第12章 雷門とイワツバメ
飛んだ!
コウタは、宙に浮いた。人無月荘の庭先に落ちることなく、屋根から五メートル離れたあたりに、浮かんでいたのだ。
微塵の不安もなかった。普通に歩いたり、座ったりする感覚で、コウタの体はぷかぷかと浮いている。むしろ、地面や屋根にへばり着いていた、今までの方が、よっぽど不自然で滑稽だ。
あ然とする三人をよそに、コウタは体を適当に動かしてみた。すると、泳ぐように、腕でひとかきすると、空中をぐいと軽快に進んだ。
「ほら、飛べるよ。飛べるんだ!」コウタは、屋根の上にいる三人に向かって叫んだ。「思い切り、跳ね上がればいいんだ。大事なのは、思い切りだよ」
今度は三人が、ほぼ同時に屋根を蹴り上げ、鉄砲玉のごとく、宙に飛び出した。体が、真綿に受け止められる感覚に、三人は安心した。
「あれ、全然普通だな。本当に、おれたち飛んでいるのか」
亮平はまだ、自分の体が宙に浮いているのが、信じられないでいる。
「夢の中だって、こんな楽には飛べないよ。おれたち、いったいどこにいるんだろうな」
翔は、緊張し過ぎていたせいか、浮かんだまま突然、笑い出した。
四人は、手足を適当にばたつかせ、騒ぎながら空中を飛び廻った。体のどこを、どう動かしたら、思うとおりに飛べるのか、いろいろ試してみたのだ。
そのうち、コツをつかみ、動きはぐっと滑らかになった。平泳ぎの形を取ると、ほんのひとかきで、何十メートルも進んでいける。
ただ、あまりに体が軽いので、強い風が少しでも吹くと、世界の果てまで飛ばされそうになってしまう。それはそれで、きっと四人は、楽しんだだろう。
しかし、そうはならず、意志を持った風は、四人を上へ上へと、確実に、大門がそびえる彩雲へと、持ち上げていった。
かなり上昇したあたりで、コウタは下界の大海を改めて見下ろした。壮大な大海原は、人無月荘を乗せた小船を、今にも呑み込みそうだ。玩具みたいな小船の上には、なんと、人影が見えるではないか。誰かが、コウタたちの方へ、大きく手を振っている。
よく見ると、手を振り続けているのは、福々しく太った老人だ。左手には長い釣り竿を持ち、顔いっぱいの笑顔を浮かべている。
コウタは、当惑しながらも、思わず手を振り返した。知らない老人なのに、見れば見るほど、妙に嬉しい気持ちが込み上げてくる。勝手に、笑顔になるのだ。他の三人も、老人の姿を見つけると、わけもなく笑顔になって、盛んに手を振っていた。
「あれは、恵比寿さまじゃないかな」オー君が冷静に言う。「宝船に乗った七福神の一人だよ。ほら、神様たちが船に乗ったポスターをお正月に見かけない?」
その説明で、三人は納得した。そうだ、あの福々しい姿は、確かに見た覚えがある。オー君の言うとおり、恵比寿さまに違いない。
しかし、恵比寿さまより、それを知っているオー君の方に、コウタは驚いた。オー君は、普段はおとなしいけれど、時々、ぎょっとすることを言ったり、したりして、みんなの度肝を抜く。
ただの物知りだけではない。もしかしたら、オー君は、コウタたちの知らない宝物を、まだたくさん、内に秘めているのかもしれない。
そう思えるほど、無邪気なオー君とは、正反対な、謎の一面を感じる時があるのだ。
三人は、飛ぶ速度をそれぞれが調節して、オー君の近くに集まった。
「あのさあ、もしかしたら、人無月荘って、宝船だったのかな」
亮平がそう言うと、三人はしばし考え込んだ。
「あんなところに、七人もの神様が住んでいたって?」コウタは笑いかけたが、はたと思い直した。「いや、いたかもしれない。人無月荘は、本物の宝船だったかもしれないね」
四人は、ずっと自分たちの世話をしてくれた、謎の人々について考えた。
世話をしてくれたのが、果たして、七福神かどうかはわからなかったが、感謝の気持ちを込めて、四人は下方に向かって大きく手を振った。
すると、屋根の上にいる恵比寿さまは、ぴたっと手を止め、笑顔を顔に張りつけたまま、左手の釣り竿を、空高く掲げてみせた。
そのとたん、突然、コウタたちから、下界が猛スピードで遠ざかった。
「うわっ‼」
四人は思わず、叫び声を上げた。四人の体は、抗しがたい力で持ち上げられ、一気に、とんでもなく上昇したのだ。あまりに急だったので、四人は気持ちが悪くなった。高層ビルのエレベーターで、急上昇した時のような感覚だ。
