外伝 きな粉
時期は少し前の清州城に遡る。
この後、清州では『大焙煎ブーム』が起こる。
養観院が『代替コーヒー』のレシピを清州城下にバラ撒いたからだ。
松が日本に来たのはつい最近じゃないのか?
そうだ。
養観院が清州に伝えた『代替コーヒー』は実は本物のコーヒーより先に入ってきたのだ。
だから「何でもかんでも煎ってやれ」と節分でもないのに『煎り豆』がそこら中で売られていた。
養観院はそれを苦々しく思っていた。
理由は『煎り豆が嫌いだから』だ。
「あんなん、味も素っ気もない。
口の中の水分を奪うだけのモノだ!
ガキの頃嫌々、歳の数だけ食うモノだ!」と、養観院が『オヤツ』に関してこれだけ悪し様に言う事は珍しかった。
『お前ガキだろうが』と周りの人々は言いたかったけれど、ガキが大人ぶるのは今も昔も変わりなく微笑ましく見られるモノらしい。
どうやら養観院は『甘くないオヤツ』というのを憎んでいる。
『酸っぱい心太』
『皮の厚い夏みかん』
『固い煎り豆』
など嫌いなオヤツの傾向が見えて来る。
しかし養観院は『嫌いなオヤツ』を『嫌い』なままにしない。
心太は黒蜜で味付けし、夏みかんは寒天ゼリーの中に入れて『好きなモノ』に変えた。
では『煎り豆』はどう変えたのか?
養観院は嫌いなクセに城下町で大量の煎り豆を買って来た。
買って来た煎り豆を更に煎る。
煎った豆を今川義元のところに持って行く。
養観院は食べ物を今川義元に与える交換条件として、牢屋の中で暇している今川義元に煎り豆を砕かせていた。
砕いた大量の煎り豆を、更に蕎麦挽きの臼で粉々にする。
この状態を「きな粉」という。
しかし甘味はない。
ここに砂糖や黒蜜を混ぜた物が、世の中で『きな粉』と呼ばれているモノだ。
養観院は『きな粉』を大量生産したのだ。
何のために?
養観院の行動に計画性などない。
『清州から煎り豆を駆逐してやる!』とまるでどこかの調査兵団のような使命感で、煎り豆を大量買い付けして、大量の『きな粉』を作った。
砂糖が高い時代の話だ。
煎り豆代と砂糖代で養観院は使える金を使い果たした。
『養観院がワケわからない事に大金を使う』というのを松は知り尽くしていて、ヘソクリしてくれている。
しかし養観院は『有り金全部使った』と思い込んでいる。
「あ、明日からどうしよう?
きな粉以外に食べる物がない・・・」
分かりやすく養観院が膝をついて落ち込んでいる。
よく見る光景だ。
しょうがなく松は餅米を大量に蒸す。
間違えても養観院を『助けてやる』なんて態度は全く見せない。
松は『たまたま餅つき大会をするつもりだったんだ』という演技をする。
怪しいタイミングだ。
この演技に騙される人間はいない・・・養観院しか。
金目のモノが『きな粉』しかない養観院は、『きな粉』を『つきたての餅』に物々交換で替える。
養観院は餅にきな粉をつけて食べる。
・・・いけるやん。
ガツガツと養観院は餅を食う。
しかし養観院に商売の才能は全くない。
「ふぅ、お腹一杯。
ご馳走様でした!」と養観院は手を合わせる。
「終わるな!」心の中で松が突っ込む。
「いつでも助けてあげる」養観院にそう思わせてはいけない。
そうでなくても養観院のやることは出鱈目で刹那的だ。
『周りが何とかしてくれる』なんて思ったらどんな無茶苦茶をするか想像もつかない。
しょうがなく松は、ねねに頼む。
「養観院の代わりに『きな粉餅』を売って」と。
ねねの行動原理は養観院より意味不明だ。
だがねねには『素直さ』があって、『やって!』とお願いされた事を高確率でしてくれた。
そしてねねは『木下勘解由』に溺愛されていて、勘解由はねねが何かしようとしていると頼まれなくても無条件で手伝った。
養観院が満腹で長屋で寝転がっていると、何やら長屋の前が騒がしい。
好奇心だけは人一倍の養観院がひょっこりと長屋の外を見る。
どうやらねねが長屋の外で『何か』を売っていて、その『何か』が飛ぶように売れているらしい。
何かねねが『生き生きして』見える。
