台所
「信長?信勝?信秀?信友?
?????
・・・ややこしすぎる」
清洲城に向かう道中、僕は祐久からの説明で余計に混乱した。
「この道は信長様がかつて蟹江城から清洲城に攻め上がった時に通った道だ」と祐久から説明されたのが原因だ。
「清洲城って信長様の城じゃないの?」
「昔からそうだった訳じゃない」
「だったら誰が清洲城を治めてたの?」
「織田家には昔から家督争いがあったのだ。
信長様だけじゃない。
信秀様もだ」
「・・・そもそも信秀って誰よ?」
「そこから説明せねばいけないのか・・・」
祐久は頭を抱えた。
何度か説明を聞いたが、僕は余計にこんがらがった。
「大体わかった。
蟹江敬三とカニエ・ウェストが争ったんだよね?」
「一つも惜しい部分がない。
今までの必死の説明は何だったのか・・・」祐久は激しく落ち込んだ。
「叔父上、犬千代殿、お迎えにあがりましたぞ!」
前から馬で来た男が大声で言う。
犬千代は『嫌なヤツに会ってしまった』というウンザリした顔をしている。
祐久は「おお!日吉殿!」と特に嫌がっている様子はない。
どうやらコイツは年上には好かれる男らしい。
こういうヤツいるよねー。
・・・で、年下からは嫌われるヤツ。
逆のパターンもあるよね、年上からは嫌われるけど年下からは好かれるヤツ。
男の顔と動きを見て僕は「ハムスターみたいだ」と思った。
ハムスターって好きな人は好きだけど、嫌いな人にとっては『ただのネズミ』なんだよね。
僕?どちらでもない。
好きでも嫌いでもない。
そのはずなのに拒絶反応が凄い。
その理由は後からならわかる。
僕は直感的に日吉を許せなかったのだ。
日吉が、秀吉が田中を、利休を殺す未来をどこかで聞いた記憶があるから。
しかしそれは直感的にだ。
今、僕は日吉が秀吉である事も、田中が利休であることもわかっていない。
日吉は自分に向けられた悪意、害意に敏感だ。
父親を早くに失い、新たな父親の竹阿弥に虐待されて育った日吉が生きる為に身に付けた処世術だ。
後に日吉、いや秀吉は外国人宣教師達を『バテレン追放令』で追い出す。
秀吉は宣教師達の『弱者に施す』という見下した態度が気に入らなかった。
秀吉は宣教師達が民衆を見下して、権力者に諂う態度を嫌悪していた。
そうではなかったのかも知れない。
しかし秀吉の目にはそう映っていた。
権力者に諂いつつも、元々低い身分出身の秀吉は宣教師達にとって見下す対象だった。
それは宣教師達の日記に書いてある『秀吉評』を読むと明確にわかる。
ローマ法王自ら指名された『イエズス会』の宣教師から伝わったプライド、悪しき伝統だったかも知れない。
秀吉はそういった『卑下の目』には敏感だったのだ。
(祐久はチョロい。
犬千代は俺を警戒しているが嫌ってはいない。
・・・しかしこのガキは何だ?)
日吉にとって僕は今までに会った事がないタイプだった。
何を考えているか全くわからない。
日吉は一つ考え違いをしていた。
『人は生き残るために常に何かを考えて生きている』のが普通である、と。
しかし僕は『甘いモノ』の事しか考えていない。
日吉が考えを読もうとしても『葛餅を作るには・・・』という事しか考えていない僕からは何も読み取れない。
読み取ろうとしてはいけないのだ。
(とにかくこの女は要注意だ)
日吉は勝手に僕を警戒した。
「何で日吉さんは三河に来なかったの?」と僕。
「日吉って言わないで下さいよ、養観院殿。
今は『藤吉郎』って名乗ってるんですから。
・・・と、何で三河に行かなかったか、でしたね。
『普請奉行』『台所奉行』である私の役割じゃなかったからですかね?」
普請奉行だった秀吉が戦場で大きな成果をあげたエピソードと言えば『墨俣の一夜城』だろう。
その後、秀吉は戦場にも立つようになり、出世も加速する。
しかしそれは桶狭間の戦いから数年後の事だ。
一夜城建設は秀吉の優秀さだけではなく、部下の『蜂須賀小六』の持っている建築技術があって出来た事だろう。
しかし僕には『普請奉行』という単語は聞こえていなかった。
「『台所奉行』!?」
(何だこの娘は!?
今まで俺に興味を示さなかったクセに急に話に乗ってきやがった・・・)
日吉は面食らった。
「そ、そうですよ。
私は『普請奉行』と『台所奉行』も兼務しています」
「その『普請何とか』はどうでも良いんだよ。
『台所奉行』って何!?
『鍋奉行』みたいな感じ!?」
「『鍋奉行』ってのは私は知りませんが・・・。
『台所奉行』というのは文字通り、清洲城の『台所』をあずかる仕事です」
(この娘は何で『台所奉行』に食いついたんだ?
『台所奉行』とは"槍働きを誉れとする"武士としての功績からは縁遠い、多くの者が敬遠する仕事だろうに。
私は『人の嫌がる仕事』を率先して行う事で信長様に可愛がられてきた。
でも、この娘は『台所奉行』を"この世で最も魅力的な仕事"とでも思っているようだ)
その時、何事にも前のめりな日吉は初めて一歩後退った。