閑話 堺公坊
室町十四代将軍、足利義栄の父親、足利義維は『堺公坊』の別名がある。
つまり『堺じゃちょっとした顔』なのだ。
だから『堺の魚問屋の店主』である宗易とは知り合いだ。
むしろ無茶苦茶仲が良い。
だから田中にとって義栄は『親友の息子』な訳だ。
この頃の畿内の動きというのは不透明だ。
書物があったとしても、とても公平な立場で書かれたとは言えない代物ばかりだ。
何故か、先にも少し触れたが義輝が暗殺されたタイミングとほぼ同時に三好義継は畿内からキリシタンを追放している。
何故追放したかは諸説ある。
キリシタン達が仏教を邪教と断じたからという説もあれば、キリシタン達が日本人を奴隷として連れて行っているとの噂があったからとも言われているが、明らかではない。
因みに秀吉は『何故お前らは日本人を無理矢理連れて行くのか?』と宣教師に詰め寄った、と言われている。
真偽のほどは明らかではないが、秀吉は実際に『伴天連追放令』を出して、日本から宣教師を追い出している。
日本の僧侶でも真面目な僧侶もいれば、破戒僧もいれば、生臭坊主もいる。
宣教師の中にも奴隷商と手を組んだ不届き者がいたのかも知れない。
話は脱線したが宣教師が畿内から追放されていた期間と言うのは『日本史』の編纂者である宣教師『ルイス・フロイス』も当然畿内を追放になっている。
つまり唯一の公平に近い書物がほとんど伝聞だけなのだ。
畿内から追放されたキリシタンはどこにいたのか?
書物を見ると畿内にいたキリシタンの多くが四国に渡ったのだ。
キリシタン達は『何とか畿内に戻れないか?』と四国の阿波三好氏に懇願した。
キリシタン達を追放したのも三好氏ではあるが、キリシタン達が頼った阿波三好氏は三好氏の本家だ。
畿内の三好氏と阿波三好氏の関係が良好なら話は簡単なのだが、そんなに話は簡単ではない。
将軍 足利義栄の父親、足利義維が身を寄せていたのが阿波三好氏で、一見関係は良好に見える。
元々足利義維がいた堺と阿波は紀伊水道を挟んで隣同士で顔見知りだ。
しかし、三好氏に暗殺された義輝も義維にとってはいとこなのだ。
将軍家は『御家騒動真っ只中』だ。
キリシタン達ですら「誰に話を持って行ったら良いのか?誰の機嫌を取れば良いのか?」と苦慮している。
それはキリシタンだけではない。
自分の意思だけで動ける信長や謙信のような大名は良い。
でも多くの大名は『寄らば大樹の陰』と他の大きな存在の顔色を見ながら行動している。
そしてそれは織田信長一行が己の領土を今、まさに横切ろうとしている『北畠具教』も例外ではない。
書きかけのまま放置されていたエピソードを投稿してみました。
何故投稿をしないで止めていたかは今となっては思い出せません。
元々、予約投稿で半年くらい先に投稿されていました。
つまり書いたのはおおよそ一年以上前です。