小さな宝船は、あっという間に小さな点となり、恵比寿さまの姿も人無荘も、風景の中に埋没してしまった。青い大海原だけが、満月の光に照らされて、キラキラと、煌めき続けていた。
少々強引だったが、のんびりし過ぎていた四人を、恵比寿さまは、彩雲へ導いてくれたらしい。
だが、その直前に、コウタが振り返った際、異様な光景をコウタは目撃していた。
黒い影に呑み込まれていく大海原の姿だ。それは、幻惑が丘の、幻想だったかもしれない。それとも単に、夜のとばりが降りただけかもしれない。それでも、黒く染まっていく下界に、コウタは不吉な予感を感じ取った。
もし、あれが、冬将軍だとしたら、どうだろう。恐ろしい魔物が、コウタたちのすぐ背後に迫っていると考えるべきなのか。それとも、魔物を引き離し、安全に逃げ切ったと考えるべきなのか。コウタにはわからなかった。
コウタが、みんなに意見を聞こうとした時に、四人全員が急上昇したため、結局は、伝えるチャンスを失ってしまった。何故なら、コウタたちは混乱したまま、一気に、彩雲に接近したからだ。
急上昇に伴い、彩雲は、急激に拡大され、その様子がはっきり見えるようになってきた。
彩雲は、うごめく色たちの塊だ。それぞれの色は、消えては現れ、形を変えながら、雲を転々と渡り歩いている。自己主張する色は、その長い尾を他の色に絡めながら、複雑な雲塊を形作っていた。しかし、それぞれの色同士は、決して混じり合わない。あくまでも自分の色を保ち、他の色に絡まるだけだ。雲の塊は、創造と破壊を繰り返し、常に新しい雲が、内側から創られ続けていた。
急上昇が止まると、四人は緊張から解放された。彩雲を目の前にして、四人は再びゆっくりと、宙を泳いで進み出した。
すると、翔が突然、大声でぼやき始めた。
「ああ、おれは、なんで、あんなところに残りたいと思ったんだろうな。こんなに素晴らしい天上の世界が、待っていたのに。あの丘に、すっかり騙されたよ」
すると、オー君が振り返り、実に晴れやかな眼ざしを翔に向けた。
「そう思ってくれて、本当に良かった。あのまま翔が、幻惑が丘に残っていたら、間違いなく凍え死んでいたと思うよ」
翔は、少しばかり照れながら、オー君の正面に移動した。
「オー君。おれ、君にずい分、ひどいことを言ったね。ごめん。みんなにも、謝るよ。まったく、どうかしていたんだ。みんなと一緒に、銀河原に行きたい。今は、心から、そう思うよ」
四人は、空中で、輪を作って、互いに向き合った。
「もう、気にしていないよ」オー君は、穏やかに言った。「だって、あれは君の本心じゃなく、丘のせいだから。それに僕だって、みんなの足を引っぱっていたのは、事実だからね。冬将軍に追われているのは、僕なんだし。ただ、冬将軍が来なくても、あそこに、長く居てはダメだと思うよ」
厚いメガネの底から、小さな目が笑っている。
「そうだね」コウタが、相槌を打った。「あの丘は、僕らを引き留めたくて必死だったな。僕らみたいな、丘を見てくれる観客が必要だったんだ。念願成就の森と似ているね。幻惑が丘の方が、もっと大がかりだったけれど」
四人は、輪の形のまま、空中をくるくると回り、彩雲にいよいよ近づいていった。まるで、遊園地のコーヒーカップのようだ。
「その丘も、さすがの冬将軍には、かなわなかったってわけだ。おれたちの気を引こうと一生懸命だったのに、結局は、枯れ野原になっちまった」と翔。
「でもこれで、冬将軍ともおさらばだね」
オー君が晴れやかに宣言した。
オー君の言うとおり、自分たちは、やはり冬将軍の魔の手から逃げ切って、安全になったのだ。そして、天上界に入れれば、銀河原はぐっと近づき、魔の手からはぐっと離れるに違いない。その天上界は、すぐ目の前だ。
更に彩雲に接近すると、コウタたちは、少しずつ彩雲の上方へと導かれた。
地上から昇ってきた人々は、みんな、彩雲の上空に持ち上げられ、その場で一旦待機する。それから少人数ずつ下降し、彩雲の先端にある空き地に着地するのだ。
空き地の奥には広場があり、広場の先には、黒々とした巨大な鉄塔が二本そびえている。その先頭は、鋭く屹立して、かなり遠くからでも鉄塔の姿がくっきりと映っている。
