第19章 撃ち落された二人
ススキヶ原は、一気に騒然となった。ススキの陰からは、信じられないほど多くの鳥たちが、慌てふためきながら空へ飛び立った。羽ばたく音と風が、あちらこちらに巻き起こり、ススキの穂はてんでバラバラの方向に、激しく首を振った。おまけに、ギャアギャアと鳴く声が、四方八方から押し寄せ、コウタたちは耳を両手で塞いで、地面に伏せるしかなかった。
ススキヶ原は、大混乱の舞台に一変した。美しく整い群生していたススキは、見るも無残な姿になり、鳥たちがいっせいに羽ばたいたので、あっという間に、空気は濁った。
ここ、ススキが原では、先ほどまでは一羽の鳥も見かけなかった。鳥のさえずり声すら、聞こえなかった。それが、今ではこのありさまだ。
まさか、これほどたくさんの鳥たちが、隠れていたとは、想像もできなかった。あるいは、ススキヶ原は見えない鳥たちで出来ていたのかもしれない。そう思えるほど、すごい数の鳥たちが飛び立ったのだ。
鳥たちは、大小様々で種類も形も異なっていたが、皆、どれもきれいな羽の色をしている。しかも、半分透き通っていて、向こう側の景色が透けて見えるのだ。普段だったら、誰もが鳥たちの美しさに感動して、じっと見入ったに違いない。しかし今は、あまりの混乱ぶりに、ただ驚くしかなかった。
鳥たちは、いっぺんに空へと舞い上がり、今度は空が混乱の渦となった。いろいろな鳥の群れが、上空へ押しかけ、右往左往している。鳥たちの群れがそれぞれ不規則な模様を描き、上空はうごめく鳥たちでいっぱいだ。そんな上空も、間もなくすると、再び静寂さを取り戻し始めた。
あんなにいた鳥たちは、どこかへ飛び去ったらしい。いったいどこへ飛び去ったのかはわからないが、空は静かで落ち着いた星空に戻っていった。
ほっとしたコウタは、まだ身をかがめたまま、注意深くあたりを見廻した。
ススキが原から、黄金色の輝きは急速に失われていった。ススキは、根本から茶色い色合いになり、穂はしんなりと力なく地面に倒れた。命の炎が、一気に燃え尽きたようだ。この景色は、どこかで見た覚えがある、とコウタは思った。そうだ、これは冬を迎えようとしていた幻惑ガ丘と同じだ。この色合い、枯れたにおい、空しい風、哀しく憂鬱な気分。それでも、あの時みたいに、突き刺す寒さがにじり寄って来ないのが、せめてもの救いだ。
子どもたちは、あまりの出来事に、ススキの陰でおびえたまま動けず、小さい子どもたちは、泣きじゃくっている。銀ギツネはとっくに姿をくらまし、空に舞い上がった銀の粉の残りだけが、小さな煌めきを放っていた。
「情けない、なんてざまだ」
どこからか、ぼそぼそとしゃべる声が聞こえてきた。コウタの目の前にある草むらの奥からだ。コウタは地面に伏せたまま、目だけを横に動かし、耳を澄ませた。
「よくまあ、あんな奴らがここまで昇って来られたもんだ」
すると、別の声が、隣の草むらの中から聞こえてきた。相当、憤慨している口ぶりだ。
「ああ、前代未聞だな。雷の矢で撃ち落とされるなんて、よっぽどの悪人に違いない」
「雷門の門番や四天王は、何をしているんだ?」
「ああいう奴らを入れないために、見張っているはずなんだが」
「雷の矢が落ちるのは、たいてい人殺しと決まっている」
きれいな色をしたツノメドリが、ススキの陰から顔を覗かせた。羽の色はきれいなのに、顔はピエロかと思うほど滑稽だ。ツノメドリは、目の前に寝転がっているコウタを別段気にもせず、すぐ横を、のそのそと歩いて出てきた。
すると、隣のススキの一群からは、別のツノメドリが現れた。二羽とも、コウタの姿がまるで見えないかのごとく、会話を続けた。
「ああ、それにしても、ものすごい勢いで、地上へ落下していったな。いい気味だ」
「死んだかな?」
「きっと死んださ。あれは人殺しだからね。天罰さ」
落ちた二人は大丈夫だろうか。コウタは、急に心配になったものの、この世界のことだから二人は無事だろうと、信じていた。
コウタは、頭を少し持ち上げると、ツノメドリたちを下からにらみつけた。そうすると、顔がツノメドリたちと、ちょうと同じ高さになった。
コウタは、膝をついて身を起こした。今度はツノメドリたちを上からにらむ姿勢になった。まだ子どもとはいえ、ツノメドリたちよりは、だんぜん背が高いし、体だって大きい。
「オー君も翔も、人殺しなんかじゃないよ。僕らの友だちだ。悪さなんかしていないのに、天罰なんて、あるわけないじゃないか」
コウタが上から威圧する態度を取っても、ツノメドリたちは動じなかった。むしろ、二羽は呆れて、互いに顔を見合わせた。
