風邪
「同行してくれ」と信長。
「何でまた?」と養観院。
「龍勝院に縁談が舞い込んだのだ」
「随分いきなりだね?
どうして?」
「そりゃこっちが聞きたい。
相手方の武田信玄が言ってきた事だ。
でも武田とも縁を繋いでおくべきとは常々考えていた。
そこに武田家の四男と龍勝院の婚姻話が持ち上がったのだ」
「政略結婚ってイマイチ好きになれないから複雑な心境だけど、見合いから始まる『本当の夫婦』もあるってお市様と長政様を見てたら思うようになったよ。
・・・というか、僕が偉い人の婚姻に口を挟むのが変なんだけどね。
そんな事より、それが僕の同行とどう関係するの?」
「龍勝院が『子犬達と離れたくない』と言い出したのだ。
子犬達だけを連れて行く訳にもいかぬだろう?
何でも養観院の言う事しか聞かぬ、と言うし・・・だったら養観院が子犬達を連れて同行するしかあるまい。
頼む!」と信長は頭を下げる。
周りの人間は驚いている。
「あの信長が頭を下げた!」と。
そんな感じになったら断れないじゃん。
「・・・で、どこまで同行すれば良いの?」
「三河の岡崎城まで」
「あれ?
岡崎城って耳たぶのオッサンの城じゃなかったっけ?」
「養観院はヒトの名前が覚えられない病気なのか!?
松平家康だ!
俺は尾張から、武田は甲斐から出張るのだ」
その中間地点として家康が岡崎城を場所提供してくれたのだ。
今回の会合には武田と松平の『手打ち』と言う大きな意味合いもある。
単なる婚姻だけの話ではないのだ。
では出発は明朝な!」と信長は用件を伝えて立ち去った。
あの野郎・・・こっちはまだ『わかった』とも『やだ』とも言ってねーぞ!
まあ行くしかないんだけど。
今回の三河行きは行軍じゃない。
比較的少人数で移動する・・・はずなんだけど、何か忍者の一団が信長一行について来た。
信長の指示ではない。
勝手について来たのだ。
「訳がわからん」と信長。
養観院が勝手について来た顔見知りの楯岡道順に「どうして?」と聞く。
「軍曹殿の護衛であります!」と道順。
「?まぁ、気を付けてね」と養観院は首をひねる。
「サー、イエッサー!」と忍者。
あまりにも道順の声が大きくて養観院はビクッとする。
自分が「僕の事は軍曹と呼べ!」「返事は『サー、イエッサー!』だ」と言った事はスッカリ忘れている。
「何だって?」と利家。
「よくわかんない。
『ダイオウグソクムシ』の護衛だってさ」と養観院。
「何だ、それは?」と利家。
「知らないの?
大きなワラジムシだよ」と養観院。
念のために言うが『ダイオウグソクムシ』と『軍曹』はまったく関係がない。
それに『ダイオウグソクムシ』は大きなワラジムシじゃない。
見た目がちょっと似ているだけだ。
「君、本当に無茶苦茶言うな」と呆れながら光秀が言う。
どうやら光秀も今回、信長一行に加わったようだ。
加わった理由は『龍勝院が少し風邪気味だったから医者が同行した方が良いだろう』と信長が言ったからだ。
本来、あんまり光秀としては義昭から離れたくはない。
だが、長屋の人々にはもう『義昭は女だ』ってカミングアウト済みだし、ほとんどコソコソする理由がない。
「少しぐらい光秀が離れても問題ないだろう。それどころか年ごろの女性なのにオッサンがピッタリくっついてたら負担だろう、たまには解放してあげるべきだ」と信長が言った事も大きな理由だ。
道順としては「主が岡崎に行く。岡崎には上忍の一人『服部半蔵』の本拠地がある。主を一人で岡崎に行かせる訳にはいかない」という思いで岡崎に忍者軍団が同行している。
だが養観院の説明では『忍者達はワラジムシの護衛でついて来ている』と。
それを聞いた人々は「あぁ、忍者ってバカなんだな」と。
場所は変わって岡崎城。
「報告します。
予てからの情報通り、織田信長様一行がこちらへ向かっています」と偵察に出ていた忍者。
「予定通りだな。
特に問題はないはずだ」と服部半蔵。
「それが・・・信長様一行が忍者軍団を引き連れておりまして・・・しかもその忍者の中に上忍『藤林長門守』殿と中忍『楯岡道順』殿が含まれております」
「え?何で?」と服部半蔵。
忍者の世界で上忍なんて中々動かない。
半蔵本人も家康の命令でもない限り、自ら動く事は滅多にない。
「おそらく藤林殿は織田信長様の配下になったのでは・・・」
それしか考えられない。
しかし信長の忍者嫌いはその筋では有名な話だ。
考えを変えたんだろうか?
どれだけ半蔵が考えても答えは出ない。
一方武田信玄率いる一行も岡崎城を目指していた。
信玄は輿に乗っている。
武田と言えば騎馬軍団だ。
信玄も乗馬は得意だ。
なのに今回輿に乗っている理由、それは体調不良だ。
信玄と言えば『死後三年間、死亡した事実を隠せ』と言った事で有名だが、この時既に『自分がこの先長くない』という事を感じていた。
だから、後継者と考えている武田勝頼に正室を早く見つけなくてはならない、早く後継者を残さなくてはならない。
勝頼が身をかためねば、後継者争いはややこしくなる。
それは御家騒動の元だ、と考えたのだ。
もはや嫁の血筋などどうでも良い。
政略結婚としての価値など二の次三の次だ。
とにかく勝頼には結婚して欲しい。
なのに勝頼と来たら・・・。
「勝頼、お父ちゃんの頼みだ!
今回の顔合わせの最中だけシャンとしてくれ!」と信玄。
「お父ちゃんの頼みでもそれだけは聞けない!
童貞も守れない男が何か大切なモノを守れる訳がない!」と勝頼。
勝頼は決してアホじゃない。
バカなのだ。
「頼む勘助、何とかならんのか?」と信玄。
『勘助』とは『山本勘助』、『今孔明』とうたわれた武田の名軍師である。
「最近、織田信長陣営に加わった者の中に私が駿府で兵法を共に学んだ者がいます。
その者に協力してもらうように頼みますが、今回の顔合わせに間に合うかどうか・・・。
すみません、あまりお力になれずに」と勘助は深々と頭を下げる。
「こちらこそ無理を言ってすまん。
しかし信長陣営に勘助の知り合いがいる、と言うのは意外だな。
どのような男なのだ?」と信玄。
「一言で言うと『ヤなヤツ』です」と勘助。
「ハクショーン!」と保豊。
「風邪?死ねば良いのに」と養観院。
「辛辣!光秀殿、診てくだされ!」と保豊。
「それだけ元気があれば大丈夫です。
それより保豊殿は『女の敵』は回り回って『男にも嫌われる』という事を自覚された方が良いと思いますぞ?」と光秀。