温泉
「宿を探そう。
日が暮れたら宿を探すのが一苦労になる」と僕。
「宿なんて探すのはそんなに難しくないだろう?」と重秀。
「いや、温泉付きじゃないと嫌だ!
海風に当たって肌はテカテカ、髪はゴワゴワなんだよ!
頼む!
温泉宿に泊まらせてくれ!」僕はダダをこねる。
「そうは言っても温泉宿は高いからなぁ。
倍どころじゃない」
因みに戦国時代の宿代は全国一律二十四文だったらしい。
しかし枕代は別途取られたし、大部屋の雑魚寝状態だった。
そして温泉宿は一人百文近い金が取られた。
「そんな贅沢がしたいならなんで鏡なんて買って贅沢したんだよ!?」と五右衛門。
「だって欲しかったんだもん!」
五右衛門に責められる僕を見ながら重秀はため息をつく。
「宗易さんが言ってた『ようかんはあるだけ金を使ってしまうから金は重秀が管理してくれ』ってのは本当だったんだなぁ」
「金持ってるの!?
だったら卵と砂糖が欲しいんだけど買って良いかな!?」と僕。
「高いモノばっかり欲しがってるんじゃない!」
・・・と言いつつも結局砂糖と卵だけじゃなく、小麦粉と牛乳と菜種油を手に入れた。
「確かに元々俺の金じゃないが、へそくりがあるのをバラしたのはまずかったかな?
五右衛門はどう思う?」と重秀。
「・・・・・」
五右衛門は途中から僕と重秀の話を全く聞いていない。
「五右衛門、どうしたの?」と僕。
「・・・いや、気のせいだろう。
何でもない」
五右衛門、それはイヤでも気になるだろうが。
まぁ、それより今は風呂だ、風呂!
僕は風呂場に入って行こうとした。
「おいおい、そっちは男湯だぞ」と重秀。
どうも慣れないね。
『心は男だ!』って男湯に入って行くかどうかってのは未来の日本の考え方だろう。
そういや心が女の人が女湯に入る話は聞いたけど、心が男の人が男湯に入る話は聞いた事がないな。
そんなのどうでも良いか。
そもそも僕は心が男なんだろうか?
身体が強制的に女性になって気持ちの事は考えないようにしてきた。
だって考えてもしょうがないじゃん。
元の身体は潰れててもうないんだし。
転移を拒否してたら虫とか魚になってた可能性だってあったんだよ?
しかも人間だった時の記憶は一切なくなるんだよ。
ハエ叩きで潰される命だったとしたら女なくらいしょうがなくない?
「何をボケっとしてるんだよ?
風呂に入りたくないのか?
ようかんが風呂に入りたいって言うから何倍もの金を払って温泉宿に泊まったんだぞ?」と重秀。
今更『やっぱり風呂は入りたくない』なんて言えない空気だ。
僕はドキドキしながら女湯に入って行った。
魚屋にも従業員用の大浴場があったがいつの間にか『ようかんは一人で風呂に入りたがる』というのが定着した。
先輩の従業員達は僕の胸元を見ながら「そのうち大きくなるから気にしなくても良いのに」と憐れみの込めながら言っていたが、それはとんだ誤解だ。
しかし時間が早い。
この時間なら誰も入っていない可能性が高い。
入るなら今だ!
僕は着物を脱ぐと浴室に飛び込んだ。
案の定風呂は空いている。
・・・とはいえ湯煙で人がいるかいないかまではハッキリ確認出来ない。
見えないんなら好都合だ。
向こうからも見えないし、こちらも気まずい思いをしなくても済む。
『女の裸を見たくないのか?』と言われるかも知れない。
僕は悟った坊主みたいな境地にある訳じゃない。
転移したての頃には自分の裸を見て『うぉぉぉぉ、裸だ!女の裸だ!』ってちゃんとエキサイトした。
でもエキサイトしたのは最初の三回まで。
四回目に裸を見た時に僕が思ったのは『だから何なの?』だった。
「あら、ビックリしたわ。
こんな時間にお風呂に人が入って来るなんて」
後ろに人がいた。
僕はドキドキしながらも「お邪魔しています」と遠慮がちに言った。
「『お邪魔』も何も別に私のお風呂ではないもの。
貴女も旅の人?」
声の主はおっとりしている。
「うん、堺から来た」
「私は出雲から来ました」
出雲ってどこだ?
いまいちわかんないんだよね、昔の地名。
「出雲そば、美味しいよね?」
僕の出雲の知識終了。
そもそも出雲そばと普通のそばの違いわかんねーし。
あ、あと出雲駅伝も知ってる。
でも相手がきっと駅伝知らんわな。
「?」
湯煙でよく見えないがきっと相手は「アンタ何言ってるの?」というリアクションをしている気がする。
「私は出雲から歩いてここまで来ました」
女性は言う。
こんなおっとりした人が歩いて来れるんだから三島と出雲って近いんだろうな。
きっと出雲って『熱海』か『沼津』あたりの事だよな?
「僕、『バナナワニ園』に行った事あります!」
「ばなな・・・何です?」
彼女は『バナナワニ園』を知らないらしい。
出雲は熱海の事じゃないのか?
熱海に住んでる人が『バナナワニ園』を知らないなんて有り得ない!
この時、僕は何故か『この時代にバナナワニ園はねーだろ』という発想に至らなかった。
それに『バナナワニ園』があるのは熱海じゃなくて熱川だ。
「私は『ややこ踊り』という踊りを披露しながら回ってるんですよ。
踊りを見た人たちから御駄賃を頂いてる身としては贅沢は出来ないんですが人に見られてお金をもらっている関係上、たまにはこうやってお風呂に入って身体を綺麗にしないといけないんです」と女性。
大道芸人みたいなモノか?
「そういや今日、三島大社の境内に踊りを踊って観衆からお金を集めてる人がいたよ。
確か『名古屋山三郎』とか名乗ってたかな?」
「・・・少し興味がありますね。
明日、三島大社に行って見ます」
風呂で会った女性は『出雲阿国』だ。
後に夫婦になるという話もある『出雲阿国』と『名古屋山三郎』に出会いのきっかけを作った事を僕は知らない。
『出雲阿国』は健脚で歩くのが速い。
だから『歩き巫女』『実は忍者なんじゃないか?』などと言われる。
1603年に死んだと言われる『名古屋山三郎』と1603年に女院御所で踊ったという記録が残っている『出雲阿国』は「年代が合わないんじゃないか?」という話もあるが、出雲大社の近くには『出雲阿国』と『名古屋山三郎』の墓がまるで夫婦のように並んで建っている。
少し長湯になってしまった。
「それじゃあお先に」と僕は女性に声をかける。
「えっ?
もう風呂から上がるんですか?」
女は長湯すぎるんだよ。
僕はカラスの行水でかまわない。