ボルト
今川と忍者を結び付ける考え方は多い。
藤林長門守が仕えていたから。
配下だった松平が『忍者』を重要視していて『服部』を使っていたから。
毛利元就に仕えていた忍者集団『世鬼一族』が今川の末裔と言われているから。
・・・など色々言われているが、忍者に関するキチンとした書物はほとんどない。
『雑賀衆』を「忍者集団だった」とする見方もある。
雑賀衆に関する書物も少ないが『雑賀孫一』の片腕だった佐武義昌は土佐に渡った時に『争う長宗我部元親と本山茂辰の両方から声をかけられたが、最初に声をかけてきた本山方についた』という記述があり、雑賀衆は傭兵『地侍』なのだろう、と推測される。
つまり今日肩を組み、同じ釜の飯をつついていた相手と明日は殺し合うのが当たり前の稼業、傭兵であったとする考え方が一般的だ。
因みに佐武義昌は『三好三人衆』に味方して畿内で戦っていた時期もある。
堺まで重秀と義昌は一緒だったが、そこで二人は違う依頼を受けた。
そこで重秀は堺に残り、義昌は四国へと渡った。
そこで重秀は新しい相方、石川五右衛門としばらく同道するのだった。
そんな重秀が義昌に『信長陣営には養観院がいるから戦いたくない』などと言える訳がない。
義昌に『地侍のなんたるか』を指導したのは重秀なのだ。
重秀や義昌がかつての仲間と戦い、手にかけたのは一回や二回じゃない。
かつての仲間を狙撃するのを躊躇する若き日の義昌に『情けをかけるな』と叱咤した事すらある。
そこに本願寺顕如からと、紀伊の民衆からの依頼だ。
「・・・少し考えさせてくれ」と重秀。
「『仕事を選ぶな』とは言わない。
金が全てではない。
命だって大切にすべきモノだろう。
だが今回は依頼は受けるべきだろう?
幸せな結末に終わった一揆など知らぬ。
局地的に武士に一矢報いた一揆や、一時的な勝利を得た一揆ならいくつかはある。
しかし最終的に一揆に参加した民衆は必ず握り潰される。
最悪、一族郎党皆殺しにされる。
『農民が武士に勝った』などという前例を武士共は絶対に残したくはないだろうからな。
でも黙ってられない、怒りの持っていく方法が一揆以外に有り得ない、というのが今回の蜂起だろう?
食うや喰わずの民衆が爪に火を灯すようにして集めた金で雇われなけりゃ、俺ら地侍など存在価値がないじゃないか!?」と義昌。
義昌の言う事は尤もだ。
ここが地侍のなけなしの正義感を発揮する場面なのだろう。
「民衆は良い。
しかし、良く考えてみろ。
なぜ坊主が民衆を焚き付ける?
『ここで死ね』と言ってるようなモノなのだぞ?
坊主達は民衆の楯になって首を差し出さないだろう?
それどころか『武士共は寺院を攻められないだろう?』と高みの見物を決め込もうとしている節すら感じる。
俺はそれが気に食わない。
民衆には命を捨てさせておきながら・・・」と重秀。
「だったら我々は民衆の味方をしないのか?
別に『本願寺顕如』の言う事に賛成とか反対とかではないだろう?」と義昌。
重秀とてわかっている。
これは河の流れのようなモノだ。
一ヶ所を手でせき止めても、全体の流れを止められる訳もない。
いくら『本願寺顕如の綺麗事が気に食わない』と言っても『雑賀衆』として、紀伊の民衆の味方をしない、という選択肢はない。
「まあ、わからないでもないがな。
しょせんは本願寺顕如は公卿の養子、民衆の立場などわかる訳もあるまい。
いくら民衆を煽ったところで『お前が言うな』という感じは拭えぬよな」と義昌も重秀の心情に理解を示す。
だが重秀の抱えている心境はもっとパーソナルなものだった。
紀伊半島の動きは雑賀衆にも届いている。
『信長が伊賀に現れた時に少女を連れていたらしい』
少女とはおそらく、いや、間違いなく養観院だ。
何故か信長は養観院を連れ歩いているようだ。
信長が上洛する時に養観院を連れ歩く可能性は?
・・・でも伊賀に養観院を連れて行った理由は何だ?
信長一行を銃で蜂の巣にしたら、養観院も蜂の巣になってしまうのではないか?
