茶釜
田中は今日もいない。
どうやらお偉いさんに呼ばれてどこかへ行ったみたいだ。
田中がいようがいまいが僕のやることに変わりはない。
いつも通り菓子を作るだけだし、サボる時は堂々とサボる。
菓子の売り上げが上がってきているせいか、丁稚奉公の仕事をあんまりしなくても特に何にも言われない。
それどころか「たまには働かなきゃな」って下働きしていると番頭に「ようかん、お前何やってるんだ!?」と驚かれる始末だ。
だから最近は朝から晩まで菓子作りに没頭している。
しかし洋菓子ばっかり作っている訳じゃない。
だから日持ちがしない乳製品を余らせてしまう事もある。
そういうときは乳製品を使った料理を作る。
菓子作りをする前は強力粉と薄力粉の違いもわからなかった。
強力粉で菓子作りをしようとして失敗したのも今となっては良い思い出だ。
田中は茶器を手作りしていて、焼き物もやる。
でも『ないなら作る』というだけの話で基本的には陶器は本職に任せている。
なので陶器を焼く窯は普段使われていない。
僕はいくつかある窯の中で最も使われていない窯をオーブンに改造した。
焼き菓子をつくるのにどうしてもオーブンが必要だったのだ。
勝手にそんな事をして田中が許す訳がない。
だから魚屋の従業員を、ピザ、グラタン、ケーキ、クッキーで買収したのだ。
「使ってないんだから良いじゃないですか」「ようかんも『良かれ』と思って改造したんです」とよってたかって言われたら田中もあまり僕を叱れない。
「ようかん、何か最近好き勝手してないか?」と田中に言われたがそれは間違いだ。
僕は今も昔も好き勝手やっている。
「さて、今日は何を作ろうかな?」
僕が考えていた。
僕が店先で伸びをしていると、こないだの奉行が来た。
確か松永久秀だっけ?
ただの奉行のはずなのに何か忘れられないんだよな。
「宗易はいるか?」奉行はぶっきらぼうに言う。
何だ、コイツ?
態度悪いな。
でも向こうは"お奉行様"、こちらはしがない町人だ。
「主は生憎不在でございます」
僕は慇懃に頭を下げた。
田中に「儂が不在の時はこう言え」と言われているので慣れたもんだ。
「そうか、用があったんだが・・・。
しかし用はそれだけではない」
「ならば番頭を呼んで参ります。
少々お待ち下さい」
僕が応対する必要はない。
面倒臭い話は番頭さんに任せよう。
「げ、何で話を振るんだよ!」番頭さんはげんなりしながら言う。
「僕が奉行さんの応対するのも変な話でしょ?」
「そりゃそうだが・・・気が重いなぁ」
「頑張って!」
「うるせえ!
他人事だと思いやがって!」
番頭さんは悪態をつきながら奉行のところへ向かう。
しかし奉行の方に向かって行った番頭さんはすぐに僕の方に帰ってきた。
「お奉行様はようかんに用事があるんだとさ」
「そんな訳ないじゃん!
それにさっきはすぐに僕を解放したよ?」
「お奉行様は『評判の菓子を作っている者を呼んで来い』との事だ。
さっきはようかんが菓子を作っているのを知らなかったんだろう?」
それはそうかも知れない。
でも面倒臭いなぁ。
「取り敢えず立ち話もなんだから茶室に案内しておいたぞ」
「CEOの許可も得ないで勝手に・・・」
「宗易様だって、きっとお武家様を店先で立ち話させなかったと思うぞ。
宗易様がいない時は番頭がある程度の裁量を与えられるんだよ!」
番頭さんの顔が『ざまぁみろ!』と言っている。
ちくしょう!
僕も奉行の相手を番頭さんに押し付けようとしたんだから同じ穴の狢か。
急いで茶をたてる準備をする。
茶釜を出そうとして手を滑らせて茶釜をおもいっきり落とす。
グワァラゴワガキーン!
