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第15章 別れ、そして旅立ち

 コウタたちが越えた土手は、今や勝手に動き出し、表面を覆っていた土や砂がざらざらと滑り落ちていった。その奥からは、鈍い銀色に輝く、金属板がいくつも現れてきた。

 土手は一続きになってうねると、余分な土砂は振り落とされ、丸い金属版の列が姿を現した。銀色を基調とした金属板は、そこに青や赤や緑などの色が混ざり、奇妙にも美しい模様を描いている。この模様の列は、途切れずに、延々と続いていた。

 そして、蛇行する列の遥か先端には、妙な形をした銀色の岩山と、小さなオトシゴたち、それから、小さな人間がポツンと立っていた。

「翔!」

 コウタたちが叫ぶと、その人物はすぐに気がつき、遠くから手を振り返した。かなり遠いが、あれは、どう見ても、翔だ。

 三人は、すぐさま土手沿いに走っていった。翔の居場所は、えらく遠い。コウタたちは小走りで駆けていったが、十分近くかかっただろうか。

 かなり近づいた時、翔のすぐ隣にあった、銀色の岩山がぐいと持ち上がった。おまけに、岩山は、振り返って三人をにらみつけた。それは、岩山ではなく、巨大な龍の頭だった。

 三人は、一瞬足が止まってしまった。

 これは、いったいどうなっているのだろうか。理解がまったく追いつかない。

 巨大な頭のすぐ横で、翔は、オトシゴをのん気になでている。三人は、疑心暗鬼のまま、ぎこちない足取りで、翔のところに到着した。

 翔は、オトシゴの頭をなでていた手を止め、穏やかに言った。

「待っていたよ。もっと早く合流できると思っていたけど、案外時間がかかったね。全員無事で良かったよ」

 コウタたちは、笑顔を返したものの、緊張を隠せずにいる。翔のすぐ隣にそびえているのは、屋敷ほどもある、いかつい龍の頭なのだ。とても落ち着いてはいられない。

 そこでコウタたちは、初めて気がついた。巨大な頭からは、龍の長い胴体が延々と、視界の遥か向こうにまで続いている。

 ああ、なんと言うことだ。自分たちが先ほど越えた土手は、龍の長い胴体だったのだ。大きな土手だと思っていたのは、龍が単に、砂に潜り横たえていた体だった。美しい模様の金属板は、龍の鱗だ。龍は首の手前から大きく折り返し、Jの字を描いている。

 翔は、何とも異様な三人の反応に、戸惑い不審に思ったが、三人がまだ状況を理解していないと悟ると、ふっと息をもらした。コウタたちは、変な笑いを浮かべながら、恐る恐る翔と龍の頭に近づいていった。

 龍は赤い目をチロリと動かしただけで、三人を気にする風でもない。この超弩級の龍に、翔は、オトシゴごと呑み込まれたはずだ。それなのに、翔もオトシゴも、龍とともに、平和にくつろいでいる。

「みんなに心配をかけたけど、おれはこのとおり元気さ。この龍が守ってくれたからね。森に墜落した君たちの方が、よっぽど心配だったよ」

「この龍に助けられたって?」

 オー君がまん丸い目で、龍と翔を交互に見比べた。

 翔は、ややあって、経緯を詳しく説明した。

 月桃森(げっとうもり)で襲撃してきたのは、やはり、天邪鬼(あまのじゃく)たちだった。彼らは、強力な武器である炎の矢を、火の精霊から盗んだのだ。

 ちょうどそこを、コウタたちの乗った、オトシゴの一団が通りかかった。それで、どれほどの威力があるのか、試しに炎の矢を発射したところ、翔の乗ったオトシゴに命中してしまったのだ。

 オトシゴは傷を負い、あっけなく森に墜落した。かろうじて空中に浮上できたものの、それ以上は飛ぶことができない。

 炎の矢の威力に恐れをなした天邪鬼たちは、森から慌てて逃げ出したが、彦助から通報を受けた四天王たちに、すぐさま捕えられた。

 一方、攻撃を受けたオトシゴたちは、音符や記号を吐き出し、人には聞こえない歌を歌って、助けを呼んだ。すると、それを聞きつけたオトシゴたちの母龍が、天空海の底で目を覚ました。そして、すぐさま駆けつけると、負傷したオトシゴを口の中に入れ、ここまで運んできたのだ。