二本の鉄塔の麓には、頑丈な大門が構え、その奥にトンネルが口を開け、大勢の人々が行き交っている。大門には、ガッチリした巨人の門番たちが、道の両側から、それぞれ、にらみをきかせている。
二体の門番は、それぞれ手に大型の武器を握っており、その間を、人々が恐々としながら通り抜けているのだ。
空き地は、地上から飛んできた者たちが次々と到着し、非常に混雑していた。そのため、人々は地面に着地するとすぐに、空き地を離れ、いったん広場に入り、そこから大門への道へと、列をなして進んでいった。
「おい、まずいぞ。あの巨人の門番は、検問しているみたいだ」
翔の顔が、今までにないくらい、こわばっている。
それもそのはず、近づけば近づくほど、二体の門番の姿が、詳細に見えてきたからだ。二体とも、背丈は人間の三倍以上はあり、筋骨隆々としてたくましい。その上、青銅の鎧を身につけ、仁王像のごとく、すさまじい形相で、道行く人々を両側から覗き込んでいる。
それだけでも十分恐ろしいのに、コウタたちの身長ほどもある、鈍く光る刀や鉾を手の上で、ポンポンと軽くもて遊んでいる。滅多に口は開かないが、一言二言しゃべるごとに、口からはまっ赤な炎が噴き出していた。
四人は、思わず、生唾を呑み込んだ。誰もが、オー君の指名手配書を頭に思い浮かべていた。オー君は、今や、完全にすくみ上がっている。四人は、いったん立ち止まって考えたいのに、体が勝手に、彩雲の上空へと引き寄せられていく。
「まいったな」
翔は後ろへ戻ろうと、手足を変な向きに動かしてみた。だが、どうもがいても、体は強引に、彩雲の方へと引き込まれてしまう。
オー君は覚悟を決めたように一瞬目を閉じ、それから冷静な口調で言った。
「みんな、僕から離れた方がいい。一緒にいれば、間違いなく四人とも捕まってしまう」
三人は、顔を見合わせた。考えていることは、みんな同じだった。
「オー君、誰も、そう思ってないよ。今まだって、四人一緒で上手くいっていたじゃないか。あの変な占い師も、四人一緒の運命で、僕らは銀河原へ行きつけるとも予言していたし」
コウタは力強く言った。すると、亮平も、何かに怒りをぶつけるように言った。
「だいたい、オー君がなんで捕まるんだよ。おれたち、全員、まだ小学生だよ?おれたちがやったのは、せいぜい悪ふざけ程度だろう?何をやったら、指名手配されるんだい?こっちが聞きたいよ、まったく」
「みんな、ありがとう。でも、絶対に自分は悪くないって、言い切れる自信はないんだ。昔の記憶が、ごっそりないからね。もしかしたら、冬将軍って人に、本当に悪いことをしたのかもしれない。捕まったら捕まったで、確かめられるかな…」
オー君は、微笑んではいたが、どこか諦めている様子だ。小さな瞳の奥には、諦めと共に、罪の意識が見え隠れしている。オー君はまだ小学生なのに、思い出せない記憶に、責任を取ろうとしている。この大人にも負けない強さに、コウタは感心したと同時に、ある種の不安を感じた。
「ダメだよ、オー君」コウタより先に、翔、が叫んだ。「こんなところで諦めちゃ、いけない。四人一緒の方が目立たないから、それで行こう」
オー君は、少しの間、戸惑い悩んだが、すぐに素直な笑みが顔中にあふれた。翔の真剣で力のこもった言葉に、オー君の心が動かされたのだ。
「わかったよ。みんな、本当にありがとう」
逆に、三人が驚いた。こんなに、心の底から嬉しそうなオー君を見るのは、初めてだった。砂金川に溶け込んだ時も、幻惑が丘を見た時も、空を飛んだ時も、これほど顔を輝かせてはいなかった。オー君は、よほど嬉しかったに違いない。だから、こんなオー君が、指名手配される悪人だなんて、天地がひっくり返っても、あり得ない話だ。いや、誰一人、未だに、そんな話を信じてはいなかった。
そうしているうちにも、四人の体はどんどんと、彩雲の方へと引き寄せられていった。もはや、なすすべもない四人は、半分諦め顔で流されるままになっていた。
間もなくすると、いかめしい鉄塔の大門がくっきりと見えてきた。すごい迫力だ。どっしり重々しい大門は、四人を威圧した。表面は、浮き彫りで飾られているが、あまりにまっ黒なので、何が彫り込まれているのかは、まるでわからない。
「そうだ。あの門を通らずに、横から入るってのは、どうだろう」