「・・・わかったよ。
信長は俺が必ず射殺する。
だからお前らは一切手を出すな」
自分だけが単独行動で射撃し暗殺する。
そう重秀は宣言した。
――――――――――――
話は数年前、桶狭間の戦い直前の三島につく前の漂流中の舟の中に戻る。
養観院が船酔いでグロッキーになっているとカン、カンと何かを叩くような音が聞こえる。
養観院が寝っ転がりながらも頭だけ、音がする方向に向ける。
音の方向には火縄銃をバラしてメンテナンスしている重秀が。
「悪い、起こしちまったか。
でもいざ、という時に何時でも使えるように手入れしとかないといけないんだよ」と重秀。
「・・・そうなんだ」
養観院は船酔いでそれどころじゃない。
でもメンテナンスの音は船酔いの頭の芯に響いて正直、止めて欲しい。
だが重秀が銃を使うのは養観院を守るためでもある。
養観院はその音を我慢する事にした。
火縄銃のメンテナンスが終わった。
やれやれ、と養観院が胸を撫でおろしていると重秀が新しい火縄銃をバラし始めた。
「まてい!
そりゃ何だ!?」と養観院。
「『何』ってこれが火縄銃以外の何に見える?」と重秀。
「そんな事を言ってるんじゃない!
手入れならさっき終わったじゃないか!」
「あの銃の手入れは終わった。
この銃の手入れはこれからだ」
「何で二丁なんだよ!?」
「二丁じゃない。
四丁だ」
「そんなに必要か!?」
「必要なんだよ。
同じ銃を使い続けてると、銃身が熱を持ってきて曲がる。
曲がると当然狙撃の精度が落ちる。
曲がった銃身をさっきみたいに定期的に叩いて修正する事も必要だ」
さっきのカンカンいう音は銃身を叩いてたのか。
「しかし、そんなに頻繁に銃身が曲がるなんておかしくない?」と養観院。
「それはしょうがない。
銃身に火薬のカスが詰まってしまうんだ。
その火薬が熱を持って銃身を曲げてしまう。
多少の曲がりを『仕方ないモノ』とする使い方もある。
多くの銃で沢山の弾を撒き散らす場合なんかは、そこまでの精度は求めなかったりする。
しかし『狙撃』で使う場合はそうはいかない。
『百発百中』が求められるのだ」と重秀。
「ふーん」と養観院はバラされた銃身を持って眺めてみる。
「おい、気を付けろよ?」
「大丈夫だよ。
バラされてたら『ただの筒』でしょ?」
「筒じゃないぞ?
片方は穴が開いてるが片方は穴が開いてない」
「何で?」
「穴が塞がってないと手前にも弾が飛び出してきて危ないだろうが。
だから穴が塞いであるんだよ」
「そういう話じゃないんだよ、ねっ!」と養観院が塞がっている部分に力を込める。
「ようかん、何やってるんだ?」と重秀。
「それはこっちのセリフだよ。
何でここだけバラさないのさ?」
養観院は筒の根元の塞がっている四角くなっている部分を先ほど重秀が銃身を叩いていた槌で少し力を入れて叩く。
根元の四角い部分はクルクルと回りながら弛むとポロリと外れた。
四角い部分はボルト状にネジが切ってあったのだ。
ボルトが外れたところからはボロッとかやくなどのカスが出てくる。
これだけ使う度にカスが詰まるなら、精度など狂って当たり前だ。
「そこ、そういう仕組みになっていたのか!・・・何でようかんは知っているのだ?」と驚きながら重秀が言う。
「何でって言われても・・・」中学時代の技術の授業でボルトの『ネジ切り』とか普通にやったし。
トイレとか台所の鉄の配管、大体こうやってボルトで塞き止めてあるよね?
令和から来た養観院は『鉄の管はボルトで塞き止める』というのが当たり前だが、戦国時代の日本にはボルトというモノが存在していなかったのだ。
輸入された火縄銃にはボルトが使用されている。
日本で作られた火縄銃に精度が出ない理由は『部品を作る技術が未熟だから』だ。
ボルト、ナットの仕組みを日本人で最初に解明したのは養観院である。
そして和製の精度の高い火縄銃が量産されるようになる。
その技術を得た雑賀衆は、それまでの四倍の狙撃精度が出る火縄銃の開発に成功する。
その銃を『狙撃の天才』鈴木重秀が使って織田信長を狙撃する。