなの視線が注がれ、どうにも気まずい沈黙が流れた。コウタは混乱した。マンジという言葉に、何故か、水曜亭の人々は異常に反応している。
支配人ではないなら、マンジを開けろと叫んだのは、誰なんだろう。思い起こしてみれば、確かに支配人の声より、ずっと繊細で高くて、それでいて力強い声だ。それとも、自分の聞き違いなんだろうか。あんな大騒ぎが起こっていたから、そう聞こえたと、自分が思い込んでいただけかもしれない。新たな疑念が、コウタの頭をかすめた。
すると、今まで沈黙を守り続けていた亮平が、苛立たしげに横から割り込んできた。
「ねえ、マンジがどうとか、そんな話は、もうどうでもいいよ。それより、今は先にやるべきことがあるんじゃないの?翔の行方も気になるし、オー君を連れていく病院を早く探さないと。向久井先生の飛行船病院をここに呼べないの?」
その素朴な指摘に、コウタは目が覚めた。支配人や水曜亭の人々も、我に返った。亮平が、大切なことを思い出させてくれたのだ。コウタは、亮平の意外な一面に感心した。
オー君は、疲れ切った顔を少し上げて、か細い声で言った。
「僕は大丈夫だよ。いっぺんにいろんな話を聞いたので、頭の中がまっ白だけど、体は元気だから。上にいた時よりも、全然息苦しくないんだ。それより、早く翔を探してくれないか。ガス石が冷え切ってしまう前に」
「わかったよ。僕らで翔を見つけに行く」
コウタと亮平が、決死の覚悟でそう言うと、横から支配人が、心配そうにうなずいた。
「君たち、すまないが、そうしてくれないか。手を貸したいところだが、水曜亭をここに停留させ続けるには、たくさんの力が必要なんだよ。向久井先生は、残念ながら、ここへは来られない。幻惑が丘で動けなくなった人々を救助しているからだ。けれど、オー君はここにいる限り、ひとまず安全だ。それは私が保証するよ」
コウタと亮平は、顔を見合せて無言のまま、互いに確認した。
「おそらくだけど」松が、厨房からひょっこり顔を出した。「翔君は、『西の果ての森』あたりにいる可能性が高いよ。今、中華鍋レーダーが、温かいガス石をキャッチしたからね」
『西の果ての森』は、普通に歩いても、ここから二時間はかかる距離にある。しかし、コウタと亮平は、今までの疲労も吹き飛び、いまや翔の捜索と発見に燃えていた。
「よし、亮平、『西の果ての森』まで突っ走ろう!」
鉄砲玉のごとく外へ飛び出そうとした二人を、支配人が鋭く制止した。
「まあ、待ちなさい。その恰好では、外へ出たとたん、確実に凍え死ぬよ。そこの特製ジャケットを着て行きなさい」
コウタと亮平はとたんに、恥ずかしさで体が火照った。ちょっと考えれば、当たり前のことだ。小さな子どもでも、わかりそうなのに、二人は後先考えず、寒空の中に飛び出そうとしていた。熱い意気込みで頭がいっぱいになり、自分たちがパジャマ一枚なのをすっかり忘れていたのだ。
支配人は、穏やかに微笑みながら、オレンジ色のふかふかのジャケットを三つ差し出した。
「これは特別なジャケットだ。ガス石が内蔵されているダウンジャケットだよ。これを着ていれば、当分の間は、凍えずにすむからね。しかも防弾チョッキにもなる、優れものだ。三つ目のジャケットは、翔君用だ。小さく丸めれば、ポケットに入る。『西の果ての森』までの道は、君たちの世界とそっくりに整えておくから、道に迷う心配はないよ。気をつけて行きたまえ」
支配人が言い終わったとたん、大きな音と共に、ふわっとした空気の圧力を感じ、すぐさま冷たい風がどっと吹き込んできた。食器戸棚のガラス戸はぶるぶる振動し、厨房にいた人々は、荒々しい風圧に、一様に振り向いた。
厨房の分厚い扉が開いたのだ。壁にかけてあったカレンダーや、はがれかけた壁紙がペラペラと踊り出した。ちょうど、厨房の入口で食器を運んでいた松が、扉を閉めるため素早く駆け寄ったが、その前に、外から頭取カラスが舞い込んできた。
松は厨房の外に追い払おうとしたが、頭取カラスは出て行こうとせず、厨房の中をバサバサと飛び廻った。みんながあ然としている中で、頭取カラスは何かに気がつくと、食器棚の一番高い所に留まり、突然、大声でわめき出した。
「見つけたぞ!見つけたぞ!」
耳をつんざく声が、館内放送のように響き渡った。頭取カラスは鋭い視線を一点から決して逸らさず、全身総毛立って、上から大声で騒ぎ立てた。
「こいつだ、こいつだ、すべての元凶、こいつが犯人、凶悪犯だ!メガネの小僧、こいつのせいで、冬将軍がやって来る!!みんな、おしまい、おしまいだ。ああ、氷の中で百万年、裏切り者の、こいつのために!」
頭取カラスは、憎々しげに、オー君をにらんでいた。