「なんとまあ、無知な子ども族よ。おまえはここを、どこだと思っているのだ?恐れ多くも、天上界であるぞ。ここでは、ウソがいっさい通用しない。誰もが本心を隠し通せないのだ。つまり、天の裁きである雷の矢で撃ち落とされるのは、よほどの罪を負っている証拠だ。おまえの友だちは、間違いなく罪人だよ。それだけは、天地がひっくり返っても、変わらない真実だ」
きっぱり言い切るツノメドリに、コウタは腹が立った。しかし、鳥を相手に言い争いをするのも、バカバカしい。だいたい、そんな時間はないはずだ。落ちた二人を早く助けに行かなければならないのだから。なので、嫌な気分ではあるが、この際、ツノメドリたちを無視することに決めた。
その時、遠くから自分を呼ぶ亮平の声が響いてきた。亮平は、恐々と上空を気にしながら、コウタの方へ近づいてくるところだった。
(二人が人殺しなんて、そんなバカな話、あるもんか)
コウタは心の中でそう叫びながら、ズボンについた土や枯れ草を、力を込めて払った。ススキの間にコウタの姿を見つけた亮平は、狂ったようにコウタのもとに駆けつけた。
「コウタ、大変だ。翔とオー君が撃ち落されちゃったよ。早く助けに行かないと」
慌てる亮平に、コウタは一言、うんと言ってから、もう一度パジャマの土埃を払った。そして最後にツノメドリをひとにらみすると、亮平と共に駆け出した。翔とオー君が落ちていった場所は、目と鼻の先だ。
走りながら、コウタはふと気がついた。
さっきまで大騒ぎしていた鳥たちは、どこかへ飛び去ったものと思っていたが、そうではなかった。空が奇妙にざわめいている。よく見ると、半透明な鳥たちが飛び廻りながら、コウタたちを空から見おろしている。鳥たちは、上空をぐるぐる旋回しながら、大声で話し合っている。
「どうしてなんだ。あんな罪人どもが、ここまで上がって来るなんて」
空のあちらこちらから、聞こえてくる。
「なんだかおかしいぞ。天が荒れている。こりゃあ、不吉な事が起こりそうだ」
「撃ち落とされたあいつらのせいだ!あいつらのせいで、天が汚れたのだ!」
「けしからん、けしからん、まったくもってけしからん!」
空から、鳥たちの話し声が、嫌でも耳に入ってくる。今やオー君と翔は、完全に罪人扱いだ。
コウタと亮平は、翔たちが落ちていったあたりに到着したが、既に大穴は閉じられていた。跡には、枯れたススキの群生が空しく風になびいているだけだった。
ほどなくして、綾香たちやクラスメートが、心配そうに駆けつけてきた。
「翔が落ちたのが見えたけど、なんで?この世界だったら、下に落ちても、無事だとは思うけれど」
「落ちていった大穴は、すぐに塞がっちゃったし、どうなってるんだい?」
子どもたちは、皆、落ち着きがなく、顔に不安をにじませている。
「おいコウタ、お前たちは何をやらかしたんだ?」
最初は同情していた仲間たちも、次第に疑いの目をコウタたちに向け始めた。
「何も悪いことなんてしてないよ。誤解だ」とコウタは、不機嫌に答えた。
「だけど、丘じゅうの鳥たちが言ってるぜ。雷の矢で撃ち落されるのは、相当な悪人だって。人殺しに違いないってさ」
人殺しという言葉に、ざわめきが起こった。みんな、悪気はないのだろうが、あまりの出来事に動揺しているのだ。クラスメートが人殺しだなんて、普段ならあり得ない話を、今は本気で信じている。
たまりかねた亮平が、コウタに加勢した。
「クラスメートのおれたちよりも、鳥の言うことを信じるの?」
少しの間、沈黙が流れた。健吾が厳しい目をコウタに向けた。
「鳥どもの噂話はともかく、お前たちは砂金流に乗ってなかったよな?」
周りの子どもたちが、ザワザワとささやき始めた。砂金流を使う以外には、銀河原へは絶対に入れないと水曜亭で教わった様子だ。
「水曜亭への到着が遅れて、おまえたちは砂金流に乗れなかった。おれたちは、銀河原の噴水出口でずっと待っていたから、知っている。だったら、今ここにおまえたちがいるのは、おかしいじゃないか。いったいどんな手を使って、ここまでやって来たんだい?」と健吾。「ここ、銀河原は厳重に守られているから、まともな人間は、砂金流に乗らなければ、入れないはずだ」
健吾の勢いに、コウタは一瞬たじろいだが、大きな深呼吸を一つしてから言った。
「確かに、僕たちの班は、水曜亭からの出発に問題があって、砂金流にうまく乗れず、いろんな世界を通って、ここまでたどり着いたんだ。だから、どこかで間違いをやったかもしれないけれど、それだけだよ。地上へ撃ち落されるほど、大それたことはやっていない。ましてや、人殺しだなんて、とんでもない話だ」
「ふうん、砂金流に乗っていなかったのは、認めるんだ」
健吾は、両腕を組んで不審そうにコウタを見下ろした。
