第18章 ススキが原の銀ギツネ
四人は、『銀河原』と表示のある宝石でできた改札に、足を踏み入れた。亮平を先頭に、四人は一列になって改札の中へと進んで行った。
改札の向こう側は、古びた、がらんどうのホームがあるだけの寂しい風景だ。屋根もほとんどなく、柱も錆びてボロボロだ。列車も人影もないホームは、すっきりして清々しいが、コウタが期待していた風景とは、あまりにかけ離れていた。
改札に踏み込んだ際、振り返ると、控えめに手を振る店の男がちらりと見えた。ところが、改札の向こう側に出ると、もう何も見えなくなった。
それどころか、つい今しがた握手を交わした男の顔すら、思い出せなかった。名前も知らない、顔もあやふやだけど、峠の茶屋にいた男だということだけは、覚えている。覚えている?コウタは、自分自身に尋ねた。
覚えているのは、ぼんやりとした輪郭だけが残った、中身のない人間だ。だいたい、自分はその人と、どんな関りがあったのだろうか。改札を完全にくぐり抜けると、もはやおぼろげな追憶でしかなくなった。
それよりも、コウタは、自分の足もとに寄せてくる波の方が気になって仕方がなかった。改札に足を踏み入れたとたん、ごく浅い波が大きな輪を作って、足もとに押し寄せてきた。足首まで波に浸かったが、水の感触はなかった。それらは、とても軽く、半透明に輝いている。そして、静かに引いては、繰り返し押し寄せて来る。
改札が水浸しなんて、いったいどうなっているんだろう。コウタは、恐怖も焦りもなく、妙な感覚で、寄せては引く波を見つめた。
ふと、目を上げると、改札の向こう側は、白く輝く大海原だった。先ほど見た古いホームは姿を消し、ずっと奥の方から、光の波が次々と足もとに押し寄せている。
潮の香り、打ち寄せる波の音。懐かしいリズム。輝かしい水平線の上には、明るい星空が横たわっている。大きな星々が、連なり、光の海と互いに共鳴している。なんて神秘的な風景だろう。ここは、どこか別の星なのだろうか。いつまでも見つめていたくなる光景だ。
しかし、少しずつ光が落ち着いて、徐々に、別の視界が現れてきた。すると、コウタの耳もとで、亮平が興奮気味に叫んだ。
「雪山のてっぺんでピクニックなんて、どうなっているの?あっ、風景が消えていく。これって、もしかしたら幻なのかな」
「えっ、僕は、深い海の中にいるよ。深海魚やサメが泳ぎ廻っている。ああ、でもこれ、幻なんだろうな。みんな、消えて行くみたい」と、オー君も残念そうに声を上げた。
「おれのは、違うぞ。知らない星の都市の広場で、ヴァイオリンを弾いていた」と、翔。
四人全員が、それぞれ異なる幻を見ていたのだ。それも、その人にとって心地のいい幻だったらしい。
その幻も消え去り、光の波が四方八方へ引いていくと、新たな世界が目の前に現れてきた。誰の説明がなくても、そこがどこなのかを四人はよくわかっていた。
「僕らは、銀河原に着いたんだ!」
あたりもはばからず、四人は狂喜の歓声を上げ、手を取り合い踊り上がった。
が、一瞬で騒ぎはぴたっと収まった。何かがあった訳ではない。ただ、息を呑むほどの光景に圧倒され、逆に動きが止まってしまったのだ。四人は、神妙に、その場にたたずんだ。
銀河原。そこにはまた、今までとは異なる別の世界が広がっていた。
箱型に詰められた島の世界が、上下、左右、前後と複雑に重なり合い、宇宙の遥か彼方まで続いている。この彩り豊かな箱で、空間は埋め尽くされている。まっ暗な宇宙空間に、色鮮やかな島が、無数に浮かんでいるのだ。
壮大過ぎる光景だ。最初は、どこをどう見たらいいのか、迷うほどだ。巨大な空中水族館にいる気分だった。そもそも、自分たちのいる場所がどこなのかすら、わからない。実に不思議な空間だ。
深い森の島、色鮮やかな花畑の島、野原の島、ヤシの木が揺れる島、洞窟だらけの島、ごく普通の街の島、線路だらけの島。様々な風景に目移りしてしまう。
それら無数の島を繋ぐのが、黒くテカテカ光る回廊だ。回廊は、足もとのすぐ先から始まっている。
よく見ると、回廊は雲母でできていた。光沢のある黒い石の中に、星のような光が散りばめられ、チラチラと輝いている。まるで、天の川が流し込まれたようだ。なのに、決して出しゃばらず、脇役に徹している。彩り豊かな島々に主役を譲り、静かに、力強く、コウタたちを各島へと導いている。
