第1話 武具店のお仕事――青い薔薇という名の暗殺者――
今月も、ギリギリ黒字かな……。
びっしりと数字が書かれたノートを眺めながら、とりあえずの黒字にほっと一安心する。
これ以上旦那さんが落ち込む姿は見たくないし、少しでも喜んでくれれば、それが一番いい。
「アイナさん、僕、買い出し行ってきます。ついでに何かめぼしい物がないか見てきますから」
コクリ頷くと、私の旦那様であるラズマさんは一人で表へと出て行ってしまいました。
小さなお店に二人きりでいると、いつもラズマさんは何かをしに出て行ってしまいます。
たまには二人でのんびりカウンターでお話とか出来たらいいのに。
職人気質なのかな……じっとしていられない所も、可愛くて好きですけど。
しん……とする店内を眺めて、一人ため息。
さっきまでいた旦那様がいなくなると、このお店は途端に広く感じてしまいます。
丁寧に磨かれたショートソードに、ロングソード、ハルバードにスピア。
どれもこれもこの街周辺の魔物ならば、使う人が使えば綺麗に一刀両断が可能な一品。
私の旦那様が丁寧に砥いだ武具は、惚れ惚れしてしまう程に素晴らしいのに。
だけど、この街周辺はギルドが定めた冒険者ランクBが主体のエリア。
二流の人たちしか来ないこの街では、売れるのは剣よりも包丁の方が頻度が高いのです。
せめて冒険者ランクAだったら、もっと売れるのにな。
「お、今日はアイナさんだけですか、これは運命かもしれませんね」
お店の扉が開くと、常連さんの一人、近所にお住まいの没落貴族、マッケニーさんが入店してきました。
ぺこりお辞儀をすると、独身貴族でもあるマッケニーさんは手近にあった飾り物のブローチを手にし、カウンターへとやってきます。
「これを、貴女に」
「百五十メルになります」
「相も変わらずお美しい声だ。それで、どうだろう? 以前も嘆願したが、ラズマと離縁して私と一緒になってはくれないだろうか? 豪商ガルド家の三女、氷の令嬢と謳われていた貴女が我がマッケニー家へと嫁いでくれれば、お家復興も夢ではない。その方が豪商ガルド家としても相応しい……そうは思いませんか?」
「お買い上げありがとうございました」
「ふふ、この百五十メルでアイナさんとの会話が出来るのであれば、安い買い物さ。また来るよ、百五十メルを稼いでね」
ふくよかなお腹をたぽんたぽんさせながら、マッケニーさんはお店を後にしました。
氷の令嬢なんて呼ばれてたのは、もう随分と昔の話なのに。
腰まで伸ばした氷雨のような薄青い色をした髪に、それと同じ瞳。
そんな私の風体を称して、いつの間にか氷の令嬢なんて呼ばれた事もありましたけど。
無口なだけ、人と喋るのが苦手な私は、いつも引き籠ってたから。
縁談も全部逃げてました、殿方と一対一とか、絶対に恥ずかしくて死んでしまいます。
でも、私なんかよりも立派な二人のお姉さまは、十六歳で結婚し、家を出てしまいました。
政略結婚……なんて側仕えの者たちが噂してましたけど、それだとしても素晴らしい事だと思います。
事実、お姉さまたちは豪商ガルド家の名に恥じない、立派な働きをしているのですから。
侯爵家嫡男と婚姻し、海を渡り諸外国との国交を開始した長女のミーナお姉さま。
商業ギルドの嫡男と婚姻し、数多にある派閥を取りまとめんとする次女のメイナお姉さま。
私には絶対に出来ないと思いました。
口下手で商才もない私には、小さいお店できりもりするぐらいしか出来ません。
逃げに逃げた結果、二十二歳でお見合いしたのが、ラズマさんでした。
「ラズマ・クライオルドです。父さんから店を譲り受けて、小さいながらも武具店を営んでおります。でも……ごめんなさい、あまり売り上げが良くなくて、今月も赤字になりそうなんです。お見合いで言うことじゃないって思うかもしれませんが、でも、正直じゃないと商売なんて出来ないでしょうから」
少しだけ伸びた茶髪、手首や二の腕、首元で分かる意外にも鍛えられた体。
優しさがあふれ出る喋り方や仕草、バカみたいに正直なことを打ち明けてしまう性格。
一目惚れでした。
素朴な感じが素敵です。
正直者な所も好まれます。
小さい武具店も私の理想です。
だけど赤字は頂けません。
クライオルド家とは昔からのお付き合いがあり、次男さんだけが伴侶が見つからないまま、既に二十二歳……つまり、私と同い年になってしまったのだとお聞きしました。
お姉さまたちとは違い、完全に縁故な縁談。
政略も魂胆も何もないこのお見合いは、単純に私達の将来を心配しての縁談でした。
でも、互いに後がない者同士のお見合いでしたけど、私はそれはもう、この人を逃したら多分一生独身なんだろうなという天啓に従って、その日の内にお返事をしたため、三度目の逢瀬で婚姻を承諾しました。
でも、私が嫁いだ所で、店の売り上げが上がる訳ではありません。
むしろ食費倍増で赤字に陥ってしまう可能性の方が高いのです。
一日の売り上げ百五十メルでは生きていけませんし、そろそろ稼がないと。
「ハゾ……」
「はっ、アイナ様、ここに」
「今夜決行、アリューゼ伯爵家」
「かしこまりました」
天井から聞こえてくるハゾの声は、どこか嬉し気です。
私が嫁いでから三か月、なんの行動もしていなかったからでしょうか?
