餅
養観院が元いた時間軸なら、信長は斎藤龍興にこの時期に大敗しているはずだ。
それを『河野島の戦い』という。
・・・そのはずなのに、斎藤龍興は既に長島に敗走している。
これが如何に大きな出来事であるか。
『斎藤氏が数年早く力を失った』だけではない。
『稲葉山城の戦い』が起きないのだ。
つまり『木下藤吉郎、出世の切っ掛け(きっかけ)』の戦が起こらない事になる。
それ以外にも時代の流れが数年前倒しになっている。
そりゃそうだろう。
信長にとって、物事は順調に進めばスケジュールは前倒しになる。
武田が信濃での北上を諦め上杉と手を結んだ。
武田の信濃北上は塩を求めてのモノだと言われている。
その証拠として上杉が武田に塩を送ると、先代『武田信虎』の時から続く『信濃進攻』を信玄は止めている。
そして武田は上杉だけではなく松平と同盟を結ぶ。
問題は『仏教を篤く信奉している武田信玄』と『仏教を軽視している織田信長』だ。
朝倉も『武田が反信長陣営につく』と思い込んでいる。
朝倉が相手にしているのは信玄の影武者なのだが。
清洲で療養中の信玄のところに影武者から連絡は入っている。
何もやっていないようで佐助は外部との連絡役を担っているのだ。
『朝倉が近々動く』
情報を得た信玄は悩む。
朝倉は母親の実家、言ってみれば親戚だ。
朝倉義景も『まさか信玄が信長陣営につく事はない』と考えて秘密を打ち明けたのだ。
ここで信長陣営についたら。
「あちらを立てればこちらが立たず、か・・・」信玄は呟いた。
「何で信玄はわざわざ隠すの?」と養観院。
「な、何を言っておるのだ?
儂は何も隠し事はしておらんぞ?」と信玄。
養観院は信玄の隠し事を見抜いたのではない。
養観院が言っているのは令和にいた時に商店街の福引きで当たった『武田信玄の隠し湯、山中湖温泉旅館に一泊二日で3名様ご招待!』の事だ。
「なぜ武田信玄は温泉を隠すのだろう?」と。
因みに当たった旅行プランは最低だった。
夕飯で出てきたのは干からびた刺身だった。
「何が悲しくてこんな山の中に来て、スーパーの刺身みたいなモンを食わなきゃいかんのだろう?」と父親はビールを呑みながら愚痴っていたが、甘党の僕は『桔梗信玄餅』と『みのぶまんじゅう』があるだけで満足だった。
それが養観院の疑問だったのだ。
それを武田信玄は『臭い、臭うぜ~、隠し事の臭いが、裏切り者の臭いがするぜ~』と言われたと思い込んだ。
養観院は餅にきな粉をまぶし、黒蜜をかけたモノを信玄に差し出す。
(わ、話題を変えなくては!)
「ほ、ほう。
これは何という菓子かな?」と信玄。
「信玄餅だよ。
アレ?
これ信玄が考案したんじゃなかったの?」と養観院は言うが、そんな訳はない。
「まあ、良いや。
それより答えてよ。
なんで隠すのさ?
隠す必要ないでしょ?」養観院は重ねて言う。
ついに信玄は降参する。
「わかった。
全てを信長公に打ち明けよう。
言われてみれば『清洲で療養させてもらいながら、その恩を忘れて敵方につく』など有り得ない裏切りよな・・・」と信玄。
「?」養観院はわかっていない。
聞きたいのは『何で隠し湯は隠すの?』という一点だ。
「約束する。
儂は信長公を裏切らない。
受けた恩は必ず返す!
それで今回は丸く収めてくれんか?」と信玄。
「お、おう」養観院は信玄の勢いに押されて生返事するしかない。
「そうと決まれば忙しくなるぞ!
『敵は近江にあり』だ!」
信玄は慌ただしく立ち上がり、信長の居室に向かった。
信玄は自分に言い聞かせているように見えた。
悩みを振り払っているのだろう。
本当は色々考えたはずだ。
『本当に織田信長に味方して良いのだろうか?』と。
養観院の『疑問』が信玄に決断をさせた。
養観院は間違いなく歴史を動かした。
・・・にも関わらず「逃げられた」と養観院は思っている。
結局『隠し湯』が何故隠されるのかはわからず仕舞いだ。
信玄から朝倉義景の企みを聞いた信長は・・・。
「この度の上洛、敢えて近江を通るのは止めよう。
大回りになるが、紀伊を海沿いに通るぞ」
こうして『織田信長』と『鈴木重秀』は邂逅する。