「そうさ。えらい大変だったし、危ない場面が何度もあったよ。でも、いろんな生き物たちに助けられたし、そのおかげで、不思議な国々も巡って来られたんだ。小人族の地下国、飛行船病院の向久井先生、幻惑が丘の人無月荘、雷門の雷神族、天空海に潜む巨大龍や月桃森の天邪鬼、イワツバメの案内人、影でできたどぶろく爺さん…ああ、時間があったら、みんなに詳しく話して聞かせたいくらいだよ」
子どもたちの目はとたんに輝きだし、大きくどよめいた。みんな、コウタたちの冒険談に興味津々だ。銀河原へ直通の砂金流は、確かに安全だけど、それだけじゃつまらない。子どもたちは、もっと自由に、より多くの冒険がしたいのだ。すぐに解ける謎解きでは物足りない。万全に準備された旅行ではなく、永遠に追いかけられる不思議を求めていた。多少の危険は、むしろ大歓迎だ。
一方、コウタは内心、焦っていた。早くここを出て、翔たちを探しに行かなくてはならないのに、まるで足止めを食らっている気分だ。子どもたちは、勝手な憶測や疑惑や憧れが入り乱れ、みんな、口々にああだこうだと言い合って、収拾がつかなくなっている。
すると、横から綾香が一歩前に体を乗り出した。
「ねえ、みんな、いい加減にして。クラスメートが人殺しをするなんて、本気で思っているの?」
とたんに、全員が押し黙ってしまった。しばらくして、健吾がぼそりと言った。
「だよな。いくら翔でも、人殺しなんてするはずないよな」
クラスのリーダー格である健吾がそう言うと、全員がうんうんと大きく首を振った。
「でしょう?だったら、ここで、あれこれ言っていないで、さっさとみんなでクラスメートを助けに行くべきじゃない?」
綾香が真正面からそう言うと、健吾はうつむき加減になり、一時何かを考え込んだ。それから、しっかりと顔を上げた。その目は、活き活きと輝いている。
「よし!」
健吾は、歯切れのいい掛け声をあげ、全員に向かって、クラスメートを探しに行こうと雄叫びを上げた。こういう時の健吾は、本当に頼りになる存在だ。だが、それ以上に、健吾を動かした綾香は、真のリーダーなのかもしれないと、コウタは思った。
その場にいた全員の心が、やっと同じ方向を向き、クラスメートを救いに行こうと、声が上がり始めた。
「ありがとう、綾香、健吾、そして、みんな。わかってくれて、嬉しいよ」
「よかったね、コウタ」と満足げな綾香。
健吾は、照れながら、少し遅れてうなずいた。
「さあ、みんなで―」
健吾がそう言いかけた時、上に挙げた自分の右手の異変に気づいた。右手が薄っすら緑色に発光している。それを見た他の子どもたちも、すぐに自分の体の異変に気づき、驚きの声をあげた。
「ああ…」
健吾が、思わず落胆の声を上げた。健吾を含めた、子どもたち全員の体が、ぼんやりと緑色に光り出している。ある子どもは手の先が、別の子どもは頭がという風に、それぞれ体の場所は違っているが、一部が緑色に輝き出したのだ。
「ダメだ、時間切れだ。砂金流が呼んでいる。ついに魔法が切れたみたいだな。おれたちは、帰らないといけない。肝心な時に、手伝えなくてすまない」
健吾は、コウタたちに向かって、情けない声で謝った。
子どもたちはいつの間にか、帰ることに集中し出した。緑の光は、見る見るうちに強烈になり、あたりのススキを緑色に染め始めた。
それなのに、コウタと亮平だけは、相変わらずそのままだ。まるで、そこだけ色が抜けたように、空しい空間だった。亮平が投げやりにぼやいた。
「また、おれたちだけが置いてきぼりか」
コウタたちの近くにいた綾香は、自分の光り出した右腕を見て、悔しそうに言った。
「あーあ、こんなに早く帰されるなんて残念。魔法の時間は、あっという間なんだね。まだ、願いを全部叶えていないのに」
綾香の体からは、けやき通りで会った時みたいに、エメラルド色の炎がチロチロと吹き出していた。綾香だけじゃない。他のクラスメートたちも次々、体がエメラルド色に輝き出していた。そして、四人一組で大きく燃え盛ると、あっという間に、その場から消えていなくなった。
「大丈夫、後は僕らに任せて。みんなは気をつけて、先に帰って。また、学校で会おう」
コウタは、次々と輝き消えていくクラスメートたちに、別れを告げた。
「僕らも翔たちを助けて、みんなで一緒に戻るから」
遠くからは、健吾が気をつけろよと叫んで、エメラルドの炎の中に消えていった。他の子どもたちも一人また一人と、エメラルドの炎に包まれ、消えていった。
亮平は、最後に残った綾香たちがエメラルド色に燃えていくのを、うらやましそうに眺めていた。おそらく、銀河原に到着した順に、帰るのだろう。氷砂糖の街で、最後に出会ったのが、綾香たち四人組だ。