凄い音がして、茶釜がぺしゃんこにひしゃげる。
えらいこっちゃ。
普段使いの高級品じゃない茶釜とはいえ、安いモノじゃない。
幸運にも金属製の茶釜は割れたり欠けたりしていない。
この茶釜を使うしかない。
ほどなく奉行が茶室に入ってくる。
何食わぬ顔をして僕は奉行を迎える。
「何か凄い音がしていたが何かあったのか?」
「岩木がホームランでも打ったのではないでしょうか?」
「?」当たり前だが奉行には通じない。
僕は茶をたてる。
「見事な手前だ」と奉行。
当然だ。
僕の腕は田中仕込みで魚屋じゃ田中に次ぐ茶の腕前だ。
まぁ、田中には遠く及ばないが。
「この茶菓子は何だ?」
「バタークッキーでございます」
「これが評判の菓子か?」
「これが全てではございませんが・・・」
これは僕が作る菓子の初歩の初歩だ。
「他にも菓子を出せ!」
この野郎!
厚かましいな!
僕は竹筒を隣の部屋から持って来る。
「水筒か?
それが菓子なのか?」奉行は偉そうに言う。
僕はわざと思い切り竹筒を鉈で縦に二つに割る。
パッカリ割れた竹筒の中には白い寒天が入っている。
ヨーグルト寒天だ。
寒天の中には夏みかんの剥いた身が沢山入っていて見た目が美しい。
でも夏みかんが結構酸っぱかったんだよね。
沢山作ったのにちょっと失敗した。
それをこの男に食わせよう、という訳だ。
しかも量が半端じゃなく多い。
さぁいくらでも食らうが良い!
僕は割った竹筒と匙を奉行に渡す。
「これは美味い!」と奉行が寒天をガツガツと食べる。
ホンマかい、失敗作なんだが。
「これで良ければお持ち帰り下さい」
好きなだけ持って帰れ。
処分に困ってたんだ。
「それとその茶釜だが、珍しい茶釜だな」
そりゃ見た事ないだろう。
潰れて平べったくなってる茶釜なんて。
「それほどでもございません」
「銘のある茶釜なのだろう?」
いやいや、田中が使ってる茶釜だから悪い物ではないとは思うが、普段使いのありふれた茶釜だろう。
「いや、まぁ・・・」
「なんという銘の茶釜なのだ?」
いや、平たくなった普通の茶釜だ。
「ひ、ひら・・・」
「ひら?」奉行が聞き返してくる。
「ヒラタクワガタ・・・」僕は当てずっぽうを早口で言う。
「聞き取れなかった。
もう一度言ってくれ」
「申し訳御座いません。
この茶釜がここにあることは主から内密にしろ、と言われているのです」
「宗易ほどの男が内密に。
・・・その茶釜をくれ!
金ならば払う」と奉行が言う。
「こ、困ります!
主の了解を得ずに判断は出来ません!」
つーか、奉行に嘘ついた事が田中にバレちまう!
「宗易にはこちらから話す!
今日、その茶釜を持って帰るぞ!」
奉行は有無を言わさず茶釜を持っていこうとする。
「待って下さい!
ご用とはなんだったんですか?」
「町で評判の菓子を食べてみたかっただけだ」
「じゃあ主への用とは?」
「今度茶会を主宰する事になってな。
三好長慶様がいらっしゃるのだ。
何か話題になるような茶器を宗易に用立ててもらおうと思ってたのだが・・・今日はこの『平・・・蜘蛛』だったか?
とにかくこの茶釜が手に入った!
それでは、これにて!」
奉行は茶釜を持って風のように帰ってしまった。
帰って来た田中に茶釜を持っていかれた、と話したら「なんだかんだ持って行くつもりだったんだろう。
あの普段使いの茶釜だけで済んだなら儲けものだと思わねばなるまい」と意外にもお咎めなしだった。
僕はこの時に渡したぺしゃんこに潰れた茶釜が信長が何度も欲しがり、松永久秀が死んでも手放さなかった『平蜘蛛』という茶釜であることを知らない。
松永久秀がこの時期に堺の奉行職であった事は
堺の豪商の書状に松永久秀のサインがある事でもわかる。