閑話 転移者
豊臣秀吉の生まれは謎に包まれている。
それは敢えて秀吉が真実を隠したせいだろう。
文書によっては『皇族の落胤』だとされているが、その可能性は低い。
彼は例外だとしても、生年が明らかではない大名、武将は多い。
しかし『明智光秀』ほど全てにおいて謎だらけの者も珍しい。
生年が不明なのは当然。
『いつくらいに生まれたか?』も不明だ。
1516年生まれ説
1528年生まれ説
1540年生まれ説すらもある。
どこで誰から生まれたかも諸説ある。
誰に仕えていたかも定かではない。
斎藤道三に仕えていた説も、斎藤道三と敵対していた説もある。
突然現れて、突然信長を殺した・・・それが『明智光秀』という男だ。
「転移するなら地位と名誉が欲しい!
そのために遊びたいのも我慢して国立医大に入ったんだよ。
『人生これから』って時に命を落としたんだから!
あと医学を極めたい!」
男は叫ぶ。
『今まで品行方正に生きて来た貴方は転移する権利があります。
しかし地位と名誉と医学が希望ですか。
大きな希望は叶えられないはずですが・・・。
なのに、貴方の希望は大いなる意思によって叶えられるようです。
貴方がどの世界の、どの時代に転移するかはランダムでこちらでは把握していません。
それでは良い人生を!』
何か女神、やっつけ仕事だったよな?
忙しかったのかな?
他にも転移者がいるのかな?
「怪しいやつ!
何故ここで寝ている?
起きないか!」
何か首筋に冷たい感覚がある。
目を醒ました俺は首筋に刃物が突き付けられている事に気づいてビックリする。
「話せばわかる!
怪しい者じゃありません!」
俺はそう言うしかなかった。
「怪しくない者が城の中に忍び込んでいる訳がなかろう!」俺に刃物を突き付けている坊主頭のダルマみたいな顔をした髭もじゃの男が言う。
「城?
ここは城の中なんですか?」
「しらばっくれるな!
ここが美濃の稲葉山城、儂が『斎藤道三』と知っての狼藉であろうが!」
少しずつ状況が飲み込めてきた。
俺は戦国時代の美濃の斎藤道三の居城に転移したらしい。
「貴様の名は?」と道三。
「彦太郎と言います」
そうだ、この名前のせいで高校時代、一時期ネットを一世風靡したペンとリンゴを合体させる男と同じ名前で呼ばれたんだ。
それはともかく、この時代は確か、農民とか平民には名字がなかったんじゃなかったっけ?
名字を名乗ったら『曲者』扱いされかねないよな?
「・・・でその『彦太郎』が稲葉山城に何用だ?」
「『何用』と言われましても、偶然迷いこんで来てしまっただけでございます。
俺自身、何故ここにいるかはわからないのです。
大変ご迷惑おかけしております!」
俺はこのタコオヤジに泣きつく事にした。
だが稲葉山城に転移してきたのは本当に偶然だろうか?
『地位と名誉』を希望したからここに来たんじゃないか?
斎藤道三は確か、油売りから戦国大名に成り上がった男のはずだ。
斎藤道三に仕える事が、この転移先で『地位と名誉』を手に入れる近道じゃないか!?
俺も『成り上がれ!』と言う事じゃないか?
ここは斎藤道三に取り入るのが正解だろう。
しかしどうやって取り入ろう?
道三は俺を全く信用していないようだ。
俺は道三を注意深く見た。
すると、道三が肩で息をしている。
呼吸音も『ヒューヒュー』いっている。
「道三様、もしかして『喘息』ではないですか?」
「喘息?
儂がか?
貴様は医術の知識があるのか?」
「はい、南蛮の医術の知識がごさまいます」
確か2000年前から人類は喘息を認知してる。
喘息なら道三だってわかるはず。
「して・・・儂の喘息はどうすれば治る?」と道三。
「煙草を吸われているならすぐに止めて下さい。
後は薬があれば良いのですが・・・」
頭の中に薬の作り方が思い浮かぶ。
これが女神が言っていた『希望』か!
「薬を作るのには時間がかかります。
その間静養された方がよろしいか、と」と俺。
「『大名に静養しろ』と言う意味がわかっておるのか?