不思議なことに、遠くにある島も、自分が見たいと意識さえすれば、島の方がぐっと自分の方に近づいてくる。いや、そう見えるだけかもしれない。けれど、それによって、かなり遠くの島でさえ、大まかな様子がつかめるのだ。
コウタたちは、無言のまま、誰からともなく、雲母の回廊に足を踏み入れた。すると、その瞬間、自分たちはもう、にぎやかな雑踏の中にいた。
この世界では、いつだってそうなのだ。一歩、前に踏み出すと、次の世界が姿を現す。自分が踏み出さない限り、何も変わらない。新たな世界は、自分が一歩、踏み出すのを、息を潜めて待っている。
大勢の人々や半動物たちは、楽しそうに、雲母の回廊を往来している。銀河原駅内から続く光景だ。うさぎ顔の小さな子どもやその両親、白い髭が雲のごとく膨らんだ老人たち、そして、赤いレースで縁取られた衣装を重ね着している少女や、赤ん坊を抱っこする大きなシマリス。
しかし、銀河駅ほどの雑踏ではなく、ほどよい混み具合だ。人々は、ゆったりとして余裕があり、ところどころに備えつけられた望遠鏡を覗き込んでいる。
コウタたちは、そのにぎやかな生き物たちに、別段驚きはしなかった。これも既に、いく度も経験している。数々の冒険を経て、四人は、知り、学び、いつの間にか慣れていった。
それにしても、あの望遠鏡では何が見えるのだろう。四人は、望遠鏡が気になって仕方がなかった。雲母の回廊沿いに、望遠鏡は並んで宙に浮かんでいる。コウタたちは、早速、すぐ近くの望遠鏡まで駆け寄って行った。望遠鏡は、ちょうど四台並んでいる。
「当たり前だけど、望遠鏡なんだから、もっと詳しく見れるんじゃないか?」
翔が、重そうな鉄製の望遠鏡を覗き込みながら言った。
「うん、そうみたいだ」
誰かが、うわの空でそう答えたが、それすら耳に入らないほど、それぞれが望遠鏡で見たものに興奮していた。なんと、島の状況はおろか、そこにいる生き物たちの顔つきや植え込みの葉の筋までくっきり見えるのだ。恐ろしいほど細かいところまで観察できる。
亮平が、望遠鏡を覗きながら、叫んだ。
「ねえ、見て!『流砂の島』って言うのがあるよ。でっかいお寺の庭園だ!庭石やお坊さんたちまでが、砂に流されているよ!蟻地獄みたいだ」亮平は興奮のあまり、息継ぎも忘れ、叫び続けている。「ああ、その隣は、『風の館島』って名前だ!どこもかしこも、風車だらけじゃないか!風車がいろんな方向に回っている。風が、それぞれ勝手に吹いているんだ」
翔も負けていない。
「おい、こっちには、『輝ける石たちの島』ってのが、あるぞ!じっと見ていると、目がくらみそうだ。向こうは、『橋かけの街』だ。信じられないな。街中が、橋だらけだ。しかも、どの島も、人や生き物でいっぱいじゃないか」いつもは冷静な翔までが、浮かれた声を張り上げている。
コウタも、息を弾ませながら、島々に望遠鏡を振り向けた。興味を惹かれる島が、あまりに多過ぎて、なかなか視点が定まらない。
「ねえ、見ているだけじゃなくて、実際に、確かめてみようよ!」
亮平の呼びかけに、四人の熱い思いが一致した。四人は、ススキが原へ行くのも忘れ、雲母の回廊を駆け出した。黒い雲母の回廊は、たくさんの道が複雑に繋がり、組み合わされ、どの島にも通じている。
わいわい、がやがや、歓声に奇声。いつまでも、熱い興奮が収まらない。雲母の回廊は、いまや不思議な生き物たちで大にぎわいだ。みんな、自分が見えるものに熱中し、他人のことなんて、おかまいなしだ。
コウタたちは、枝分かれした回廊の奥にまで入り込み、間近で、それぞれの島を見て廻った。少なくても、近隣の島々は、回廊を通れば、すぐにたどり着けた。たどり着けたが、島の中までは入らなかった。突如として、自分たちはススキが原に向かっているのを思い出したからだ。
そこで、いったん回廊にある望遠鏡で注意深く探してみたが、ススキが原らしい島は、見つけられない。
「まあ、焦る必要はないよ。ススキが原が見つかるまで、他も、ちょっとだけ覗いてみようよ」と、翔。
言い訳じみているが、四人の飽くなき好奇心は、止まらなかった。
