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第16章 峠の茶屋

 亮平はしばらくの間、誰とも口をきかず、みんなの後ろをついていった。

 彦助と別れて以来、鳥の姿を見かけることも、鳴き声を聞くこともなかった。どこまでも続く乳白色の景色だけが、亮平の心を静かに受け止めていた。

 その守られた静寂の中で、乳白色の草たちは、細い葉の先の先まで活気づき、生命にあふれていた。美しい輝きの中を歩いているだけで、四人は、心も体も癒されていった。

 耳が痛くなるほど静かなのに、次の瞬間には、天も地も、何もかもが大きく躍動するかと思うほど、あたりは生き生きとしている。コウタたちは、いつの間にか嬉しい気分に浸り、足取りも軽くなっていた。オー君ですら、鼻歌交じりで歩いている。

 どういうわけか、歩けば歩くほど、絶壁の方が不自然に近づき、目の前にぐいぐいと押し迫ってくる。

 もしかしたら、自分たちは絶壁に近づいているのではなく、絶壁の方が、自分たちに近づいているのかもしれない。自分たちの心が絶壁に見透かされ、期待すればするほど、絶壁を引き寄せている。コウタはふとそう思った。

 あれほど元気がなかった亮平も、絶壁の麓に到着する頃には、すっかり顔を輝かせていた。

 四人とも、相当ひどい身なりだ。今更ながら気づいた四人は、互いに苦笑した。着ているパジャマはよれよれで色あせ、一部が破けている。履いていたサンダルは、泥に汚れ、元の色がわからないほど変わり果てていた。自分たちの世界だったら、家出少年か浮浪者と間違えられただろう。しかしこの世界では、姿形や身なりは、気にする必要がないので、その点において、四人は自由だった。

 四人は絶壁の麓に立ち、改めて遥か頭上を見上げた。

 絶壁は、ほぼ垂直に切り立ち、信じられないほど、天高くそびえたっている。実際、ずっと見上げていると、首が痛くなってくる。人工物なのか、自然のものなのかはわからない。そもそもこっちの世界では、人工も自然も、たいして違いはないのだ。ただ、見れば見るほど、登りたい衝動に強く駆られてしまう。

 だから、コウタたちは、今にも駆け上がりたい衝動を抑えるのに必死だった。この絶壁を登るには、冷静さを十分取り戻す必要がある。それほど、一筋縄ではいかない絶壁なのだ。誰からともなく、うなり声がもれてきた。

「これは体力だけじゃなく、頭も相当使いそうだな」翔が、感慨深そうにつぶやいた。

 絶壁は、表面がツルツルして乳白色に染まっている。遥か頂上付近には、雲がかかり、下からではよく見えない。頂上に雪が積もっても、おかしくない高さだ。

 下から見上げると、ほぼ垂直の、文字通りの絶壁は、頭上の空間のほとんどを占めている。凹凸どころか傷一つなく、樹木は一本も生えていない。普通の平面なのに、何故か美しいと、全員が感じている。腹の底から、ここを登りたいという欲求が沸き起こってくるのだ。

「これは、巨人が作った作品かな。上は、どうなっているんだろう」

 目を輝かせた亮平が、そこからでは頂上が見えないとわかっているのに、背伸びをしている。

「それで、どこから、どうやって登るの?」

 とうとうオー君が、素朴で一番重要な疑問を口にした。

 全員が現実に戻った瞬間だ。絶壁はほとんど垂直な上、表面がツルツルで、階段もなければ、登山道もなく、登り口すら見当たらない。何の取かかりもないのだ。どこをどうやって上まで登るのか、その手がかりすら、わからない。どう考えても、子どもだけで登るのは不可能だ。いや、大人だって、登山家でなければ厳しいだろう。

 四人は再び沈黙した。

 ところが、絶壁はすぐに、自ら答えを教えてくれた。

 突然、絶壁が輝き出すと、埋もれそうなほど細い階段が、縦横無尽に、絶壁に描き出されたのだ。

 初めは、絶壁の表面に、ひび割れが入ったのかと思っていた。だがよく見ると、それは真珠色の絶壁に刻まれた繊細な階段だった。しかも、線を描いた単なる絵ではなく、本物の階段なのだ。いろんな方向に、無数の線が刻まれていく。これは、立体的に彫刻されていく、一つの壮大な芸術作品だ。

 四人は、線が次々刻まれていく様を、あ然として眺めるばかりだった。

 いくつもの線は、頂上に向かって、しかし、ほとんどはでたらめに、クモの巣状に張り巡らされていく。まっすぐ上に向うのではなく、斜め上に走ってみたり、途中で気が変わって、折れ曲がっては下方に戻ったり、一回転して上へ進んだり、目で追えないほど、変化に富んでいる。しかも、行き止まりになっている階段さえ、あるではないか。これではまるで、子供のいたずらだ。

 恐ろしいほどの急斜面だが、小部屋ほどの踊り場が、ずい所に設けられている。木の幹にできたコブのようだ。四人は、それを見つけると、少しばかりほっとした。相当な高さなのに、休む場所さえないのではないかと、心配していたのだ。