綾香はエメラルドの炎の中から、ひょっこり顔を出すと、いたずらっぽい微笑を浮かべた。
「コウタたちなら、きっと出来ると思う。でも、勝手が違う世界だから、気をつけてね」
「うん、二人を助けたら、僕らもすぐ元の世界に戻るから」
「二人?」
そう言ったかと思うと、綾香は完全にエメラルドの炎に包まれ、不思議そうな顔を少しの間だけ残して、すっと消えていった。
コウタと亮平だけが、ポツンと取り残された。気がつくと、他の学年の子どもも、他校の生徒も次々消えて、ついには誰一人いなくなっていた。
子どもたちがいなくなると、急にあたりは静けさに覆われ、否応なく寂しさが込み上げてきた。見えない鳥たちのボソボソ言う悪口だけが、空から耳に入ってくる。それらは、今や、残された二人に向けられた悪口だった。けれど、コウタはもう、それさえ気にならなくなっていた。
「コウタ、二人が落ちた大穴は塞がれちゃったね。どうしようか」
亮平が、どこかもったいぶった態度で、ぼそりとつぶやいた。亮平は言い出しにくそうだ。一方、コウタはきっぱりと断言した。
「決まっているじゃないか。あれを使って、下に降りるのさ。他に方法はないよ」
「そうだよな…それしか、ないよな」
亮平は、がっかりする声をあげた。
「さあ、急ごう」
二人は、上空からの悪口にさらされながらも、ススキヶ原を全速力で駆け抜けた。続く雲母の橋をあっという間に渡り切り、雲母の回廊をわき目も降らず走り抜け、銀河原の改札口に到着した。
その勢いのまま、銀河原の改札口を駆け抜け、雑踏をかき分けながら、駅の出入口と言われていた赤い扉を探した。すると、すぐ目の前に、地味だけどやけに目立つ赤い扉を見つけた。休む間もなく、一気に赤い扉を開けて出ると、いきなり、雑踏や駅の壮大な光景が消え失せた。
二人は、いつのまにか銀河駅から外へと走り出ていた。
何もない、すっきりとした空間が目の前に広がっている。二人はほっとすると同時に、ひどく不安になった。そこにあるはずの白銀の道が、見えないのだ。
来る時に通った白銀の道がなければ、オー君たちを助けに行くどころか、自分たちもこの訳のわからない世界で迷子になってしまう。いったい誰がどうやって、自分たちを銀河原駅に連れて来たのだろう。その記憶さえ曖昧で、自分たちは本当に銀の道を通って銀河原駅へやって来たのか、すっかり自信がなくなってしまった。
が、何もない空間の中から、鈍い光が現れ、白銀の道がゆっくりと浮かび上がってきた。くっきりと、しっかりと、自ら輝き、そこに存在している。
コウタたちは、胸をなでおろし、名前も知らない謎の茶屋の店員に、感謝した。理由はわからないが、コウタの心の中には、確かに、その見知らぬ男への感謝の念が、湧き起っていた。
二人はためらいもせず、白銀の道に踏み込んでいった。白銀の道は、例の宙に浮く十字路へと、二人を導いた。
輝く十字路に到着すると、二人は向かい側の細い道を穴の開くほど見つめた。
「これが、地球への近道だと、あの人は言っていたな」
そう言いながら、亮平は既に及び腰だ。あの人とは誰なのか、コウタは聞き直そうとしたが、止めておいた。
十字路から見える細くて白い道は、先に行くほど更に細くなり、その先は深い霧状のものに包まれ、まったく何も見えない。
「確か、『大蛇の滑り台』って言っていたな、例の人は。どんな道なのか、おれだって名前から想像できるけどさ。だけど」亮平は、早くも汗でびっしょりだ。
「亮平、急ごう。迷ったり、怖がったりしている暇はないから」
コウタは、恐る恐る小道に足を踏み入れた。
背後を振り返ってみたが、すぐそこにあったはずの十字路の輝きは、早くも見えなくなっている。後ろへは戻れない。前に進むしかないのだ。コウタがそう思った瞬間、足もとの道が、ぐにゃっと動いた気がした。
亮平も気づいて、小さな悲鳴をあげた。
「うわっ、これ、動いているんじゃない?あの家具屋の地下国に続く石段と同じだよ」
確かに似ていると、コウタも思い出した。あの時の長い石段ほどではないが、湿り具合といい、くびれのある細長さといい、陰鬱な雰囲気はそっくりだ。
しかも、これは確実に生きて動いている。足もとを伝わって、生きている鼓動が響いてくるのだ。これは本物の大蛇かもしれないと内心思ったが、亮平が怖がるので、言うのは止めておいた。
二人が細い道を進んでいくと、すぐさま、急な下り坂が見えてきた。あまりの急勾配に、二人は、断崖絶壁の縁に立たされている気分になった。道は、突然下方へ折れ曲がると、死んだようにぶら下がり、深淵の中へ一直線に向かっている。どんなに目を凝らしても、下方には、白い霧がしいんと広がっているばかりだ。
