坂上忍
岡崎に帰る本多忠勝と榊原康政を清洲城門から見送る。
徹夜続きの養観院は猛烈な眠気に襲われた。
無理もない普段なら養観院は一日十四時間は寝るのだ。
長屋に戻った養観院は電池が切れたオモチャのように倒れた。
養観院は目を醒ます。
昼前だったはずだ。
真っ暗だ。
そして暖かい。
心なしか良い匂いもする。
身体の自由が効かないが拘束されているような息苦しさはない。
「モゴモゴ!ぷはっ!」
養観院は何かに顔を埋めていたようだ。
背中にも何かが張り付いている。
段々と暗闇に目が慣れてくる。
どうやら養観院は部屋で義昭とねねに挟まれて雑魚寝していたようだ。
『川の字』というには三人は密着しすぎていた。
養観院が顔を埋めていたのは義昭の胸だったのだ。
「危ねー!
義昭様だから助かった!
松様とか帰蝶様だったら窒息してたかも・・・」と養観院は失礼な事を口走る。
確かに義昭はあんまり胸のボリュームはない。
それに対して松様は『古いオッサン的表現』で言うなら『ボンッ、キュッ、ボンッ』だ。
でも養観院を『古いオッサン的表現』で言うなら『キュッ、キュッ、キュッ』なので、人の事はとやかくは言えないだろう。
養観院は背中に張り付いている『ねね』を剥がして起き上がる。
養観院が起き上がると、義昭とねねがキュッと抱き合う。
ねねに少しでも色気があれば百合百合しい光景、として白ご飯三杯くらいはいけるのだろうが、目の前の光景が微笑ましくしか感じない。
完全に目が醒めてしまった。
仕方ない。
散歩に出掛けよう。
養観院は清洲城に忍び込む。
忍び込んでいるはずなのに門番に「おはよう、今日は随分早いね!」と声をかけられる。
どこに行こうか?
そうだ!地下牢に行こう!
パトラッシュ元気にしてるかな?
地下牢に行こうと中庭を通ると、そこには乾布摩擦している武田信玄が。
「おい、こら病人!
大人しく寝てろ!
悪くなっても知らんぞ!」と養観院。
「ようかんちゃん!
儂を心配してくれるのか?」と信玄。
「そういう訳じゃないけど。
男の裸みても嬉しくないだけだよ」
「女の裸なら嬉しいのか?」と信玄。
「そういや、そんなに嬉しくないな。
それより僕は行くところがあるから。
それじゃあね!」と養観院。
「儂もついて行って良いかの?」
「別に良いけど。
面白い物じゃないよ?
『今川義元』のところに行くだけだよ。
それでも良いならついて来なよ」
ルイス・フロイスは「織田信長が格別愛好したのは茶の湯の器、良馬、刀剣、鷹狩りだ」としている。
簡単に言えば信長はコレクターだった。
信長は馬や鷹など動物を沢山飼っていたのだ。
坂上忍みたいなモンだ。
だから養観院に『パトラッシュを飼って良い?』と言われた時『うん』と言わざるを得なかった。
父親が子供に『お父さんだって色々沢山飼ってるじゃん!』と言われるようなモノだ。
普段から帰蝶に『ちょっと馬も鷹も飼いすぎじゃないですか?』と注意されている。
だから何だかわかんないけど『飼いたい』とせがまれて『ダメ』とは言えない。
せめて『今川義元』がどんな生き物かは確認すべきだった。
武田信玄は養観院に「パトラッシュを見せてやる」と手を引かれて、地下牢へ向かう。
武田信玄は養観院と手が繋げてデレデレだ。
信玄は佐助から『養観院は子狼を飼っている』と情報を得ている。
だから『ぱとらっしゅ』とやらがただのペットだとは思っていない。
もしかしたら子熊かも知れない、そう思っていた。
そうだ、信玄は簡単には驚かない。
天下の『武田信玄』なのだ。
『動かざること山の如し』なのだ。
地下牢に到着する。
見張り達は武田信玄を見て『通して本当に良いのかよ!?』とアイコンタクトを行う。
しかし、結論が出る前に養観院は信玄を地下牢に連れて行ってしまう。
武田信玄は驚きのあまりフリーズする。
情報過多で処理速度が追い付いていかないのだ。
信玄が地下牢で見たモノはかつて『兄者』と呼んだ男だった。
落ち着いた雰囲気で必要以上に老人と思われがちだが信玄は義元より二歳歳下だ。
二人は義理の兄弟だ。
因みに北条氏康も二人の義理の兄弟だ。
だから武田、今川、北条は元同盟国だっだ。
その同盟関係が何故崩れたかには諸説ある。
『武田が今川との同盟関係を破った』という説もある。
『第一次川中島の戦い』の仲介に入ったのは今川義元だ。
この時間軸で『川中島の戦い』は一回しか行われていない。
つまり、少し前まで武田信玄は今川義元を大きく頼りにしていた。
同盟の反古には武田の『国土の狭さ』『貧困さ』が関係する。
義元がいなくなり駿府の実権を握った『今川氏真』は「武田と組んでいても利がない」と判断した。
その判断は間違ってはいない。
甲斐は農地として貧弱な土地を抱えるだけで海運もなければ海産物も取れない。
当然だ、海と面していないのだから。
氏真は極端に弱体化した今川氏にとって『武田との同盟関係は不要だ、むしろ今川が勢力を伸ばすべきは甲斐方面だ』と判断する。
そして北条に呼び掛けて『塩止め』を武田に対して行うのだ。
それに呼応して北条は『塩止め』を行う。
しかしそこに氏真の誤算があったのだ。
『今川に塩止めを徹底出来るだけの力は既に残されていなかった』のだ。
結果、北条は今川に呼応したのに『北条が単独で塩止めを行った』ような結末になったのだ。
こうして三国同盟は完全に決裂する。
氏真を弁護する訳ではないが、氏真の『武田が桶狭間で今川に援軍を送ってくれたら全く結論が変わっていた。何で援軍を送ってくれなかったのか?こんな同盟関係なら必要ない』という考えも道理だ。
武田の軍は最強ではあったが、武田の貧困は深刻で、他所の戦に介入しているような余裕などない。
色々お互いに言い分はある。
複雑な感情もある。
武田信玄と今川義元は気まずそうに目線を交わして動けない。
そんな空気を全く読まずに養観院が明るく言う。
『武田信玄、これが今川義元だよ!』