亮平が、ふと思いついた。確かに、あれだけ大きな彩雲だから、出入り口が他にあってもいいはずだ。たとえ出入り口でなくても、入り込める隙間さえあれば、いいのだ。
「それもそうだな。なにもわざわざ、正面から入らなくても…」
と、コウタが賛成しかけたが、神妙な顔をした翔が小声でささやいた。
「いや、そうでもなさそうだ。あっちを見ろよ」
翔が左下の方を顎で指し示した。
下から飛んできた青年が、勢い余ってコースを外れてしまい、彩雲の右側に偶然近づいた。すると、その青年は、見えないものにピンと弾かれ、信じられないほど遠くへ跳ね飛ばされた。青年は、幸い、彩雲の遥か下を流れる綿雲に受け止められた。ほとんど点にしか見えないが、青年は微塵も動かない。どうやら気を失っている様子だ。
「なるほどね。不用意に近づくと、ああなるわけだ。バリアだよ。見えない壁が張り巡らされているんだ。そりゃあ、そうだろうな。抜け道があるなら、みんな、わざわざ、あの恐ろしい門番のところに、行ったりしないもんな」
亮平がゲッソリして、つぶやいた。あのバリアを越えて中に入るのは、大門をくぐり抜けるより、何倍も難しそうだ。
こうなっては、正面から堂々と入るしかない。そもそも、体は勝手に、空き地を目指している。
そして、いよいよ、その空き地の上空に到着した。
上昇を続けていた体が、ふいに止まり、それからゆっくりと下降し始めた。
空き地の上空は、かなり混雑しているが、空中で人々が衝突するような事故は起きていない。交通整理でもされているのか、誰もが、一定の速度と間隔で、空き地にゆっくり導かれている。
空き地は、地上からやって来た人で、ごった返していた。地上のあらゆる方向から、様々な人々が、この一点を目指して飛んで来るのだ。
問題は着地だ。空き地に着地したとたん、すぐに移動しなければならない。そうしないと、後から降りてくる人たちに、次々衝突されてしまう。時々、空き地から上がる悲鳴は、そんな混乱の結果らしい。
粉雪が舞うように、四人は、ふんわりと彩雲へ降りて行った。途中で、四人は、他の人々と横並びになった。彼らは、人間の姿の者、動物と人間の中間の者、まったく動物の姿形をした者、そして妖精の姿をした者まで、実に様々だ。
「これだけ混雑しているんだから、周囲の人に紛れて、さっさと行けば目立たないな。よしきた。オー君をまん中に挟んで、堂々と行こうぜ」
亮平が威勢よく言い放ったが、実は、一番落ち着きがなかった。
四人は静かに舞い降り、彩雲の空き地に注意深く足をつけた。オレンジ色の雲の中に、サンダルが半分ほどのめり込んだものの、すぐに固い地面となった。少しだけ体が重く感じられたが、それでも、地上にいた時よりは、遥かに軽い。四人は、不可思議な感覚に、思わず酔いしれそうになった。
「さあ、どいた、どいた。ここは混み合うんだから、早くどいておくれ」
すぐ後ろから飛んできた、顔に大きなイボのある男が、上空からせっかちに叫んだ。四人は余韻を楽しむ間もなく、すぐに脇へ避け、空き地の先にある広場の方へと歩いて行った。
人々は広場で、一旦身なりを整え、一息ついていた。
広場へ移動した四人は、少しだけ落ち着いた。それと同時に、天上界の入り口に立てた実感に、改めて感動を噛みしめた。
四人は、そびえたつ鉄塔をぐっと見上げた。門番のいる大門は、もう目と鼻の先だ。大勢の人たちが列を作って、門番の間を通り抜けようとしていた。人々は両脇の門番を特に気にすることもなく、流れに沿って通り抜けている。しかし、四人には、もはや門番の姿しか目に入らなかった。
四人は、これ以上ないくらいの緊張でいっぱいだった。オー君は、倒れそうなほど顔色が悪いし、強気な翔でさえ、顔が引きつり気味だ。
「大丈夫。さあ、行こう」
覚悟を決めた四人は、一呼吸して姿勢を正すと、横一列になって歩き出した。両脇は、コウタと翔が固めた。近所を散歩している風に、さりげなく歩いて通り抜ける作戦だ。
見た目には、四人の演技は、そう悪くはなかった。全員がパジャマ姿でサンダル履きなのは奇妙だが、羽衣をまとった人や、かっぽう着姿の白熊もいたので、外見は、そう目立っていないはずだ。
大門のその先は、短いトンネルがあり、その向こう側には、明るく大きな広場がチラリと見える。