四人は、あちらこちら寄り道しながら、雲母回廊の中心部にやってきた。そこは、かなり大きな広場で、まん中には立派な白い噴水がある。水は出ていないが、何故か、妙に目立つ噴水だ。そこから各方向に、雲母回廊が放射状に広がっている。
すると、白い噴水が、見る見るうちに、金色の噴水へと変色していった。
突如、噴水口から、金色の水しぶきが天高く舞い上がった。あまりに壮大な水しぶきだ。大胆に空を覆うと、それからゆっくり、遠くまで行き渡った。水しぶきではなく、もっと軽い、羽のようなしぶきだ。金色のしぶきは、ほとんど下には落ちず、あたりの島々はもちろん、遠くの島々まで金色に染め上げた。
大きな歓声と拍手がいっせいに響き渡った。誰もが足を止め、金色の噴水に見とれた。廻廊を駆け廻っていた子どもたちも、その場にピッタリ釘づけになった。
金色のしぶきは、時間をおいて、繰り返し吹き上げ、黄金色の輝きを豪快に撒き散らしている。そのたびに、巨大な空間全体が黄金色に染められた。
「父さん、あれなあに?」
そばにいた老女が、手を繋いでいる若い男に尋ねた。コウタはその二人を見て、ぎょっとした。どう見ても、父さんと呼ばれた男の方が若く、シワの寄った老女は、男の母親かお婆さんの年齢だ。
「あれは、砂金泉だよ。ああやって、昇ってくる砂金川が、時々潮を吹くんだ。下からやって来る純粋な者たちを、この天上界の銀河原に届けるのさ。間欠泉って言うんだよ」
「カンケツセン?臍の緒じゃないの?」
ほとんど直角に腰の曲がった老女は、若い男を見上げた。
「ああ、そうだよ。臍の緒とも呼ばれている。地球と月を繋ぐ大切な臍の緒だ。ものすごく純粋な、二本の金の糸が互いによじれながら、地球と月をしっかりと繋げているんだよ。その間で降りれるのは、この銀河原だけだ。だから、ああして吹き上げて、やって来た人たちを、ここで降ろしているんだよ」
老女の落ち窪んだ目が、幼女のごとく輝いた。
「ふうん、私もあれに乗りたい」
「無理言っちゃいけないよ。あれは特別な人たちしか、乗れないんだ。おまえも小さくなって、純粋な頃に戻れたら、乗れるかもしれないけどね」
若い男は、渋い顔をして、老女の手を引っぱっていった。
なるほど、とコウタは思った。本来なら、コウタたちもこの砂金流に乗って、ここまで楽に来られるはずだったのだ。順調な旅だったら、こうして噴水で吹き上げられ、一気に銀河原に到着できたのだろう。砂金流に乗れなかったのは残念だったが、それでも自分たちは、銀河原にたどり着けたし、数々の冒険も経験できた。それだけで、十分満足だ。
「コウタ、見て。こっちも、すごいよ!」いつの間にか、オー君まで興奮して、叫んでいる。「スズランの里だって。なんて、きれいな丘なんだ。体が、引き込まれそうだよ」
コウタも、言われた方向に顔を向けた。
およそ寂しい丘が続いているだけの風景だ。白く可憐なスズランの花は、少ししか咲いていない。風が吹くと、スズランの花が揺れ、カランカランと物寂しい鈴の音が、丘全体に響き渡った。その鈴音は、薄気味悪いとすら感じる。
どうしてオー君は、こんな寂しい丘を美しいと感じるのか、コウタには理解できなかった。オー君は、独りうっとり飽きもせず、スズランの里を眺めている。このまま、島の中に入っていきそうな勢いだ。
すると、オー君の隣にいた白髪の老人が、顔をしかめて言った。
「君たち、スズランの里へ行ってはいけないよ。ずっと見つめるのも、良くない。あれは、わしみたいな老人の行く島だ。子ども族が行くところではない。普通、子ども族はあんなものには、心惹かれないはずだがね。まったく、近ごろの子ども族はどうなっているのか、わしにはわからん」
老人は、尚もぶつぶつ言いながら、そこから離れ、去っていった。
オー君は目をぱちくりさせ、納得できない様子だった。コウタは、もう一度スズランの里に目を向けたが、やはり、地味で寂しい風景で、美しいとは感じられなかった。
だいたい、そんな寂しい丘よりも、面白そうな島が、数えきれないほどあるではないか。コウタは、オー君を誘い、二人で一旦その場を離れた。再び、好奇心の赴くまま、魅力的な島々を追いかけ出した。