「なんだ。すると、この龍はオトシゴたちの母親だったのか。僕らはてっきり、君がオトシゴごと、龍に食べられたと思って、生きた心地がしなかったよ」

 コウタはすっかり気が抜け、へなへなとその場に座り込んだ。亮平とオー君も、がっくりと膝をついて、同じく地面に座り込んだ。

「そりゃそうだ」亮平がわめいた。「確かに、オトシゴたちの正しい名前は、『龍の落とし子』だ。早くそれに、気がつくべきだったんだ。そしたら、よけいな心配なんてしなかったのに」

 頭を抱えた亮平に、翔は戸惑いながらも、静かに言った。

「君がそんなに、心配してくれたとは、嬉しいよ。おれはみんなより、ちょっとだけ早く気がついたけどね。母龍は、この子たちと同じで、見かけと違ってとても優しいんだ」

 すると、オー君が誰に言うでもなく、不満な声を上げた。

「だけどさ、彦助も意地悪だな。知っていたのなら、なんで早く教えてくれなかったの?」

 すると、彦助がどこからかやって来て、オー君の肩に留まった。

「悪かったよ。友だちって言うのが、どういうものなのか、知りたかったんだ。おれたち、渡りの仲間と、どう違うのかと思ってね。ああ、仲間や親子とは似ているけれど、ちょっと違うってのが、わかったよ」

 彦助は、少々歯切れの悪い言い訳をした。とたんに、亮平が大きくかぶりを振った。

「あーあ、疲れた、疲れた。龍とオトシゴが親子だって気づかなかった、おれたちも、おれたちだけどね」

 亮平は、足もとに転がっている、小さな石ころを拾って遠くへ投げた。コウタたち四人は、改めて、全員の無事と再会を喜び合った。

 しばらくすると、彦助が、妙にかっこつけながら、えらそうに胸を張った。

「おい、おまえたち。こんな間近で、龍神さまとその子どもたちを拝めるなんて、滅多にないチャンスだぞ。おまえたちは、恵まれているんだ」彦助は亮平の肩に留まった。「でもまあ、何はともあれ、全員無事で良かったなあ。特にこの亮平は、人一倍弱虫だから、心配したよ。月桃の葉陰でめそめそ泣いているんじゃないかってね」

 彦助が悪びれずにそう言うと、亮平はよけいなお世話だと笑いながら、言い返した。彦助は、楽しそうに亮平の頭をつっ突き廻し、笑って逃げ惑う亮平の後を追いかけた。二人は、いや、一人と一羽は、仲のいい兄弟にしか見えない。

 コウタたちは、誰一人、ケガがなかったものの、翔の乗ったオトシゴは、背中に大きな傷を負っていた。炎の矢が空中で爆発した時、その破片が背中に当たったのだ。

「まったく、ひどい連中だよ。まだ子どものオトシゴに、あんな危険な矢を放つなんて」

 翔はえらく憤慨していた。

 コウタたちは、天邪鬼たちが持国天(じこくてん)に捕らえられ、これから罰を受けるところだと伝えた。それを聞いた翔は、気持ちが多少和らいだ様子だった。

 龍は、絨毯(じゅうたん)ほどもある大きな舌で、我が子の傷ついた背中をしきりに舐めている。

「かわいそうに。これじゃあ、翔のオトシゴは、飛べそうにないね。誰かのオトシゴに翔を一緒に乗せたいけれど、二人が乗れる広さはないし。どうしようか…」

 コウタが悩まし気に言った。

 すると、彦助は亮平を追いかけるのをピタリと止めて、自信ありげに言い放った。

「いや、もうオトシゴたちの力を借りる必要はないさ。峠はすぐそこだよ。歩いて行ける距離さ」

 ― そう、峠はすぐそこだ。心配はない   

 彦助に続いて、地鳴りのような声が、あたりの地面と空気をびりびりさせた。一瞬、地震かと思ったが、これこそが龍の地声なのだ。

 四人は、全身に鳥肌が立った。さすがに、龍神とも呼ばれるだけあって、体の大きさも超弩級だが、声もそれに劣らず、すごい迫力だ。四人は、足もとを駆け上がる熱き振動を感じ取ったのだ。恐れおののく四人を尻目に、龍は、口の中から炎を噴き出した。

 四人は大慌てで後退したが、オトシゴたちはその炎を浴びようと、嬉しそうに詰め寄っている。あたりは一瞬にして、真夏の暑さになった。

「オトシゴたちにとって、炎は、母さんのお乳みたいなものさ」

 彦助は目を細めて、母龍にじゃれつくオトシゴたちを見つめていた。

 そこへ持国天が、捕まえた天邪鬼を連れて飛んできた。オー君は、持国天の姿が見えたとたん、みんなの背後に素早く避難した。

 持国天は、縄でひとくくりにした天邪鬼を、風船のように浮かせ、一本の太くて長い手綱を引っぱりながら、飛んできた。背中には炎が燃え立っており、その炎で飛んでいるのだ。

