天下布武
「貨幣が足りないのだ」と信長。
何故こんな話になったのか?
屋敷の一室に松永久秀に一行は案内された。
しかし、待たせるのが戦略であるのか、本当に予想外の時間がかかっているのかはわからないが、中々足利義昭は現れない。
僕は暇でしょうがないのに、信長と一益は何かウキウキしている。
どうやら松永久秀から『平蜘蛛』の茶釜を見せてもらうつもりらしい。
「茶の道具なんて見て、何が楽しいのかね?」と僕は呟く。
一瞬、場の空気が凍り付く。
どうやら僕は信長の前で『禁句』を言ってしまったらしい。
信長は懐の中から取り出した小銭を僕に見せて言った。
「これをどう思う?」
どう思う、と言われても・・・貨幣がある事は知ってた。
使った事もあるし。
「そう言えば南蛮人にこの『永楽通宝』って貨幣、渡してるところを見た事ないな。
何でだろ?」と僕。
「それは『受け取りを拒否されるから』だ」と信長。
「拒否?」
「そうだ。
本物の永楽銭は大陸の明から伝わった物だ。
でも『本物』だけじゃ数が全然足りないんだ。
だから『偽物』の永楽銭を私鋳するのだ」
「偽金?」
「偽金ではない。
『偽物』を『本物』として使うのだ。
私鋳された永楽銭は『鐚銭』と言われて質も悪く評判も悪い。
『鐚銭』のせいで、永楽銭の貨幣価値は大暴落し、南蛮人だけじゃなく『受け取り拒否』も頻発している。
でも『鐚銭』を認めざるを得ない。
貨幣が足りないのだ」
冒頭の信長の言葉に繋がる。
「それが『茶器』とどう関係するの?」と僕。
「俺は『茶器』が銭の代わりになれば、と思っている」
「銭の代わり?
『茶器』じゃなきゃダメなの?」
「ダメと言う事はない。
『銭』の代わりの物は今もある。
『米』を取り引きの材料に使う事もあるし、物々交換する場合もある。
俺は褒美に土地を与えたりもしている。
むしろ褒美に『銭』は渡していない。
それほどまでに『永楽銭』の信用は無くなっている。
しかし『褒美』の『土地』には限界がある」
「どういう事?」
「土地はどうやって新しく手に入れる?」
「えっと・・・『敵から奪う』?」
「そうだ。
新しい土地は『敵から奪う』しかない。
開拓するのは土地を手に入れた者の役割で、開拓されていない土地を主からもらう事もある。
『開拓した土地が自分の土地になる』という考え方は間違いだ。
主が土地の勝手な開拓を許す訳がない。
つまるところ、戦は『土地や城の奪い合い』だ。
敵から奪った土地や城を配下に褒美として渡す訳だ。
しかしこのやり方は長い目で見たら必ず破綻する」
「何でそう思うの?」
「攻め込んでも勝てるとは限らないだろう?
負け戦に功労者はいないのか?
逃げる時に殿を買って出る者だっている。
それに『防衛戦』だってある、当然だろう?
攻める側がいれば、守る側もいる。
防衛戦には功労者はいないのか?
そんな訳はない。
防衛戦の負け戦にだって功労者はいる。
土地も財産も奪われたって、配下の者には褒美は渡さなくてはならない。
命をかけて戦わせるならな。
自分の土地や財産を配下に分ける・・・それを繰り返していたら大名は力を失う。
そこで俺が考えた配下に渡す物が『茶器』だ」
「途中から理解出来なくなった。
何でそうなるの?
何で『茶器』が『土地』の代わりになるの?」
「『茶器』が重要なんじゃない。
『忠臣に茶器を渡した』という事実が重要なのだ」
「????」
「『茶器』が『命をかけた槍働き』の代わりにはならない、なる訳がない。
ただ『信長は命をかけた槍働きをした者にだけ茶器を渡す』という事実だけが残った場合、その茶器には価値が出るのだ」と信長。
明治の軍人が軍服に沢山、勲章バッチをぶら下げているようなモンか。
アレは勲章に価値がある訳じゃなくて『勲章をもらった』て事実に価値があるんだよね。
それと同じで『茶器をもらった』って事実に価値を産み出そうとしてるのか。
「そもそも独自の貨幣がないのも、『私鋳』し放題なのも、『偽金』の概念がないのもおかし過ぎる。
幕府か朝廷が『貨幣』を作るべきなのだ」
信長はイライラしている。
織田信長は朝廷への上納金を全て『鐚銭』で納めている。
それはハッキリとした当て付けだろう。
『お前らがキチンとした対策をしないから悪いんだぞ?』と。
「そこまで言うなら信長様が貨幣を作れば良いんじゃないの?」と僕。
「俺がか?
『尾張の大うつけ』が作った貨幣に信用が出ると思うのか?
良いか?
俺に味方するくらいなら『斎藤龍興』に味方したいと思う大名がいるのだぞ?
俺の信用なんて『斎藤龍興』に毛が生えた程度だ。
養観院は自分が作った菓子を斎藤龍興が作った貨幣と交換するか?」
「絶対ヤダ・・・」
「それと同じだ。
俺が貨幣を作ってもそれは定着しない。
俺は緒大名から信用を得られるだけの力はつけていない」
「信用を得られるためには?」
「そうだな、全国統一ぐらいしないと得られないだろうな」
「『天下布武』か・・・」と何となく僕は呟く。
信長はこの時に僕が呟いた『天下布武』という一言を覚えていた。
信長は岐阜城を手に入れた時、旗に『天下布武』という文字を刻む。
しかし、この『天下布武』の意味には諸説ある。
何故なら漢文に『天下布武』に当たる言葉はないからだ。
つまり信長の造語なのだ。
「天下に武を敷く」、つまり『武士の世の中にする』とする説。
『天下統一する』とする説。
『畿内に幕府を定着させる』とする説があるが、これが今のところ最も有力だ。
何故なら同盟関係にあった幕臣の上杉謙信にも『天下布武』の印を捺した書状を信長は送っているのだ。
謙信を挑発するような書状を送る理由はない。
後世の人々を悩ませる『天下布武』の意味だが、実は養観院の呟いた一言が発端で、養観院自身も『意味がわかっていない』のだ。
他の誰かにわかる訳がない。
「お待たせしましたな」と松永久秀がキンカ頭と一人の男を引き連れて現れる。
一人、見た事がない男がいる。
黒い直垂に立烏帽子、この服装の男をかつて茶会で見た。
『足利義輝』だ。
つまりこの男は『足利義輝』と似たような身分、という事だ。
誰かが紹介した訳じゃないが、そこにいた全ての人物が『その男』が『足利義昭』である事を瞬時に察した。




