閑話 流れ
興味深い事になった。
女神は養観院に「変えられるのならば歴史を変えて良い」と言った。
時代を変えられる事は痛くも痒くもない。
それにそう簡単に歴史は変えられるモノじゃない。
時代を川の流れに例えるとわかりやすい。
川の水は川幅に沿って流れる。
「違うように流そう」なんて思っても、川の流れにはそう簡単には逆らえない。
彼女も時代を変えられずに『流れに沿って寿命を終える』そのはずだった。
それに彼女はどこにでもいるような小市民だった。
小市民は転移しても小市民だ。
しかし彼女は『ハーレム』を望んだ。
『ハーレム』を作るのは決まって権力者だ。
願いが叶えられた時点で彼女が権力者に近付くのは確定していたのかも知れない。
彼女はおおかたの予想通り町人として転移人生を再スタートさせた。
しかし『権力者に近付く』という運命が、町人の彼女と『千利休』を巡り会わせたのだろう。
転移した時代が『戦国時代』というのも興味深い。
川が直線の場合、流れがいくら早くても氾濫は起きにくい。
しかし川の流れが彼女が転移した場所の近くの『長良川』のように曲がりクネっていた場合、少し強く水が流れただけで、川は決壊し、氾濫し、川は大きく姿を変える。
実際に長良川は数百年で数えきれないほど姿を変えている。
戦国時代も『少しの力で変化しやすい時代』なのだ。
実際に彼女は時代に干渉して死ぬべき運命だった『今川義元』を生きて捕らえている。
対して彦太郎は医学生、小市民だった養観院とは異なって、少しは時代を作る存在だった。
彼は彼女とは転移した場所から違って『稲葉山城』に転移した。
彼もまた変わりやすい戦国時代で『足利義昭』と『足利義秋』を別人にしている。
その変化自体は興味深いが、たまにある変化だ。
特筆すべきじゃない。
特筆すべきは『その後の未来が全く見えない』という事だ。
変化と言っても『少し変わる』程度のはずだ。
川で言えば『枝別れして大流の横を流れる支流のような存在になる』程度の話だ。
『いずれは大流と合流する』みたいな感じだ。
彼のいた未来と彼女のいた未来で多少の違いはあっても『大差ない』。
つまり今までの彼の変えた未来、彼女の変えた未来は、多少は未来に変化を与えたとしても『未来を大きく変えるほどじゃない』変化だ。
現に彼、彼女が影響を与えた『未来』の世界は見える形で存在した。
しかし彼、彼女がお互いに『転移人だ』と認識した後の世界の『未来』が完全に消えた。
つまりその後は現在進行形で出来上がっている。
元々歴史が変わりやすい『戦国時代』に『転移人』二人が出会ってしまった。
『時代の流れ』という『川の道筋』は今まさに二人が作りあげている。
その事に二人は気付いているのだろうか?