水晶に閉じ込められた人々の住む島、風鈴の実をつけた木々がおい茂る島、色彩だらけの森、天女が舞う雲の山々。そこへ、砂金流の金色の水しぶきが、時折、降りかかる。
四人は、互いがバラバラにならないよう、気をつけていた。熱中し過ぎると、すぐにみんなから逸れて、迷子になりそうだった。
ふとコウタの目が、遠くにある島から逸らせなくなった。
それは、数々の島の最奥に隠れた、金色のススキがたなびく島だった。その金色の風景の中で、銀色のキツネが空中高く飛び上がり、ふさふさした尾っぽから、銀の粉を振り撒いていた。
「見つけたぞ。ススキが原だ、銀ギツネだ!」
コウタは思わず声を上げた。すると、すぐ隣にいた亮平も続けて叫んだ。
「おれも見たぞ!それに、綾香たちもいるよ。真一や健吾や、クラスのみんなも、そろっているじゃないか」
亮平がそう叫んだとたん、かなり遠くにいる綾香たちは、いっせいに振り向き、コウタたちに向かって手を振ってきた。あんなに遠くから、本当に、自分たちの姿が見えるのだろうか。そう疑っていると、やがて綾香の声がどこからか響いてきた。幻惑が丘のこだまに似た響きだ。
― 早く来ないと、銀ギツネ狩りが始まっちゃうよ
コウタたちは慌てて手を振り返し、それぞれが言葉にならない答えを、大声で叫んだ。先ほど見た銀ギツネの光景は、銀ギツネ狩りが、もうすぐ始まる予告であり合図だ。
コウタと亮平は、翔とオー君を大急ぎで探し始めた。今度は、一刻も早く、ススキが原へ行きたい気持ちでいっぱいだ。二人は、雲母回廊を走り出した。
ちょうど、コウタたちを遠くから見かけた翔が、のんびりと近寄ってきた。ススキが原のことを伝えると、翔の目の色が変わった。後は、オー君だけだ。だが、オー君はなかなか見当たらない。合流した翔と三人で、複雑な雲母回廊を駆け廻ってオー君を探した。
コウタは、行き止まりの細い回廊の先でうずくまっているオー君を発見した。そこは、先ほど立ち寄った、スズランの里の入り口だ。
「オー君!」
オー君の顔は土気色で、まるで、黒い影そのものだ。オー君は、三人を見つけると、立ち上がろうとしたが、いきなり崩れ落ち、回廊に倒れこんでしまった。雲母の中に、そのまま、のめり込んでいきそうな勢いだ。
三人は、大慌てでオー君の元へ駆けつけた。
オー君は、息づかいも荒く、全身汗だらけだ。おそらく、読書の効き目が、切れたのだろう。願いを叶えてくれる銀ギツネは、もう目の前だと言うのに。
「まずいな。オー君を早く、ススキが原に連れて行かなくちゃ」
コウタと亮平が、両側からオー君を支えるため、腕を差し込んだ。ところが、オー君の体は、鉄の塊かと思うほど、異常に重い。オー君の体は、少しも持ち上がることなく、二人は、そのまま、雲母の回廊にがっくりと膝をついてしまった。これでは、たとえ大人が何人いても、オー君を持ち上げて運ぶのは、厳しいだろう。
「どうしてこんなに重いんだろう。今までは、楽に支えられたのに」
亮平がぼう然として、コウタに救いを求めた。
コウタは、不吉な予感に胸が騒めいたが、自分自身を安心させたかった。
「オー君は具合が悪いから、重さも暗さも強くなっているだけさ。ススキが原に行けば、きっと元に戻るよ。だからこそ、銀ギツネ狩りが始まる前に、どうしても連れて行かないと」
そうは言ったものの、実際どうしたらいいのかは、わからない。雲母回廊には大勢の生き物たちが行き交っているけれど、知り合いは一人もいない。こうなったら、誰かれ構わず声をかけるべきだろうか。やたら、焦るばかりで、いい案は一向に思いつかない。こんなことなら、道草なんて食っていないで、ススキが原だけを探して直行すべきだった。三人は、今更ながら後悔した。
「君たち、どうかしたのかね?おや、その子はずい分と具合が悪そうだが」
声をかけてきたのは、白い衣を着た、快活な老人だった。きれいに整えられた長い白髪と顎鬚がとても目立つ。血色のいい顔は、喜びに輝き、どこか超然としている。「おお、君たちは、下から来た子ども族だね」
すっかり余裕のなくなったコウタは、早口で答えた。
「友だちの具合が悪くて、動けなくなっているんです。早く、ススキが原に連れて行かなくちゃならないのに」