 だからと言って、斜面が危険なのは変わりない。階段は人一人がやっと通れるほど細いし、手すりもないのだ。

 その斜面の勾配もまた、階段に合わせ、緩やかになったり、急になったり、気まぐれに変化している。そのおかげで、ほぼ垂直だった絶壁が、だいぶ登りやすい形には仕上がっている。

 初めに絶壁を見た時は、ツルツルしていたが、絶壁は、刻み込まれた階段と共に、複雑な段差やでこぼこ形に、大きく変形した。

 どんどん拡大し進んでいった階段の線は、やがて動きが鈍くなり、ある時点でピタリと止まった。

 絶壁の変化は、ようやく完了した。遊び心たっぷりの芸術作品が、完成したのだ。

「作った巨人は、あんまりセンスがないね。よく見ると、無駄な階段が多過ぎるし」

 オー君が、メガネの底から、蠅一匹見逃さないとばかり、壁面を下から上まで観察した。

「それとも、いたずら心のある巨人なのかも」とコウタ。「垂直な迷路みたいだ」

 けれども、肝心のゴールが見えない。頂上に至る階段は見つけても、頂上付近はぼんやりして、よくわからないのだ。白い雲が、ぷかぷかと楽しげに浮いている。

「これ、あみだくじ!」オー君が嬉しそうに叫んだ。

 全員がそろってなるほどと、うなった。確かに、これは立体的で複雑で、大がかりなあみだくじだ。

 四人は、一番早く上に行けるコースを、目で追って探し始めた。コースを間違えると、とてつもない苦労を背負う羽目になる。行き止まりの階段に一旦入り込めば、かなり戻らなくてはならない。しかも、コースは複雑に絡み合っているので、正しいルートを見失うと、最悪の場合、もう一度下まで降りて再出発しなければならないのだ。

 四人は、珍しく慎重になった。自分たちの行くべき行路を四つに区分けし、各自、頭の中に、自分の担当区域の道筋を叩き込んだ。

 翔を先頭に、四人は一列になって、絶壁の貧弱な階段を登り始めた。

 満月は、ちょうど絶壁の向こう側にあるため、少々薄暗かったが、絶壁が自ら輝いているおかげで、足もとはよく見えていた。

 しかも踊り場付近は、ぼんやり発光しており、他より明るい。広い踊り場は、転落する不安もなく、安心して休憩が取れる。この、いくつも設けられた踊り場のおかげで、四人は、挫折せず、順調に上を目指せそうだ。

 遥か下界は、発光する白い靄に視界をはばまれ、月桃森も、広場のあった村も、夜明け前の丘も、何も見えない。今まで歩んできた世界がまったく見えないと、自分たちは本当に地上から旅をして来たのか、確信が持てなくなる。これは、やはり長い夢ではないかと、またしても疑念が、コウタの頭の中に浮かんでは消えてを繰り返していた。

 一方、下の世界が見えないおかげで、四人は、足がすくむ高所にいることを忘れていられる。そうでなければ、とんでもない高所にある狭い階段を、手すりもなしに延々と登るなんて、考えられないだろう。

 四人は、時折、踊り場で休憩を取りながら、黙々と、白い靄の中を登り続けた。上へ登れば登るほど、白い靄は濃くなっていき、ますます視界が遮られていった。

「この絶壁といい、地下にある小人族の国といい、そろそろエレベータを取りつけるべきだよな」

 亮平はぼやきながらも、自分の膝を励まして登り続けた。

 かれこれ半日以上は、費やしただろうか。三つ上の踊り場から上方は、白いペンキで塗り潰したような雲が不気味に垂れこみ、そこから上は、何一つ見えなかった。だけど四人は、それが最後の難関であると予感していた。

 四人は、分厚くねっとりとした白い雲の塊を突き抜け、広い踊り場に倒れ込んだ。いや、広いから、勝手に踊り場だと思っていたが、実際、自分たちのいる場所はわからない。あまりに分厚い雲に視界を遮られ、周囲はおろか、すぐ上方さえ見えないのだ。

 四人は、へとへとで動けず、しばらくは石畳の上に倒れこんだまま、寝そべった。石畳は、ひんやりとして気持ちがいい。

 しかし、ふと気がつくと、ここから上に登る階段が見当たらない。

 覆っていた白い靄は、頭上のてっぺんあたりから静かに後退し始めた。ポッカリ開いた天頂の穴から、濃紺の星空が顔を覗かせた。周囲はまだ、白く霞んでよく見えないが、今までにない清々しい気配が、頭上から満ちてきた。

 コウタは、顔のすぐ横にある石の標に気が付いた。大きな灰色の石には、こう刻まれてあった。

『シュミセン峠 頂上展望台 - ここですべてを目にするがよい』

 コウタは震える膝を抑えながら、立ち上がった。

「ここが頂上じゃないか!シュミセン峠なんだ!」

 他の三人も、おもむろに立ち上がった。

 白い靄は、吹く風に座を譲り、天頂から少しずつ後退していった。その代わり、特大の満月が、上空の穴から姿を現した。真上の穴は拡大し、今度は満月が主役となった。

 満月は、すぐそこに迫っている。あまりに近過ぎて、逆に、コウタが満月の中に立っている気分になった。コウタは、思わず手を伸ばしてみた。伸ばした手が、満月の中に吸い込まれ、体ごと引っ張られていく感覚だ。

