第二十八話 湯けむりと星座と
山の夜は暗く、だからこそ星や月の光が良く目立つ。
カエルの声が煩いのが玉に瑕だが、慣れてしまえばそれすらも一興だ。
夜間が暇になることは最初からわかっていたので、暇潰しのための漫画本やカードゲーム、オフラインの携帯ゲーム等は持ってきていた。
が、今夜に限ってはそれらも必要ないだろう。
満天の星空の下での露天風呂。
それもお手製のドラム缶風呂となれば、楽しみも倍増というものである。
「そろそろいい感じの湯加減になってきたかな。麻玲衣さん、もう良さそうですよ」
ドラム缶のてっぺんからは白い湯気がもくもくと立ち込めている。
火を入れてからこの段階に来るまで、相当な時間を要した。
「オッケー、それじゃあ着替えて来るね。言っとくけど絶対覗いちゃ駄目だからね」
「火の方を見てなきゃいけませんし、そんなことしてる暇ありませんよ。行ってきてください」
揺らめく炎は刻一刻と形状を変え、まるで生き物が鼓動を打つかのようである。
そんな炎の様子を見つめながら、今日一日の苦労を振り返る。
きっかけは祖父母宅の物置に置かれたドラム缶を見て、麻玲衣さんがお風呂を作ろうと言いだしたことだった。
もちろん軽いノリで同意をしてしまった俺にも責任はある。
とにかくドラム缶と土台となるブロックをここまで担いで組み立て、ホームセンターで買ってきた木材を加工して簀の子までを作るのは中々の大仕事だった。
「その、あんまりジロジロと見ないでね。体型に自信ないんだから」
「了解です。さ、どうぞ。一番風呂へ」
水着に着替えた麻玲衣さんは、バスタオルで身体の前面を隠しながら現れた。
恥ずかしげに顔を赤らめている。珍しい表情だ。
「常坂麻玲衣、行きまーす!」
脚立に足をかけ、浴槽へと向かうその一瞬の間に、ちらりとその姿が目に焼き付く。
言っておくがこれは不可抗力だ。足を滑らせての転倒の恐れがあるので見守る必要性があってのことだ。
麻玲衣さんの体型は確かに凹凸の少ないシルエットで胸もあまり主張が激しくなく、お腹もほんのりとたるんでいた。
だがかといってまったく魅力を感じないかというとそうでもなく、本人が嫌がっているのも相まってすぐに目を逸らさねばならなかった。
「熱いとかぬるいとかありますか?」
「うん、いい感じだよ。普段はもっと熱いお湯にさっと入る派なんだけど、こんな特別な体験、長く味わってたいからね」
「それは良かったです。ゆっくり体の芯まで温まってください」
「わぁ! ねえ見て、星がめっちゃ綺麗だよ。タワマンから見る夜景より感動的かも」
「本当、綺麗ですね」
それはまさに圧倒するような光景だった。
闇夜を埋め尽くす、無数の光の粒は宇宙の壮大さを思わせる。
ありきたりな言い方にはなってしまうが、我々人間の世界がいかにちっぽけな存在か、まざまざと突き付けられているかのようだった。
「残念だなあ。この景色を舞香の視聴者にも見せてあげたかったのに」
「……。多分動画だと魅力が七割減くらいになっちゃいますよ?」
「それもそうだね。ところで陽くん、星座とか詳しかったりする?」
「残念ながら全然です。あれが何座でどうだとか語れたら良かったんですけどね」
「じゃあさ、私たちで勝手に決めない?」
「勝手にって……よくそんな発想が出てきますね」
「いいじゃんやろうよ。エタクラのキャラ縛りでさ」
「なるほど、そう来ましたか。いいでしょう。ソフィアちゃんは必ず俺が見つけ出します」
二人で星空を指差し合いながら、キャラの名前を言い合う時間が続く。
それを星座と認定するかどうかの審査は、お互いの判断のみである。
互いの提案は基本的に却下されることなく、何十もの星座がほんの僅かな時間の間に誕生した。
「うーん、あの辺の形はカイゼルに見えなくもないというか」
「あの、麻玲衣さん」
「うん? なにかな」
「流石に入浴長くないですか? そろそろ俺も入りたいんですが」