老人は、黙ったまま、じっとオー君の顔を見つめた。三人にはわからない何かを感じ取っている様子だ。オー君は、荒い息づかいのまま、ぐったりして目を閉じている。老人の銀色の瞳が、ほんの少しだけ陰った。
「どうやらその子は、本当に急がなくてはならない。限界に達している。どれ、わしが一つ、手助けするか」
老人は周囲をキョロキョロ見廻し、誰も見ていないのを確かめると、オー君の背中に、強く息を吹きかけた。するとオー君は、背中に氷を入れられたかのごとく、ビックリして飛び上がった。シャチホコみたいに、一旦大きくのけ反ると、それから背筋をピンと伸ばし、雲母の回廊にしっかり立ち上がった。
「あれ?どうしたんだろう。体がやけに軽いや。背中に羽が生えたのかな」
オー君は、自分の体を確かめながら、言った。
当惑する三人に、老人は、いたずらっぽい笑みを投げかけた。
「特別な風が君を押し上げているのじゃ。この風は、宇宙から吹く風じゃぞ。だから、ここでの決まりごとを少しばかり書き変えることができるのじゃよ。だが、これは内緒じゃ。ここの連中に見つかったら、そりゃあもう、うるさいからな」
「あの、あなたはどなたですか?」と、コウタ。
「わしか?ああ、わしは、木星から来た、風使いの仙人じゃよ。銀河系の風ならば、自由に操れるのじゃ。アルシオンの貿易風、ベガの吹きおろし、リゲルの季節風と、何でもごじゃれだ」
「風?宇宙には空気がないのに、風なんて吹くの?」
亮平は、理科の教科書を思い浮かべたのだろう。風使いの仙人は、豪快に笑い飛ばした。
「空気の風とは限らない。宇宙には、おまえたちの知らない風が、まだまだ、あるのじゃよ。さあさあ、急ぐがよい。風が後押しするうちに、進むのだ。目的地に着いたら、最後に、誰かが感謝を込めて、必ずその子の背中に息を吹きかけるのじゃ。証拠を消さないと、わしが後で大目玉を食らうからな」
四人の瞳は希望に輝き、仙人に深々と頭を下げると、勢いよく走り出した。
オー君は、信じられないくらい元気だ。顔色はまだ暗く悪いものの、足どりは軽快で、ぐいぐい進んでいく。ついには、みんなを追い越し、先頭を切って走っていくではないか。
「僕、こんなに早く走ったの、生まれて初めてだよ。宙を飛んでいるみたいだ」
オー君は、息をはずませながら、嬉しそうに叫んだ。
コウタは走りながら、後ろを振り返ってみたが、そこに仙人の姿はなかった。
いったいどこから現れ、どこへ消えたのだろうか。木星から来たと言っていたが、謎の多い人物だ。木星とは、確か、分厚いガスで出来た星ではなかったか。あんな所に、人が住めるのだろうか。それとも、仙人とは、人ではないのだろうか。あの仙人が言っている話が本当なら、この不思議な天上界の外側には、更に想像のつかない世界が広がっていることになる。
四人は、まだ遠いススキが原をしっかりと見すえ、雲母の回廊を走り進んだ。ススキが原へと続く道は一本道ではないため、分岐点で、いく度となく迷いそうになった。
しかし、目標さえ見失わなければ、回廊の方が、四人をそこへ導くことに気づいた。いつの間にか、進む方向に、雲母の道が勝手に枝分かれし、新たな道が造られている。余計な道は、自然に閉じられていく。もう迷わず、コウタたちは、ひたすら走るだけで良かった。
四人は、今度こそ、他の島には目もくれず、がむしゃらに進んだ。長い雲母の橋を走って渡り、いくつかの島を経由し、確実に近づいていった。最後の、雲母の橋を渡ると、そこには、気持ちよさそうに風に揺れ、こんもり生い茂った金色の丘が目の前に広がっていた。
「着いた。おれたち、ついにゴールに到着したんだ!」
亮平が、あえぎながら言った。
「ああ、やったな。砂金流なしで、たどり着いたんだ。おれたち、すごいぞ!」
翔も、感動を隠さず、素直な声をあげた。
四人は、互いに顔を見合わせて笑った。笑う理由は特にないが、ただ、笑いたい気分だったのだ。四人は、静かな達成感をひしひしと味わっていた。
「そうだ、仙人の言いつけを守らなきゃ。仙人の力がなかったら、オー君はここまで来られなかったんだから」
コウタが不器用に、オー君の背中に息を吹きかけた。すると、オー君はたちまち、ふらふらとよろめきだした。コウタたちは慌てたが、ここはもう、ススキが原だ。オー君は、青い顔をしながらも、両足を踏ん張り、自分の足で再びしっかりと立ち上がった。
