伊賀と甲賀
彦太郎からの書状を信長が読んでいる。
書状を信長の元に運んで来たのは藤吉郎だ。
信長と家臣達が集まっている。
「どうなさるおつもりですか?」
しびれを切らせて声をかけたのは『滝川一益』。
変わり者で信長以上の茶器狂いだ。
野心はあるのか、ないのか。
ガツガツしたところは全く見せない。
藤吉郎とは真逆の男だ。
他の者には『先ずは東海地区を固めるべきだ』『動くべきではない』『畿内まで勢力を伸ばすチャンスだ』など色々思惑があり、牽制し合い声があげれない。
逆に何の野心、野望を見せない一益だからこそ口が挟めるのだ。
「『どう』とは?」信長がとぼける。
「『義昭様を担ぐつもりはあるのか?』と言う話ですよ」と利家。
「担いでも将軍にはなれないだろうな」
「それはどうして?」と佐久間信盛。
佐久間信盛は信長の忠臣だ。
『信長様が黒と言えば、白も黒だ』を地で行く男で、自ら殿を買って出る『逃げ戦のエキスパート』でもある。
信長に口答えしたのは『一乗谷の戦い』の時が初めてなのだがそれはまた別の話。
信長は信盛が疑問を口にしたのがあまりにも意外だった。
『信盛が疑問に思っているなら他の全員が疑問に思っているのだろう』と。
信長の悪い癖だ。
他の者が信長の思考についていけていないのに、その者達への説明が不充分になる。
「義昭と義秋が争っているのを、かつての将軍『足利義晴』と畿内の覇権を争った『足利義維』が黙って見過ごすと思うのか?」と信長。
「『義維』が次代の将軍として名乗り出る、と?」と藤吉郎。
「義維は将軍を目指すほど若くはあるまい。
近親者を『次代の将軍候補』に推すだろう。
そしてその者の後ろ楯に三好家がつく」
「何故そのような事がわかるのですか?
義維とて力を落としているのではないですか?
義維に将軍を名乗らせるだけの力はあるのですか?」と利家。
「それを言ってしまえば義昭や義秋にも力はない。
だからこそ、義昭は『後ろ楯』を必要としているのだ」
「なるほど。
しかし何故そこで三好が出てくるのですか?」と滝川一益。
「三好義継がしゃしゃり出て来ない理由はあるまい。
何せ義継は『将軍の権力を継ぐ』という願いを込めて『義重』から改名したという話だからな。
しかし、父親を殺された義昭や義秋が三好と組む、という事はあるまい。
義継は義輝の兄弟ではない、義晴の子供ではない、むしろ義晴と反目していた足利の血脈の後ろ楯になろうとするだろうな。
・・・つまり、三好義継は足利義維と組むと考えるのが自然だ。
いくら『以前の力はない』とはいえ『腐っても三好』、次代の将軍は三好義継と足利義維が担ぐ者が間違いなくなるだろう」
「・・・と言う事は義昭と義秋の争いは全くの無駄だ、と?」と丹波長秀。
信長と言えば藤吉郎などを可愛がっていた印象だが、信長の家臣で一番初めに『国持ち大名』になったのは実は丹羽長秀だ。
「そんな事はない。
朝倉家と三好家が対立するのを見るのは愉快痛快だ。
朝倉と三好をまとめて相手にするのは、ほぼ不可能だと思っていた。
この三好と朝倉の争いを煽る事で、畿内での織田の立ち位置が作れる。
六角、浅井を仲間に付けている織田の方が三好、朝倉の先を行けるのだからな!
この話、受けるぞ!」
かくして織田信長は足利義昭の後ろ楯になる。
信長の読み通り、室町幕府十四代将軍には『足利義栄』、足利義維の息子がつく。
「義昭様は将軍へは届かなかったか・・・」
彦太郎はガックリと肩を落とす。
しかしもう後には引けない。
三好義継とも、朝倉義景とも敵対してしまったのだから。
実は義輝殺害から義栄将軍就任までの流れはハッキリしていない。
ルイスフロイスやガスパルヴィレラなどの宣教師の日記がこの時代の史料になっているのだが、義継はこのタイミングで宣教師達を畿内から追放しているのだ。
だからこの時代、京での動きはモヤがかかっている。
推測でしかないが、興福寺に幽閉されていた『覚慶』を外に逃がした罪を松永久秀、松永久通父子に背負わせようと三好三人衆が三好義継に働きかけたようだ。
こうして松永久秀と『三好三人衆』の間に距離が出来る。
この時『三好三人衆』と三好義継の力関係が逆転しつつあった。
三好義継に三好三人衆を制御する力はない。
松永久秀が"嫌々"拠り所を探って織田信長にすり寄る。
すり寄って来た松永久秀に信長が言った事、それが『茶釜の平蜘蛛を渡せ』だ。
興福寺から『覚慶』を脱出させたのは朝倉義景だ。
奈良の興福寺の畔を流れる木津川に脱出用の筏木を準備した。
筏木に乗った覚慶は木津川をずっと遡った。
筏木は伊賀へ、伊賀から甲賀へ至った。
甲賀から近江の朝倉義景に保護された、という訳だ。
偶然としか言いようがない。
木津川は奈良だけではなく京都から流れている。
都に足利義栄が入ったから義昭は追い立てられるように京都から木津川を遡って逃げた。
義昭は義秋と同じルートで木津川を遡る事になる。
ただ義秋の目的地と義昭の目的地は違う。
義秋の目的地は『甲賀』だ。
義昭の目的地は『伊賀』だ。
足利義昭と明智光秀は、信長配下の松平家康の手引きで服部半蔵正成の協力を得て伊賀へ逃げ込む。
その時に実際に動いたのが『藤林長門守』だ。
藤林といえば『服部』『百地』『藤林』の上忍御三家の一つだ。
そして、今川義元と協力関係にあった事でも有名だ。
今川義元を捕虜にしている信長に対して藤林長門守はなんとなく協力を申し出ていた。
「・・・面白くない。
『服部』も『藤林』も武士に尻尾を振りおって・・・」不満を燻らせているのは伊賀の『上忍御三家』、『百地』の棟梁の百地丹波だ。
百地丹波といえば石川五右衛門の師匠筋にあたる。




