奉行
「養観院を『菓子奉行』に任命する!」
何でこうなった?
話は僕が清洲城に到着した時に遡る。
お市様が僕の手を引いて清洲城の建物の中に入る。
日吉は僕とお市様の草履を入り口に揃える。
日吉とはこういう細かいところがある男なのだろう。
僕も魚屋でこの手の礼儀作法は叩き込まれているが、今はお市様に急かされているんで履き物を揃えている余裕はない。
お市様が城の奥へ、奥へと僕を引っ張って行く。
・・・まぁ、どこへ連れて行かれるかは大体予想はついてるんだけど。
お市様がピシャッと障子を開ける。
おいこら、部屋に入る時にノックしないで良いのかよ。
といっても障子にノックする場所ないか。
魚屋みたいに外から『失礼します』とかって声かけなくて良いのかよ?
案の定、障子を開けた部屋には織田信長が座っていた。
予想外だった事は来客が他にもあった事。
「あっ!
お客様でしたのね。
大変失礼しました・・・」
お市様は浮かれていた自分を恥じたのか、少し気まずそうだ。
一瞥した信長はこちらをつまらなそうに見ると「別に出ていかんで良い。
すぐに用事は終わる」と言った。
「そうは申しましても・・・」
「この方は今川義元公の配下、岡部元信殿だ。
鳴海城開城の条件として『義元公の首』が欲しいと申されている。
我々は義元公の首などは持っていないから『お引き取り願う』と言ったところだ」そう信長が眠そうに言う。
「しらばっくれるのもいい加減にしていただきたい!
義元様が敗走された『田楽窪』の方面には織田軍が伏兵を置いていたと言うではないですか!
何人かの今川兵が田楽窪で捕らえられているのも目撃されています!
義元様だけが、その伏兵の網から逃れたとは考えられない!
頼みます!
義元様の首を我々に返していただきたい!」
「そうしたいのはやまやまだが『ない袖は振れぬ』。
我々は義元公の首などは持っていない」
「おのれ・・・それでも武士か!」
「申し訳ないが交渉は決裂ですな。
岡部殿が持って来た土産の品もお持ち帰りいただきたい」
「土産の品は既に渡した物。
『返せ!』などとは言わぬ」
「因みに品物の中身は?」
「『薄皮饅頭』にござる。
信長公は甘党だ、と聞いたので・・・」
元信の言葉に信長は「ふうん」と唸った後、何故か僕の方を見て言った。
「養観院、確か『小豆の菓子が欲しい』と言っていたよな?
これはお前にやろう」
岡部元信は「チッ!」と舌打ちした。
気まずい。
本当にこの饅頭僕がもらって良いの?
とりあえず薄皮饅頭が包んである竹の皮を開けて触ってみる。
驚いた。
以前、栗蒸し羊羹を触った時には何ともなかったのに、今回は頭の中にこの『薄皮饅頭』のレシピが流れ込んでくる。
菓子作りの経験を積んだから、RPG風に言うと『経験値を積んでスキルを身につけた』んだろうか?
これで次回から『薄皮饅頭』が作れる!
小麦粉、砂糖、小豆・・・など予想通りの材料が並ぶ中に『トリカブト』という物騒な材料が入っている。
何度レシピを見返しても間違いなく『トリカブト』が入っている。
「これ、毒が入ってますよ」
「やはり、か」と信長。
「そ、そんな訳がない!
言いがかりだ!
毒が入っていると言うなら我が食べる!」
岡部元信が慌てる。
「岡部殿が毒を入れたなどとは思っておらん。
ただ、誰かが毒を入れた可能性がある、と言っているのだ。
そんな物を岡部殿に食べさせようとは思わない。
我々が田楽窪で捕らえた捕虜に食べさせてみよう」
奥の部屋の襖を開けると、そこにいたのは後ろ手に縛られた今川義元だった。
「義元様!?」
「この者は頑なに自分が誰なのか口を割らない。
『どういう刑に処すれば良いのか?』
困っておりましてなあ。
『そうだ、この饅頭の毒味に丁度良い』と。
刑としては軽いかも知れませんが毒味が終わったら解放しようか、と考えております」
「ちょ、ちょっと待っていただきたい!」
岡部元信は可哀想なぐらい狼狽える。
「饅頭に毒は入っていないのでしょう?
止める理由がわかりませんな」
「よ、よく考えたらこのような貧相な饅頭を土産物にするなど、信長公には失礼にあたる、と・・・」岡部元信は苦しい言い訳をする。
「とにもかくにも今回の交渉は決裂ですな。
岡部殿、お帰りはあちらから御願いします」
「い、いえ、ちょっと待っていただきたい!」
「では土産物の饅頭を受け取って、捕虜に毒味をさせるところからやり直しますか?」
「・・・・・・」
「それとも、この信長を毒殺しようとした事を認めるか?」
「・・・・・・」
「お帰りはあちらから、だ」
「捕虜交換の話し合いを!」
「お帰りはあちらから、だ」
岡部元信はすごすごと帰って行くしかなかった。
「そんなモノを僕にくれようとしたの!?」
岡部元信がいなくなると思わず僕は叫んだ。
「食べようとしたら止めるつもりだったのだ。
とにかく岡部元信の前で食べない事が重要だった。
岡部元信は俺と一緒に食べて、一緒に死ぬつもりだったのだろう。
・・・しかし、何故養観院は『毒が入っている』とわかったのだ?」
「菓子の中に何が入っているか『触ったらわかる』という特技みたいです」
「『みたいです』とは、まるで他人事だな。
菓子だけでなく普段の食事でもわかるのか?」
「いや、菓子限定でしょう。
他者の作った食事を今まで散々食べましたが、中に何が入っているかわかった事は一度もありません」
「つまり菓子であれば『毒が入っているか』完全にわかる、という事だな?」
「はい、おそらく」
「藤吉郎」
「はいよろしいのではないか、と」
信長は日吉を『藤吉郎』と呼ぶようだ。
それはともかく信長と日吉は充分な会話がなくても通じ合っているようだ。
「養観院を菓子奉行に任命する!」
えっ?
何だそれ?
因みに江戸時代に入ると『膳奉行』という役職が出来て、菓子や毒味も管轄している。
『菓子奉行』は戦国時代にあった『台所奉行』から『菓子部門』を切り離したモノだ。
更に因みに、信長は秀吉の事を『猿』と言った記録は一切見つかっていない。
動物にたとえた呼び名で信長が秀吉を呼んだ記録としては『ネズミ』『ハゲネズミ』というモノがある。
秀吉は信長に仕える際に『藤吉郎』と名乗っており、それは信長が『藤吉郎』と呼んでいたからではないか?と推測される。