四人は手に汗をかき、心臓が大きく脈打ちながらも、足どりだけはしっかりとしていた。額や首筋にも汗が吹き出ていたが、余程近づかなければわからないはずだ。あまりに恐ろし過ぎて、門番の顔をうかがい見るのさえ難しいが、ほんの数十歩も歩けば、門番の前を通過して、トンネルに入れるはずだ。
非常にいい調子だ。この分ならきっと、問題なく門を通り抜けられるだろう。そう思っていたが、コウタは予想外の事態に気がつき、急に慌て出した。
門番に近づけば近づくほど、自分の心臓の音が、どんどん大きくなっていくのだ。それも、自分だけではない。四人全員の心臓の音が、誰にでもわかるほど、鳴り出している。これはまるで、太鼓を激しく打ち鳴らす音だ。
ドンパッ、ドンパッ、ドン、ドン、ドンパッ、ドンパッ、ドドンパッ、ドン、ドン…
四つの心臓の音は、微妙にずれ、また重なり合って、大音量であたりに響き渡った。四人全員がそれに気づいて、青くなった。しかし心臓の音は、四人が焦れば焦るほど高鳴り、しまいには、あたり一帯に響き渡る騒音に変わった。
ついに心臓の音は、勝手に体の外に飛び出し、周囲に踊り出した。四人は、胸を押さえて取り乱した。自分の心臓が体から飛び出したのかと、思ったのだ。だが、飛び出したのは、やかましい音だけだった。
こうなると、もう止められない。あまりの爆音に、人々はいっせいに足を止め、四人に注目した。誰もが眉をひそめ、ささやき合っている。
コウタたちは、冷や汗をかきながら、誰ともなく早足になった。そのうち四人はバラバラになって、一気に駆け出そうとした。
「そこのおまえたち」
ついに、右側の門番の口から、雷鳴のような声がとどろいた。大音声と共に、空中に火花が飛び散った。
「念のため言っておくが、ここで、嘘は通用しない」
コウタたちは全員背筋が凍りつき、足がピタリと止まった。すると今度は、左の門番の口から、炎が巻き上がった。続いて、左手に握っていた鉾を、地面に、ドンと一突きした。すさまじい振動に、四人の体は大きく揺れ動き、倒れそうになった。
二体の門番は、両側から四人を挟み込むように、近づいてきた。右の門番は、左手に大鎌みたいな、ぶ厚い刀をつかんでいる。四人の首をいっぺんに、はねそうなほど、巨大な刀だ。もはやこれまでか。
「見たところ、おまえたちは、夢見人ではないな。ずい分と騒がしい心臓だが、当然、推薦状は持っているんだろうな?ここは天上界の入口、由緒ある雷門であるぞ。いったい誰の推薦で、ここを通るつもりだね?」
左側の門番が、赤ん坊の頭ほどもある巨大な目で、ギロリとにらみつけた。その目は、黒目も白目もなく、ただの穴であり、その奥では、まっ赤な炎が燃え盛っている。門番の体内は、炎でいっぱいなのだ。
亮平は、立ったまま、気を失いかけている。オー君もすっかり力が抜け、翔が横から支えていないと、立っていられないほどだ。
「あの、僕たちはちゃんと切符を持っています」
コウタは震える手で、ポケットから不器用に切符を取り出し、門番に見せた。門番の赤い目が、火打ち石の火花のごとく、チカッと光った。
「まさか、こんなもので、ここを通過するつもりではあるまいな?」
コウタは、再び全身が凍りつきそうになった。それでも、必死で切符を握りしめ、両足を踏ん張って答えた。
「僕たちは、友だちの治療のため、医者に勧められて銀河原へ行くところなんです」
門番たちはコウタから目を離さず、じっと耳を傾けている。コウタの心臓の音はまだ荒々しいが、さっきよりはいく分落ち着いている。
「その話は、嘘ではないようだ。ここでは、心臓の音が自然と、外へ響くのだ。心臓は正直者だ。嘘つきを、容赦なく周りに知らせてくれる。だから、ここでは本当しか通用しない。真実だけが、この門を通り抜けられるのだ。嘘つきや偽物は、ここを通過できない。だが、推薦状のない者は、もっと通り抜けられない。そもそも、天上界に入る資格がないからだ。地上の誰からも推薦されない者が、どうして天上界へ入れようか」
コウタは、懸命に言い訳をひねり出そうとしたが、あまりの緊張に、何も考えられなかった。他の三人は、すくみ上がって、立っているのがやっとの状態だ。こうなったら、破れかぶれだが、走って突破するしか手はない。