「龍神殿。オトシゴにケガをさせた、この不届き者たちの処分について、伺いに参りました。しばらく、『永遠の崖っぷち』に吊るしたいと思いますが、いかがでしょうか」

 持国天はそう言いながら、自分が先に着地すると、手綱をぐいと引っ張り、天邪鬼たちを龍の面前に無理やり着地させた。

 ― 持国天殿。処分については、あなた方に一任しよう。だが、おまえたち、天空の小悪魔、天邪鬼よ、よく聞くがいい。もし、また私の子どもたちを傷つけたら、次は容赦しない。その時は、お前たち一族もろとも、この炎で焼き尽くすであろう。覚悟するがよい

 龍の頭の色が、銀色から燃え立つような黒色に変わった。そして巨大な目玉が斜め下にギョロリと動き、天邪鬼に向けて炎を軽く吹きつけた。熱い吐息が、天邪鬼の足もとの草を焼き焦がすと、天邪鬼は跳ね上がって、甲高い悲鳴を上げた。それから、ひいひいと聞き苦しい声で、龍に訴えた。

「もうしません。もうしませんとも。だから、今回だけは、どうか見逃してください。ちょっとした、間違いだったんです。龍神さまのオトシゴを打ち落とそうだなんて、そんなたいそうなこと、するはずがありません。借りた杖をちょっと試してみたら、たまたま、通りかかったオトシゴに当たっただけなんです。『永遠の崖っぷち』だなんて、それだけは、どうか、勘弁してください」

 五匹の天邪鬼たちは、奇怪な顔をして訴え続けた。苦しげな、それでいて、嘲り笑っている風にも見えるのだ。天邪鬼たちは、本当に反省しているのだろうか。そこにいる誰もが、疑問を感じたに違いない。その場しのぎの、大げさな演技としか思えないのだ。

 彦助も小さな声で、こっそりとつぶやいた。

「あいつらに反省なんて、どだい無理な話だね。どうせ、またやるに決まっている。だったら、『永遠の崖っぷち』に、それこそ、永遠に吊るされればいいんだ」

 彦助によると、天上界の外れにある大穴を『永遠の崖っぷち』と呼んでいるらしい。大穴は、地上どころか、地下深く、つまり地獄の底にまで貫いており、通称『地獄の大穴』とも呼ばれている。

 すさまじい重力のため、一旦下に落ちたら、二度と自力では、這上がれない。天上界の強力な助けがない限り、永久に救われないのだ。そんな恐ろしい場所にも関わらず、わざわざ展望台が作られ、天上界の名所の一つになっている。

 おそらく天上界の人々は、興味本位で地獄を覗きたいだけなのだろう。美しく平和な国には、醜く汚いものこそが、貴重なのかもしれない。

 そもそも、この天邪鬼は、どう考えても、天上界にふさわしくない生き物だ。なのに、何故、天上界の、それも上の方に住み着いているのだろう。コウタは、不思議でならなかった。持国天に尋ねてみたかったが、早々に切り上げないと、またオー君を危険にさらすかもしれないので、よけいな行動は差し控えた。

 ここで、持国天の澄み渡る大声が響いた。

「さて、子ども族の君たち。ふとどき者はこの通り捕えたので、もう心配はいらない」

 持国天は、握っている手綱をぐいと、ひと引きした。ギャッという短い悲鳴が響き、天邪鬼の一団は飛び跳ねた。

「君たちは予定どおり、峠の茶屋へ向かうがいい。ただし、峠の茶屋には、無法者が大勢たむろっているので、十分気をつけたまえ」

 持国天は、龍に軽く会釈をすると、背中の炎を、勢いよく噴射した。そして、まだグチをこぼしている天邪鬼を、有無を言わさず引っぱり、再び空中に飛び上がった。天邪鬼たちは、龍から離れたとたん、早速、大声で悪態をつき始めたが、持国天は気にも止めず、天邪鬼たちを力強く引っ張ったまま、どこかへ飛んで行った。

 空は再び澄み切って、満月はますます美しく、大きく輝いている。清々しい風がどこからか吹いてきた。

「ねえ彦助、僕らは、峠の茶屋ってところに行くんだね?」

 コウタが振り返って、確かめた。

「そうさ。シュミセン峠にある茶屋に向かうんだ。銀河原(ぎんがはら)への入口にあたる、重要な茶屋さ。けれど、その前に、『夜明け前の丘』を通過しなきゃならない。おまえたちと一緒だから、どれ位、時間がかかるやら」彦助は、炎を浴びてはしゃいでいるオトシゴたちを、優しい目で見やった。「さあ、ここで、龍神様やオトシゴたちとも、お別れだ」