 絶壁を登っただけで、どうして月がこんなに間近になるのだろう。巨大過ぎる満月の中に、四人はすっぽりと包まれていた。それだけで、四人は深い安らぎと満足を感じた。

 輝く満月の中には、小さな街や森が浮かび上がっている。四人は眩しさに目を細めながらも、虫眼鏡を覗き込むようにして、月を見つめた。

 クレータ沿いに広がる明りの列や光で彩られた都市、月の縁の上に輝く十字街の光。月へ向かって飛んでいく鳥の群れさえ、小さな影となって見える。あれはもしかしたら、彦助たちかもしれない。

 亮平は食い入るように、小さな影を見つめた。

 そこへ、オー君が、上ずった声をあげた。

「ねえ、後ろを見て。僕らの地球もすごいことになっているよ…」

 振り向いた三人は、思わず身をすくめた。

 断崖側を覆っていた白い靄は、徐々に、晴れていった。すると、地平線の近くから、いつの間にか、特大級の地球が姿を現していた。

 月に負けないほど巨大な地球が、肩のすぐ後ろに、迫っていたのだ。すぐそばに地球を感じた四人は、込み上げてくる懐かしさに、ぐっと胸を突かれた。こんなにも、自分たちの星を懐かしいと感じるのは、きっと初めて母なる地球を離れたせいだろう。

 濃紺の底から輝く海や、薄紫色をした大陸、その上にふわり乗った白いソース風の雲。大陸の夜側には、煌めく明かりの列が飾りつけられ、遠い星たちを賛美している。

「どうして、月も地球も、こんなに大きく見えるんだろうな。僕らは、月と地球に挟まれているね」

 コウタは、面白そうにつぶやいた。

「ああ、ちょうど中間だ。おれたちは、サンドイッチの具だな」

 しばらくしてから、翔が満足そうに答えた。

 ほぼ頭上の月も、地平線近くに浮かぶ地球も、競い合うかのごとく、より大きく、そしてより強く輝こうとしている。月と地球は、それぞれ、自分の光を投げ合い、互いに照らし合っているのだ。

 二つの巨大な球の間で、四人は戸惑った。何故なら、月か地球、どちらかをじっと見つめていると、そちらの方に、体ごと吸い込まれそうになるからだ。

 ふと、コウタはそこで今までとは違う、景色に気づいた。いつの間にか、登って来た断崖側の靄が完全に晴れて、眼下が見渡せるではないか。

 巨大な地球の真下には、絶景が広がっていた。

 自分たちの常識は、ここでは通用しない。十分わかっていたはずだったのに、我が目を疑った。

 自分たちが歩んできた長い道のりが、巨大な地球と自分たち間に、浮かび上がっているではないか。それは、自分たちの過去を印した、絵巻物だ。

 遥か地上に広がる青い幻惑が丘の大海と、人無月荘(ひなづきそう)を乗せた宝船、重々しい雷門と大勢の通行人、通りすぎたいくつもの街や天空都市、天空海、月桃森(げっとうもり)の樹海や乳白色の夜明け前の丘。それらが、奥から手前に広がり重なりながら、すべてが見渡せる。

 世界は美しかった。とてつもなく高所から見下ろす風景は、まさに信じ難いものだった。世界は四人を中心に、四方八方、永遠に広がっている。

 言葉が出なかった。言葉は感動に追いつかない。四人は無言のまま、立ち尽くした。

 吹く風が心地いい。白い靄は、展望台から続く道の先以外、完全に消えてなくなり、視界は、ほぼ全方位に渡って開けている。

 その膨大な景色の中を、一本の細く、力強い銀色の道が途切れることなく、コウタたちの足もとまで続いていた。人無月荘の屋根から見た銀の道は、薄っすらと、おぼつかない道だったが、今見ている銀の道は、くっきり鮮やかで確かだ。

「このしっかりした銀の道は、僕らが歩いて作った道なんだ」

 コウタは銀の道を、両足で踏みしめた。

「本当だ。銀の道って、初めから決められた道じゃなくて、自分たちが歩いた跡だったんだな。だから、地球側に、こうして自分たちの足跡が刻まれているんだね」亮平も足の先で銀の道を軽く触っている。「薄っすらした道は、あくまでも、予定なんだ」

「じゃあ、こうやって次の一歩を踏み出せば、また銀の道が薄っすら延びて、新しい世界が現れるんだね」

 オー君は、感動のあまり銀の道を軽く踏みしめ、喜び勇んで、二、三歩、前に歩き出した。すると、道の先に残っていた白い靄は、ふっと消え失せ、すぐそこの光景がいきなり目に飛び込んできた。