「大丈夫。ここまで来たんだから、もう大丈夫に決まっているさ」
オー君は静かに笑った。メガネの奥の小さな目も、力強く輝いている。
四人は、金色のススキで編み込まれた小さなトンネルをくぐり抜けた。ススキはトンネルの編み込みの間から、いくつも穂を差し出してきた。歓迎の握手を求められているようで、嬉しかった。くすぐったさもあって、四人は、やたら笑みがこぼれた。
金色のススキが原は、見渡す限り、遠くの丘まで金色に輝いている。その輝きが照り返しているせいか、夜空も少し明るい。だが、夜空の上半分は濃紺色に深く染まり、星々を映し出している。ひときわ大きな黄色い満月が、ススキが原を見下ろしていた。
誰の姿も見えないのに、大勢の子どもたちがそこかしこに潜んでいる。そんな気配でいっぱいだ。ススキが原は、見えない熱気にあふれかえっていた。揺れるススキの間に、いたずら好きな小さな目が、たくさん見え隠れしているのだ。広大な風景の中には、赤い屋根の東屋が、点々と、色を添えていた。
もうすぐ、何かが始まる。そのワクワクした熱い思いが、丘のススキに、空に、空気に満ちている。この感覚は、初めて氷砂糖の街に飛び出した時の感覚と似ている。コウタは、あの時の、居ても立っても居られない気分を思い出していた。そして、その時感じた予感は、今こうして実現しているのだと、実感した。あの時の予感は、間違ってはいなかった。これは夢ではなく、現実なのだ。
ふと、島の入口にある看板が目に入った。先ほどまでは、なかった看板だ。いや、四人は浮かれていたので、見逃したのかもしれない。
『間もなく、銀ギツネ狩りが始まります。小屋の中で、松明を用意して待っていて下さい。銀ギツネを追いかければ追いかけるほど、尻尾から、銀の粉が撒き散らされます。その粉を浴びると、あなたの願いごとは、全部、叶えられでしょう。ただし、願いごとは、誰にも話してはいけません。また、叶う願いごとは、こちらの世界の中でのみになります。元の世界へ帰る人は、一部をおみやげとして、持ち帰ることになりますが、すべてを持ち帰れるわけではありません』
ここだけで叶う願いだって?四人は、何でも叶うと思っていたので、がっかりするかと思った。だが、不思議なことに、四人とも、そうはならなかった。
このススキが原に、四人全員で来られたことが、すでに叶っている願いの一つだったからだ。それに、自分の願いを叶えるよりも、今はみんなで銀ギツネ狩りを楽しみたい。もはや、それが願いになっているのに、四人は気がついた。
遅れた四人は、慌てて、近くの小屋に駆け込んだ。すると、中には、松明が四本、行儀よく並んで燃え盛っている。まるで四人のために、準備されていたようだ。
四人は、松明をめいめい手に取った。松明は燃え盛る炎ではなく、赤い光の塊だ。赤く光るアメーバみたいに、松明の先はゆらゆらとうごめいている。
四人は、今か今かと、相当イライラしながら、開始の合図をじっと待った。
すると、鈴のような歌声が、どこからか、ほがらかに響いてきた。
さあさあ、風が合図した
戸を開けろ
松明持って、外に出ろ
子ども族はついておいで
ススキが原の銀ギツネ
今宵は、月も特別さ
おいらの尾っぽも、特別さ
夢も希望も、叶えてしまう
だけど、油断は禁物だ
おいらはとっても、すばしっこい
そうさ、おいらは、つかまりゃしない
すっとこどっこい、蜂の頭だ
やれるもんなら、やってみな
そんなひ弱な二本足
カカシの足は一本足
カラスの足は、三本足さ
歌に続いて、恐ろしいほどの歓声が、聞こえてきた。まるで、世界中の子どもたちが合唱しているのではないかと思うくらい、折り重なり凝集された歓声だ。それらが四人を取り囲み、ビリビリと地面に、空気中に、振動している。コウタは全身に鳥肌が湧き立った。
気がつくと、四人もありったけの大声を、全身全霊で張り上げていた。
待ち切れなくなった四人は、片手に松明を掲げたまま、勢いよく小屋の外に飛び出した。すると、あちらの小屋、こちらの小屋から、そして茂みの中からも、松明を持った子どもたちが元気よく駆け出し、金色のススキの中へと飛び込んでいくではないか。