 彦助はうやうやしく、龍に向かって小さな頭を下げた。

「龍神様、オトシゴのみんな、ありがとう。それから、龍神様、もしできましたら、おれたち渡りの幸せと子ども族の成功をお祈りください」

 ― 願いはきっと、聞き届けられるであろう

 龍は、また地鳴りみたいな声をとどろかせ、細かい火花の炎を吐いた。龍の頭は、また銀色に戻っている。そして、銀色の鱗の間から、虹色の鱗が煌めいていた。

 彦助は、今度は深々と頭を下げた。コウタたちも彦助にならって、めいめい頭を下げると、龍とオトシゴたちを後に残し、ばく然と広がる原野を歩き出した。

 小さなオトシゴたちが入れ替わり立ち替わり、空中高くに飛び上がって、コウタたちを見送った。龍の大きな瞳も、ずっとコウタたちの背中に、熱く注がれている。コウタたちは、振り返って手を振った。

 ある時点から、コウタは背後の龍たちよりも、前方のよく見えない地平線の方が気になり始めた。特別な理由があったわけではない。亮平たちも、同様に、前方の景色に集中し出した。

 コウタは、何とはなしに振り返ってみた。すると、霧が出ているわけでもないのに、龍もオトシゴの姿も、既に見えなくなっていた。背後は、野原が果てしなく広がっているだけの景色だった。

 何故だろうと一瞬思ったが、そんな疑問より、前方だ。見えない強力な魅力に捕らわれ、コウタは前へ前へと進んでいく。目ではまだ捉えられないが、自分の心は既に、何かが見えて、それに向かって進んでいる。そんな気がするのだ。

 原野は、幻惑が丘みたいな派手さも、強い感動もなかったが、落ち着きのある、秘められた光沢で満ちていた。丈の短い草が原野を覆い、きれいな小川がいく筋も流れている。

 しかも、この原野は、先へ進むほど、乳白色に染まっていき、真珠のような輝きを増していく。乳白色にぼんやり輝く地平線は、この原野が月まで続いているのかと思うほど、みごとに月光と溶け合っていた。地平線は美しいが、ぼやけていてよく見えない。

 四人と一羽は、すっかりピクニック気分だった。鼻歌を歌いながら、のんびりと原野を歩いていった。

 亮平は彦助とじゃれ合いながら、オー君は不思議な植物を観察しながら、そして、コウタと翔は、原野がどうなっているのかを探りながら、進んでいった。時折、誰かが脇道に逸れながらも、互いに大きく離れないように、四人は歩いていた。もっとも、迷子になりたくても、なれないほど、この原野は平坦でだだっ広く、遮るものは何もない。

 しばらく歩いていくと、どこからか、鳥のさえずりが聞こえてきた。見渡す限り、彦助以外、鳥の姿はなく、そもそも木の梢さえ見当たらない。ジュリ、ジュリと短く低く、聞きなれないさえずりだ。

「あれ?鳥の鳴声がする」

 オー君が、観察していた草むらから立ち上がった。四人はいっせいに耳を澄ませた。確かに鳴き声は聞こえるが、鳥の姿は見当たらない。

「おかしいなあ」

 オー君がメガネをかけ直して、あたりを見廻した。

夜鳴鳥(よなきどり)もそうだけど、この世界には、姿の見えない鳥が多いのかな。彦助も、簡単に姿を消せるんだろう?」

 翔が、冗談交じりに、亮平の肩にいる彦助に話しかけた。

 しかし彦助は、目を異様に輝かせたまま、微塵も動かないでいる。

「ああ、あと少しだ…」

 彦助は、うっとりとつぶやいた。何かに全神経を集中させている様子だ。翔の問いかけも、まるで耳に入っていない。

「彦助?」

 今度は亮平が、自分の肩にいる彦助に声をかけた。それでも、彦助は目の焦点が合わず、どこか遠い世界を見つめている様子だった。

 一方、コウタたちは、鳥の鳴声が気になり、その鳥をどうしても見つけたかった。

 オー君は、草むらに分け入って必死に探し、翔は、少し離れた小川まで足を延ばした。だが、どこをどう探しても、鳥の姿は見えないし、気配もしない。ところどころ生えている木は、どれも背丈が低く、枝や葉もスカスカだ。だいたい、見晴らしは、良すぎるくらい良好で、姿を隠せる場所を探す方が難しい。