救われるのは、巨大な風船みたいな地球が、下方のずっと奥底にぼんやり沈んで見えることだ。あるいは、霧の中に浮かんでいるのかもしれない。たとえ幻だとしても、下に降りていく際には、唯一の心強い目印となるだろう。目標物がないと、どちらが上で、どちらが下なのか、方向がまるでわからなくなる。どう考えても、この大蛇の滑り台と、あの地球が繋がっているとは思えないが、今は無理やり信じるしかないのだ。
コウタは急勾配の手前に膝をつき、もう一度下を覗き込んだ。何度見ても、まっ逆さまに続く、白い道と濃霧しか見えない。コウタは、絶望と緊張に震えた。手に汗を握りながらも、サンダルを脱いで無理やりパジャマのポケットに突っ込み、パジャマの上着をズボンの中に押し込んだ。
「こりゃ、相当な覚悟が必要だな」
亮平の上ずった声が、背後から耳もとに伝わってくる。
「問題ないさ。滑り台って呼ばれているからには、きっと滑り台なんだろうから」
コウタは、自分に言い聞かせた。覚悟は出来ているはずだ。それでも、次の一歩がなかなか踏み出せないでいる。
コウタのすぐ後ろには、まっ青な顔をした亮平が、準備を整え、座り込んだ。揺れるほど震えているのが、直接コウタに伝わってくる。亮平は、あえぐように言った。
「うへぇ、下に着いたら尻が焼け焦げて、なくなっているかもしれないな」
コウタは振り返って変な笑いを浮かべると、口もとをぎゅっと結んだ。行くしかない。行くしかないのに、どうにも最後の決心がつかない。顔から冷汗が、いく筋も滴り落ちてきた。無理もない。絶壁から飛び降りろと言われているのだから。
― 弱虫。意気地なし
どこからか、そんな言葉が聞こえた気がした。亮平が、独り言を言ったのだと思い、無視した。しかし、言葉は遥か下方から、なおも響いて来る。
― 弱虫は、虫の中でも最低だ
今度はハッキリとした声が、下から聞こえた。しかも、聞こえてきたと同時に、立っている道がズドンと揺れ動いた。二人は震え上がって、思わず四つん這いになって固まった。
「おれたちは弱虫じゃない!子ども族だ!」
亮平がとっさに、叫び返した。
― では、最低の弱虫より、更に最低の子ども族だな
「虫は軽いし羽があるけど、僕らは重いし、羽だってないんだ!」
今度はコウタが叫んだ。実にバカバカしい言い訳だったが、緊張のあまり、何か言わずにはいられなかったのだ。すると、道がクスッと笑った。ほんの少しだけ、道が震えたのがわかったからだ。
― ならば仕方がない。別の方法を考えよう
そう言われたコウタたちは、ホッとすると同時に、嬉しくなった。この断崖絶壁から飛び降りずにすむ方法があるらしい。意地悪い大蛇かと思ったが、意外と親切だ。
「別の方法があるのだったら、ぜひ、そっちの方法で僕らを地上に降ろして下さい」
コウタがそう言い終わらないうちに、道が突然、くねくねと上下に波打ちだした。道は大きくうねると、コウタたちの体を乱暴に跳ね飛ばした。
二人は容赦なく、断崖絶壁から突き落とされた。悲鳴をあげながら、二人はまっ逆さまに落ちていった。いや、まっ逆さまに落ちていったが、すぐ横に白い道が片時も離れず、くねくねと動きながら、落ちていくコウタたちに接近してきた。
二人はものすごいスピードで、ほぼ垂直に落下しながらも、何故かその白い道が体に寄り沿い、いつの間にか、尻が白い道にピッタリとはまっていた。コウタの体は、白い道から外れることなく、落下している。
しばらくの間、コウタは、恐怖のあまりパニックに陥っていたが、意外にも、体が大変安定しているのに気づき、自分を取り戻した。ものすごい勢いで下方へ滑っていくが、体は決して、この白い道から外れないのだ。
全然怖くも、痛くもない。それどころか、初めての体験で、楽しい気分にさえなってきた。かなり荒っぽい方法だけど、これなら、いち早く地上に降りられるだろう。
落ち着いたコウタは、まだ後方で絶叫している亮平に、大丈夫だと思いっきり叫んだ。亮平も、自分の体が安定しているのに気がつくと、絶叫はいつの間にか苦笑いに変わっていった。
「大蛇さん、ありがとう」
いつしか、二人ともこんな風に叫んでいた。
滑り台は、右に左に大きくうねり、空中で一回転したり、らせん状に回転したり、まるで遊園地のジェットコースターだ。この豪快な動きを、むしろ二人は楽しんでいた。
ただ、ものすごい速度でうねり、何度も激しく回転したため、周囲の様子を見ている余裕はなかった。ようやく地上に到着した頃には、二人とも酔っぱらいと間違われそうなほど、ふらふらしていた。
二人は、人生最初で最後の、特別な滑り台を経験したのだ。