 たちまち酔いが覚め、四人は、愕然とした。ついさっきまでの感動は、みごとに砕け散った。シュミセン峠は、今まで見た景色のうち、最悪のものだった。

 小屋ほどもある、壊れた機械や錆びた金属の破片、あちこちねじ曲がった金属製のパイプや鉄板、羽を広げた形の鋼材が、うず高く積み上げられ、いくつものゴミ山を作っている。

 どぶろく爺さんの工場もひどかったが、それでも、一つ一つのゴミはこれほど大きくなく、工場の敷地も小さく限られていた。それがここでは、見渡す限りゴミ山だ。山となった鉄屑の塊は、互いにくっつき合い、立派な山脈を形作っている。その間を、今にも埋まりそうな細道が、うねうねと、奥の方へと続いていた。

「峠は無法地帯だって言うのも、これじゃあ納得できるなあ」と亮平。

 他に道はないので、四人は仕方なく、鉄屑で踏み固められた細道を歩き出した。

 細道は、ゴミ山の奥へと続いている。時折、ガラガラと、崩れ落ちる金属音が響いている。金属と金属がぶつかる鋭い音、錆びた廃材が地面になだれ込む音、プスプスと深いところで燃えている音。黒煙の筋がいくつか、小山の内側から立ち上っている。

 細道に張り出した金属片を避けながら進むのは、一苦労だ。しかも、うっかりして、サンダルが脱げれば、間違いなく、鋭い金属の角が刺さってしまう。四人は、慎重にゴミ山脈の危なっかしい道を進んでいった。

 いくつかのゴミ山を迂回し、ゴミ山が複雑に入り組んだ先に、ようやく茶屋らしき建物が見つかった。

 山小屋風の大きな建物で、広い敷地の周囲には、赤提灯が張り巡らされている。三方をゴミ山に囲まれてはいるものの、どこか風情があり、心惹かれる建物だ。茶屋の裏手からは、激しい水音が響き渡っている。

 水音の正体は、更に建物に近づいた際にわかった。粗雑なコンクリート製の用水路が、茶屋をぐるりと取り囲んでいる。用水路の中には、薄黄色く濁った水がものすごい勢いで、茶屋の裏手へと流れていった。豪快な水しぶきと共に、ごうごうと荒っぽい音をたてて、近づく者を容赦なく威嚇している。じっと見ていると、水流に引き込まれそうだ。

 四人は、金属でつぎはぎされた、粗末な橋を渡り、茶屋の入口に到着した。

 入口には、『シュミセン茶屋』の看板が、堂々と掲げられ、中からは、大変にぎやかな声や物音が聞こえてくる。間違いなくここだ。

 四人は、たどり着けて、ひとまず安心した。しかし、聞こえてくる声や物音に、すぐに不安を覚え始めた。穏やかで品のある感じはしない。悪い予感に、四人は、互いに顔を見合わせ、苦笑いした。

「これは、油断できないぞ。離れ離れになったら、危ないな」翔が珍しく声をかけた。「で、誰が先頭で行く?」

「コウタかな」亮平が即答した。

 突然の指名に、コウタはすぐさま反応した。

「どうして、僕?」

「別に深い意味はないけれど、コウタの方がいいかなと思っただけさ。だって、ほら、いつもマンジを引き当てるのは、コウタだからね。きっと、マンジと相性がいいんだよ。また扉がマンジになっているかもしれないし」

 怖がりの亮平は、自分が先頭になりたくないので、翔の話にこじつけたのだ。

「今回は、扉がマンジになっていたら、むしろ困るよ」と翔が怪訝な顔をした。「だって、おれたちはここで、勇気と正義を併せ持つ男を見つけなきゃならないんだ」

「まあ、そうだけど、もしかしたら、マンジが開いて、そのまま銀河原に直通かもしれないよ」

 亮平は、まだ安直な考えを持っていたが、他の三人に、あえなく否定された。

 結局、誰が先頭であってもたいして変わらず、コウタは渋々了承した。

 それにしても、とコウタは思った。全員がボロボロのパジャマ姿で店に入るのは、いくら子どもとは言え、さすがに気恥ずかしい。が、今更どうしようもない。コウタは、ボロボロのパジャマが、苦労を重ねた勲章だと思い込むことにした。

 コウタはみんなの顔を一通り見渡すと、緊張して重たい扉を開いた。扉のノブはマンジではなかった。その代わり、大勢のざわめきと、むっとする熱気と、タバコの煙がいっせいに、四人に襲いかかった。

 とたんに、亮平とオー君がむせ返った。コウタは顔をしかめながらも、中の様子を探った。建物の中は、天井が高くかなり広いが、タバコの煙や湯気で奥がよく見えない。その煙の中から、食器を荒っぽく扱う音やテーブルを乱暴に叩く音に混じって、大勢の話し声や下品な笑い声、怒号やうなり声が、嫌でも耳に入ってくる。水曜亭とは、似て非なる光景だ。

 客たちの見た目も、水曜亭の客相とはえらく異なっている。ボロを重ね着した者や、眼光鋭い用心棒風の男たち、場末の飲み屋街をうろついていそうなごろつき、派手な背広を着込んだ、怪しげな商人など、格好や風ぼうは様々だが、概して危険なにおいのする連中だ。そのほとんどが、人間の姿形をしている。動物の入り混じった顔は、ほんの数人だけだ。この点においても、水曜亭とは若干異なっている。