 亮平は、自分の肩に留まっている小さな鳥を心配そうに見つめた。

 オー君がつぶやいた。

「やっぱり、ま上から聞こえてくる…」

 三人は首が痛くなるほど、空を仰いでみたが、やはり、それらしいものは、見つけられないでいた。

 その時、彦助が、突然いつもの彦助に戻った。

「えっ?なんだって?今、何か言ったかい?」

 彦助はキョロキョロとあたりを見廻し、亮平の耳もとでつぶやいた。ほっとした亮平が、呆れて言った。

「鳥の鳴き声が聞こえたんだけど、姿が見えないんだ」

「鳥の鳴き声?」彦助は小さな目を吊り上げると、冷静に耳を澄ませた。「地獄耳のおれ様には、何も聞こえないぞ。いや、この、おれ様の美声じゃないのか?」

 四人は奇妙だとは思ったが、確かに、鳥のさえずりは、いつの間にか消えていた。彦助は、いつもどおりの彦助に戻り、そのうち、鳥の鳴声の件はどうでもよくなった。

 地平線は相変わらず、乳白色でぼんやりしたまま、姿を隠している。

 コウタたちは、空腹ではあったものの、誰一人、疲れを感じなかった。先へ先へ、前へ前へ、ひたすら引っ張られ、心と足が嬉しそうに自分たちを運んで行くのだ。

 四人と一羽は、いくつものなだらかな丘を越えていった。

 先へ進むほど、丘の色は、神秘的な乳白色に変わっていく。緑の草や木も、枝の先端や葉の先が乳白色に溶け出し、それが徐々に、全体へと広がっていく。やがて真緑の草木は、ほとんどその姿を潜め、代わりに、真珠色に輝く草や木で丘が一杯になった。緑色の草や葉は、まるで真珠色の丘に彩を添えるアクセントだ。

 満月は相変わらず美しく、コウタたちの行く先々を照らし出している。見通しはいいのに、峠どころか、地平線も一向に現れてこない。

 四人はどこを目指しているのか、時々、わからなくなっていた。この微妙な色合いの丘は、永遠に続くように思えてならない。

 かれこれ、半日近くは歩いているのに、肝心の峠はまだ見えてこない。さすがの四人も、疲れと空腹で、足どりはすっかり重くなっていた。丘と丘の間には、たいてい、きれいな小川が流れていたので、四人は飲み水で空腹を紛らわせていた。

 いまや元気なのは、彦助だけだった。その彦助は、時折、ピタッと動かなくなり、真剣に耳を澄ませるが、ほとんどの時間は、せわしく飛び廻り、騒がしくしゃべり続けている。一番のお気に入りは、亮平の肩の上だ。

 おしゃべりの合間に、彦助は、地面へいく度となく降りていった。コウタが見ていると、彦助は小さな枝に留まり、その先端についた乳白色の葉をついばんでいる。

「彦助、それ食べられるの?」

 コウタが不審そうに聞いた。

 すると、彦助は、ごく当たり前に答えた。

「今更、何言っているんだ?ここにあるものは、全部、食べられるに決まっているじゃないか。いや、厳密に言うと、食べるんじゃなく、力を借りるんだけどね」

 それを聞いていた亮平が呆れ返り、次に腹を立てた。

「ひどいよ、彦助。なんで、もっと早く言ってくれないの?おれ、腹がすいて死にそうだよ。みんなだって同じだよ。我まま言って、彦助を困らせたくないから、腹減ったって言うのを、ずっと我慢していたのに」

「我まま?我慢?」

「そうだよ。だって、彦助がおれたちを上に連れていってくれるのに、迷惑かけちゃいけないだろう?友だちなら、普通そう考えるじゃないか」

 彦助は、小さく首をひねった。

「まるで仲間みたいな話だ。でも、おまえたちは、イワツバメじゃない。姿も形も生きる場所も、おれ様と全然違うから、仲間じゃない。なのに、どうして仲間以外の者に、そんなに我慢しなくちゃいけないんだ?」

 今度は亮平が首を傾げた。

「姿形なんて、ここでは関係ないんだろう?おれたち、ずっと一緒に旅しているじゃないか。こうやって、話ができて心が通じ合えるんだから、仲間と同じさ。いや、もう仲間以上だよ。少なくても、おれはそう思っていたけど」