こうして二人は、薄暗い地下室の様なところに投げ出された。妙に埃っぽく、少しカビ臭い。窓は見えないが、豆電球風の灯りが、ぼんやりと小さく輝いていた。地上には到着したらしいが、どこなのか、わからない。それでも、どこか見覚えのある光景だ。
二人はぶつけた腕や頭をさすりながら、立ち上がろうとしたが、頭がまだクラクラして、うまく立ち上がれなかった。おまけに、体中がギシギシと痛い。
「一方通行ですからね。狭いので、早くそこをどいて下さい」
聞き覚えのある口調が聞こえて来た。コウタは痛む腰を押さえながらうめいた。
「歩きたくても、痛くてうまく動けないんです。もうちょっとだけ待って下さい」
すると、冷たい沈黙が少しの間流れた後、辛辣な口調の声が響いてきた。
「私はいいのですよ、全然かまいませんとも。ですが、大蛇たちが、グズグズしているものをエサだと勘違いしなきゃいいんですがね」
聞き覚えのある声に、二人はぎょっとして立ち上がって、その場を飛びのいた。まだ、めまいがしていたが、緊張で全身に血が巡り、力が入ったのだ。それから、二人は顔を見合わせて納得した。ここは、家具屋の地下室だ。
「大蛇って、滑り台の大蛇のこと?」
亮平が恐る恐る尋ねた。声はフフンと鼻息を荒げて言った。
「滑り台の大蛇だけじゃありませんとも。地下国へ続く大蛇も、大口を開けて待っているんですよ。そう、天の大蛇と地の大蛇が、ここで大口を開けて、向かい合っているのです。あなた方は、今、まさに、双方の大蛇の間にいるわけです」
二人が自分たちのいた場所を見ると、天井から垂れ下がった巨大な口と、足もとには大きくポッカリと開いた大口が、上下に向かい合っている。見覚えのある床の大穴は、コウタたちが小人族の国へ降りた石段の入口だ。
「またのご利用をお待ちしております」
嫌みな声に押し出され、二人はふらつきながらも、地下室の階段を上がった。地上階の部屋は、以前来た時と変わらなかった。青い飾り棚を見たのは、これで三度目だが、今度は無視してその横を通り過ぎた。そして、そのまま家具の店を後にした。
しいんとした通りに出ると、氷かと思うほど冷たい路面に足が触れ、二人は同時に飛び上がった。ポケットからサンダルを取り出すと、慌てて履いた。
「まいったなあ。でも、さすがに近道だけあるよ。あんなに苦労して上に行ったのに、あっという間に地上だ。お尻もすり減っていないし」
亮平は、よろよろと歩いて、近くにあったケヤキの幹をポンポンと手で叩いた。
「振り出しに戻ったのか。でも、以前と通りの様子が違っているみたいだ」
コウタは目を凝らし、あたりを見廻した。
ここは、以前、四人が砂金川から放り出された、あの通りではない。薄暗さは変わらないが、以前見た景色と明らかに違っている。あの通りは狭く短く、通りの両端が極端に暗かった。しかし今は、道路の幅も広く並木道もあり、通りの両端は暗くない。しかも、このビルの連なりや並木道も、どこか見覚えのある風景だった。
「ここは、けやき通りじゃないか!」
コウタは目を見張った。理由はわからないが、二人は、けやき通りまで戻れたのだ。それでも、まだ、素直に喜べない状況だ。以前見たけやき通りと、どこかが違っている。
コウタは、嫌な感覚に胸が重くなった。路面は鈍い光を放っているが、もはや美しくもなければ、心惹かれるものも感じない。本物の氷が随所に張り巡らされ、何者も受けつけない冷たさと頑固さが、通りや街を薄暗く覆っている。
ケヤキたちは葉をすべて落とし、厳しい風にかろうじて耐えている。自分たちが先ほどまでいた家具屋も、今では、入る隙もないほど、ビッシリとシャッターで閉じられている。家具屋だけではない。けやき通りの家々やビルは、灰色の塀で塞がれ、長年誰も住んでいない空家に変わり果てていた。通りの道路は、もはや、古くなったゴムみたいにボロボロと崩れ始めている。
自分たちの住む街が、すっかり廃墟になってしまった。二人は、初めて言い知れぬ恐怖を感じた。
そんな思いもつかの間、通りに残された二人は、猛烈な寒さに、たちまち縮み上がった。またしても、自分たちがパジャマ姿にサンダル履きである現実を、嫌というほど思い知らされたのだ。
「亮平、水曜亭まで全力で走ろう。このままじゃ、凍え死んじゃう」
二人は文字通り全速力で、暗いけやき通りの舗道を突っ走った。サンダルが脱げそうになったが、足先に力を入れ、脇目もふらず、水曜亭があるだろう四つ角を目指した。
街は、どこもかしこも暗く凍えている。あれほど道を明るく照らしていた街灯は、今はぼんやりと、やる気のない光を身にまとっているばかりで、舗道の方まで光が届かない。生きて動いているのは、自分たち二人だけだ。風もなく、ケヤキの木々も微塵も動かず、ぞっとする風景だ。
