第十九話 宿敵登場
ガチャンという音とともに、勢いよく安全バーが下ろされる。
俺にとってそれは、処刑執行の合図に等しかった。
隣で麻玲衣さんがなにか言っているが、まるで耳に入ってこない。
ゆっくりと坂を上るとともに、徐々に視界が狭まっていく。
こういった所謂「絶叫系」の類は元来苦手だ。
はっきり言って乗り気じゃなかったが、口車に乗せられた。
腹に力を入れ、顎を引く。
ネットで調べたばかりの付け焼刃の克服法だが、なにもしないよりかはマシだろう。
「あああああああああああ!!」
怖いから叫んでいるのではない。
恐怖を感じないために叫んでいるのだ。
「あああああああああああ!!」
「あははははっ、気持ちいい!」
「あああああああああああ!!」
ただ座って叫んでるだけなのに、体力も精神力も根こそぎ持っていかれる。
拘束から解き放たれ、立ち上がろうとした時にはすでに膝が悲鳴を上げていた。
「どうだった? 楽しめたかな、陽くん」
「楽しむ余裕があったように見えましたか。危うく異世界に転生するところでしたね」
「まあ確かに今のは結構スリルあったからね。うん。これは本番でも使えるかも」
そう言うと、彼女は懐からメモを取り出し、なにやら書き始めた。
「なにをしているんです?」
「本番はコラボ相手を絶対に絶叫させたいからね。どうやってそうさせるか、作戦を書いてるんだよ。そうだ、いきなり横から目隠しをして視界を奪うというのはありか」
「なんか妙なことを考えていますね」
「ん? なにか言ったかな」
「いえ、なんでもないです」
随分と振り回されたおかげで、きっと頭にはまだ十分な酸素が供給されていないのだろう。
舌を出し、楽しげにペンを走らせるその横顔が不覚にも黒猫のミーアと重なってしまった。
「さあて、お次はあっちのドラゴンダイブコースター行ってみよっか」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「ん、なにかな」
「連続であんなえげつないの行くんですか。少し休んでからにしませんか」
ドラゴンダイブコースター。まさしくとぐろを巻く龍がごとく螺旋を描き、天を突く勢いのコースだ。
今の状態で踏み込めば、正気を保っていられる自信がない。
「んー、そだね。じゃあ観覧車行って休もうか」
「えっ。……いや、それは」
「どうしたの? なにか問題でも?」
確かにそれは、休憩として妥当な提案ではある。
しかし一周十数分。あの密閉された閉鎖空間にこの人と二人きりと言うのはとても心休まる気がしないのだが、断るためのちょうどいい言い訳が思いつかない。
どうしたものかと考えていると、香ばしい肉の焼ける香りがほんのりと鼻の奥を刺激した。
「あそこに美味しそうなホットドッグの屋台がありますよ。食べませんか?」
「いいね! ちょうど歩き回ってお腹すいてたんだよ」
幸い、それほどの行列は出来ていない。
すぐに出来立てをありつけそうである。
「待ちなさい。常坂麻玲衣」
背後からだった。
その声は高圧的でいながら、どことなく品性も感じる声色をしていた。
直後、麻玲衣さんは突然顔を引き攣らせ、振り返った。
「はて、常坂麻玲衣? 誰のこと? 人違いじゃないの」
「はいはい。そういうのはいいから」
麻玲衣さんの口調はどう見ても喧嘩腰だ。
俺はその相手の顔に、なんとなく見覚えがあるような気がしていた。
恐ろしくお金のかかっていそうな服装に、美術品のように整った顔立ち。
――あの女だ。
彼女こそがこの間麻玲衣さんの家の前で腕組みをして立っていた、あの謎の女性で間違いなかった。
「麻玲衣。どうしてあなたがここにいるのよ」
「……なんでって、来週のコラボの下見以外にある? どこでどうやって盛り上がるか、イメージしてるだけだけど」
「下見? あなたがそんな綿密なことをするタイプかしら。口実にして男と遊びたかっただけなんじゃないの?」
女は顎を上げ、まるで見下ろすような目で睨みつけてきた。それに負けじと麻玲衣さんも同様に睨み返す。
しかし疑問なのは、女の態度があまりに馴れ馴れし過ぎるということである。
そもそも麻玲衣さんも麻玲衣さんで、一々言わなくてもいい情報まで言い過ぎている。
「ふん、あんたこそ、天下の大人気Ⅴチューバーがこんなところで油を売ってる暇があるわけ? 白菊菜乃花さん」
「ちょっと、人前でその名前を。それを言わないのは暗黙のルールでしょ」
女の声が少し上擦った。
"白菊菜乃花"。間違いなく麻玲衣さんはそう口にした。
もし仮に目の前いるこの女性が本当にあの白菊菜乃花だとしたら、それはあまりに解釈一致の外見というほかない。
しめたとばかりに麻玲衣さんは笑みを浮かべ、言った。
「大丈夫、陽くんは口の堅い信頼の出来る男だよ。なにせ私の正体もまだ誰にも話してないからね。まあでも、あくまでもそれは私のファンだからであって、アンタがあまりにもムカつくこと言ってると仏の彼でも口がすべってしまうかもね」
「くっ」
女はこちらを向いたかと思うと、大きな歩幅で一步二歩三歩と、詰め寄ってきた。
「あなた、白菊菜乃花はミステリアスなイメージで売ってるの。もしも余計な事を周りに漏らしでもしたら、権力をもって社会的に消すわよ。おわかり?」
「……は、はい」
俺は小刻みに頷くことしかできなかった。
それは別の言い方をすれば、ただ震えていただけとも言う。
「あー、そうやって脅迫するんだ。最低だね。人気Ⅴチューバ―白菊菜乃花の実態は恐怖で小市民を震え上がらせる、高慢な女王様気取りのクソ女なんだ」
一体どの口がと言いたいところだが、この言い合いに割って入るのはどう考えても得策ではなさそうだ。
「ふん、まあなんとでも言いなさいな。とにかく、私は忙しい合間に時間を見つけてここに立ち寄っただけよ。どこかの誰かさんとは違ってね」
「はい出たー。私はあなたとは違いますアピール! わざわざ再生数の劣る私にコラボ持ち掛けてきたのだって、あんたたちで私と私のリスナーをバカにして笑うためなんでしょ!? まじうざい」
「数日の間活動停止してたようだけれど、そこまで減らず口を叩けるのなら大丈夫そうね」
「なにをぉ」
すると女は鼻で笑って言った。
「ふっ。ここで言い争いをしていても時間の無駄だし、続きはまた来週にやりましょう」
「待てコラ。逃げんじゃねー」
女は長い髪を靡かせながらいかにもなモデル歩きで、人混みの中へと消えていった。
「あれが昔麻玲衣さんと同じ事務所にいたっていう、白菊菜乃花の中の人ですか。凄い美人でしたね」
「あ? 一言余計だよ陽くん」
あきらかに機嫌の悪そうなトーンだ。
これではこないだ家の前で会ったことなんて、口が裂けても言えそうにない。
そしてそれからというものの、ファンファンパークを出るまでの間ずっと麻玲衣さんの眉間には皺が寄りっぱなしだった。




