濃姫
「美濃攻略ってまだまだ時間がかかりそうなの?」信長の茶を点てながら僕は聞く。
「砦は出来たが清洲から美濃はかなり遠いからな。
実は美濃攻略が終わるまで『小牧山城』に本拠地を移そうと思ってるんだが・・・」と信長。
「何か問題があるの?」
「『小牧山城』のさらに北で美濃寄りの『犬山城』が斎藤義龍の陣営につきそうなのだ。
そうなれば尾張の中に我々は敵を抱える事になってしまう」
全国統一どころか尾張統一がまだ済んでいないのか。
「『犬山城』の城主って誰なの?」
「織田信清だ」
「そっくりAV女優か!」
「意味がわからん。
織田信清は遠い親戚だ。
もっと近い血族とも争っている。
争う覚悟は既にできているのだが信清には姉が嫁いでいるのだ」
「信長様は兄弟姉妹がいるところと戦えるの?」
「正直、戦い辛いと感じるのは間違いないな。
それは誰でもそう思うだろう。
そうでなかったら身内を嫁がせたり人質として差し出す事に意味がない。
でも争わなくてはいけない時もある。
最初は義龍と争う事にも抵抗があった。
義龍は帰蝶と兄弟だからな」
「キチョウ?」
「養観院は会った事がないのか。
俺の妻、正室で斎藤道三の娘だ。
母親は明智の元姫だが『キンカ頭』とは従兄弟だが血の繋がりはない、と言っていた。
あれはどういう意味なのだろうか?」
信長は話している最中で脱線して一人で考え込んだ。
信長は光秀が明智の養子である事を知らない。
それ以上に僕には何の話だかわからない。
僕が僕にしかわからない事を言った時の周囲の『?』という気持ちはこんな感じだろうか?
少し控えないといけないな。
「お市様でも見捨てる可能性があるの?」
「何故そこで市の話になるのだ?」
「『他家に嫁いだ』って意味じゃ、『姉』と『妹』の違いしかないでしょ?
信長様はお姉ちゃんが嫁いだところと争う事が濃厚なんだよね?」
「養観院の市を想う気持ちは兄としてありがたくも思う。
しかしそれは"戦国の運命"だ。
身内でも切り捨てなくてはいけない瞬間が必ず来る。
だが出来る事ならば浅井とは争う事にならないと良いな」
信長は優しい顔で僕の頭を撫でた。
信長は時々優しい。
時々おっかない。
このギャップは何なんだ?
「しかし実は義龍との決着はあまり急いではいない」と信長。
『何でやねん!』と僕はツッコミを入れそうになる。
茶会の時、すれ違い様に光秀に信長は言われている。
「今、義龍様との決着を急がれますな。
義龍様の顔には末期の黄疸が出ております。
信長様が手を下さずとも義龍様は・・・」
別の人間が近づいてきて、光秀の耳元での囁きはそこで中断された。
あれはどういった意味なのだろうか?
『義龍の顔には死相が出ている』のような占いの類いだろうか?
よくわからんが光秀の助言通りでなくとも決着は急ぐべきではないのかも知れない。
美濃にもまだまだ余力はある。
勝てたとしても我が陣営の損耗も軽視出来ないはずだ。
浅井との同盟がなった今は確かに勝負を急ぐ時ではないのかも知れない。
宣言通り信長は小牧山城に移った。
勝敗を決するのは急がなくても、負けて良い訳ではないからだろう。
藤吉郎と利家も信長に付き従って小牧山城に移った。
清洲城はガランとした。
まぁ僕にはあんまり関係ない。
今日も今日とて菓子作りに励む。
そして幽閉されている今川義元は新料理、新菓子の実験台・・・もとい試食係として重宝している。
菓子は頭の中にレシピが浮かぶのであまり失敗はないが、オーブンを使った料理などは時々酷い大失敗がある。
やはり毒味・・・もとい試食が必要なのだ。
僕が義元にエサをあげている事を実は誰も知らない。
「最近、義元殿の食が細っているなぁ」看守が呟いている。
このままじゃ義元のエサがカリカリに代えられてしまいそうだが、そんなのは僕の知った事じゃない。
看守がいなくなったのを見計らって義元の牢に忍びよる。
「義元、今日は蜂蜜とチーズのピザだよ~。
ホラ、たんと召し上がれ~」
「何で『ぱとらっしゅ』と呼ぶのだ?
それより、また変な物を食わせようとしているのではあるまいな!?」義元がわかりやすく警戒する。
う~ん、まだあんまり懐かないな。
しかし躾も飼い主の責任だ。
「変かどうかは義元が判断してくれないとわかんない。
つーか変なモノを作ったつもりは一切ない!
・・・ただ、結果的にゲテモノになっちゃっただけで」
レシピが浮かばない料理を想像で作ると時々とんでもないモノが出来る事がある。
残った料理は義元が美味しく召し上がりました。
「どう?
美味しい?」
"ハチミツとチーズのピザ"を食べた義元に僕が
聞く。
「・・・不味くはない。
旨いが凄く甘いぞ!
菓子のようだ!」
そうか、チーズの塩気は甘さを更に引き立てるのか。
菓子以外の作り方は全くわからない。
どんな味になるか予想もつかない。
最近、清洲城の中の座敷牢に忍び込んでいる。
以前は中庭の"菓子工房"に直行して、菓子作りが終わると城下のあてがわれた長屋の一室に帰っていた。
思えば清洲城の中に入った事はあまりない。
・・・というか大高城で『奪い取った城では城の中に争った形跡があるものだ』と言われてからビビっている。
『清洲城も元々攻め入って奪った城だ』と聞いたから。
実験台を探していた。
菓子の試食ならお市様がいたし、大きな失敗はなかった。
料理は滅多に作らなかった。
でもお市様がいなくなって遊びに来る人がいなくなって、定期的に来ていた信長や利家も今は小牧山城に移っている。
もて余した時間で料理を作り始めたのだ。
試作の料理を一口食べてみる。
ウッ!
こ、これは寿命が縮まる味だ!
とてもじゃないが、自分で食べる物じゃない!
実験動物が必要だ。
実験動物を探して清洲城の中を彷徨って、ついに座敷牢の中に義元を見つけたのだ。
清洲城にも『城番』と呼ばれる城の守衛がいる。
僕がキョロキョロしながら清洲城に忍び込むのを微笑ましく見逃してくれていたのだが。
『また信長様のお気に入りの子供が城の中を冒険しに来た』と。
信長はまつやねねに対しても優しく『年下の女の子に対して優しい』というイメージが城番の中でも定着していたのだ。
だが、それはそれ。
キチンと仕事として『今日、養観院殿が城の中に忍び込みました』と伝える。
信長が不在の清洲城で誰に伝えるのか?
義元にエサを与えて菓子工房に戻ろうとした時、呼び止められる。
「貴女が養観院さんね?」
アチャー、忍び込みがバレたー!
僕はとっくにバレていた事を知らない。
しかし怒られる様子はない。
・・・凄く綺麗な大人の女の人だ。
重秀は僕の事を『器量が良い』と言っていたが、僕も人から見たらこんな感じだろうか?
・・・うぬぼれ過ぎか。
大体女として『綺麗』なんて言われても全く嬉しくない。
しかし非の打ち所のない女性だ。
顔のパーツだけじゃなく髪の艶、指の長さに至るまで完璧だ。
僕が呆けながら女性を見ていると・・・。
「あら、ごめんなさい。
自己紹介がまだだったわね。
私は『帰蝶』、信長公の正室よ。
妻として、貴女の先輩にあたるのかしら?」
ん?
何か今、聞き捨てならない事を言われたような?