上空には、夜空を覆うばかりの巨大な満月が、太陽の代わりにさん然と輝き、強烈な月光を、満遍なく金色のススキが原に降り注いている。
「あっちにいるのは、綾香だ。一郎も、健吾も、みんないるよ!」
亮平が、大きな歓声に負けずに、声を張り上げた。少し離れたススキの群生の中から、コウタたちの見知った顔がいくつも現れた。
「おおい!」
コウタたちに気づいたクラスメートたちが、遠くから声をかけ、手を振っている。
「よかった、おれたち、間に合ったんだ!」
四人は、奇声を上げて、クラスメートたちの方へ駆け寄り、合流した。誠に真一、一郎に健吾、それに綾香たちもいる。みんなもコウタたちに気が付くと、それぞれ手を振ったり、大声をあげたりして、その場は大騒ぎになった。
明るい月光の下、コウタたちの姿を見て、みんなはいっせいに大笑いした。それもそのはず、四人の着ているパジャマは、かなり汚れてヨレヨレになっている。サンダルは引っかけているものの、足は泥だらけだ。
一方、クラスメートたちのパジャマは、そのままベッドに入れるほどきれいで、シワも少ない。みんなは、砂金流に乗って、一直線で銀河原へ到着したので、汚れようがなかったのだ。ただ、亮平だけは、このひどい汚れを密かに喜んでいた。パジャマの大きな桃の柄が目立たず、みんなにバカにされる心配がなくなったからだ。
みんなは、四人だけが砂金流に乗らなかったことを知っていた。ただ、その理由や、詳しい事情は、わかっていない様子だ。だから、何故コウタたち四人だけが、これほどひどい有様なのかは、知らなかった。
しかし、服装や格好なんて、どうでもよかった。こうしてクラス全員が、ススキヶ原に集まれたのだから。遠足や修学旅行より、ずっと思い出に残る出来事に違いない。
「おまえたち、ずい分遅かったじゃないか。どこで道草食っていたんだよ。噴水のあたりで、ずっと待っていたのにさ。いつまでたっても現れないから、もう来ないのかと思ったよ」
一郎が笑いながら、コウタの肩を叩いた。
「いつもなら誰かが遅れても、たいして気にならないけど、今日は特別だね。全員そろうって、なんか嬉しいな」
普段はコウタたちと反りの合わない健吾でさえ、にこやかにコウタたちを歓迎した。
「さて、クラス全員そろったから、出発しようよ。みんな、叶えたい願い事は決まった?しっかり心に抱いて、さあ、行こう」
綾香が満足そうに声を張り上げ、遠くの丘を指さした。
今日は、みんな、いつもより楽しそうだ。ここにいるのは、クラスメートだけではない。隣のクラスの生徒や、同じ学校の上級生や下級生たち、別の学校の子どももいる。街中の子どもたちを集めたのではないかと思うくらい、大勢いるのだ。
しかも、どの子もみんな、思い切り、はしゃいでいる。学校や家では、必要以上におとなしかった子どもたちも、今、こうしてすべてをさらけ出している。子どもたちが、こんなに無邪気に、はしゃいでいる姿を見たのは、何年ぶりだろう。
いつもうつ向き加減で、ほとんど誰ともしゃべらない祐樹が、今は健吾たちとも仲良く話をしている。ほとんど登校していなかった瀬里奈も、綾香達と銀ギツネ攻略の計画を一緒に練っている。
みんな、いつもとはどこか違う。いつもと違う世界だから、みんなもいつもと違うのだ。いつもと違っていいのだ。
学校、勉強、塾、競争、両親、友だち関係。体育の授業や遠足でさえも、今は息苦しい。
決まった世界を与えられ、その中で、求められた答えを出さなければならない。求められていない答えを出すのは、許されない。正しくない、価値がない、無駄だ。大人たちは、みんなそう言う。
だけど、誰がそんな決まりを作ったのだろう。自分が知りたいもの、見つけたいものは、誰かが用意した窮屈な世界や答えの中にはないのだ。きっと、それを越えたところにあるに違いない。それを越えたところ、例えば、この世界のように、もっと自由で、いくらでも伸びしろのある世界だ。
想像だとか、夢だとか、現実だとか、そんなことは重要ではない。大切なのは、自由であること、そして、自分で見つけることだ。答えも、世界も、自分自身で見出していくのだ。なければ、自分で創り出せばいい。自分が生きる世界を自分で創り出すのだ。
