閑話 心酔
かつて大きな野望を抱いていた藤林長門守は『服部』が松平の配下になった事を面白く思っていなかった。
『遅れを取った』と。
全国の忍が武士の配下になる事が主流になっていた。
藤林も後れ馳せながらも武士の配下に付こうと考えた。
西の武士はそこまで忍の重要さを感じてはいない。
やはり『忍としての価値』を高く評価するのは東の武士だろう。
東の武家と言えば『武田家』『北条家』『今川家』『斎藤家』『織田家』『松平家』と言ったところか。
斎藤家と織田家はほどなく今川家に飲み込まれるだろう、その二家に仕える選択肢はない。
武田家に仕えている忍の筆頭『猿飛佐助』は甲賀『戸沢白雲斎』の弟子、甲賀流だ。
甲賀の下に伊賀がくるのは面白くない。
北条家には噂の域を出ないが『風魔』という忍者集団が仕えているらしい。
松平家は言うまでもない。
服部半蔵が既に仕えている。
『藤林』が『服部』の下に来るなど有り得ない。
どう考えても『藤林』が仕えるべきは『今川義元』だ。
『海道一の弓取』こそ三河と尾張の覇者となる。
武田信玄と北条氏康とは義理の兄弟だ。
そう簡単に争う事にはなるまい。
仮になった時には既に尾張、三河を飲み込んで武田、北条を下すだろう。
・・・というのが藤林長門守の見通しだった。
長門守は楯岡道順を今川義元に使者とした。
しかし義元は用心深い男だった。
『義元に仕えたい』という話に対して条件を出す。
『今川家に仕えたいなら北条氏康の首をとって来い』と。
道順にとって義元の申し出は意外だった。
『氏康は義理の兄弟、同盟関係は上手くいってるのではないか?』と。
確かに同盟関係は上手くいっていた。
しかしそれは"現時点では"という注釈付きでの話だ。
戦国時代の同盟関係ほど不安定なモノはない。
世界的にみても同盟関係にあった勢力同士が争い合う事など珍しい話ではない。
義元は『将来的に武田と北条が敵になる』事に疑いを持っていなかった。
そして『あわよくば信玄と氏康の寝首をかこう』と思っていた。
楯岡道順は義元に心酔した。
『これぞ乱世の覇者になる男だ』と。
楯岡道順は伊賀へ戻り藤林長門守に進言する。
『我々は今川義元に仕えるべきです』
『そのために北条氏康を暗殺しましょう』と。
藤林長門守は北条氏康の元に暗殺者を送り込む。
しかし暗殺は失敗に終わる。
暗殺は何度も計画されるが全て失敗に終わる。
計画を握り潰したのは北条に仕えていた天才忍者『風魔小太郎』だ。
小太郎は自害する暗殺者が何者なのか掴む事は出来なかった。
だが、暗殺者が『伊賀者だ』という情報だけは掴んだ。
だから小太郎は『伊賀忍者』には非常にナーバスになる。
そのとばっちりを受けたのが石川五右衛門だ。
小太郎は伊賀流の体捌きの五右衛門を三島で見かけて粘着する。
五右衛門は「アイツは何者なんだ!?ただ者じゃないぞ!?」と焦る。
実際にはその時五右衛門は既に伊賀を抜けていて完全に無関係なのだが。
『北条氏康暗殺計画』は失敗に終わったが、何度失敗しても暗殺の首謀者として今川義元が疑われる事はなかった。
計画は失敗したが、義元はある意味藤林長門守に感心する。
その時から今川義元と藤林長門守の緩やかな主従関係が始まった。
楯岡道順の見通しは間違えていない。
織田は今川に飲み込まれるはずだった。
信長本人も勝つためにする事は神頼みしかなくて、熱田神宮に『戦勝祈願』をした。
しかし信長はついていた。
『奇襲のタイミングで小石混じりの大雨が降る』
『義元は桶狭間に本陣を築き、自ら出陣する』
『義元は田楽窪方面に逃げる』
そう"予言"した者がいた。
予言した者がいたのは信長の幸運だろう。
しかし"神頼み"も含めて"勝つ可能性のあること全てをした"のは他の誰でもない織田信長だ。
養観院が他の武将の元に現れたとしても、誰も養観院の言う事を信じないだろうし今川の勝利は揺るがないだろう。
織田信長だから奇跡は起きたのだ。
かくして今川義元は織田の捕虜になる。
藤林長門守は義元は信長に討ち取られた、と思っている。
楯岡道順が惚れ込んだのは今川義元で『今川家』ではない。
義元がいなくなった今川家の家督は今川氏真が継ぐ。
今川家と藤林の緩やかな主従は解消され、藤林は再び仕える武士を探す事になる。
義元が清洲で養観院に義元として飼われている事を長門守達は知らない。
そもそも長門守の誤算の全ては養観院が原因なのだ。
だから長門守が養観院を警戒するのはある意味正しい。
だが、警戒したからといって長門守が養観院に何か出来るか?、と聞かれたらそれは微妙だ。




