第七話 寝不足が招いた災い
頭では良くないと分かっていながらも、ついやってしまうのが夜更かしというものだ。
昨夜ネットで偶然小学生の頃にハマっていた懐かしのアニメを見つけたが最後、少しばかり感傷に浸るつもりが、気付けば夜が明けていた。
おかげで今日の講義はずっと眠くて仕方なかった。
ボッチの宿命か、板書を一度写しそびれてしまうと、見せてもらう友達がいないため詰む。
意識を保つ努力は最大限してみたものの、三大欲求のなかでもひと際強い睡眠欲求。俺ごときの惰弱な精神でどうにかなる相手ではなかった。
結局、今日一日を通してほぼ二コマ分の記憶が丸々ない。
いかにしてこの失態を取り戻すかは深刻な難題だが、とりあえずそれは明日以降に考えたい。
「ふぁ~あ……」
居眠り中の寝相が余程悪かったのだろうか。朝よりもむしろ頭は重く感じ、足元がふらつく。
時刻はだいたい午後四時を過ぎたところだろう。
あとは帰宅しぐっすり眠るだけだが、なぜだか猛烈に甘いものが食べたくなったので、近くのドーナツ屋を目当てに街を歩いていた。
ことが起こったのは、そんなときだった。
「あっ」
ドン、という衝撃とともに俺は地べたに尻餅をついた。
どうやら歩行中の誰かとぶつかってしまったらしい。
「痛てて……。ごめんなさい。大丈夫ですか」
見ると、相手は小柄な女性だった。
彼女もまた俺と同様に、地面に腰をつけている。
「……いえ。前を見ずに歩いていた私も悪いですので」
この場合、フラフラしながら歩いていた俺があきらかに悪い。
しかし見通しの良い道路で、十分避けられるだけの幅があるのにも関わらずこうなってしまったということは、互いに不注意であったいうことは言えるだろう。
女性の目線は俺との間にある、路上に投げ出された彼女のものらしきスマホに向けられていた。
その画面には驚くべきことに、俺にとってあまりにも馴染み深い絵面、つまりエタクラのステータス画面が開かれていた。
ただこれだけでも奇跡だというのに、立ち上がった彼女の顔をはっきりと見た瞬間、雷に撃たれたような衝撃を受けた。
「あ、あなたは……」
ボサボサの黒髪ショートヘアに黒ブチ眼鏡。そしてその奥に潜む、不健康そうな瞳。
間違いない、あの日書店で話し掛けてきた、あの妙な客だ。
「どうかしましたか?」
どうやら向こうは俺のことなど記憶にないらしい。
だが俺からすれば彼女は、ときわ坂舞香の存在を教えてくれた恩人と言える。
「その、以前本屋でお会いしませんでした?」
何を血迷ったか、俺はこのとき彼女と少し話がしたいなどと思ってしまっていた。
女性は一瞬びくついたかと思うと、目を細め、こちらをじっと見つめてきた。
「……は? あなた誰ですか? もしかして、ナンパ?」
「えっ!? あ、いや、そんなつもりは全然ないです」
彼女はすごい剣幕で睨みつけてきている。
ときわ坂舞香のこと、そして今プレイしているエタクラのこと。喋りたいことは幾つかあったが、その凄味みの前には、瞬時にしてすべてが消え失せた。
「ナンパにしては乱暴すぎませんか? わざとぶつかって、当たり屋みたいな真似をして」
「だからナンパとかじゃないです。ぶつかったのもわざとじゃないですし」
「じゃあなんなの。まさか、あなた……」
冷静に考えてみれば、急にぶつかってきた怪しい男に声を掛けられたりしたら、普通に気持ちが悪いだけだろう。
俺はなんだか急に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「私が誰だか分かって絡んできてるの?」
「え? いえ……。どちら様ですか」
「そう。とにかく、次変なことして絡んできたら警察呼ぶからね!」
吐き捨てるようにそう言うと、女性は駆け足で視界から消えていった。
刹那、体の奥からこみ上げる火照りで一気に目が醒める。
――やってしまった。
睡眠不足で判断力が欠如していたのは否めない。
そもそもろくに会話を広げるスキルもないくせに、女性に声をかけるなど無謀が過ぎる。
恥ずかしさと惨めさと、様々な感情が入り混じった熱を冷ますべく、俺は逃げるようにその場を離れた。
時刻は午前0時を回っていた。
確か帰宅するなりテイクアウトしたドーナツを貪るように胃に流し込み、そのまま意識が飛んだような気がする。
中途半端に目覚めたせいで気怠さの残る体を起こし、俺はなんとなくパソコンのスイッチを入れた。
するとちょうど、ときわ坂舞香がエタクラの実況プレイ配信をしていた。
『ちょっと聞いて欲しいんだけど、今日最悪なことがあったぴょろ』
画面上では金髪の狐耳巫女キャラクターが洞窟ダンジョン内を駆けている。
俺はその初見特有のたどたどしい進行を眺めながら、トークに耳を傾けた。
『夕方ごろ近所の道を歩いてたんだけどさ、いきなりヤバい男に肩をぶつけられたぴょろ。そいつ自分からぶつかってきたくせに「以前、お会いしましたよね?」とかわけわからないこと言ってきて、めちゃ怖かったぴょろ。しかもそいつ目が虚ろで絶対ヤバいクスリとかやってそうで、怖かったけど勇気を振り絞って全力で逃げてきたぴょろ』
まさか。
思わず耳を疑う。
まあ似たような状況は探せばいくらでもありそうではある。
ただ、そもそも寝不足だったとはいえ、薬物乱用を疑われるような人相はさすがにしていない。
『そいつの特徴? TシャツにBLOODって書いてあったぴょろ。感性が普通じゃないぴょろよ。絶対ヤバいヤツぴょろ』
俺は目線を胸元に落とし、自分のシャツにプリントされた4文字の英文字を確認した。
数年前、まだ中二病が抜けていなかったころに若気の足りで買った服という弁明は置いていおいて、そんな服を着て人とぶつかるやつは全国でもそうはいないだろう。
一旦大きく息を吸って吐いて、情報を整理する。
現在進行形で操作されている金髪の狐耳巫女キャラ。
それもまさしく、路上に放り投げられたあの女性のスマホに映っていた、スーテタス画面の当の本人だ。
背筋が凍るような感覚に襲われながらも、数日前の彼女の配信を振り返る。
『早速聞いて欲しいんだけどぉ。舞香、こないだめっちゃ久しぶりに家から出たぴょろよ。なぜ出たかっていうと、本屋さんに行って例の雑誌にちゃんと舞香のこと載っているかエゴサしにいったんだけど、あろうことか雑誌が置いてなくてさぁ』
『本当どこ置いてるんだろあの本。代わりにやけくそで舞香のこと知ってるかって店員さんに聞いてみたら、「もちろんぴょろ! 毎日観てるぴょろよ」って答えてくれたぴょろ。まあそこに関しては順調に征服が進んでるなあって思えて嬉しかったぴょろよ』
これらがもし、話を面白くするために後半部分が捏造で盛られていたのだとしたら。
「……いや嘘だろ。そんなこと、あってたまるか」
信じたくはなかった。
だがこのとき、あらゆるものが一度に繋がったような気がしてならなかった。