今、このススキヶ原で、子どもたちは解放され、子どもらしい子どもに戻れたのだ。これこそ、本当の子ども族だ。みんなの、そんな様子を見たコウタも、妙に誇らしく、嬉しくてたまらなかった。
ススキが原は、子どもたちの笑顔で、いっぱいだ。本物の笑顔であふれている。この、松明の数だけ、笑顔が揺れていた。
どこからか、ボンという弾ける音が、丘中に響いた。花火が打ち上げられた音だ。続いて、遠くの丘の上空で、銀色の丸いものが、ぼやっと光った。巨大な銀色の玉だ。銀色の渦模様のくす玉が、回転しながら上空に飛び出した。
その付近で、大きな歓声が上がった。どうやら、あれが銀ギツネに違いない。よく見ると、丸くうずくまった銀ギツネが、渦の形をして回転しながら上空に飛び上がっている。次の瞬間、銀の渦はパッと展開し、キツネの姿になって空中を、ススキが原を駆け出した。そのたびに、ふさふさの尾から、銀色の粉が盛大に撒き散らされた。
子どもたちは、ありったけの大声を上げ、松明を持ったまま、その丘を目ざして、いっせいに走り出した。すさまじい勢いだ。ものすごい数の松明の灯りが、丘の一点を目指して、集まっていく。
コウタたち四人も、なりふりかまわず、銀ギツネのいる丘へ駆け出した。背の高い、金色のススキたちは、コウタたちが近づくと、穂を垂れて、さっと両脇に避けてくれる。なんて親切なススキたちだろう。しかも、ススキの葉は、手足に傷を負ったりしないほど、優しく柔らかい。
コウタはオー君の様子をチラリと横目で見たが、オー君はさっきまでのひどい顔色がすっかり消えて、元気になっていた。銀ギツネを見つけると、メガネがずり落ちるのもかまわず、華奢な手足をパタパタと動かし、不器用ながら夢中で追いかけていた。オー君は、今本当に、幸せそうだった。それを見たコウタも、心の底から嬉しかった。コウタは、安心して、自分も銀ギツネに集中した。
銀ギツネは、神出鬼没だ。さっきは遠くの丘の上に、銀の塊が浮かんだと思ったら、今度は、別の丘からすっと空中に躍り上がる。一匹だけではないが、あまりにバラバラに出現するので、本当の数はわからない。子どもたちは、銀ギツネに振り回され、右往左往しているけれど、それがまた、楽しいのだ。
今やススキが原は、先を行く銀ギツネと、後を追う子どもたちで、大騒ぎになっていた。ススキの間からは、楽しそうな笑い声やしゃべり声が、絶えることなく、湧き上がっている。
ふいをついて、銀ギツネがすっと、空中に高く踊り上がった。わっという歓声が巻き起こり、ススキの穂は、色めきたった。
銀ギツネは、巨大な満月のまん前で、得意技を披露し始めた。わざとゆっくり空中で回転し、そのたびに、ふさふさの尾から銀色の粉をたくさん撒き散らした。銀の粉は、満月から降り注ぐ粉雪のごとく、子どもたちの待つススキの丘に、広く舞い散った。
ススキヶ原は、それはもう大変な騒ぎだ。
四人もまた、銀ギツネの近くまでやって来た。コウタと亮平は、右手のススキの群生から、まさに飛び出そうとしていた。翔は、オー君と一緒に、銀ギツネのすぐ下にまで歩み寄っていた。ポンと飛び上がった銀ギツネが、再び空中でゆっくりと回転した。銀色の煌めきが静かに舞い散る中、銀ギツネの美しい瞳が、空中から翔たちを捉えた。
「さあ、オー君、おれたちも銀の粉をたっぷり浴びて…」
翔が、頭上を見上げ、そう言った瞬間、とんでもないことが起こった。
雲一つない、満月の夜にも関わらず、目もくらむ稲妻が、銀ギツネの真下に、一直線に落ちてきたのだ。どう見ても、翔とオー君、二人を狙い撃ちしている。
すさまじい、閃光と爆音がとどろき、ススキが原全体が、大きく揺れ動いた。いや、銀河原全体が激しく揺さぶられた。ススキの穂は、一瞬で同じ方向へなぎ倒され、稲妻が落ちたあたりの地面には、巨大な穴がポッカリ開いていた。
子どもたちはその衝撃で、ススキと共になぎ倒され、四方八方から大きな悲鳴が次々と上がった。近くにいたコウタも吹き飛ばされ、大きく前のめりに転んだ。
転んだ拍子に、地面に開いた大穴から、オー君が、続いて翔が落ちていくのを、コウタは、はっきりと目にした。オー君と翔は、二つの悲鳴を残して、次第に小さな点となり、巨大な穴の底へと吸い込まれていった。
深い穴の底からは、青い地球が顔を覗かせていた。