 彦助は奇妙な表情のまま、乳白色の枝の上で、しばし黙り込んだ。

 空腹だったコウタたちは、彦助たちにかまわず、我先にと、乳白色に輝く葉や枝を次々と口に放り込んだ。

「なんだ、これ、うまいじゃないか!」

 翔が、絶妙な顔をして叫んだ。

「こんなに甘いなんて。口の中に入れると、フワっと溶けるよ」

 オー君も夢中になっている。この丘に来てから、オー君は体調がよさそうだ。不気味だった影も、ほとんど普通に戻っている。この調子なら、問題なく銀河原に行けるだろう。

 亮平も、手当たり次第に、真珠色の葉を小枝ごともぎとって、口の中に投げ込んだ。

「草がこんなにうまいなんて、知らなかったよ。まるでホワイトチョコレートだ」

 四人は、無我夢中で葉や枝を口にした。それらは一見硬そうだが、口の中に入れると、とろりと溶け、ほのかに甘い香りが口の中に広がった。まだ完全に飲み込んでいないのに、体中に力が行き渡り、ほんの少しの葉だけで十分に空腹が満たされた。

「ほんとに不思議だ。これは食べ物って言うのかなあ。一粒で満腹になる魔法の薬みたいだ」

 翔が、真珠色の草を手に取って、しげしげと観察した。

 空腹も満たされ、すっかり元気になった四人は、再び歩き出した。

 しばらくすると、亮平が欠伸をしながら、肩にいる彦助に尋ねた。

「ねえ、彦助。なんにも見えないけど、いつになったら、その、なんとか峠に到着するんだい?ゴールが見えないまま歩くのは、結構、疲れるんだよ。せめて、目標が見えれば、もう少しやる気も出るのになあ」

 彦助は、やれやれ顔で答えた。

「あと少しさ。この『夜明け前の丘』は、進めば進むほど、次の目的地が見えてくるんだ。身も心も進まないと、永遠に夜明け前の状態なんだよ。すべての草木が真珠色に変われば、次の段階に上がれるんだ。それにしても、子ども族はだらしがないねえ。頭も悪けりゃ、体力もない。これじゃあ、シュミセン峠に着いても、悪い奴らにすぐ騙されちまう。あそこは、天上界きっての無法地帯なのさ」

 先ほども持国天が、峠の茶屋は無法者の溜まり場だから気をつけろと言っていた。そんな危険な場所が、このきれいな天上界にある自体、おかしな話だ。

「ねえ、なんでそんな危険なところに、わざわざ行くんだい?おれたちが行きたいのは、銀河原だよ。ごろつきの溜まり場なんて行きたくないよ」

 亮平の発言に、他の三人が大きくうなずいた。

 彦助は、亮平の顔を覗き込むと、全身の羽を膨らませた。

「バカだなあ、子ども族は。銀河原に行くには、天上の案内人が必要なのさ。案内人はいつも、シュミセン峠にいる。おまえたちはその案内人を、自分たちで見つけるんだよ」

「案内人だって?彦助が案内人じゃないの?しかも、自分たちで見つける?」と翔。

 すると彦助は、転がり落ちそうなほど大笑いをした。

「おまえたち、ここをどこだと思っているんだい?ここは天上界だよ。おまえたちの世界は、いつも同じ場所に、同じものがあるけれど、ここではそうとは限らない。場所や時間が変わっても、本当のもの、変わらないものを見つけるのが大切なんだ。それに」彦助は真面目な顔になった。「いろんな人の中から、案内人を見極めるのも大切だ。見かけが良ければ、いい人とは限らない。銀河原は、真実しか受け入れないんだ。嘘偽りは受け入れない。だけど、どこまでが真実で、どこからが嘘偽りになるのか。そこのあたりを、ちゃんと見極めないとね。特に、このおバカさんには、できるかな?」

 彦助は、真剣に聞いていた亮平の顔をぴしゃりと、翼で軽く叩いた。亮平は笑いながら、彦助の後を追いかけたが、すばしっこい彦助にはかなわない。二人は疲れも忘れて、しばらくの間、無邪気に追いかけっこを楽しんでいた。

 一方コウタは、オー君が気になり始めていた。疲れのせいか、華奢な手足がだらんとして、歩く姿に元気がない。コウタはオー君に合わせて、ゆっくり歩いた。

 翔は、飽きもせず、物珍しそうに、丘のあちらこちらを探りながら、それでもコウタたちを見失わないように、後をついてきた。

 しばらくすると、地平線が突如、まばゆい白色に輝きだした。

 コウタは立ち止って、手をかざしてみた。今までは、乳白色に霞んでぼやけていた地平線が、くっきりと、確かなものに変化した。

「あれは」

 オー君は、声がつかえて、両足の歩みが止まった。

 ひときわ巨大な白壁が、横一直線に広がっている。それは、地平線の端から端までを覆い尽くし、みごとにそびえ立っている。その絶壁は、どっしりと堅固で、上部には、白い雲さえ浮かんでいる。突如として出現した絶壁は、四人の目前に、断固として立ちはだかっていた。

