時間停止
先にも触れたが、時代は中々大きく変わらない。
一瞬時代を変えたつもりでも『修正力』が働いてしまい規定のルートに戻される。
だが修正されるまでの間、時代が『ズレ』る事は頻繁にある。
今がまさに『時代のズレ』が起こっている瞬間だろう。
本来なら尾張を平定した信長は『武田』と国境を接して武田、今川の両方を敵に回さないようにする。
具体的にどうするのか?
政略結婚を行ったのだ。
信長は養女を武田信玄の息子『武田勝頼』に嫁がせる。
養女の名は『龍勝院』。
龍勝院の父親『遠山直廉』は変わり種だ。
武田氏の配下でありながら、桶狭間の戦いでは織田方に付いた。
つまり『遠山直廉は娘を織田信長の養女にした武田の武将』なのだ。
だから『龍勝院』は和睦の象徴としては丁度良い。
だから龍勝院は武田勝頼の正室になったのだ。
しかしそれは時代がズレる前の話だ。
今川義元を捕虜としているので、今川は信長に対して抵抗出来ない。
『対武田』を松平に任せているので、武田なんて放っておけば良い。
それに『川中島の戦い』以降、武田と上杉は親和路線だ。
上杉と織田が親密である以上、武田もそれに倣うのが既定路線だ。
つまり『武田と政略結婚するメリットが全くない』状態なのだ。
だから信長の養女『龍勝院』は武田に輿入れせずに清洲にいる。
「良い?
糞は外でするんだよ?
ウチの前でしちゃダメ。
出来るだけ遠くでしてくるんだよ?」と龍勝院。
龍勝院は時々、帰蝶に連れられて養観院の菓子工房に遊びに来ていたが、最近では長屋に遊びに来る事が増えた。
どうやら子狼達と戯れたいらしい。
子狼達はわかったのかわからないのか、龍勝院を無視して、養観院の顔をジッと見つめている。
「返事は?」と養観院。
「「「キャン!!!」」」
どうやら養観院とは意志疎通が出来るらしい。
「しかしどうやってコイツらは外に出るんだ?扉開けられないだろ?」と光秀。
「あ、そうか・・・」と養観院。
結局、なんだかんだと光秀は長屋に入り浸っている。
何故なら義昭が長屋から離れないから。
従者の光秀が離れる訳にはいかないのだ。
光秀は長屋で『街医者』の真似事をしている。
「帰蝶や龍勝院に義昭の秘密がバレないか?」当然の疑問だ。
何かわからんが2人は後から現れたのに、当たり前のように信長から秘密を聞いていた。
誰も信長に『秘密にしろと言っただろうが、クソヤロウ!』とは言えない。
子狼のうちの一匹が長屋の壁に激突して穴を開けた。
そして自慢気にこちらを見ている。
まるで『ここから出れば良いだろ?』と言いたげな顔だ。
それ以降子狼達は養観院の家を好き勝手に出たり入ったりし始めた。
別に特別な事ではない。
昭和中期まで『犬の放し飼い』をしている家庭は多かった。
だから犬を連れて行ってしまう保健所を犬の放し飼いをしている人々は『犬殺し』と呼んで憎んでいたと言う。
保健所の職員も仕事でやってるだけで、好きでやっていた訳でもないのに酷い話だ。
だから養観院の家から出ていく子狼達を見ても近所の人々は『放し飼いの犬がいる』としか思わなかったのだ。
実際は犬じゃなくて狼なんだが。
でも子狼達が出ていくのはトイレの時だけだった。
基本的に養観院のそばから子狼達は離れない。
まるでRPGのパーティーのように子狼達は一連になって養観院の後をついて来る。
子狼達は藤吉郎以外であれば誰とでも遊ぶ。
だが養観院の命令しか聞かない。
今日も養観院はパーティーを組む。
先頭から養観院、光秀、義昭、龍勝院、子狼、子狼、子狼という編成だ。
「何で俺がこんな子守りを・・・」と光秀。
「ん?何か言った?」と養観院。
「いや、何も」義昭の手前、下手な愚痴は言えない。
「で、どこに行くんだ?」と光秀。
「獅堂光、龍咲海、鳳凰寺風の3匹を兄弟に会わせに行くんだよー」と養観院。
「名前が長い!長すぎる!」と光秀。
「そう言えば『この子達には兄弟がいる』って話でしたよね?どこにいるんですか?」と義昭。
「清洲城の地下牢の中にいるよ!
今から地下牢に行くよ!」と養観院。
「だったら男装した方が・・・」と義昭。
「いや、逆に女性の格好の方が義昭様とは気付かれないでしょう。
このままで良いと思います。
・・・行くなら、ですが。
本当に行くんですか?」と光秀。
確かに女性の格好の方がバレるリスクは低いだろう。
男装して『足利丸出しの格好』の方が嫌でも目立ってしまうからだ。
でも一番のリスク回避は『清洲城に行かない事』だ。
何でわざわざ危険に近付かなきゃいかんのだ?
訳がわからん。
「行きましょう!」と義昭。
いく理由は『可愛らしいモノを見たいから』だ。
パトラッシュが3匹の子狼達と同じぐらい可愛らしいと思い込んでいるのだ。
実際は加齢臭満載のオッサンなのだが。
「城の中の事なら、まかしておいて!
私がいれば大丈夫だから!」と龍勝院。
そりゃ養女とは言え、信長の娘に『入って来るな』とは言えない。
養観院も基本的には顔パスだったが、さすがに「今日は通せない」という日もあった。
ましてやこれだけの大所帯である。
龍勝院がいなかったら、地下牢の警備はパーティーを通らせてくれないだろう。
清洲城にパーティーが潜入する。
・・・バレバレだ。
警備がよそ見しているフリをしてくれている。
「ふう、第一関門突破だ!」と養観院。
光秀は顔を真っ赤にして恥ずかしがっている。
一行が地下牢の入り口にさしかかる。
「今だ、走れ!」と養観院。
一行がトテトテと走る。
警備の目をくぐり抜けた(つもりな)のだ。
走る時に警備と光秀がすれ違う。
警備は光秀の耳元で『子守り、ご苦労様です』と囁く。
地下牢に到着する。
義昭は可愛らしい愛玩動物がいる、と瞳をキラキラさせて期待している。
だが実際にいるのは横っ腹をバリバリと掻いている中年太りのオッサンだ。
養観院は持って来た菓子や料理を格子越しに今川義元に渡す。
「何、コレ?・・・」義昭は呆然とする。
「何ってパトラッシュだよ!」と養観院。
狂気だ。
こんなオッサンを犬の名前で呼ぶなんて。
「コイツは誰なんだ?」と光秀。
「朕は今川義元である・・・」牢屋の中のパトラッシュは蚊が囁くような声で答えた。
一瞬、時間が止まった。
止まってないのは養観院と子狼達だけだった。
『時間停止モノのAV』で犬が動いているのを見た事がある人もいるかも知れない。
犬の時間は止まらないが、狼の時間も止まらないのだ。
養観院の時間も止まらないのだ。