第9話 「………………行きたいです」
「アリシア、すまない」
土下座でも始めそうな悲痛な声で、オスカーが頭を下げた。ここまで彼の声から感情が見えることは珍しく、アリシアは戸惑う。
部屋に入ったら、オスカーがアリシアの胸を押さえていた。
感触が伝わってしまっただろうか。そこまで小さくはないはずだけど、と考えて、勢いよく首を振る。考えるべきではない。会話どころではなくなってしまう。
「その、あれは、不可抗力というやつで……。その、すまない」
かつてないほどに途切れ途切れの謝罪に、アリシアの顔は赤くなる。
不可抗力とはどういうことか。やはりオスカーも男の人なのだから、そういう……欲、のようなものがあったりするということなのだろうか。
これ以上考えるとどうにかなってしまいそうで、まだ謝りたそうなオスカーの言葉を遮って言う。
「も、もう良いですから。気にしないでください」
「いや、だが……女性の、む」
「恥ずかしいので言わないでください!」
悲鳴のようになったアリシアの言葉に、オスカーは慌てて口を噤む。
「分かった。もう言わない」
無言でこくこくと頷くアリシア。オスカーはふっと息を吐いた。
「そして、その……こんな話の後に言うのもなんなだが」
こんな話、で一気に赤くなってしまった顔を見つめながら、オスカーが告げる。
「明日あたり、どこかに出かけないか? ……2人で」
無意識のうちに、目が大きく見開かれた。じわじわと頬が熱くなってくる。
「人目があるところはさすがに無理だが、その、湖の近くに別荘があるから、そこにでも。……嫌だったら、もちろん断ってくれ」
「………………行きたいです」
消え入るような声。頬を染めて呟くアリシアに、オスカーは微笑む。
「では、明日」
そう言ってオスカーは、静かに隣の部屋へ戻って行った。
◇
「マリー! ねえ、マリー!」
ノックもそこそこに無遠慮にマリーの部屋に飛び込んだアリシアを、マリーは生暖かい笑顔で迎えた。
「どうしたの? オスカー様にデートにでも誘われた?」
「なんで分かるの?!」
そう弾けるような笑顔でいったアリシアを尻目に、マリーはため息をつく。
「アリシアが礼儀を忘れるほど喜ぶことなんて、オスカー様関係しかないからね……」
そう言うマリーの足元には大量の魔術具が散らばっていて、明らかに取り込み中なのが分かる。
「あっ……ごめんなさい」
「別に、いいんだけどね。私もアリシアが喜んでると嬉しいし」
でも、と苦虫を噛み潰したような顔でマリーが続ける。
「オスカー様の身体でその顔されると、正直気持ち悪い」
「ちょっとマリー?!」
無言でマリーが鏡を差し出す。そこに映っていたのは、弾けるような満面の笑みのオスカーで。
「確かにこれは……ちょっと違和感が」
アリシアは真顔になった。これが一番しっくりくる。
「で? それを報告するために来たの?」
「……」
マリーが再び生暖かい目を向ける。
「他に何かあったんでしょ?」
そうマリーが聞いた瞬間に、頬がぱっと赤く染まったのが分かった。
「あったんだ。相変わらず分かりやすいけど、オスカー様の顔だとな……」
「あった、けど」
そう言っただけで落ち着きなく服の裾を引っ張り始めるアリシアを見て、マリーが目をきらりと光らせた。
「何、何があったの? アリシアがそんなになることなんて、すごい気になる」
「そ、その……」
「うん」
「部屋に入ったら、オスカー様が、その、私の、む、む」
「む?」
怪訝そうな顔をするマリーに、なんとか言葉を振り絞る。
「胸、を……」
マリーは爆笑した。
笑い転げるマリーを見て、アリシアは頬を膨らませる。こっちは相当恥ずかしかったのだ。笑うなんてひどすぎる。
「そ、そう来たか……」
しばらくしてようやく笑いの発作が収まり、涙目でマリーは言った。
「まあ、オスカー様も男なんだから魔が差すことくらいあるでしょ。相変わらずアリシアはその手の話に耐性がないなぁ」
「だ、だって」
そう言って落ち着きなく手を弄るアリシアをからかうように、マリーは続ける。
「案外それだけじゃないかもよ? もっと大胆なことされてたりして」
「なっ……」
「男なんてそんなもんよ。私の旦那だっていつも」
「もうやめて!」
手をふるふると震わせて言うアリシアに、マリーは笑って手を合わせる。
「ごめんごめん、アリシアが可愛くてつい。オスカー様は真面目だから、アリシアの同意なくそんなことしないよ。とりあえず、明日楽しんでおいで!」
「……今、話をそらそうとしたでしょ」
「あ、ばれた」
その悪びれない態度に、アリシアとマリーは笑う。
「そらしたけど、本心だよ。せっかくの旅行なんだから、楽しまなきゃもったいないって」
「そう、だね」
明日のことを思うと、心がふわりと浮き立つ。
知らず知らずのうちに微笑みが浮かんだ。
「あー今日も私のアリシアが可愛い!」
「マリーのものになった覚えはないわ!」
顔を見合わせて、同時に吹き出す。
魔道具をかちゃかちゃと弄り続けるマリーの隣で、いつまでもアリシアは話し続けた。手は忙しく動いているものの、マリーも楽しそうに言葉を紡ぐ。
心が穏やかになる、幸せな時間だった。
◇
アリシアはふっと目を覚ました。
今日がオスカーとの約束の日だ。小さく微笑みがこぼれる。
身体を起こすと、見慣れた部屋が目に飛び込んでくる。
違和感を覚えた。
恐る恐る目を下に向けると、目に入ったのは白く細い、
自分の足。
「ま、さか……」
姿見に目を向け、そこに映っていたのは、紛れもなく、アリシアの姿だった。