柴田勝家
一夜城が出来た事を確認した斎藤家から義龍がいる小谷城へ当然使者が送られている。
だが小谷へ使者が到着したのは既に信長一行が尾張の領内に帰って来た時だった。
小谷に日吉から使者が送られたのはまだ一夜城が出来る前だったのだ。
使者が信長に伝えた日吉の伝言は『夜明けと共に墨俣に一夜城が"出来ている予定"。
敵に察知され追っ手がかかる前に至急清洲に戻られたし』だった。
だから帰りは泊まるどころか馬を走らせた。
馬がヘバるタイミングで、尾張領内に入ると同時のタイミングで替えの馬が待たせてあった。
日吉という男はどこまでも用意周到だ。
僕は何が起きているか意味がしばらくわからなかった。
でも信長は使者から伝言を聞いた途端に「急いで清洲に戻るぞ!」と動いた。
「相手の裏をかかない『奇策』など策の意味がない。
『敵を騙すにはまず味方から』と言う。
『何が起きているか?』は俺にはわからない。
でも日吉が『味方すら予測出来ない事態を起こした』事だけは理解出来る。
それに呼応して動くのが我々味方の役割だ」と利家。
少し見直した、ただの犯罪者じゃない。
一夜城が出来たからと言ってすぐに開戦した訳ではない。
織田と斎藤はしばらく睨み合う。
その後も小競り合いはあるものの、勝負は中々決さない。
しかし東を松平に任せて、美濃に全力が出せる上に、今まで無かった砦建設に成功した織田が徐々に戦況を押していくが、義龍陣営も一気に衰退した訳ではない。
その後整備された砦は『墨俣城』と呼ばれるようになる。
『墨俣城』は1586年の『木曽三川の大氾濫』により川のルートが変わり、川と隣接しなくなって廃棄される。
古代文明が川と共に発展したように、川は軍事的だけではなく人々の生活を支える上でも重要なのだ。
しかし廃棄はかなり先の話だ。
この時の砦は戦略上非常に重要な存在だ。
一方、室町幕府将軍『足利義輝』を担いでいた義龍は京への上洛を果たす。
しかし将軍義輝も磐石ではない。
三好長慶などは幕府に重用されてはいるが、少し前には幕府と対立し将軍暗殺を画策していた時期もあり、何度も戦っている。
戦国時代は仲間になったり敵対したりが普通なのかも知れない。
敵対した後『殲滅する』まで戦うケースと『和解する』ケースは半々だ。
戦国時代は周りが敵だらけなのが当たり前だ。
『勝ったは良いがこちらの戦力消耗も激しい。ここら辺で幕引きしないとこちらも敵と一緒に共倒れする。敵と一緒に第三の存在に滅ぼされる』と大名が判断する場合が多いのだ。
その点、織田信長の立ち回りは見事だった。
信長は取り囲んでいる脅威と『同時に敵対する』のではなく『脅威を一つずつ排除していく』事を第一に考えた。
『"三すくみ"の状態を作った者から衰退していく』と考えたのだ。
敵を増やさないために行おうとしている事の一つが『市を浅井に嫁がせる』だ。
膠着状態に入ったように見えた戦国時代だが、"畿内の雄"三好長慶の病死により事態は大きく動き出す。
しかしそれはもう少し先の話だ。
話を『一夜城建造直後』へ戻そう。
『何故朝倉義景に頭が上がらない浅井長政が織田から妻を娶る事になったのか?
朝倉義景は斎藤義龍と親交が厚かったんじゃないか?』
その通りだ。
浅井内部が『斎藤義龍との親交を広げるべき』だと考える者達ばかりなら市の輿入れは実現しなかっただろう。
しかし長政の父『浅井久政』は斎藤義龍と敵対して、実際に小競り合いとも言える戦を行っている。
つまり浅井家内には『反斎藤義龍』の者も少なくない。
だから市の輿入れは成立した。
言うなれば小谷は『中立地帯』だ。
だが小谷を出たら『中立』ではない。
信長に追っ手がかかるのは必然。
だから日吉は『早よ清洲に帰れや』と信長にメッセージを送った。
今日、近江の浅井長政の元にお市様が旅立つ。
前に小谷に行った時、お市様は信長の馬の後ろに乗っていた。
今回は輿に乗っていく。
「送って行く」と僕が言っても「馬にも一人で乗れないクセにどうやって一人で帰ってくるのよ」とお市様はクスクス笑うだけで本気にしなかった。
僕は餞別にチョコレートをお市様に渡した。
以前に「何で私は食べちゃダメなのよ!」と拗ねていたから。
ダメと言うか、食べさせるだけの量が無かっただけだ。
量さえ確保出来るならお市様は僕が『貴重なチョコレートをあげたいと思う人』の一人だ。
「この季節だから日向に置かなきゃ溶けないとは思うけど、あんまり暖かいところには置かないでね」と言ってお市様にチョコレートの入った桐の箱を渡す。
箱は修理大夫だった小六がお市様の為に手作りした物だ。
かつて『小六郎』と呼ばれた男は『一夜城』の功績が認められて『蜂須賀小六』という名の武将になった。
普請と台所管理が仕事の大半だった日吉も、今は武将として扱われている。
色々な事が『あの茶会の日』を境に動き出した。
お市様の輿の護衛をするのは柴田勝家という男だ。
織田信勝の謀反を信長に密告した功績で信長の陣営に加わったが、元は信勝の家臣。
全幅の信頼はされておらず、桶狭間でも美濃攻めでも清洲城で留守番を言い渡された武将だ。
僕はこの男が少し苦手だ。
かつての主を裏切り信長に乗り換えたからだろうか?
何故かはわからないが僕の勘が『この男には気を付けろ』と言っている。
城から出る前にお市様が僕の手を握りながら言う。
「結局、貴女に『小豆をあげる』約束は果たせなかったわね。
私は貴女に色々なお菓子をもらってばかりだった」
そんな約束もしたな。
すっかり忘れていた。
「そんなことないよ。
清洲にお市様がいなかったら僕はここに来ていない」と僕はお市様の手を握り返す。
「また会いましょう!
次こそは貴女に小豆を渡すわ」
そう言うとお市様一行は小谷に向けて出発した。




