1日目 退屈な日々の終わり
永久の闇が空という空を染め上げ、覆い隠している。
大地には草木の一本も存在せず、生命などというこの世には過ぎたるものを根切りにして久しい。
我が作り上げしこの世界は、なんと心地が良いことであろうか。
そう、心地が良い。私に仇なす存在は最早この世の何処を探しても無く、稀にかつての怨念から“勇者”と呼ばれし愚劣な者どもがその身を捩らせながら我が世界を穢そうと試みたとしても、遍く配置した“子供達”がそれを見つけすぐさま殲滅する──。
“下剋上”という言葉はない。私の裁量によりこの世界から抹殺した。
無論、ここに至るまで険しい道のりではあった。様々な艱難辛苦にも耐えてきた。仮初ではなく、真に骨のある人間達──自称ではなく、広く万民に認められていた“勇者”──に寝首を掻かれる、そう内心怯えた夜もあった。しかし、私はその全てをくびり殺し、自らの糧とした。そして遂には、元々強大であった力が今や全世界を覆い尽くす闇を生み出せるまで膨張したのだ。
その結果、私は今この世でどう呼ばれているか?
「永代魔王」
……つい口に出してしまった。永遠の魔王。決して尽きぬ命を手にし、衰えぬ肉体、翳りのない魔力に下支えされたこの地位は、二度と揺らぐことなどありはしない。
『お父様』
「どうした、リハール」
私には合わせて百の子がある。全て、私の血を基にして生み出した優秀な子供達だ。子供達と私は同じ意識の中で繋がっており、こうしていつでもコンタクトすることが可能となっている。そのため、万が一の有事の際でも迅速な対処が可能だ。不規則に現れる“勇者”とされる者どもが、仮に子供達の力を上回ったとしても、いざとなれば私自ら動き、忽ち殲滅することが出来る。
『いえ、お父様が些か退屈されているのではないか……と』
「ふふ……貴様、面白いことを言うではないか」
『人間の暦で言えば、この五百年余り、お父様に直接出馬頂くほどの事態が起こっておりません。私は数えるほどしかお父様の直接の魔戦を目にしておりませんが、その狂喜乱舞の様に思いを致すと、完璧な統治により常闇が実現したこの世に物足りなさを感じておりはしないかと……少しばかり、不安に思ってしまったのです』
我が子供達は例外なく優れているが、この八十二番目の子であるリハールは中でも極めつけに優秀だ。心根も強い。他の子供達であれば、圧倒的な存在である私に対してどこか怯えのような感覚を抱いてしまい、ここまでのことは言えまい。だからこそ、リハールは優秀なのだ。
そう、リハールの読みは当たっていた。
「……たとえそうであっても、常闇から忌々しき光が差し込んでくることなど──あってはならぬ。そう思うであろう? 獅子は一頭の兎を狩る際にも全力を尽くすという。圧倒的な力を過信することから綻びが始まる。勇者と呼ばれし存在は、世界の隅々から羽虫のように涌いてくる。彼奴等は“この世ならざる者ども”なのだということを肝に銘じねばならぬ。そう、たとえば急にこの魔王城の中に現れても──」
おぎゃあ、おぎゃあ……!
なんだ、この鳴き声は?
『……お父様?』
「と、とにかくリハール! 私を思う気持ちは受け止めるが、その優しさは隙を生む! 貴様は最も勇者の湧いてきやすい最前線を守っているのだから、常に毅然としているように! では私は忙しいのでこれで!!」
リハールは釈然としない思いだったようだが、それもそのはずだ。私は内心慌てていた。こんな気持ちになるのはいつ以来であろうか……?
おぎゃあ! おぎゃあ! ギャァ! ギャアア!!
鳴き声は次第に大きくなり、切迫感も同時に増していっているようだった。かつてマンドラゴラの叫び声を聞いた時でさえ、ここまで心乱されることはなかったが……。
冷静さを欠いている自分に気付いたのは、玉座から立ち上がって三十歩ほど歩いた後だった。この城もまた私の身体の一部で作られている。厳密に言えば指先の皮膚の一片を剥ぎ、魔力を込めて具体化した。即ち、この城に接している全てに、私の触覚が働くのだ。それを忘れるほど“焦らされていた”。
落ち着け私。どこだ、どこに触れている? この鳴き声を発している生物は……。現れたのはつい先程のはず。膨大な数の部屋があるが、何も物を置いていない部屋がいくつかあったはずだ。そこに触覚を感じるのであれば──あった! 五階の五百四十一号室、ここだ!
分かってしまえば話は早い。あとは瞬間移動するのみだ。未熟な術師は室内で瞬間移動を試みると天井に頭をぶつけたりすることもあるようだが、当然私はそんな愚を犯さない。瞬きする間に五百四十一号室に辿り着いた。
「オギャア! オギャア! オギャア! ギャァ! ギャアア!!」
……なんということだ。
赤子だ。それも人間の。
周囲を見渡し、魔力の痕跡を探る。これまでの経験の中で、何処からともなく勇者とされる者共が現れた際には、そこに僅かな魔力の残り香があることが分かっている。彼奴等は意識的であれ無意識的であれ、ほぼ例外なく“この世ならざる力”を用い、此処ではない何処かからやってきているのだ。
この赤子もそうであろうと直感的に思った。しかし、残り香は全く感じ取れなかった。辿り着くのに時間を要したか? 嗅ぎつけられればある程度何処から来たか目算がついたのだが。
それにしても……赤子が突如現れたのは、初めての経験だ。これまでは全て成年に達していたように見えた者共だったが。
……否。やることは変わらぬ。成年であろうが、赤子であろうが。
縊り殺すのみ。
鳴き喚く赤子を抱える。なんと軽いことか。首に手をかけ、力を込め──込もらぬ。力が入らぬ。肉体が拒否しているのか、精神が拒否しているのか?
違う。どちらともつかぬものだ。赤子の鳴き声が、私の本能に訴えかけているのだ。
貴方の脅威ではない──と。
私は、赤子のぐらついている首を、いつの間にか支え抱いていた。
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書き溜めはないです。最低でも二週間に一話は更新したいと思っていますが、リアルに子供が産まれる予定のため不定期になる可能性もあるかと思います。