それ以上に心配なことがある。もしかしたら水曜亭には、もう誰もいないかもしれない。それ以前に、水曜亭そのものが、本当に今もあるのだろうか。あれこれ考えても、キリがないので、考えないためにも、がむしゃらに走るしかなかった。
途中で、夜鳴鳥の、弱々しく途切れがちな声が響いた。
キキョケ、キョケ、キョケ、キョッ、キョッ、キョッ、キョッ……
足を止めて確認したいが、今は立ち止まるわけにはいかない。二人は、走るのに必死だった。
間もなくすると、前方に薄明かりがぼんやりと見えてきた。水曜亭だ。以前ほど、明るくはないが、二人は吸い寄せられる虫のごとく、そのまま水曜亭に突進していった。
しっかり閉じられた扉の向こうから、薄明かりが微かにもれ出ている。きっと誰かがいるに違いない。消え入りそうなほど弱々しい光ではあるが、今の二人にとっては大きな救いだった。
凍える手で大きな木の扉を開け、二人は店内へなだれ込んだ。とたんに、入口付近にある飾り用の照明が目に入った。二人が外から見ていたのは、その明かりだった。店内は温かいが暗く、誰かいるのかどうかもわからない。いや、しいんとして、誰もいないようだ。
二人の唇はすっかり紫色になり、歯がガチガチと音をたてている。しばらくそこで冷えた体を温めたいと思ったが、そんな時間すらもったいない。
奥にある厨房へ向かっていたところ、二人は驚きのあまり声を上げそうになった。
店内には誰もいないのではなく、彼らは、大勢そこにいたのだ。客人たちは店の中ほどに、一塊になっていた。しかし、おそろしく異様な雰囲気だ。
人々の目はうつろで、店内を落ち着きなく、右往左往している。ところかまわずブツブツ文句を言っている者や、片隅で静かに涙を流し続けている者、込み上げてきた怒りをテーブルにぶつける者など、信じられない光景が広がっている。あの、穏やかで活気ある水曜亭はどこへ行ったのだろうか。
あれほど貫禄のあったクマネコも、しきりにうなりながら店の中をうろうろし、上品だった白キツネは、異常に興奮して、あたりかまわずしゃべりかけている。ヤニガエルが恐ろしいほどひきつった笑い声をあげても、誰一人、気にも留めない。
カンガルーの店員は気だるそうに、使わないイスを片づけ、まだ残っている客におかまいなく、黙々と店仕舞いを始めている。
水曜亭は、いったいどうしてしまったのだろう。
コウタたちは、事情を知りたかったが、客や店員があまりに狂気じみているので、声をかけるのをためらった。
「このまま、支配人のいる厨房へ行った方がよさそうだね」と亮平。
二人は、異常な店内をそっと抜け、厨房へ続く廊下のドアに手をかけた。すると、ドアの向こう側からやって来た、厨房のコックたちに出くわした。コックたちは、ちょうど奥の厨房から店内へ向かって来たところだった。
ドアを開けたコックは、コウタと亮平の姿を見つけると、苦々しい笑いをもらした。以前、厨房で「松」という名で呼ばれていたコックだ。
「やあ、君たちか…」
コウタは、松の様子がいつもと違うのに気づきながらも、さっそく声をかけた。
「あの、水曜亭で何かあったのですか?」
コックの松は、一呼吸おいてから言った。
「水曜亭だけじゃないよ。今、地上の世界全体がおかしくなっているんだ。原因はわかっている。この状況から、君たちだって想像はできるだろう?」
松は、チラリと廊下の窓を見やった。
暗い舗道の様子が、廊下の窓から映し出されている。外はますます、暗さを増し、気温も下がっている様子だ。店の目の前にあるケヤキの枯れ枝には、氷がはびこり、既に樹氷になっている。それらは、水曜亭の薄明かりを借りて、震えながら、申し訳なさそうに輝いていた。
「やはり、冬将軍ですか?」
「ああ、間違いなくね。この世界の地上が全部やられているんだ。それと、天上界の一部もね。しかも、幻惑が丘までが凍りついて、人々が天上界に上がって行けず、逃げ場さえなくなっている。白い綿雲まで凍りついて、幻惑が丘にドサドサ落ちているんだ。だから、水曜亭はそういう人たちのために、ギリギリまで、こうして頑張っているのさ」
そこへ、店内をうろうろしていたクマネコが、横から割り込んできた。クマネコの目はうつろで、うわ言のように、勝手に語りだした。
「それにしたって、何故なんだ?つい先日までは、地上も天上も、あんなに温かく平和だったのに、今や、どこもかしこも氷地獄だ。どうしてあいつが地下から出て来られたんだ?」クマネコは、上の空で天井を見上げ、大きく息を呑み込むと、両目をかっと見開き、突然叫び出した。「そうだ、あの噂!裏切り者の噂!やはり、あの話は本当だったんだ。冬将軍を裏切った奴が、この世界に逃げ込んだって噂話だよ。これは、単なる噂じゃなく、本当の話だったんだ。そうでなきゃ、こんなひどい状況になるはずがない!」