しかし、自分と翔だけなら逃げ切れるかもしれないが、後の二人は難しいだろう。オー君は、まともに歩くのすら厳しいし、亮平は、おそらく腰が抜けて走れないからだ。二人を置いていくわけにはいかない。
「まさか、走って逃げ切れるなんて、バカなことを考えているわけじゃ、あるまいな?我ら、雷神族の雷門を突破しようなんて愚か者は、前代未聞だ」
コウタの顔はとたんに、まっ赤に染まった。雷神族は、心の中も見通せるのだろう。コウタとほぼ同時に、翔も顔を染めてうつむいた。どうやら翔も、同じ目論見だったらしい。
「おまえたちを確保する」
左の門番が鋭い目でにらむと、持っていた鉾で、地面を強く二度叩いた。
たちまち地面から、数十本の火柱が巻き上がり、四人を取り囲んだ。四人は火柱の檻に入れられてしまった。火柱は、恐ろしいほどの熱を放ち、うかつに近づくと火傷をしてしまう。四人は、檻の中心に小さくまとまるしかなかった。
行き交う人々は、炎の檻に入れられた四人に、一瞬好奇のまなざしを向けるが、すぐに先を急いだ。人々はそれぞれ、行くべき場所があるのだろう。
なすすべもない四人は、ただ檻の中から成り行きを見守るしかなかった。言い訳もきかないし、切符を見せても無視され、頼りの向久井医師もここにはいない。マンジも、もちろん見当たらない。
推薦状がない限り、ここは通過できないのだ。
幸い、オー君の指名手配書の件は、まだ、ばれていない様子だ。
左右の門番たちは、互いにひそひそと話し合っている。コウタたち四人の処分について、相談をしているに違いない。
「ちゃんと説明すれば、きっと大丈夫だよ。だって、僕たちは悪いことをしているわけじゃないし。さっきは慌てていたから、ほとんど話せていなかったけれど、水曜亭出発からのいきさつをすべて話せば、理解してもらえると思う」
コウタは、そう言ってみたものの、この状況では気休めにしかならない。話して何とかなる相手ではないことを、嫌と言うほど、感じていた。
門番たちの話し合いはまだ続いていたが、そこへ、黒っぽい変な鳥が、下の方からふらふら飛んできた。一羽の妙なツバメだ。背中に小さなリュックを背負い、足には白い封筒をつかんでいる。
「あー、お待たせしました」
ツバメは調子外れな声で、右の門番の肩に遠慮なく留まった。
「おや、イワツバメか」
門番は顔を上げると、小さな鳥をにらんだ。イワツバメは怖がる風でもなく、淡々と話し始めた。
「この者たちに関する手紙を届けに来ました」イワツバメは、檻の中のコウタたちを一瞥すると、足につかんでいた封筒を門番に渡した。
門番は、封筒を開け、中の手紙を読み出した。それから、ふうんと、大きなため息とも、うなり声ともとれる音をとどろかせ、手紙を読み返した。左の門番も手紙を覗き込むと、同様にうなっている。
おそらく、あれは、オー君の指名手配書に違いない。いよいよ四人は、落ち着かなくなった。隠し切れない不安の色を顔に浮かべ、結果を静かに待つばかりだった。
「おお、これは大変珍しい。あの御方の推薦状を目にするのは、何百年ぶりだろう」右の門番は、いっそう声をとどろかせ、コウタたちの方に目を向けた。「まさか、おまえたちが、あの御方の推薦を頂いていたとはね」
左の門番も、非常に驚いた表情でコウタたちを凝視した。
推薦状だって?自分たちが、誰にどうして推薦されたのか、四人はわからなかった。もしかしたら、向久井先生が用意してくれたのかもしれない。
とりあえず、オー君の手配書ではないと知った四人は、一安心した。しかも、その推薦状は、思いがけず、非常に価値あるものらしい。門番たちは手紙を、懇切丁寧に扱い、互いに何度もうなずいている。
イワツバメまでが、門番の肩の上でえらそうにして、小さな頭を一緒に振っていた。この推薦状を運べただけでも、大変な名誉だと言わんばかりだ。
二体の門番は、互いに顔を見合わせた。
「おまえたち、雪虫さまの推薦をもらえるとは、いったい何者なのだ?下の世界では、余程の有名人なのか?それとも、特別な能力を持っているのかね?まあ、これなら文句なく、ここを通過できるだろう」
門番はそう叫ぶが早いか、鉾で地面を二度叩いた。地響きと共に、恐ろしい炎の檻はふっと消え、四人は解放された。
(雪虫さま?)
