第二十七話 森を駆けめぐる狂気
小屋には電気と水道は通っているが、風呂がない。
現状は祖父母宅まで通い貸してもらうしかなく、毎日気軽に入浴というわけにはいかなかった。
また調理道具もすべて自前だ。初日は使い方すらもままならず、簡単なつもりのレシピでさえ作るのに異常な時間を費やしてしまった。
真っ青な空は、どこまでも果てしなく澄み渡っている。
セミたちのオーケストラも相変わらず賑やかだ。
祖父との約束で午前中は畑の作業を手伝うことになっていた。
その約束は俺一人に対してのものだったが、暇を持て余すからという理由で麻玲衣さんも付いてきた。
「オラオラオラオラオラ! しねしねしねしねしね!」
怒涛のごとく放たれる汚い言葉とともに、野菜たちが勢いよく収穫されていく。
本人曰くアンチに対しての怨念を晴らしているらしいのだが、野菜の切り口が俺のものよりも綺麗であったためこちらから文句はなにも言えなかった。
「陽翔が連れてきた子。あんな細い体でやれんのかいと思っとったが、なかなかパワフルだのう」
「じいちゃん、声が引き攣ってるよ」
「いやあ、なんちゅーか。挨拶んときは愛想良かったのに、都会の子は怖いなあ思って」
すると会話を聞いていたかのように麻玲衣さんは立ち上がり、ガンギマリの笑みを浮かべて手を振った。
「お祖父さーん! こっちは終わりましたよー!」
「ひっ! おおぅ、ありがとな! 初めてなのにエラい仕事っぷりやのう」
「次はなにをしたらいいですかー?」
「今日はもうこのくらいにして、お昼にするべ!」
腕時計に目を遣ると、11時30分を示していた。作業を切り上げるには頃合いだろう。
都会に比べると気温が涼しいものの、基本的に農作業というものは日差しが強まる前に終わらせるものである。
俺たちは軽トラの周りに集まり、お茶の入った水筒を片手に、祖母の握ったおにぎりを頬張った。
「うわぁ、美味しい。労働の後のおにぎりは最高だね。陽くん」
「そうですね。それは言えてます」
確かに疲れた身体に染みる美味さを感じる。
昨日自炊した不出来な夕飯の存在のせいで、よりそう思えている可能性は高いが。
「それで陽翔、この後の予定はどうするんだ?」
「うん。麻玲衣さんと一緒にピクニックがてら、山の方に山菜採りに行ってこようと思うんだ」
「ほう、それはいい。だが足元にはよく気を付けて、くれぐれも危険な場所は避けるようにするんだぞ」
「わかってるって」
とは言ったものの、探索予定エリアの見通しは良く傾斜もさほどきつくはないのでそれほどの心配はしていなかった。
30分ほどの食後の休憩をとった後、早速山へと入る。
長袖、長ズボン、軍手に登山靴、熊よけスプレー。おおよそ装備は完璧なはずだ。
麻玲衣さんは植物図鑑を片手に、目に付く植物を片っ端から指差しては眼鏡をクイクイしながら説明をし始めた。
「陽くん問題です。はたしてあそこに生えているキノコは食べられるでしょうか」
「立派なキノコですが、派手に赤い色をしていますし、毒があるんじゃないですか?」
「正解! ベニテングタケって言って立派な毒キノコだよ。ただし毒成分はイボテン酸っていう旨味成分らしくてちょっと食べるだけなら美味しいらしいよ」
「ちょっ、なに勝手にカゴに入れてるんですか!?」
「大丈夫だよ。先っちょだけだから」
冗談抜きに、今夜の鍋が心配でならない。
調理時の彼女の動きには最大限注意しないと最悪の場合、今日この地で命を落とす羽目になるかも知れない。
「ところで陽くん。あのさ」
「はい。なんでしょう」
「さっきから薄々思ってたんだけど、随分暗くなってきてない?」
「確かに。まだ日が暮れる時間ではないですが、思った以上に草木が生い茂ってますね」
どうやら知らず知らずのうちに奥の方まで行き過ぎてしまったようだ。
辺りは静かで鬱蒼としており、不気味な雰囲気が漂っていた。
「ねえ。まさか幽霊とか出ないよね」
「ここで死んだ人とか聞いたことないですし、いないと思います。でも確かに気味が悪いのでそろそろ引き返しましょうか」
「あ、あれ! もしかして、人影じゃない?」
「いやいやいや。怖いこと言わないでください」
「だって! ほら、あの岩の向こう」
「えっ?」
冷や汗が頬を滴り落ちる。
まさかとは思いながらも、麻玲衣さんが言った方角を確かめる。
確かに遠目からだと人の形に見えなくもない。
しかし、近づいて見てみるとそれは間違いなく単なる一本の木に過ぎなかった。
「ただの木ですよ。驚かせないでくだ……」
その瞬間だった。
突如としてブワッと風が吹き、周囲の木々が大きく揺れると共に、なにか得体の知れないものの気配を感じた。
「キ・キ・キ・キキキッ!!!」
「きぃいぃやぁああああーーーーー!!!!!」
絶叫。
いつぞやのトカゲの時と同様の叫び声が、森全体に響き渡った。
「キャッ! キャッ! ギャーーッ! ギャーーッ! ギャーーッ!」
「えっ、なにっ!? なんの鳴き声? 怖いんだけど」
「これは猿ですね。おそらく今の麻玲衣さんの叫び声が仲間の鳴き声に聞こえて応えたんでしょう」
「は? 噓でしょ……」
「キャッ、キャッ、キャッ!」
「私、猿だと思われてる?」
麻玲衣さんの眉の形はみるみるハノ字から逆ハノ字へと変化した。
そうとも知らず、猿は愉快な鳴き声を連発していた。
「キャッ、キャッ、キキーー! キキーー!」
「ほら、さっきより友好的な声で鳴いてますよ」
「ふざけんな!! おいコラクソザルっ! 私をなんだと思ってんだ! ギィヤアアアアーーーーッ!!!!」
そのけたたましい声量は、木々を再び大きく揺らした。
鳥たちは一斉に羽ばたき、そして猿の鳴き声も瞬く間に小さく、遠ざかっていった。
「キャッ、キャッ、キャッ……」
「はっはっは。恐れをなしたか! まったく猿風情が、一緒にしないでよね」
「見事に猿からもヤバい奴判定されましたね」
「さっきから陽くん、ちょっと失礼じゃない?」
「あ、いや、そんなつもりは全然」
「そう。まあいっか。さ、はやく戻ってこんな不気味なところ抜けだそ?」
「はい」
このときは口に出して言えなかった。
今の一連の狂気に満ちたやりとりを配信で流したなら、一体どれだけ盛り上がったかということを。
俺の頭の中ではこの体験を独り占めできた優越感と、誰にも共有できない勿体無さが、半々ぐらいでせめぎ合っていた。