 四人がタバコの煙にむせ込んでいると、入口近くのカウンター席から、低く、しゃがれた話し声がもれてきた。

「…で、シシオチのやつは、門番に捕まる前に、例のものを彩雲の下に放り投げたのさ。そいつをおれ様が受け取る手はずだったんだが、一足早く、天邪鬼どもが飛んできて、かっさらっていった。そんで、おれ様は、この銃でちょいとばかし、連中を脅してやったってわけだ」

 その後には、吐き気を催すような笑いが、えらく長い間続いた。腹の中に、黒い笑いをたっぷり溜め込んでいるのだろう。関わりたくない大人たちだ。

 四人は、なるべく目立たないよう身を縮めながら、空いているカウンター側へ、こそこそとすり寄っていった。

 カウンターには、奇妙な色あいの酒瓶がずらりと並んでいる。水曜亭より、種類がずっと豊富だ。どぶろく爺さんの工場で見かけた、青い月光酒も置いてある。ここは茶屋とは言いながら、実際は、場末の居酒屋に違いない。

 カウンターの内側では、店員らしき色黒の男が、黙々とグラスを拭いていた。口をへの字に曲げ、見るからに無愛想だ。

 店の男はコウタたちの視線を感じたのか、すっと顔を上げ、四人を見た。

「ここは、子どもの来るところじゃないぞ」

 黒い作務衣を着た店の男は、そっけなくそう言うと、再び下を向き、またグラスを丁寧に拭き出した。それでも奥に引っ込んだ細い目は、鷹のごとき鋭さで、四人を強く意識している。

 コウタが返事をする前に、横から、オー君が先に答えた。

「僕たちは子どもじゃなく、子ども族です。ある人を探しに、ここに来ました。見つかったら、すぐ出て行きますから、少しだけ時間をください」

 オー君はまるで、店の男に挑戦するかのごとく、男を正面から見すえて言った。

 男の左耳だけが、小さくぴくりと動いた。店の男は顔を上げず、ぼそっと言った。

「こんなところで、誰を探しているのかね?」

「勇気と正義を併せ持つ男です」

 オー君は、生真面目に答えた。店の男は、おもむろにグラスを拭く手を止め、顔を上げると皮肉たっぷりに、せせら笑った。

「勇気と正義を併せ持つ男?そりゃあ、笑える話だな。嘘と悪徳だらけの奴なら、ここには、余るほどいるし、いくらでも紹介してやれるが。まあ、危険を覚悟でゆっくり探すんだな。だが、何が起こっても、私は一切、手を貸さないよ。ここは天下の無法地帯、『シュミセン茶屋』なのだから」

 店の男は、もう一度四人を一瞥すると、再び黙々とグラスを拭き始めた。

 四人はがっかりした。ここでは、誰も頼れそうにない。やはり、目当ての人物は、自分たちで探すしかなさそうだ。

 仕方なく、四人はカウンターを離れ、ひと塊になって、店の奥へと移動した。

 たいていの客は、四人を物珍しげに、じろりと、ひとにらみした後は、無視した。が、中には、野次を飛ばし、パジャマの裾をつかんで、離そうとしない者もいる。四人はビクビクしながらも、まずは、まともそうな人物を探すため、必死の形相で、品の悪い客たちの間を通り抜けた。

 しかし、店の奥へ行くほど、更に荒っぽく、ひどい客ばかりになっていった。四人はだんだん、心に余裕がなくなってきた。しかも、充満するタバコの煙で、気分が悪い。亮平は時折、むせ込み、涙目になっていた。

 本当に、こんな所に、勇気と正義を併せ持つ男なんて、いるのだろうか。そんな素晴らしい人物はおろか、まともな人間すら、ここにいるとは思えない。

「なんだ、おまえら。酒のつまみの代わりにやって来たのか。おれは、生よりも、煮るか焼いた方が好きだな」

 酒に酔った赤ら顔の男が、オー君の顔に、わざと酒臭い息を吹きかけた。オー君は気丈にも、平気な振りをしたが、本当は気を失いそうになっていた。

 しかも、最悪なことに、隣のテーブルの男たちも、四人に気づくと、さっそく野次を飛ばしてきた。

「おおい、このひよっこどもを売っている奴は、どこのどいつだい?二人ほど、おれに売ってくれないかな。干し石盗みで使いたいんだが」

 あたりからゲラゲラと、下品な大笑いが巻き起こった。同時に、テーブルを大げさに叩く音が響いた。それに続き、罵声や野次が飛びかい、支離滅裂な大騒ぎが止まらなくなってきた。小さな四人の少年は、ここでは否応なしに目立つのだ。ついには枝豆の皮が飛んできて、亮平の頬にピタリと貼りついた。