クマネコは、あたりかまわず、嘆き続けた。コックの松は一言も返さず、ほんの少しだけ顔を背けた。
クマネコは、次に、そこにいたコウタの腕を大げさにつかむと、訴え始めた。
「君、冬将軍は、裏切り者を決して許さないという話だ。だから、もし裏切り者がこの世界に紛れ込んでいれば、冬将軍はこの世界ごと滅ぼすだろう。我々は、みんな巻き添えを食らって、氷に閉じ込められてしまうんだよ。みんな、ああ、我々全員、誰も彼も永久にだ!」
クマネコは、最後に大声で叫び、丸い頭を両腕で抱え込んだかと思うと、柱に頭をゴンゴンと打ちつけ出した。しかし、周囲にいる客たちは一瞥しただけで、すぐに視線を逸らせてしまう。まして、それを止めようとする者は、誰もいない。みんな、他人に構っている余裕がないのだ。
しばらくしてから、ひとり、松だけが、柱からクマネコを優しく引き離した。
コウタたちは、オー君のことが頭をよぎった。と同時に、胸の中がずしんと重苦しくなった。まるで、大きな錨を胸の中に落とされた気分だ。
店の中からは、ついに耐え切れなくなった白タヌキが大声で叫び出していた。
「冬眠、冬眠…ああ、冬眠なんてどうやるんだよ。熊やリスたち、冬眠の専門家は、ここにいないのか?誰か、冬眠の仕方を私に教えておくれ」
白タヌキの嘆きを皮切りに、店内で潜んでいた客たちがざわめき出した。店内は火がついたように、騒ぎ声が大きくなり、イスやテーブルを叩いたり蹴ったりする音も響いてきた。
店内の危険な雰囲気に、コックたちは、眉をひそめた。しかしどうしていいのやら、コックたちにもわからない様子だ。
コウタは、ここで思い切って、話を切り出した。
「あの、僕らの友だちを見かけませんでしたか?出発時に一緒にいた、背の低い、痩せたメガネの少年と、背の高い、青いパジャマを着た少年です。二人とも、上から落ちてしまったのですが」
するとコックの松が、またしても複雑な表情をした。コウタは意味もなく、胸の中がもやもやするのを感じた。
松はオウム返しに言う。
「背の低い、痩せたメガネの少年?」
「ええ、オー君といいます。どこかで見たんですね?」
一拍おいてから、コックの松は、急に小声になって、話し出した。
「あの子はオー君と言うのか。天上界で、雷の矢に撃ち落された子だね。その子ならさっき厨房に、かつぎ込まれたよ。なに、ケガ一つないさ。たくさんガス石を使ったからね」
コウタたちは、ほっと胸をなでおろし、笑顔になった。松の態度が少しおかしかったが、早口にお礼を言うと、一目散に長い廊下を駆け出し、奥にある厨房へと向かった。
重々しい扉の前には、店の客たちが、うろうろと歩き廻っていた。ぶつぶつ言う声が、扉のあたりから廊下へ響き渡り、気味が悪かった。それでも、店内の客たちに比べれば、多少なりとも落ち着いている。
と、そこに、聞き覚えのある軽快な声が、二人を出迎えた。
「僕らは、冬将軍に閉じ込められる前に、自ら閉じこもりますよ」
狛犬兄弟だ。扉の前にいる狛犬兄弟は、コウタたちを見つけると、目で合図をした。
「あれから訓練を重ねましてね。ずい分長い間、石の狛犬のままでいられるようになりました。冬将軍の氷づけは、何万年も続くと言われますからね。それに合わせた訓練が必要でした。おや?だが、待てよ。すると、石のまま氷になってしまうのかな」
右側の青年は、急に顔をしかめ出した。
「兄さん、氷ったまま、石になるんだよ」左側の狛犬が答えた。
「弟よ。それでは先に、氷になる訓練をしなくてはならないのかな」
狛犬兄弟は、本気で悩み出した。
「君たちも石になる訓練をしに来たのかい?」
そう聞かれたコウタは、厨房の中にいる友だちに会いに来たと答えた。狛犬兄弟は、笑顔で扉を開けた。
コウタたちは、人々の間をぬって進み、厚い扉の中に入った。入った瞬間、暖かい空気の感触と共に、厨房にいた人々の視線が一気に、自分たちに注がれた。
「オー君は、どこですか?」
扉を閉めたコウタは、遠慮のない大声で叫んだ。
すぐさま、奥からどんぶく姿の支配人が、のっそりと現れた。相変わらず、変な帽子の隙間から、長い耳がはみ出しているが、今はぺたんとしおれて頭に張りついている。支配人は、全く元気がなく、むしろ憔悴し切っていた。
「おお、やっと来たか。君たちの到着を待っていたんだよ。必ずやって来ると信じていたからね」枯れた声で支配人は、言った。「君たちの友だちは無事だ。ほら、あそこにいるよ」
支配人は、戸棚の間の隙間を指さした。そこには、厨房のイスに腰かけて、うなだれている少年がいた。