「そだね。私もちょうどちょっと気持ち悪くなってきたところだし」
「ちょっ、大丈夫ですか!?」
「へへへ、多分だけどのぼせちゃった」
「なんでもっと早く言わなかったんですか。とにかく早く上がって、休んでください」
「だって……楽しかったから……誰かと話しながらお風呂入るなんて久しぶりで……あれっ?」
「麻玲衣さん!?」
浴槽から立ち上がろうとした瞬間、麻玲衣さんはバランスを崩して倒れかけた。
万が一ドラム缶ごと転倒すれば大惨事にもなり得る。
間一髪のところで身体を支え、最悪の事態は免れたが、呼吸は荒く、肌は火照っていた。
とりあえず屋内へと連れて行き、タオルをかけて横にする。
数分後、麻玲衣さんはゆっくりと起き上がり、申し訳なさそうに言った。
「もう大丈夫。ごめん、迷惑かけたね」
「いえいえ。湯冷めしないように着替えてからしっかり休みましょう」
麻玲衣さんがしっかり回復したのを確認した後、俺は一人で湯船へ浸かった。
しかしその頃にはすっかり火は弱まってしまい、ほとんどぬるま湯となってしまっていた。
「さっきはゴメンね。私のせいでお風呂冷めちゃったでしょ」
夜中。消灯してしばらくしてのことだった。
就寝時は敷居を立て、互いがその領域を侵略しないようルールを決めている。
「いえ、夏なのでむしろあれくらいでちょうど良かったですよ」
「ありがとうね。助けてくれて」
「あのまま体調崩されたら大変ですし。回復してくれてよかったです」
「介抱してくれたときさ、私の水着姿がっつり見たでしょ」
「あ、いや。それはその、勘弁してください」
「引きこもって配信ばっかしてた不健康でだらしない体だから見るに堪えなかったよね」
「そんなことは全然ないです。なかなか魅力的だったと、思います」
「そう?」
「そうですよ」
「じゃあさ、助けてくれたお礼にイイことしてあげよっか」
「え……?」
ごくりと息を呑む。
鼓動が、とんでもない速さで脈打っている。
窓からはやわらかな星の光が差しこみ、カエルたちの求愛の声がはっきりと聞こえていた。
「……やっぱり社交辞令で言ってくれたんだ。私みたいなブスがなに言ってんだって話だよね」
「いえ。断じて決してそういうわけじゃないです。ただ、ここで状況に流されて一線を越えてしまったら後が怖いとうか」
「あっはは、冗談。ごめんね、ウザ絡みして。でも陽くんらしいなあ。そうやってチャンス逃してたら一生DTのままかもよ」
「ほっといてください」
「でもそこがいいんだよね」
「揶揄ってます?」
「ううん。陽くんにガチで嫌われる前にこの話はやめにしておきます」
「そういう判断は出来るんですね」
「できるよ。私をなんだと思ってるの。ちゃんと学んだんだから」
ひとまず危機は脱したものの、心臓はまだ昂っている。
どうやら今夜は当分の間は眠れなさそうだ。
「陽くん」
「なんですか」
「本当にありがとね。私のためにここまでしてくれて」
「実を言うと俺自身、してみたかったんです、泊りでこういうこと。ほら、一緒に旅行したりする友達がいないんで。だから100%麻玲衣さんのためってわけでもないんです」
自然音のリラックス効果と、入浴により血行が促進されたおかげか、すらすらと本音を言えている自分自身に驚く。
「そっか。私も友達いないから、ネットの炎上からの逃避を抜きにしてもこういう泊りがけってすごく新鮮だよ」
「白菊菜乃花の中の人と友達になろうとか思わなかったんですか」
「はぁ? 私とあいつの関係を見て、どうやったらその発想に辿り着くわけ?」
「冗談ですよ。ところで麻玲衣さん」
「なに?」
「明日の夜は花火でもしましょうか」
「花火か。いいね! うわぁ楽しみだなぁ。せっかくならド派手にやろうよ」
こんな感じの言葉のやり取りがしばらく続いた。先に眠りについたのは多分、麻玲衣さんの方だったと思う。
とは言え声がしなくなって間もなくしてこちらの意識も飛んだので、厳密にどちらが先だったかは曖昧なところである。




