閑話 消しゴム
養観院本人は自分の事を『窓際奉行』と言っているが信長から『菓子奉行』を拝命して、部下も一名いる。
名前は『松』。
そうだ、『松様』と名前が同じなのだ。
信長から「『松』と一緒に働け」と言われた時「僕なんぞ便所虫のような存在が松様と!文句などあろうはずがありません!精進いたします!」と言ってしまったのだ。
で、いざ工房で会ってみると「だれだテメー」
松は松でも知らない娘だった。
名前が同じだけの別人だったのだ。
この『松』という娘、実は後の蜂須賀小六の正室で後に『大匠院』と名乗る。
名前の由来はサボりまくる養観院のしわ寄せがしょっちゅうきていた『松』は養観院が不在の際には茶菓子を作るように命令された時、苦し紛れで大福餅を頻繁に作っていた。
あまりにも頻繁につくるから、松は大福餅に関して言えば養観院の菓子作りの腕を越えた。
『大福餅作りの匠』→『略して大匠』→『大匠院』と養観院からありがたくない名前をもらったのだ。
松自身はこの名前を毛虫のように嫌っていたが、本人の意思とは反して定着してしまったんだからどうしようもない。
松は『大匠院』として歴史に名を残す。
サボりまくっていた養観院ではあったが、たまに気が向いて働いた。
菓子のレシピはいくらでも頭の中に入っているしいくらでも思い付くのだが、料理に関してはそうはいかない。
養観院は時々必要に迫られて料理をした。
サボりを咎められそうになった時に『ホラ、菓子作りだけじゃなくて他の物も作ってたんですよ?美味しいでしょ?』と料理を信長に食べさせる必要があったからだ。
ご存知の通り、養観院の料理の実力は大した事はない。
失敗作がほとんどだ。
その失敗作、残飯は今川義元が残さず食べるのだが。
しかし養観院には令和の料理の記憶がある。
菓子作りで培った応用できるテクニックがある。
だから時々、信じられないような革新的な料理を作ったのだ。
その影に失敗作の山があるのだが。
養観院は作るだけでは忘れてしまうから料理の『レシピノート』をつけていた。
『意外にマメだな』と思われるかも知れない。
以前、信長に「コレ、旨いな!どうやって作ったんだ?」と言われて「う~ん、フィーリング?」と答えたのだ。
養観院の作った料理は二度と再現不能だった。
それ以来信長に「料理の作り方を必ず記録しろ!」と命令されて『レシピノート』を作った。
レシピは手製のノートに、光秀手製の鉛筆で書き留められている。
養観院は『文字は楷書なら読める。草書は読めない』という現代人あるあるの状態だった。
特に草書は『ミミズ文字』と呼び嫌っており、覚える気は皆無だった。
鉛筆はある。
消しゴムはない。
今、手元にないもので切実に必要なモノは消しゴムだった。
養観院にとって重要度は『消しゴム≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫今川義元』だった。
養観院は言う。
「今、消しゴムが手に入るなら今川義元と交換しても良い」と。
だったら子犬と交換するか?
「それはちょっと無理。
あの子達はもう家族同然だ」と。
新作は出せない代わりに書き貯めた『外伝的な部分』を出していこうと思います。
「早く話を先に進めろ!」なんて言わないで下さい。