コウタたちは、雪虫の推薦を受けられた理由が、まるでわからなかった。そもそも、こちらの世界に入ってから、雪虫に出会った覚えはないのだ。理由はともあれ、自由の身になれたのだ。よけいなことは言うまい。門番は、オー君の件については、まったく触れていないが、まだ気づいてないだけかもしれない。四人は、口をつぐんだ。
コウタたちは一刻も早く、その場から立ち去りたかった。そこで、互いに目配せしながら、オー君を内側にして、早くも歩き出そうとした。
「それじゃあ、僕たち、とても急いでいますので」
しかし、門番の目は、やはりごまかせなかった。
「いや、その子はダメだ。三人は行ってもかまわないが、その子を行かせるわけにはいかない」
四人は、そろってびくっとした。険しい門番の表情に、その子が誰を指しているのか、コウタたちにはわかっていた。門番の肩に留まっているイワツバメまでが、オー君を見つけると、騒ぎ出した。
「あっ、こいつは手配書に出ていた奴だ。しかも、冬将軍の手配書だぞ」
冬将軍という名前が出たとたん、通行人たちがどよめき出した。人々は、しばし足を止めて、四人をじろじろ眺めた。中には、あからさまに顔をしかめる者もいる。
「そのとおりだ。おまえは、冬将軍から指名手配されている。おまえが下でやった所業は知らぬが、地下の大魔王、冬将軍と争うわけにはいかない。よって、天上界を守る雷神族として、おまえを確保する」
門番は再び鉾で地面を突くと、鋭い炎の檻がコウタたち三人を跳ね除け、オー君一人を包み込んだ。コウタたちは、跳ね飛ばされ、ぶざまに地面に転がった。
再び囚われの身となったオー君は、観念したのか、いったん目をつむり、それからコウタたちに向かって、大きく叫んだ。
「みんな、とりあえず、先に行ってくれないか。疑いが晴れたら、僕もみんなを追って、ここを出発するよ。必ず追いついてみせるから」
オー君にそう言われても、コウタたちは、誰一人、頑としてその場から動こうとしなかった。オー君が冬将軍に引き渡されるのを、このまま黙って見過ごすわけにはいかない。それに、オー君を銀河原に早く連れて行かなければ、また具合が悪くなるに決まっている。今、一番、銀河原に行くべきなのは、オー君だ。三人は、それぞれが心の中で、固く決意していた。
「いや、オー君と一緒でなければ、僕らは行かないよ」
コウタたちは、たとえ無駄な抵抗だとしても、次々に大声で叫び返した。
「なんて頑固で不器用な連中なんだ」イワツバメがまた、裏返った声で騒いだ。「そんな調子じゃ、世の中、渡っていけないよ。指名手配されるような悪者は、ここに残して、さっさと出かける。これが世の中の常識ってもんだ」
イワツバメは門番の肩の上で、くるりと一回、器用に宙返りをした。
「オー君は、悪者なんかじゃない。おれたちの友だちだ。おまえなんかに、何がわかるんだ。よけいなお世話さ」
こんな状況にも関わらず、怖がりの亮平にしては、珍しく怒りに任せて、真剣に叫んだ。亮平に怒鳴られたのが意外だったのか、イワツバメは、人間にはとても真似できない、複雑な表情をしてみせた。
「ふうん、友だちか。まあ、おれには関係ないがね。あー、そうだ。もう一つ、手紙を預かっていたんだ。危うく忘れるところだった」
イワツバメは悪びれずに、背負っているリュックを降ろし、足先を器用に使って、別の白い封筒をリュックの中から取り出した。門番は封筒を受け取って、すぐさま中の手紙を読むと、さっきの推薦状とは異なる反応を見せた。
「飛行船病院の向久井先生からだ」炎の目をかっと見開き、巨大な吐息をついた。「子ども族のオー君には治療が必要なため、特別待遇とする。よって、すべての支配から解放される自由権及び、上方へ向うルートの通行許可証を付与する」
最後に、門番は言葉を詰まらせた。
「つまり、一言で言うと、釈放だ」
そのとたん、三人は手を取り合って喜んだ。炎の檻はすぐさまかき消され、オー君はいく分ふらつきながらも、三人の方へ歩いてきた。