「武器はウチの、ね」
「ありがたき幸せ、では――」
「一本一万メル、ね」
「……かしこまりました」
身内にこそ厳しく、ガルド家の家訓です。
影から影に消えていったハゾを見送って、私は馴染みのある武器を一本手に取る。
防犯用として置いてある毒の王、バイトキングの胆嚢が塗りこまれた猛毒剣。
豪商ガルド家は裏の顔を持つ。
盗賊団ドルガ、悪から大金を奪い取るのを主として暗躍する義賊。
入手金は七割お父様へと送金しないといけませんが、三割は私のものです。
悪政を施している伯爵家様には、正義の鉄槌を下さないといけません。
――夜。
「……貴様、こんな事をしてタダで済むと思っているのか」
豪奢な室内で一人、喉元に剣を突きつけられている男がいた。
男の名はホメトロン・R・アリューゼ、付近一帯の町村を領地に構える伯爵候その人。
黒ずくめの人物はアリューゼの言葉に耳を貸すことなく、無言のまま更に詰め寄る。
「俺が税収を上げた村人からの依頼か? あんな奴等に従うくらいなら俺に鞍替えした方が良い。いくらだ? いくらで雇われたんだ? 俺ならその倍額を支払ってやる事が出来る。今回のことも誰にも言わずに黙っててやる、どうだ?」
わずかな沈黙、三呼吸ほどした所で、その人物は剣を収めた。
頬を伝う汗を拭いながら、アリューゼは背を向けた人物へと語りかける。
「……交渉、成立と言ったところか。ふふっ、我が屋敷に侵入してくる程の強者だ、さすがは良い判断をする。教えてくれないか、一体お前はどこの村の依頼で動いたんだ? お前程の強者となると、それ相応に値が張ったはず。……まぁ、答えずとも良いがな」
アリューゼ伯爵は、野心家である事でも有名だった。
敵対する相手は蹴落とし、弱者からは吸い上げるだけ吸い上げる。
かと言って愛国心がない訳ではない、国の決まり事にはしっかと従う。
従った上で、その言葉を湾曲して理解し、暴挙に出るのだ。
伯爵の悪政によって廃村になってしまった数は、枚挙にいとまがない。
貴族ならば、彼の二つ名を知っている。
【|強欲なる無慈悲の詐欺師】
その二つ名の通り、彼は論調を変えることなく、背後に忍ばせた短剣を握り締める。
そして普段と変わらぬ歩調で、さも当然のごとく侵入者へと近寄るのだ。
よほど憎い相手ではない限り、殺害する相手に対して宣告などしない。
死ねという言葉で相手に知らせるなんて、なんて慈悲のある行為なのだとせせら笑う。
「よって、殺す時は無口、それが私のやり方だ」
後ろを向けた相手の背に、深々と剣が突き刺さった。
殺った、もう数える事も出来ない程の感触が、彼に成功を知らせる。
「成し遂げた後に語ればいい、悔しがる顔を見ながらな」
忍び込んだ輩がコイツだけなのだろうか?
先ほどから屋敷が賑やかだ、もしかしたら他にも集団で忍び込んだのかもしれない。
アリューゼがそんな事を考えていた瞬間――――
殺したはずの相手が目の前に立ち、その身をひるがえした。
「が、――あ?」
プシュウウウウウゥと噴き出る血。
それが自分のものであると知ったアリューゼは、その場に崩れ落ちる。
必死に喉元を押さえ、これ以上血が出るのを防ごうとするも、止まらない。
「ぎざま、ぎざまああああぁ……」
何もかも諦めた男に対して、侵入者は目隠しの部分だけを外した。
青い氷雨のような瞳を見たアリューゼは、最後にこう呟く。
「青い薔薇――――」
パンッ――――という軽快な音と主に、それは切断された。
無慈悲に、なんの躊躇もなく、アリューゼの頭と胴体は永遠のお別れをしたのであった。
――――後日。
「聞いたかいアイナ、領主様であるアリューゼ伯爵家が盗賊団に襲われたらしい。備蓄してたメルや食料、色々な物が根こそぎ奪われたとか。アリューゼ伯爵もその身を隠したと聞く……それでねアイナ、冒険者ギルドがこのエリア一体をランクAに上げるって発表したんだ。盗賊団だけじゃない、凶悪な魔物もいるかもしれない。アイナも外出する時は今まで以上に気を付けてね」
私の心配をしてくれるんですね……ありがとうございます、ラズマさん。
大丈夫です、ラズマさんの手入れが行き届いた武器ならば、この辺の魔物は余裕でしたから。
やっぱり口には出せないから、無言のままコクリと頷くだけにしておきます。
悩んでる姿も素敵……貴方の為に、この店の為に、アイナは全身全霊を尽くしますからね。