「うへえ、思っていた以上に、最悪だ。ここはまるで、掃き溜めじゃないか」亮平は、頬に貼りついた枝豆の皮を払い除けた。「あんな大人にだけは、絶対になりたくないね」

 翔も、ふいに飛んで来る、食べかすや箸に警戒し、首筋の汗をぬぐった。

「ああ、勇気と正義どころじゃないな。まともな奴は、そもそも、ここへは来ないよ」

 コウタも、すっかり戸惑っていた。本当にここに、勇気と正義を併せ持つ男なんているのだろうか。僕らの聞き違いで、茶屋は茶屋でも、ここではないのかもしれない。

「ねえコウタ、まずいよ。もう出た方がいい」亮平がまっ青な顔をして、震えながらささやいた。「ほら、あそこにいるマントの男を見て。銃を隠し持っている。マントの内側に、ひそませているのが見えたよ。あいつら、本気でおれたちを売り飛ばすつもりなんだ」

 コウタも先ほどからずっと、不穏な気配を感じていた。

 確かに、亮平の言うとおり、一つ向こうのテーブルにいる男は、不自然な動きをしている。片手は酒の入ったグラスを持っているが、もう一方の手は、厚ぼったいマントの中に入ったままだ。注意深くマントの中の物をつかんでいるのが、見て取れる。体を動かすたびに、銃の一部がチラチラと見える。その客と、奥のテーブルにいる太った客が、時折、目で合図を送り合っているのだ。

 その鋭い緊張感が、ひしひしと四人に伝わってくる。太った客は、四人を直接見ようとはしないが、その代わり、全神経を四人に集中させ、一挙一動、注目している。それが、四人にも、ありありと伝わってくるのだ。

 さすがに、四人はぞっとした。あんな連中が束になってかかってきたら、自分たちはひとたまりもない。到底、無事ではすまないだろう。一刻も早く、ここから出ていきたい。コウタは、心が折れそうになった。散々苦労をしてここまで来たのは、いったい何のためだったのか。

「せっかくここまで来たんだ。残りは、あそこの隅のテーブルだけだし、銀河原はもう目の前なんだ。もうひと踏ん張りだ。四人一緒なら大丈夫さ」

「だけど、どうやって、勇気と正義を併せ持つ男ってわかるのさ?あなたが、勇気と正義を併せ持つ男ですかって、直接本人に聞くの?」

 亮平が、半泣きしながら訴えた。

「それは僕にもわからない。でも、自分たちの手で、その人を見つけ出すのが重要だって、彦助は言っていたじゃないか。だから、見つかるまで探すくらい本気じゃないと、きっと見つからないんだよ」

 コウタの説得に励まされ、四人は生唾を飲み込みながらも、店の最奥まで入り込んだ。もうもうとタバコの煙が立ち込める、最悪の場所だ。床は食べかすや吸い殻が散乱し、足の踏み場もないほどだった。

 四人は控えめに、そこにいる人々を一人残らず確認して、先へ進んだ。予想どおり、野次は四方八方から飛んできたが、それ以上の危険は起こらず、四人は歪なテーブルの周囲を遠巻きに一周りした。

 先ほどの、銃を隠し持った男のいるテーブルや、太った怪しい客のいるテーブルは避け、別なルートで、店の出入口付近まで戻ってきた。

 ほっとした亮平は、引きつり気味の笑みを浮かべたが、コウタは渋い顔をした。

 無事ではあったが、肝心の男は見つからない。どこをどう探しても、まともそうな大人は、ここにはいない。せっかく苦労して店内を歩き廻ったのに、目的の男は、結局見つからなかった。今更ながら、それに気づいた亮平の顔から、笑みが消えた。

 翔が、ポロリと言った。

「まあ、いったん店の外に出て、落ち着こうか」

 すっかり途方に暮れた四人は、足取り重く、ぞろぞろと出入口を目指した。

 すると、カウンターにいた店の男が、いつの間にか出入口の前に立っていた。

「さあて、坊主たち。探している奴は見つかったかね?」

「いいえ。ここにはいませんでした」翔が、ぶっきらぼうに答えた。

 すると店の男は、少しだけ口もとに笑みを浮かべた。

「ほう。では、見つかったということだ。おめでとう、君たちはおそらく、銀河原に行けるだろうよ」

 思いもよらない言葉に、四人は目を丸くした。

 店の男は、ふふっと、小さな笑いをもらした。今度は皮肉や嫌味ではない、普通の笑いだ。

「そもそも『勇気と正義を併せ持つ男』なんて、そんな大そうな人物は、この店にいるわけがない。見てのとおり、ここにいるのは、やたら威張っていても、いざと言う時は腰が引ける、そんな臆病者ばかりだ。弱いから、自分を強く見せるため、武器を持っている。おまけに正義を持った奴なんて、今までお目にかかったためしがないね。悪巧みや不正が、得意な連中ばかりだ」

 四人は、わけがわからず、ますます目を丸くするばかりだ。

「単なる合言葉だよ。いや、正確には合言葉となる行動だよ。この劣悪な店内で、その人物を探すのが、合言葉なのだ。君たちは、ここで十分、自分たちの勇気や正義を確かめ、発揮したろう?そして、その結果、そんな男は店内にいないと判断した。無理やり、誰かをその男に仕立てることもせずにね。そう、いないものは、いないのだ。それが正直な答えで、正解なんだよ」

