※捕捉
ここは物語とは繋がらない。
ただ『この世界はこういうものだ』と認識しておいてもらわないと混乱するだろう。
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『何故、天台宗総本山 延暦寺が一向宗、一向一揆と呼応するのか?』
先ず『一向宗と一向一揆に参加している者達が一緒』という認識を消して欲しい。
一向一揆に参加している者のほとんどが浄土真宗の信徒だったのは『民衆の間に浄土真宗が行き渡っていた』という事だ。
その民衆が一揆に参加したのだ。
別に浄土真宗が起こした一揆ではない。
浄土真宗の民衆達に天台宗の僧兵が力を貸したのだ。
当時、宗派の壁は現代のようにハッキリはしていない。
延暦寺で法然も栄西も日蓮も道元も親鸞も修行している。
だいたい『一向宗=浄土真宗の信徒』という認識は当時はない。
その後、江戸時代に一向宗は幕府に時宗に編入される。
時宗とは箱根駅伝で映る『遊行寺坂』で有名な藤沢の遊行寺の一遍上人が始めた『踊り念仏』の宗派だ。
因みに一遍上人も延暦寺で修行している。
垣根が低かっただけで、寺院が『超宗派』だった訳ではない。
過去にも現在にも『超宗派』の寺院は日本に一つしかない。
愛知県名古屋市にある『日泰寺』には宗派がない。
この事を頭に置いて物語を読んでほしい。
今とは『寺』『仏教』の常識が違う、という事だけでも頭の片隅に入れておいて欲しい。




