傾奇者
伊賀行きはかなり急ぎらしい。
・・・のわりには人数が多い。
信長が中規模の大名になったから護衛抜きでは動けない、という事か。
先ずは利家。
利家は幼女性愛者なので僕のような大人には興味を示さないはずだから安心だ。
だから僕の護衛兼、僕の乗る馬を駆る者として指名した。
それに利家は身体が大きい。
藤吉郎の馬の後ろに乗った時は一緒に馬から落とされそうになって死ぬかと思った。
やっぱり身体をあずけるなら枝より巨木だ。
そして『滝川一益』。
何でも北伊勢に領地を持っていて、こちら方面には土地勘があるらしい。
しかしコイツ、酒にも女にも金にも領地にも全く興味を示さない。
もしかしたら感情がないんだろうか?
僕は試しに一益におもいっきりカンチョーしてみた。
おもいっきりカンチョーしたせいで両方の人差し指を軽く突き指した。
「・・・・・!!」
一益は尻を押さえて転げ回った。
どうやら痛覚はあるらしい。
「僕は指が痛い。
一益さんは尻の穴が痛い。
今回は痛み分けだな。
恨みっこなしだ」
僕は一益の肩をポンポンと叩く。
「!?!?!?!?」
いきなり肛門に両手人差し指の第二関節まで勢い良く突っ込まれた一益は加害者に『痛み分けで恨みっこなし』を先手を打って言い渡されて意味がわからない。
「諦めろ。
養観院はなかなか懐かなくて面倒臭いが、懐いたら懐いたで更に面倒臭いんだ」と利家。
どうやら利家は僕を害獣のように見ているらしい。
一益には何にも感情がないのか、と思いきや『伊賀には松永久秀がいる』と聞いた途端にテンションが跳ね上がった。
「・・・と言う事は『平蜘蛛』が見れるのか!?」と一益。
「滝川殿は半端ではない茶器狂いだ。
その熱狂ぶりは信長様に匹敵する。
お前が『菓子狂い』なのと同じだ」と利家。
いつの間に『お前』呼ばわりだよ!?
まぁ、相手は武士だ。
いつまでも『殿』付けで呼ばれるのはこそばゆかったけどね。
しかも僕が『殿』を付けて呼ばれる理由のほとんどが『信長様の女』という勘違いなんだよね。
『お前』扱いされる、って事は勘違いが解けたって喜ばしい事なんだよね。
「諦めろ・・・養観院殿の行動は藤吉郎殿ですら読めないらしいぞ」と一益に言っているのが『森可成』。
元は美濃の土岐氏に仕えていたが、主を斎藤道三、織田信長に替えている。
主を頻繁に変える者を信長は嫌う傾向にあったが森可成だけは認めているようだ。
それは可成が自分の危険を顧みず、戦の中で主のために尽くす行動を取るからに他ならない。
森可成は桶狭間の戦いでも戦果をあげている。
それ以外は護衛の兵士達だ。
こんな大勢での移動は初めてだ。
「まるで行軍だね」と僕。
「これでも移動速度を考えて、最低限まで人数を減らしてるんだよ」と利家。
「しかし何で僕が伊賀に行かなきゃいけないのさ?」
「知らん。
キンカ頭の指名だ」と信長。
訳がわからん。
僕が指名される理由って何なのさ?
彦太郎は養観院を『転移者ではないか?』と疑っている。
だから、歴史が変わったとしても受け入れる事が出来るのではないか?・・・と彦太郎は考えている。
しかし彦太郎は一つ大きな勘違いをしている。
養観院は全く勉強していなかったから、そもそも『足利義昭』という存在を知らない。
義昭が女だったところで「ふーん、足利将軍に女の人がいたんだ」としか思わない。
伊賀へは荒子村の『舟入』から舟で津に向かう。
津から伊賀へは馬だ。
荒子村といえば利家の故郷だ。
利家の家に一泊して、次の朝に舟で伊勢に向かう、という予定だ。
荒子に到着する。
「叔父上!」
「げ」と利家。
逃げようとする利家の首根っこを滝川一益が捕まえる。
「可愛い甥っ子から逃げる事はあるまい」と。
「そうは言うけどなあ。
歳上の男に『叔父』と呼ばれるのはハッキリ言って嫌なモンだぞ?」と利家。
「『叔父上』?」と僕が首をかしげる。
「あぁ、養観院殿は知らなかったな。
この男は前田利久殿の養子にして、滝川益氏の実子。
つまり俺のいとこでもあり、利家殿のいとこでもあるのだ。
名を『前田利益』という」と一益。
友達の父親が年甲斐もなく若い嫁さんもらった時「二歳上の女の人を『お母さん』なんて呼べねーよ」って友達が頭を抱えてたのを思い出した。
場合によっては『歳上の甥っ子』『歳下の叔父』があり得るのはわかる。
「しかしそれだけでこれだけ避けるのか?」と僕は呟く。
「あぁ、それは『同族嫌悪』ってヤツだ」と一益。
「利家殿の持ち歩いてるこの派手な槍、三間半あるんだよ。
とにかく派手な事が好きなんだ。
『傾奇者』ってヤツさ」と森可成。
『三間半』とは6.3メートルの事。
「利益も『傾奇者』という面では利家殿には負けていない。
つまり利家殿は利益を見るのが自分を見るようで嫌なんだよ」と滝川一益。
この時代の馬としては規格外に大きな黒馬に乗ったこの男が『傾奇者』ねえ。
『前田利益』と名乗るこの男、後の『前田慶次』だ。
『前田慶次』の年齢については諸説ある。
1533年産まれとする説も1536年産まれとする説もある。
一つ明らかな事は1539年産まれとされる前田利家よりは歳上で織田信長に年齢は近い、という事だ。
十歳やそこらで出産し、義理の関係なら『歳上の子供』『歳下の叔父』などは珍しくない時代ではある。
しかし『傾奇者を好んだ』とされる利家が慶次を絶縁するだろうか?
慶次が歳下のガキを水風呂にはめて喜ぶだろうか?
ここら辺の話には創作の物語がかなり入っているように思う。