この群雄割拠の時代、大名に安息の日々はない。
大名に『休め』と言うのは『家督を譲れ』と言う意味なのだぞ?」
「治療の間だけ、どなたかに代理で大名をやってもらえないんですか?」
「『義龍』という息子がいて、いつかは家督を譲らねばいけないとは思っているのだが・・・しかし・・・」
「家督を譲ると言っても、あくまで『一時的に』です。
喘息の療養が終わったらまた大名へ復帰すれば良いではないですか」
「そう簡単に事が運ぶか・・・」
道三は何故か渋っている。
「喘息では存分に大名としての役割が果たせないでしょう。
最悪命を落とす事も考えられます!」
ここは斎藤道三に医術者としての俺を売り込むべき所だろう。
「わかった。
だが義龍では大名としては力不足だ。
尾張の『織田家』に娘の『帰蝶』を嫁がせよう。
尾張との同盟で儂が静養している間を乗り切るのだ」
こうして斎藤道三は一時的に家督を息子の斎藤義龍に譲る事になった。
俺は名目上、『土岐明智氏』の支流に養子に出された。
しかし養父、養母には会った事はない。
養父は『明智光綱』というらしいが、実在するかどうかも疑わしい。
道三が俺を士族にするために、デッチ上げた可能性すらある。
俺は『明智光秀』と名乗らされた。
「おい、キンカ頭!」
何だ、この無礼な男は?
「お前『光秀』と言うらしいな?
『秀』という字は『禿』という字に似ている。
つまり『光る禿』、『キンカンみたいなハゲ頭』だ!ワハハハハ!」
この無礼な笑っている男が『織田信長』だ。
斎藤道三の娘婿で、義理の父である道三を慕っているらしい。
俺の信長の第一印象は最悪だった。
だが、信長は事あるごとに俺に絡んできた。
俺は戦国時代で所帯を持った。
妻の名は『煕子』と言う。
『煕子』の従姉で身寄りがないから俺の義理の妹にした者がいるんだが、信長は妹の事を大層気に入っているらしい。
信長は妹の事を『ツマキ』と呼んでいる。
俺の嫁も『妻木』なんだが・・・。
つまり俺は『信長のお気に入りの女の兄貴』なのだ。
道三は茶の湯を嗜む風流人だった。
道三を慕う信長は、道三の影響で茶の湯に没頭する。
信長に室町将軍家を紹介したのも道三だ。
信長に茶人『千宗易』を紹介したのも道三だ。
「光秀、お前足利家に仕えないか?
儂が義輝様に光秀を推薦する」と道三。
いきなりではない。
斎藤義龍はどうも斎藤道三とは馬が合わないらしい。
道三に可愛がられていた俺も義龍の元では冷遇されている。
それを見かねた道三が俺に『足利将軍家に仕えないか?』と提案してきたのだ。
「どういう事ですか?」
「義龍は思っていた以上の愚か者だ。
一時的に儂から譲り受けた家督を手放す気はないらしい。
おそらく近いうちにあやつは儂に牙を剥くつもりだろう。
光秀も儂のそばにいては、この泥沼の家督争いに巻き込まれるぞ。
ここにいては危険だ、お主は将軍家に行け!」
「そんな、そもそもは俺が道三様に『静養して一時的に家督を譲れ』と言ったのが原因です!」
「お主は儂に『静養しろ』と言っただけだ。
あのまま大名を続けていたら儂は倒れていただろう。
義龍に家督を譲ったのはあくまで儂の意思、義龍をまともな後継者として育てられなかったのは全て儂の責任だ。
お主の責任ではない」
こうして俺は足利家に仕官する事になった。
足利家に仕官していた時、斎藤家のお家騒動『長良川の戦い』が勃発する。
俺も美濃に駆けつけ斎藤道三の陣営にくわわったが時既に遅し。
斎藤道三は息子の斎藤義龍に打ち取られた。
これは養観院が堺に転移してくる数年前の出来事だ。
養観院と彦太郎が日本にいたのはほぼ同時代だ。
しかし送り込まれた年号が彦太郎の方が若干早いのだ。
養観院が戦国時代に転移して来た時、既に斎藤道三は死んでいる。