 コウタの顔は次第に曇ってきた。

「けれど、『勇気と正義を併せ持つ男』の案内がないと、銀河原(ぎんがはら)へは行けないのでしょう?」

「私はね、この店にはいないと言ったが、この世界に存在していないとは言っていない」

 またしても、コウタたちは言葉が詰まった。

「では、その人はどこにいるんですか?」

「そこにいる。そこ、つまり、君たち自身だよ」

 四人は、完全に固まってしまった。まるで、永遠に続く謎かけのやり取りだ。

「僕らが『勇気と正義を併せ持つ男』だって?」

 店の男は腰に両手をあてがって、少しだけ鼻息荒く言った。

「さっき言ったとおりだよ。君たちは、ここで勇気と正義を十分使って証明してみせたのだから、君たちこそが、その人物そのものなんだと」

 これは、どう解釈すればいいのだろう。自分たちが、自分たちをどうやって銀河原へ案内できると言うのだろうか。不審な顔を見せ続ける四人に、店の男は、にやりとした。

「ああ、ご心配なく。ちょっとしたコツがあるのさ。いずれにしても、君たちは銀河原へ入る資格があると認められたのだからね。考えてもみたまえ。ここにいる連中がうっかり入り込めるようじゃ、銀河原もすぐ、この店と同じに腐っちまうだろう?」

 四人の顔に、やっと笑顔が戻ってきた。よくわからないが、銀河原に行けるのは、間違いなさそうだ。

「あの、それじゃあ、あなたはいったい…」

「私かい?私は単なる仲介役だ。この峠の茶屋をきりもりしている、名無しの支配人であり、店員だ。人々は、峠の茶屋の支配人とか、店の男と呼んでいるがね。既に暗幕を張り、私のダミー人形も仕掛けてきたので、出かけるとするか」

 男の口調には、変なアクセントが混じっている。四人は、その部分が妙に引っかかったが、邪悪さは、微塵も感じられない。

 四人は、そそくさと男の後について、早足に出入口へ向かった。振り返ると、店の入り口には、この男と瓜二つの男が、グラスを磨いていた。亮平は足を止めて、いつまでもその男を凝視していたので、翔が亮平を強引に引っ張っていった。

 出入口のドアを開けたところ、ちょうど客らしき一団が入って来た。しかし、コウタたちにはまったく気づかず、するりと中へ入って行った。

 居心地の悪い茶屋から出られた四人は、深呼吸を繰り返し、解放感に浸った。周囲は相変わらずゴミ山だらけだが、茶屋の中に比べると、天国だ。

 店の男は、四人を連れて、茶屋の裏手に回り込み、細い道を奥へ進んだ。その道に沿ったゴミ山が、土手になっている。その向こうには、さっき見た用水路があった。店の男は、土手を超えて用水路の縁へと歩いていった。

 幅が三メートルもない、小さめな用水路だ。甲高い音をたて、猛烈な速さで水が流れている。近づくのもためらうほどの、すごい勢いだ。しかも、水は濁って汚い上、水路の中には溶けかかった機械の残骸が、ボコボコと顔を出している。とてつもない異臭が漂い、無用心に近づくと、鼻の中がピリピリして痛い。

 店の男は、四人の方へ振り向くと、不敵な笑みを浮かべた。

「この用水路の水は、膨大なゴミの山を、少しずつ溶かしているんだよ。そのゴミの正体は、わかるかい?」

 店の男に言われて、四人は気づいた。確かに、地球と月の間に、こんなに多量の金属ゴミが溜まっているのは、おかしい。もしかしたら、地球の工場から出た廃棄物を捨てているのだろうか。それにしては、わざわざこんな遠くまで、大量のゴミを運んでくるのも、妙な話だ。

「これはね、地上の人間が宇宙に飛ばしたロケットの残りかすや、打ち捨てられた古い人工衛星、宇宙ステーションから出た廃材なんだ。その多量の金属ゴミが、月と地球の中間であるこの峠に、山となって、積もってしまったのだ。それで、多量のゴミを片づけるため、この用水路が自然に生まれたというわけさ。だから、この毒水は強力だよ。金属ゴミを溶かすのだからね。人間が不用意に触れると、あっという間に、骨まで溶かされてしまう。そして、この毒水は、君たちの世界にも、少しずつ、雨となって降り注いでいるんだよ」