「よし。ついにゴールが現れたぞ!」

 先を進んでいた彦助が、空高く舞い上がって叫んだ。

 四人もそれに続き、口々に叫んで、その場で飛び上がった。目標がはっきり見えたことで、今までの疲れはいっぺんに吹き飛び、元気を取り戻したのだ。

 ところが、大喜びする四人に比べて、彦助は急に元気がなくなってしまった。いったんは、空高く舞い上がったものの、すぐに、しぼんだ風船のごとく急降下して、一番動きの少ないオー君の肩に留まって動かなくなった。それ以来、彦助は変わった。コウタたちは謎の絶壁に夢中だったため、彦助を気にかけず、先を急いだ。

 絶壁が近づくにつれ、彦助の異常さは、ますます際立ってきた。彦助はむっつりして、亮平がいたずらを仕かけても、ほとんど反応しなくなった。あれだけ、にぎやかだったのに、口数もぐっと減り、じっと耳を澄ませることが多くなっていた。

 コウタたちには、まったくわからないが、彦助は何かの気配を感じ取っている様子だった。そしてふいに、はっとすると、突然空高く舞い上がり、遠くを見渡すと、舞い降りてくる。そんな行動を繰り返すようになった。

「彦助、いったいどうしたんだい?」

 たまりかねた亮平が、自分の肩に降りてきた彦助に尋ねた。実のところ、コウタたちも彦助の異常な様子に気がつき、不安が募っていた。

 もしかしたら、彦助はどこか具合が悪いのではないだろうか。今、亮平の肩に留まっている彦助は、出会ったころの彦助とは、全然違っている気がしてならない。しゃべり方、目つき、飛び方、全部のどこかが、違っている。

 彦助はじっとしたまま、ようやく、口を開いた。

「おれ、そろそろ、行かなくちゃならない。仲間がおれを呼んでいるんだ」

 亮平がぎょっとして叫んだ。

「えっ、なんだって?彦助はどこかへ行ってしまうの?」

 コウタや翔、オー君も、びっくりして立ち止まった。これは、彦助がまた皮肉めいたユーモアを言うのだろうと、四人は期待していた。

 しかし、彦助はふざけもせず、静かに言った。

「おれは渡り鳥だからね。仲間と一緒に、月へ渡らなければならない。こうして仲間から離れていれば、おまえたちとも話ができるし、彦助として、名前も個性も、もらえる。けれど、仲間と一緒になると、おれはもう、おれじゃなくなるんだよ。おまえたちのことだって、すっかり忘れてしまう」

 亮平は愕然として言葉が出なくなった。彦助が冗談を言っているのではないとわかったからだ。だんだんと亮平の顔が赤く染まっていった。

「じゃあ、仲間のところになんて、行かなきゃいいじゃないか!」

 亮平は、ほとんど怒っていた。一方、彦助はそれに動じず、少しだけ片目を吊り上げて言った。

「そうはいかない。そうはいかないんだよ。渡りの本能が、おれを強く呼んでいるんだ。おれはまだ、本能の方がうんと強い生き物だからね。もう少し成長して、本能を押さえられたら、きっと一年中、彦助でいられるし、おまえのことだって忘れないでいられるさ」

 亮平は、ものすごい形相のまま、すっかり押し黙ってしまった。

 彦助はいつになく虚ろな目で、どこからか言葉を一生懸命絞り出して、しゃべっている様子だった。

「ここまで来れば、もう大丈夫だよ。ほら、白い絶壁が真珠色に変わり始めただろう?あれが、おまえたちを迎え入れる合図さ。真珠色の絶壁こそが『シュミセン峠』だ。あの上に、峠の茶屋と呼ばれている、『シュミセン茶屋』がある。行けばすぐわかるさ。そこで銀河原に連れて行ってくれる案内人を、自分たちで探すんだ。そいつは、勇気と正義を併せ持つ男だ。いいか、間違えるんじゃないぞ。銀河原まで案内できるのは、そいつだけだ」

