ビッグワンガム
岡崎城に到着する。
武田一行は既に到着していたようだ。
それだけ今回の縁談に賭けているのだろう。
それもそのはず。
信玄はもう自分で『余命幾ばくもない』と思っている。
自分が死んだ後の武田が心配でならないのだ。
「勝頼を何とかしなくては!」
その一心だ。
子狼達は屋敷に入れない。
だから養観院も屋敷には入らない。
それに付き合って龍勝院も屋敷には入らない。
「オイ、こら!
お前が主役だろうが!
屋敷に入らなくてどうするんだよ!?」と信長の娘に言える度胸のある人間はいない。
仕方ないから信長と光秀と利家だけで岡崎城の屋敷に入る。
何故か忍者達は養観院に付き合って、屋敷には入らなかった。
屋敷には家康と信玄と勝頼と山本勘助がいた。
「織田信長だ、待たせてすまない」と信長。
信長に続き、各々が軽く自己紹介をする。
「明智光秀と申します。
信長様の配下にこの度、加わらせてもらいました」
「光秀は腕の良い医者でもあるのだ」と信長。
「だったらお父ちゃん、診てもらいなよ!」と勝頼。
「これ、迷惑だろう?
光秀殿、大変失礼した。
お気になさらず・・・ゴホッゴホッ!」と信玄。
光秀は信玄の顔を見る。
顔色が若干、紫がかっている。
酸欠気味なのか?
しかし触ってみないとハッキリとはわからない。
光秀も養観院と同じで、女神からチート能力を授かっている。
光秀の能力は『触れると病名と治療方法がわかる』と『治療薬を配合出来る』というモノだ。
だが、その能力はあまり役に立たない事が多い。
何故か?
治療器具が一切ないからだ。
『治療方法はわかる』でも『治療に必要な器具は一切ない』のだ。
だから『アレがあったら助かるのに』という患者を何人も目の前で看取ってきた。
最初の頃は自分で自分を責めたモノだが、最近では『どうしようもない事だ』と諦めの境地にある。
「よろしかったら信玄公を診させてもらっても良いですか?」本当に深刻な症状ならほとんど出来る事はない。
だが、一応光秀は信玄の診察を申し出る。
「お父ちゃん!そうしなよ!」と勝頼。
「それでは申し訳ないが・・・」と信玄。
光秀は信玄の胸に手を置き瞳を閉じた。
頭の中に信玄の病状と治療方法が浮かび上がる。
病状:『肺結核』
治療方法:『スプレプトマイシンの継続的な静脈注射』
肺結核は産業革命時に大流行する。
工場の排出する粉塵が肺に負担をかけた結果かも知れない。
しかし多くの戦場を転戦して、武田騎馬軍団の巻き起こす粉塵を常に吸い込んでいた信玄の肺には極度の負担がかかっていたのだ。
コレだ。
チート能力でスプレプトマイシンは配合できる。
でも治療器具が一切ないのだ。
静脈注射しようにも注射針がない。
注射器がない。
自分で作ろうとした事だって一度や二度じゃない。
でも無理なんだ。
医者に専念していても無理だろう。
ましてや義昭の従者をつとめながらなんて無理に決まっている。
またしても治療方法がわかっている患者を見送るのか・・・。
その時光秀に天啓が下る。
ガバッと立ち上がり「失礼する」とドカドカと屋敷を出て行く。
行った先は屋敷の外で子狼と戯れている養観院と龍勝院とそれを見守る忍者達のところだ。
「君、チート能力でどんな菓子でも作れるんだよな?」と光秀は養観院に言う。
「材料と作る道具があれば、ね。
結構制約は大きいよ。
空中から菓子が涌いてくる訳じゃないから」と養観院。
「だったら『食玩』は作れるか?」
「『食玩』?」
「オマケ入りの菓子だよ」
「オモチャとかシールが入ってるヤツ?」笑顔だった養観院が真顔になる。
「そう、それ!」
「作ろうとした事ない。
作りたくもない」と養観院。
「え?何で?」と光秀。
「僕はお菓子の中のシールだけ取ってウエハースを捨てるヤツが大嫌いなんだよ!
僕はアレを『お菓子好き』として絶対に認めない!」
「その気持ちはわかった。
でもその信念を一度だけで良いから曲げてくれ!
一度だけオマケ付きのお菓子を作ってくれ!」
「・・・何を作って欲しいの?」
「注射器」
「作って作れない事はないみたい。
作り方が頭の中に浮かぶから。
でも多分ダメだよ。
注射器が出来ても針がない。
しかもただの針じゃダメなんだよね?
中を液が通る針じゃないと・・・」と養観院。
『菓子と注射器なんて関係ないじゃないか』と思う人も多いだろう。
しかし近年まで駄菓子屋では『昆虫採集セット』として注射器が売られていたのだ。
「多分、その針ありますよ。
中を液が通れば良いんですよね?」
声の方を振り返るとそこには保豊が。
保豊の忍者としての専門分野は『暗殺』だ。
だからスズメバチの尻尾の針を模した毒液が通る毒針を頻繁に使っていたのだ。
つまり保豊は注射器も注射針も持っている。
保豊の使っている注射器をほんの少し医療用に改良すれば武田信玄は助かるのだ。
「頼む!」と光秀。
「・・・一個貸しね」悩んだ後に養観院が言う。
『助けられる人間であれば助けたい』それは光秀の医者としての本能だったのだろう。
しかし『そこで死ぬべき人間が死なない』という事がどれだけ深刻な話か、光秀はまだ知らない。
室町後期、日本では鍼が盛んだった。
日本の鍼は優れていて、一説によると江戸時代中期の日本の鍼を学んだプラヴァースが現代の注射針を産み出した、という。