豚
養観院は目を醒ました。
うん、快眠だ。
何かがあって無理矢理布団をかぶった・・・何があったんだっけ?
まあ、良いや。
過去は振り返らない性分だ。
ペタペタと部屋から廊下に出る。
廊下に出る直前何かを踏んだ。
カエルでも踏んだんだろうか?
何かが「グエ!」と断末魔を上げた。
こんな田舎の寺だもん。
カエルぐらいいるよね。
廊下からは中庭が見える。
中庭は何も無さすぎる。
あるのは砂利と竹林だ。
『茶庭』は千利休の茶道と共に発展するモノらしい。
そもそもこの寺に日本庭園はないし見るべきモノはない。
庭に見えるのは松風に水を飲ませている利益だけだった。
その光景をボケーっと僕が眺めていると、利益が松風を連れて僕のそばにやって来る。
「何してるんだよ」と利益。
「今、目が醒めたところだよ。
利益さんが松風可愛がってるのを見て、僕が清洲で飼ってた『パトラッシュ』は元気かな?、って考えてた」
「パトなんだって?
変な名前だな。
馬か何かか?」
「馬ではないね。
何て言えば良いんだろ?
残り物でも料理の失敗作でもパトラッシュは残さず食べるよ?
豚に近いかな?」
「豚?
ようかんは猪を飼ってるのか?
変わってるな・・・。
今度、清洲に言った時に見せてくれよ!」
僕は利益が清洲に来た時に、牢屋に入っている今川義元を紹介する約束をした。
近代日本で豚を飼い始めたのは1660年代、長崎から日本に入国した中国人と言われている。
本格的に養豚が始まったのは明治時代。
肉食の習慣が日本に根付いたのが明治時代からだ。
明治時代の日本人は『牛鍋』をつついて文明開化を実感していたらしい、アホである。
何ですき焼き食って『時代の最先端だ!』なんて感じなきゃいかんのか?
それはともかく、戦国時代の日本人には仏教思想が広まっていて食肉の習慣がなかったせいか、家畜として豚(猪)は飼われていない。
その食生活のせいか、当時の日本人は低身長だ。
農民は男でも140センチ台の身長が当たり前で、栄養状態が比較的マシな武士でも160センチあれば大柄だった。
全員が小さめなので、特に身長が低いのは気にならない。
しかし利家はその中で180センチ台の身長だったので全員が小さい、という訳ではない。
しかし養観院は、小兵揃いの戦国時代の人間が口を揃えて『ガキ』と言うくらい貧相だった。
僕と利益が話していると、障子から光秀が顔を出す。
何やらご機嫌斜めな様子だ。
「どうしたの?
もしかして寝起き悪い?
闇医者のクセに血圧低いの?」と僕は光秀に聞く。
「闇医者って言うな!
あと医者である事と血圧は関係ない!
寝起きは悪くないんだが、今日の寝起きは最悪だ!
君、何か俺に言う事があるだろう!?」と光秀がギロリと僕を睨む。
「言う事・・・あ、『おはよう』か!
おはよう、ムシムシして気持ち悪い朝だね。
でも雨は降らなさそうだよ!」と僕。
「違う!
それに『気持ち悪い朝』ってのはわざわざ言わなくて良いんだよ!
『気持ちの良い朝だね!』って言うのとは違うんだから・・・。
そんな話じゃない!
『寝てる俺を思いきり踏んでおきながら何にも言わないのか?』と言ってるんだ!」
「あ、朝踏んだの光秀さんだったんだ。
カエルかなんかだと思ってた。
特に言う事はないかな?
何も感じないし、別に踏んで楽しくも悲しくもないしね」と僕。
「寝てる俺を踏んどいて『何にも感じない』のはどうかと思うぞ!?」
「でも『人を踏んで楽しくて大爆笑』ってのはおかしくない?」と僕。
「あぁ、おかしいね!
頭がおかしいよ!」光秀が怒鳴る。
そんな僕と光秀を呆れた顔で「アンタら良い取り合わせだよ」と利益が言う。
実は利益は光秀の事を少し警戒していた。
光秀は利家ほどではないが、この
時代にしては大柄だった。
・・・と言っても170センチ前後だが。
それは光秀が令和の肉体のまま戦国時代に転移してきているからだ。
武人体格でもなく『医術者』であるという光秀を見て利益は『なんだ、身体が大きいだけか』と警戒を解いた。
「そうだよ、僕たちは『山岡さん』と『雄山』みたいな関係なんだ」と僕。
「『犬猿の仲』じゃないか!」と光秀。
養観院と光秀と利益のやり取りを遠くから監視していた者がいる。
足利義昭だ。
(また『山岡』だ!
やはり、わたしが睨んだ通り『山岡』が鍵なんだ!
・・・しかし『山岡』と対になる『ユージン』とは何だろうか?)
義昭は『雄山』を『ユージン』と聞き間違えた。
つまり『遊人』もまたキーワードだと勘違いしたのだ。
当時の日本人の身長の低さを感じたいなら愛媛の宇和島城に行ってみましょう。
梁の低さにビックリしますから。