「勇気と正義を併せ持つ男?どういう意味なの?彦助、さっぱりわかんないよ。もっと詳しく教えてくれないか?」

 焦りを感じたのか、翔は、早口でまくしたてた。

 コウタもまた、同じ不安を感じ取っていた。できるだけ、今のうちに聞いておかなければならない。そんな気がしてならないのだ。

 自分たちと話をしている最中も、彦助は別の生き物へ、刻一刻と、変化していく。その変化に、コウタたちは、追いついていけなかった。

 ところが、彦助は、厳しい顔できっぱりと断った。

「いや、ダメだ。これ以上は教えられないよ。最後は自分たちの手で、銀河原への扉を開けなければならない。自分たちで謎解きしないと、銀河原に入る資格をもらえないんだ。だから、おれがこれ以上しゃべったりしたら、おまえたちは、それこそ、銀河原に行けなくなってしまう。でも、おまえたちなら、やれるさ。おれはそう信じているよ」彦助は、うっとりして空を見上げた。「ああ、仲間だ。仲間の声が聞こえる。だいぶ近づいてきた」

 彦助は頭の毛を逆立て、亮平の肩の上で羽ばたきを始めた。上の方が、どうにも気になって仕方ない様子だ。

 しかし、コウタたち四人には、相変わらず何も見えないし、何も聞こえない。

「君は、本当に月へ行ってしまうの?」

 黙っていた亮平が重い口を聞くと、彦助は羽ばたきをピタリと止めた。そして再び、いつもの彦助に戻った。

「ずっと月にいるわけじゃない。おれ様は渡り鳥だから、またどこかでおまえたちに出会えるだろうよ。群れにいる時は、おまえたちを忘れている、ただのイワツバメだけど、群れから離れて一羽になった時、また彦助に戻れるのさ…」

 そう言っているうちに彦助は、またしても夢見る目つきになり、言葉が途切れた。けれども、亮平の悲しげな瞳に出会ったとたん、はっとして、またもや、いつもの彦助に戻った。いや、ほんの一瞬だが、もっと深いところにいた、本当の彦助が現れたのだ。

 彦助は、亮平に向かい合った。

「…おまえたちのことを、永遠に忘れるわけじゃないさ。今度思い出す時まで、忘れているだけだよ。おまえたちは、きっとまた、彦助に会えるだろう。ああ、どうやらやって来た…もう、言葉が…うまく出ない…おれたちは、友だち…」

 まだ言い終わらないうちに、彦助は恐ろしいほど、よそよそしく鋭い、野生の目つきに変わった。

 次の瞬間には、待ちきれないとばかりに、猛スピードで、空高く飛び上がっていった。きいんとする羽音が空気を切り裂き、その余韻がいつまでも頬に残った。

 コウタたちの頭上には、いつの間にか、たくさんのイワツバメが群れをなして飛んでいた。ジュルジュル、ジュルルルと低い鳴き声が、いく重にも響き渡っている。ものすごい数だ。こんなにたくさんのイワツバメが上空を飛び廻っていたのだ。コウタたちは初めて知って驚いた。

 彦助はその群れに吸い込まれ、あっという間に見分けがつかなくなった。イワツバメの大群は、コウタたちへ最後の挨拶をするかのように、二度ばかり頭上で大きく旋回すると、そのままシュミセン峠の方へ飛んで行き、やがて姿が見えなくなった。

 四人は無言のまま、いつまでもイワツバメの群れが飛んでいった方向を見つめていた。

 コウタたちは彦助に、感謝の気持ちも別れの言葉も伝えられなかった。とりわけ亮平は、突然の別れになすすべもなく、ただ、ぼう然と空を見上げるばかりだった。

 たとえ魔法の杖があったとしても、野生の本能を押し留めるのは、不可能だったに違いない。それほど強く圧倒的な本能が、彦助を貫いていたからだ。

 だが、その本能から外の世界に飛び出して生きていこうとする、小さな生き物の姿を、彦助は少しだけ垣間見せてくれた。壮大な自然の力と、そこから抜け出そうとする個性が、彦助の中でせめぎあっていたのだ。彦助は、その相容れないものの間を、行ったり来たりしながらも、魂を持った生き物として、前進しようとしている。

 コウタたちは、言葉にできない、深い何かを知った。

「…そう、おれたちは、友だち…」

 しばらくたってから、亮平は下を向いたまま、独りつぶやいた。

 彦助が言っていたとおり、いつの日かまた、自分たちは彦助に会えるだろう。それがいつ、どこで、なのかはわからないが、コウタは心の底でそんな予感を感じ取った。だから、今は、今だけは、仕方ないのだ。そう、自分に言い聞かせた。

 亮平は、泣き出しそうな気持ちをどうにか押さえ込み、真珠色の絶壁へ向かって、足を踏み出した。


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