オー君の顔には、嬉しさと共に、健康な赤みが差している。亮平が駆け寄って、オー君を支えた。やっと本物の笑顔が、四人に戻ってきた。
その様子を見ていた門番が、一瞬、微笑んだように見えた。
「おまえたち、この雷門の別名を知っているか?ここは『来世の門』とも、呼ばれている特別な関所なのだ。ここを一緒に通った者たちは、次の世でもまた、巡り合えるという、言われを持つ門だ。だから、おまえたちがバラバラにならず、そろって通り抜けるのは、きっと強い絆で結ばれているからだろう。その縁を、いつまでも大切にするがいい」
コウタたちは、また、新たな生き物を知った。天上界の出入口を守っている、雷神族だ。その役目上、非常に厳しい姿形と性質ではあるが、ただ恐ろしく厳しいだけではない。単に、嘘偽りを見透かすだけではなく、実は、心の奥底も、見透かせるのかもしれない。何が本当で、何が嘘偽りなのか。単に、言葉や行動だけで、判断するのではなく、その人の深さを推し量れる者だけが、本当に人を見定めることができるのだ。
コウタの心の中には、いつの間にか、別な感情が芽生え始めた。
「本当に、ありがとうございました」
コウタは心をこめて、門番に礼を言った。続いて、他の三人も、深々と頭を下げた。
「我々に、礼は無用だ。礼は、推薦状を出してくれた雪虫殿と、許可証を発行してくれた向久井先生にするんだな。冬将軍には、そのうち報告するつもりだ。だが、いつになるかは、わからないがね。まあ、かなり先の話だろうよ、我々が忘れなければだが」
門番は最後の方の言葉を濁した。思うに、この件は、うやむやにしてくれるのだろう。コウタは、そんな気がした。
門番はそう言うと、今度は、すっかり気の緩んでいたイワツバメに、視線を戻した。
「ところでイワツバメ、お前についても、先生からの伝言が添えられていたぞ」門番は小さな紙切れを、先ほどの封筒から取り出すと、イワツバメに示した。「手紙にはこう書いてある。おまえはどうせ、月まで行くんだから、四人の子ども族を、天上界の上まで連れて行くようにとの、お達しだ」
イワツバメは突然頭の毛を逆立て、大きくのけぞった。卒倒して地面に落ちるのではないかと思ったほどだ。
「なに、このおれ様が、こいつらを上に連れて行くって?なんで、そんなことをしなきゃならないんだ!」
ひどく憤慨したイワツバメは、今度はものすごいスピードで急旋回しながら、滅茶苦茶に、門番たちの周囲を飛び廻った。門番たちは、イワツバメの派手な行動もどこ吹く風で、炎の目をギラリと輝かした。
「聞いたぞ。おまえさんのせいで、先生の飛行船が行方不明になったそうじゃないか。これくらいで許してもらえるのなら、むしろありがたいくらいだろう?」
にらみをきかせた門番に、イワツバメはたじろぎ、大げさな飛行を止めて、門番の肩に留まった。
「いや、なに、だって、あれはわざとじゃないし、だいたい吹き降ろしの風の奴が悪いんだ。おれ様のせいじゃないよ」
イワツバメは散々言い訳をしたが、門番が、更に強く念を押したので、四人を天上界の上に連れて行くのを渋々承知した。
「ああ、わかった、わかったよ。こいつらを上まで連れて行けばいいんだろう?だけど、後は知らないぞ。連れて行くだけだからな。まあ、こんな大役は、おれ様にしかできないから、仕方ないか。よし、そうと決まったら、さっさと出発だ。グズは、嫌いだ。物事は、ぱっぱとな、ぱっぱと、ぱっぱと」
イワツバメは腹立ちまぎれに、再び空中をひらひら飛び廻った。二体の門番は同時にうなずき、鉾で地面を軽く叩いた。これもピッタリ同時だ。おそらく、無事を願う送り出しの合図に違いない。
変ちくりんなイワツバメは、四人をやたら急かし始めた。
ずい分冷や汗をかいたけれど、全員そろって、雷門を通過できた四人は、大いに満足だった。おまけに、ちょっと変わった案内役まで手に入れたのだ。




