老婆
「小競り合いどころか、嫌がらせもないのは何故か!?」藤林長門守は戸惑う。
自分達が足利義昭一行を伊賀の里へ引き込んだ時、少なからず嫌がらせはあった。
武士を嫌う忍は少なくない。
忍でなくても、この地域は一向宗の息のかかった農民も多い。
豊作続きで、農民の不満が小さいから一揆は起きていないが来年一揆が起こらない保証はない。
そんな一触即発の伊賀の里に足利義昭一行に続いて、織田信長一行が軍勢を引き連れて入って来る。
「小さなトラブルが起こらない訳がないだろう」
そう思っていた。
『起こったトラブルを大きくしない事』
それが藤林長門守の想い描いていた策略だった。
藤林長門守は陰謀、策略に優れていた。
それもそのはず藤林長門守が共に兵法を学んだ人物に『山本勘助』という有名な武田の軍師がいる。
「保豊様」
「道順か」
『保豊』というのは藤林長門守の別名だ。
保豊を呼んだ道順という男は藤林の配下である『楯岡道順』という中忍だ。
信長狙撃の実行犯と言われる事もあるが「それは別の人物だ」とも言われており定かではない。
因みに信長狙撃は別人に命中しており、未遂に終わっている。
「織田信長一行は伊賀の里に入って来ましたが、全く騒動は起きておりません。
いや、一つだけ騒動と言えるものが起きたのですが・・・」道順が言い淀む。
「申してみよ」と保豊。
「伊賀の境を信長一行が越えようとしたところ、百地丹波の配下の忍共に取り囲まれました。
しかし忍共は信長一行の中の女児に名を聞き、そのまま引き上げて行った、との事です」
「は?」
保豊はマヌケな声を上げた。
兵法とは『人の行動の真意を読む事』でもある。
しかし百地の忍達が何をしたかったのか、まるで真意が読めない。
信長一行と伊賀者達がトラブルにならなかった事は喜ぶべき事だ。
でも保豊にとって『未知の要素』が伊賀の里へ入って来てしまった。
「その女児が一体何者なのか、徹底的に調べよ!」と保豊。
「は!」と言うと道順は暗闇に消えた。
こうして養観院はよくわからないところで忍者の大物にマークされる事になった。
「へくち!」
「おいおい、風邪引きか?」と利家。
「どこかの美人が噂をしているのかも」と僕。
「変なヤツだな。
女に噂されて嬉しいのか?」と利益。
「嬉しいのかなぁ?
どうなんだろ?」と僕。
「しかし養観院、伊賀者に知り合いでもいるのか?
『お前の話は聞いている。通ってよし!』って感じだったよな?」と利家。
「『伊賀者』というか『元伊賀者』なら知り合いはいたけど。
今は知り合いと呼べる人はいないよ。
『松平』の殿様の配下で伊賀出身の人がいたかな?
でも『元伊賀者』が言うには『あんな野郎は忍者じゃない!』って話だった」
「ふーん、よくわからんな」と利益。
「良いではないか。
何の衝突もなく、伊賀に入れたのだから」と信長。
「それは確かに」と可成。
「しかし不思議な事もあるモノだな」と一益。
遠巻きに農民達が信長一行を見ている。
「あの中に『忍』が紛れ込んでいると考えておいた方が良い」と一益。
『ここら辺の事なら一益に聞け』って雰囲気になってて面白い。
ドヤ街周辺に住んでる人に『山谷あるある』『西成あるある』を聞く感じ。
しかし遠巻きにこちらを見てる人々の視線に『友好的』なモノは一切感じない。
誰かに『絶対手を出すな』と言われた事は間違いなさそうだ。
信長一行が近くを通る時、誰もか一定の距離を取ったようだが、一人の老婆が距離を取る時に躓いて転んでしまったようだ。
一行の前で老婆が蹲っている。
正直、地元の人間も信長一行もお互いに干渉したくはない。
接触してしまえば、それが諍いの火種になりかねないからだ。
気まずい空気が流れる。
「冷たいな!
何でババアが倒れてるのに誰も声かけないのさ!?」と僕は憤慨する。
「あ、バカ・・・」と利家。
利家の呟きなんて僕は知った事じゃない。
僕は馬から飛び降りると老婆に駆け寄る。
「婆さん、大丈夫?
『棺に片足突っ込んでる』どころか『棺に肩まで浸かって100数えてる』ような歳なんだから無理しちゃダメだよ」僕はババアに声をかける。
「やかましいね!
こう見えて40年前は『伊賀じゃ評判の娘』だったんだよ!。
全く・・・口の悪いところは『五右衛門』そっくりだね!
困ってる人を放っておかないところも・・・」
僕には『クソガキ』が誰の事だかわかっていない。
それにババアの後半の呟きは小声過ぎて聞こえなかった。
「誰が誰にそっくりだって?
・・・そんな事よりこんな道の真ん中で倒れてたらダメだよ。
ホラ、立ち上がれる?
おぶろうか?」と言うと僕はババアに手を差し出す。
「ふん!
お前みたいなちびっこにおぶられるくらい老いぼれちゃいないよ!」
ババアは僕が差し出した手に掴まるとヨロヨロと立ち上がった。
僕が現地の人間とトラブルを起こさなかったのを利家が胸を撫で下ろしながら見つめている。
「お前なぁ。
こういう接触は最大限に注意しろよ!」と利家。
フランス革命でも、民衆への『心ない一言』が争乱のきっかけだったのだ。
しかし僕のババアへの態度は『パーフェクトコミュニケーション』だった。
そして僕が助け起こしたババアは百地丹波の親戚だった。