理由もなく羨ましい。
しかし養観院は『仲間に入れて』の一言が言えないお年頃。
モジモジしているしかない。
「ねねちゃんと一緒に『お店』やらないの?」
声の方向に振り向く。
そこにいたのはお市様。
この時、お市様は近江の浅井長政への嫁入り直前。
「他家に嫁入りしたら不自由も多いだろう。
今だけは少し自由にさせてやろう」と比較的、清州の街全体を自由に行き来出来ていた。
・・・とは言え嫁入り前の大切な身体。
出入り出来る所は限られていて、その一つに養観院の住んでいた『長屋』が含まれていた。
『気になったんじゃない。
お市様に言われて仕方なくだ』と養観院はねねのところに行った。
実のところ、口実が出来た養観院は嬉々としてねねの所に行った。
お市様は後から松に『ありがとうございます』と頭を下げられていた。
お市様が長屋に来たのは偶然だが、『ようかんちゃんに声をかけてあげて下さい』と松に頼まれたようだ。
「忙しい。
ちょっと手伝って」とねねに言われる養観院。
「しょうがないなー」養観院はきな粉餅の売り子をする。
しかし養観院はほどなく飽きる。
「全くこの娘は・・・。
まるで野生動物みたいな自由さね」とお市様はため息をつきながら言う。
売り子に飽きた養観院は素焼き陶器の粘土で何かをコネ始めた。
素焼き陶器は堺にいた時から牛乳など水分の容器にしていたから、時々窯で焼いていた。
金がない養観院は時々、こうやって窯で焼くモノをコネるのだ。
・・・ロクなモノはコネないが。
「何を作ってるの?」とお市様が養観院に聞く。
「埴輪」と養観院。
「『ハニワ』?
何それ?」
どうやらお市様は埴輪というモノを知らないようだ。
「何って言われても・・・『ハニワハヲ』って言葉を知らないの?」と養観院。
解説しよう。
『歯には歯を』とは?
紀元前十八年頃 バビロニア王ハムラビが作ったとされる法典の言葉の一部。
旧約聖書、ユダヤ教典にも伝えられている。
埴輪とは一切関係ない。
日本でも一部に伝わっていたかも知れないが、お市様は知らなかった。
「その『ハニワ』がどうしたの?」とお市様。
「・・・『ハオ!』」突然、養観院が叫んだ。
「な、何よ突然・・・」とお市様。
「『ハニワ』が『ハオ!』だよ!」
養観院は勢いでごまかそうとしている。
実は『歯には歯を』の意味を養観院は知らない。
「『ハオ!』ってどういう意味?」お市様は混乱する。
解説しよう。
『ハオ!』とは。
中国語で『好』と書く。
つまり『好ましい』という意味だ。
大体『美味しい』と訳す場合が多い。
つまり『埴輪ハオ!』と言えば「ハニワが好ましい」と言う意味になる。
『歯には歯を』と言う言葉とは全く関係がない。
「スピークアフターミー、ハオ!」
「よ、ようかんちゃん?」
「ハオ!」
「は、はお?」
「もっと元気良くハオ!」
「は、ハオ」
「聞こえないぞハオ!」
「ハオ!」
「アレ、何やってるの?」と松がねねに聞く。
「わかんない」とねね。
お市様が近江に嫁入りする日、養観院はお市様の荷物の中に素焼きの埴輪を忍び込ませた。
素焼きの埴輪はマヌケに丸く口を開けており、まるで「ハオ!」と言っているようだ。
口の中には飴玉が詰められており、口からコロコロと出てくる。
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「お市様」
「なあに?」
「コレは何ですか?」
「この筒は『ハニワ』を模したモノよ
ホラ、手が付いてるでしょう?
コレに小豆を入れて清州に送るの
小豆を欲しがってる娘がいるのよ」
「ただの筒なら簡単ですのに。
わざわざ手をつけて人形にするんですか?」
「その娘ね、私への餞別に埴輪の素焼きをくれたのよ。
だから私もお返しは『ハニワの人形』にするつもり」
『前も後ろも敵に囲まれている』
お市から送られた小豆が入っている筒から信長は包囲されていることを読み取ったとされている。
しかし筒には細い腕がはえている。