 そんな話を聞かされた四人は、ぞっとして、思わず土手から二、三歩離れた。

 店の男は、そう言ったきり、コウタたちに背を向けたまま、のんびりと用水路を眺めている。わざと、四人を川べりに放置している風にもみえる。

 あまりにも長い時間、店の男は何も言わず、動かなかったので、ついにコウタが痺れを切らし、店の男に話しかけた。

「それで、どうやって銀河原に行くんですか?ここからは、ずい分と遠いんでしょう?」

「いや、どこからでも、いつでも、すぐにでも行けるよ。その気になれば、ここからでもね」

 男の背中から、意外な返事が返ってきた。またもや、謎かけだ。

 四人は、周辺をくまなく探したが、銀河原へ続きそうな道は、見当たらない。

「ここからって?」とオー君。

 店の男は、振り向きもせず、用水路を指さした。

「ここさ」

 一向に進まないやり取りに、翔がイライラして、男の背中に不満を投げつけた。

「おれたちが、まだ子どもだからって、からかっているんですか?この毒水に触れたとたん、骨まで溶かされるって、あなたは、さっき、言ったじゃないですか」

 店の男は、少しだけ顔を横に向け、それからおもむろに用水路の方に進み出した。男の横顔が、やけに印象深い。鷲鼻で少し暗い目をしている。

 四人の心臓の鼓動が、やたらに高鳴ってきた。男の所作は、一つ一つがとても丁寧で、まるで僧侶か、茶道の先生のようだ。男はやっと、四人の方に振り向くと、にっこり微笑んだ。その笑顔は、何とも意味ありげだった。

「本当に勇気と正義を併せ持つ者は、決して溶けたりしないものさ。溶けるのは、小心者や嘘つきと決まっている。水路に一緒に入った人が大丈夫だったから、自分も大丈夫と思うのは、浅はかだよ。当たり前だが、ここでは、人それぞれで違うのだ。なあに、溶けるのは一瞬さ。痛みも恐怖も感じる前に、溶けて消えている」

 店の男は、平然と言ってのけると、また、にやりとした。

「ここからが本番だ。心の中に一点の曇りもなく、一点のやましさもない者だけが、銀河原に行けるのだ。今一度、自分に問うてみよ。本当に、自分の中に、曇りややましさがないかを。勇気と正義があるのかを。そして、銀河原に入る資格があるのかを」

 そう言うと、店の男は、ためらいもせず、さっさと小川の中に入っていった。

 水しぶきは、まったく上がらない。毒水に入ったそばから、体が溶かされているのだろうか。それとも、用水路は見た目より深く、男の体はすぐに沈んだのかもしれない。男の体が溶けているのかどうかは、コウタたちからは見えない。

 頭が沈んだ後、右手だけが高く挙がり、その手が不自然に震えた。あまりに奇怪な震え方だったので、四人はぞっとした。断末魔の震えにも見えるが、単に、コウタたちを手招きしているだけなのかもしれない。あるいは、罠かもしれないとも思った。

 土手に取り残された四人は、一歩も動けなかった。この世界の住人ならば、毒水に触れても、何でもないのかもしれない。しかし、コウタたちは、この世界の住人ではないし、夢見人でもない。違う世界から来た、生身の人間なのだ。

 とりわけコウタは、店の男の話に、強い衝撃を受けていた。

 自分は一点の曇りもない人間かと問われれば、決してそうではない。嘘をついたことも一度や二度じゃないし、怒られるいたずらも沢山してきた。言い争いも、ケンカもした。だからと言って、それらすべてが、やましいと言われるのならば、全世界の人間が、やましい人間になってしまう。

 それでは、誰一人、銀河原へは行けないはずだ。だがしかし、それもまた、真実ではないと、強く思うのだ。やましい点が一つもない人間なんて、いるはずがないからだ。なのに、自分は毒水に溶けないという自信もない。

 コウタばかりでなく、他の三人も同様に、店の男の言葉に、少なからず衝撃を受けていた。四人は、その場で話し合ったものの、結局、結論は出せなかった。

 まるで、銀河原を目の前にして、最終試験を受けている気分だ。

 用水路の毒水は、どう見ても、本物としか思えず、激烈な悪臭を放ちながら、怒涛の勢いで流れ続けている。

「どうしたって、ホログラムには見えないな。だけど…」

 弱気な亮平がおろおろと、三人の顔を見比べた。

 オー君が、近くに転がっていた金属の棒を、試しに、水路の水に浸してみた。嫌な音を立てて、金属の棒はあっという間に、溶けてなくなった。

「金属を溶かすっていうのは、嘘じゃないみたい」

 四人は、恐怖で顔がこわばった。やはり、これはホログラムや幻影ではなく、本物の毒水なのだ。だとすると、店の男が言うとおり、自分の中にやましさがあったり、勇気と正義が偽物ならば、あっという間に体が溶けるに違いない。

 四人は、ますます落ち着きがなくなり、冷や汗まで吹き出していた。

「どうも、こうもないだろう?銀河原に行くには、毒水に入るしかないんだよ」

 翔は、そう怒鳴りながらも、自分から、用水路の中に入ろうとはしない。

 しばらくの間、四人は、無言のまま、流れる毒水を見つめ続けた。店の男の姿は、とっくに見えない。四人は、ゴミ山の中に、取り残されたまま、何もできないでいる。銀河原への道のりは、ここへきて遠のいてしまった。あと一歩で、銀河原なのに、今は、この毒水が、冬将軍以上の強敵に思えて仕方がない。

 とうとうコウタは、両手で頭を抱え込み、髪の毛を揉みくちゃにして、うなった。

「『勇気と正義を併せ持つ男』は、僕らなんだから、行けるはずだ。僕が先に行ってみるよ」


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